鏡音リンも歌う「いろは唄」!!薩摩隼人も「いろは歌」でロック!!

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あのボーカロイド「鏡音リン」も歌う「いろは唄」

「いろは歌」には、様々なものがあります。

「鏡音リン」の歌う「いろは唄」が一般的には

よく知られていますね。

「色はにほへど 散りぬるを我が世たれぞ 常ならむ有為の奥山

今日越えて浅き夢見じ 酔ひもせず」

実は、薩摩にも伝わる「いろは歌」があるので、今回はこの本をご紹介しましょう。

「薩摩の聖君 島津日新公の教え~いろは歌47首に学ぶ善悪の理~」(清水榮一著、PHP、2009年)

戦国時代、島津貴久と協力して「薩摩統一」を

果たしたのが、その父である島津忠良(日新公)です。

日本人は、このところ道義心を失ってしまったようです。

「道徳」といえば、「法律」が最低ライン。

その「法律」すらもすり抜けようとする「おとな」がいます。

そんな「おとな」の風潮を見て育つ「こども」は、かわいそうです。

「道徳教育」も必修化に向けて「教育再生」しようとしていますね。

ただ、私たちが戦後この方受けてきた教育は、「教科書重視」

なかんずく「道徳」はなかなか「教科書」だけでは正直伝わりにくい

ところもあったようです。

そこで、昔の人の知恵に倣って「うた」で身体になじませてはどうか

と提案したくてこの本を取り上げてみました。

昔は「道歌」というのがあった!!

日本人は、「言葉」よりも「うた」を重んじてきたようです。

近年の脳科学研究から判明したのは、「左脳(言葉重視)」よりも

「右脳(情緒・リズム重視)」の方が日本人にとってはなじみやすいそうです。

そんな「学習効果」もふまえて「いろは歌」を様々な音楽にしてみたら、

現代のこどもたちも喜んでくれそうです。

さて、昔の人は「道徳教育」を子守歌などを通じて「自然なリズム」

とともに学んでいたようです。

そんな「道徳」を取り入れた「うた」を「道歌」と言ったようですね。

武士などの支配階級は、「論語」など「漢文」で学んでいたようで

現代の教育にもその名残が残っているようです。

一方で、庶民レベルでは、「和歌・道歌」

とてもやさしいリズムで「大上段に構えた教育」を受けたわけでは

なさそうです。

なぜ、日本では「道徳」について各層でこんなに皮膚感覚が違うのか?

それはここに由来するのではないか、と私は考えています。

「声に出して歌いましょう!!~道歌~」

「声に出して読みたい日本語」でおなじみの「齋藤孝先生」では

ありませんが、このアイディアを「道徳教育」にも活かしたいものです。

どうも「散文」で「道徳教育」をするというのが、今のこどもにとって

イヤな感じがするのではないか?

もちろん、家庭で幼い時から「童話・昔話や絵本」に親しんできた「こども」

なら、学校でも素直に学ぶ姿勢が出来ているとは思います。

なので、一概には言い切れないところもあるのは承知しているつもりです。

ただ、近年「おとな」である親世代が子育てに手抜きというか「映像」や

「外部の学校」任せにした傾向があるのではないか?

そんな風にどうしても感じてしまうのです。

「こども」も「おとな」も理屈に長けて「素直らしさ」がない。

こんな風に思えて正直悲しい気分がします。

これも今の「ゆとりのない、せっかちで、荒れ狂った」世相の原因だと

思うのです。

本来、「道徳」はみんなが気持ちよく社会で過ごすための「知恵」だったはず。

何も難しいことではないと思うのです。

冒頭の「ボーカロイド」ではないですが、このように面白おかしく「うた」に

してみるのも案外「教育効果」があるのでは、と思いご紹介させて頂きました。

「堅苦しくなくおもしろく!!」

これが、これからの「道徳」です。

この本では、「いろは歌」を通じて様々な知識・知恵を学ぶことができます。

是非、「参考にして頂けたらなぁ」と思います。

ついでに、「こども」向けの関連本として、次の本をご紹介しておきます。

『子どもたちに・・・いにしへのいろはことば-島津日新公いろは歌』

(川畑耕二著、ペンギン社)

※一般書店では「希少本」になっているようですが、「図書館」で探して

みて下さい。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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4 Responses to “鏡音リンも歌う「いろは唄」!!薩摩隼人も「いろは歌」でロック!!”

  1. 1729 akayama より:

    ≪「いろは歌」を通じて様々な知識・知恵を学ぶ≫ 
    『大人にナ(成)五段活用』に、
    『 「犬も歩けば棒に当る」人生こんなもんっていう コッチャ ヽ ・・・と。
       しかし、いろは歌に込められた呪文は裁かれねばならない。』
       と綴った。
    いろはにほへと    いろはにほへと
    ちりぬるをわか    ちりぬるをわか
    よたれそつねな    よたれそつねな
    らむうゐのおく     らむうゐのおく
    やまけふこえて    やまけふこえて
    あさきゆめみし    あさきゆめみし
    ゑひもせす      ゑひもせす

     ≪ 咎無くて死す      本を津の小女 ≫ の『呪文』の
    ≪咎≫を≪処世≫ ≪津の小女≫を≪双龍天翔≫とし、

    ≪「数学力は国語力」齋藤孝著≫の項の
    ≪「思考法」が、「くすぶる力」≫ となった頃、[法の条文]の数式化(方程式)について≪数学力は国語力≫との事が量化であると行き着いた【数そのモノ】への客観性(自分史)である。 
    ≪仮説を立て検証をしていき結論に至るというプロセス≫での[事象]から[事象]への変換を三様相でできていたことをイメージ図①とする。
          イメージ図  ①
    国語力      数学力        【数そのモノ】からの応答の概念
    全称量化    [数]に『溺れている』    [数]の[ゲージ化](一律) 
    存在量化 Ⅰ   確率数の創生       [次元]の[関手]の創生    
    存在量化 Ⅱ   可換群の創生       [次元]の[関手]の創生

    『溺れている』との《表現》は、先の用語集による《数体》の《…変数方程式の解の有理数係数…》の[有理数係数]の[数]と[スービタイズ]の【数そのモノ】の[数]を数学的思考(概念)で分離(区別)できていない客観性(万人が認め得ない)である。 
    イメージ図 ①は、『離散的有理数の組み合わせによる多変数創発関数論』の≪プロセス≫の≪「国語力は数学力」≫或は『数学力は国語力』としての[徴表]である。

    イメージ図 ①は算数(離散数・不連続数)からの[徴表]であるが、数学(連続数)へ導く数学的思考への[数学的弁証法]の[止揚(アウスヘーベン)]である[数学概念]を容認することに生り、ここで登場していただくのが『数学キャラクター』(妖怪)たちで6つのシェーマ(符号)【e  π ⅰ ∞ 0 1】と名付ける。
    イメージ図 ②は数学(連続数)の[自然数]からのアウスヘーベンとしての[形態空間](ニッチ)での[認知科学]からの[徴表]である。 
         イメージ図 ②  
      [球]         [平面]        [次元]  
    言葉 『球の数』  言葉  『平面の数』  言葉  『次元の数』 
     中心   0       原点    0  零次元   0 
    《円周》  2  『仮設の直線(1)』 1  [一次元]   1 
    [円の面積]1  『仮設(1)の正方形』1 [二次元]   2
    [円の表面積]4  『仮設(1)の立方体』1 [三次元]   3
    [円の体積]4/3 『創発立方体』    1 [四次元]   4
     イメージ図 ②の『平面の数』は、算数(離散数・不連続数)の立場からの[徴表]としての[四次元]までの[1]の[コスモス表示]である。
    そして、『自然比矩形』と『妖怪』【e ⅰ ∞ 0 1】の『踊り』を通して『数理哲学作用』(メタ数学)から『仮設の直線(1)』(『妖怪』【1】)が[実数]の[数学概念]と[一次元]・[二次元]・[三次元]まで[四則演算]でき【数そのモノ】が、『妖怪』の『演技』として【閉じている】ことが観られる。   
    [一次元]・[二次元]・[三次元]に[双対]する[元]は、それぞれに[カオス表示](『踊り子』)となり『次元の舞台』で『踊り子』([因子])の『演技』(積)として『上演』(『ジャーゴン(数の核)』)を観た。 
    『妖怪』の作用は[直交座標]で、
     【e】は、単位(元)を創る『計量構造』である。
    【ⅰ】は、平面(元)を創る『直交作用』である。(創生方程式の解が同じ数学概念) 
    【∞ 0 1 i】は、組み合わせでそれぞれ違う[メタ数学]からの[数学屋]の用語を眺望する。
    『自然数』は、[直交座標]の『舞台』で『妖怪【0】』([直線])の上を[1 2 3 4 …]と跳んで行く(数える)『演技』だが、そうすると『舞台』から消えてしまう、そこで『舞台』を『自然比矩形』に限定して『自然数』の『踊り』([四則演算])を『上演』していたところ、『妖怪』たちが観(審判し)ていたのだ。

    『妖怪』たちのルールは、このように生っていた(数学的思考の概念化) 

    国語力      数学力      変換力           数学(物理)概念
    言葉(言語)   『妖怪』        文脈           対象間の変換 

    水平線    『 i 』で仲立      [線][基線]      『0軸』(重力を内在)
    垂直線    『 i 』で仲立   [垂線][鉛直線][法線]  『∞軸』(重力を内在)                                 
    水平面    [平面]      [面][面積]       『0軸』と 『 i 』で仲立(直交)創る(重力を内在) 

    立体空間   [平面]と『 i 』で仲立   [体積]   『0軸』と『∞軸』から『 i 』で仲立 

    [単位](元)  『0』と『∞』と『e』との『踊り』      [直交座標]での[三次元](空間)
                                            1×1×1の『意味構造』 

    『妖怪』の作用は[極座標]で、
     【π】は、[直交座標]の『循環性』を引き出し[極座標]に『埋め込み』を創る『計量構造』である。
    【ⅰ】は、[半径](元)を創る『直交作用』である。 

    イメージ図 ③ 
    『部分』(単位(元))と『全体』
    [次元] [極座標]    [直交座標]  数学(物理)概念、対象間の変換
        『部分』  『全体』   『部分』  『全体』
    0  0    ―      0    ―          0   
     1   1     2    1   …(∞)    1 [極座標(πを内在)]・[実数]
     2  …(∞)  1   1     …(∞)   1 [直交座標(e i)を内在)]・[実数] 
     3  …(∞)  4   1     …(∞)    1 
     4  …(∞)  4/3  1   …(∞)   1 四次元において[直交座標(e i(‐1/12))で内在)させ『0軸』を『時間軸』に変換あるいは『両義特性』
    イメージ図 ③は、『妖怪』【e ⅰ ∞ 0 1】の『踊り』を通して『球の数』の徴表の[コスモス表示]が、[直交座標]で人の日常([形態空間](ニッチ))のそれぞれの次元の[1]を表象していることである。 

    『時間と空間の誕生~蛙からアインシュタインへ~』ゲーザ サモシ,著の書評の、
       ≪…「重力とは時空のゆがみそのもの」…≫とは、直交座標が[重力作用](曲率)を持てばむべなる事である。
    森田真生先生の ≪…数学の「美」と「楽」ということが、ともすると論理の彼方に霞んで、見失われがち…≫を「情動の哲学入門―価値・道徳・生きる意味」信原幸弘著の書評の
    ≪…身体的「情動」感覚…≫が【数そのモノ】の[スービタイズ]との『身体がする数学』とに共振するものがある。

    ≪…不連続な時空イメージ像をつながりをもった一連の時空イメージ像へと転換させていく
    何らかの「地図化(翻訳)作業」…≫が、≪…数学の「美」と「楽」ということが、ともすると論理の彼方に霞んで、見失われがちである。…≫との事を、
    『数学キャラクター』(妖怪)たちで6つのシェーマ(符号)と【桁表示の自然数】とに
    ≪…「喜怒哀楽」豊かに生きる 「言葉=時間感覚」 「数字=空間感覚」 「身体」を使っていく「数学的思考法」…≫を出来る限り『道を外さず』表現してきた積もりである。 

  2. 1729 akayama より:

    ≪…シンボル操作能力…≫を≪…「美」と「楽」…≫で披露すると、
    【オイラーの多面体定理((頂点の数)+(面の数)-(辺の数=2))】について、
     [直交座標]から [極座標]へ眺望すると【多面体】において【頂点】を【面】へ『埋め込む』操作を【群】の創生とし【辺】の消滅(-)が、[極座標]の[中心]([0])と半径([1])の[球]と生る。そして≪シンボル≫として[2]を徴表する。
    これが、[一・二・三・四次元]で[1]から[2]へ≪…身体的「情動」感覚…≫で掴め、
    【1+1=2】(四則演算)がそれこそ自然(じねん)に彷彿し・させている。 

    【1】【0】【∞】[次元][濃度][位相][集合][写像][群]などの[数学概念]を[球]に[渾然一体]として思考の投影ができる。

    米沢富美子(1938.10.19 – 2019.1.17―哀悼の意を表する―)の
    ≪…もしかしたら究極理論は、・・・四次元は量子化された時空の中の幾何学的な 泡の中に埋め込まれている。…≫
       もうなづけそうな気がする。

    最近 絵本「こんとん」夢枕獏著・松本大洋絵に、
       
    ≪… 足が 六ぽん あるんだって。
     それで
      つばさが 六まい
      あるんだって。 …≫

    ≪… 「目と 耳と」
       「鼻と 口を つくってやろう」
       南の海の帝と
       北の海の帝は
       そう いったんだって。 …≫

    ≪… こんとんは
    … じめんたおれてしまたって
    … 二どと
    おきあがらなかったて …≫

    ≪… いつも
       空を みあげて
       わらっていたっていう
    こんとんのやつ …≫

    森毅のオチョ氏とコチョイ氏の話にもあるが、
     ≪足が 六ぽん≫    →  『6つのシェーマ(符号)』
     ≪つばさが 六まい≫  →   シェーマの身体行為(数学概念)
     ≪空を みあげてわらっていた…≫ → 【∞】
     ≪…帝 …帝≫(為政者)      → 【1】【0】(まつりごと) 

     と[寓話]すると、
    [Ⅰ次元]に捨象した『0軸』と『時間軸』の『ねじれ構造』の『両義特性』を『カオス軸』(自然数)とし≪永遠の今≫が九鬼周造の「「いき」の構造」の≪媚態・意気地・諦念≫の様相の[循環構造]で、為政者の歴史行為が、数学行為(概念)の[【1】【0】]で表現され立ち顕れる『コスモス軸』(∞軸)に≪ またしても またしても ≫[自然数]が甦る。 

    いろはかるたの、
     ≪犬も歩けば棒に当たる≫から≪一寸先は闇≫である[カオス]を歩き≪一を知って十を知る≫との[十進法]の世界に遊ばされてきた[自然数]に感謝する。

    『科学するとは、『コスモス軸』と『カオス軸』を行き来する無矛盾の応答である。』

    「映画ドラえもん のび太の宝島」主題歌 星野源 作詩 星野源/菊池俊輔 作曲
    ≪…指先と机の間 二次元 … 暮らした次元 そこに四次元 …≫

     [数学的思考]は、≪…二次元…≫ で [数学の役立つ(適合)]するのが[形態空間](ニッチ)であることを歌っているともとれる。
     ≪二次元≫での思考(知性)は、[カオス]のある[歴史軸](時間軸)に[一次元](直線上)に記述できるが、[数学概念]では【‐1/12】(知性)であり、未来への[知恵]は[+]に生り如何なる[カオス]から[コスモス]にするかは[数学そのモノ]では答える技はあるとしても[インプット]は常に[環境]に影響を受けて≪ またしても またしても ≫はっきりしないのである。

  3. 1729 akayama より:

    [ある事象]の変化に[二事象]が絡むとき、[主事象]と[従事象]に[プライオリティー]があるなら、あらゆる分野の学問的な対立用語への[プライオリティー]から即座に湧く≪…身体的「情動」感覚…≫こそが[道徳][倫理]などと関連しそうだ。
    『学際的に学際を剥ぐ』の≪…身体的「情動」感覚…≫の[プライオリティー] 
    [プライオリティー] 大    [プライオリティー] 小
    ≪身体的「情動」感覚≫ 大    ≪身体的「情動」感覚≫ 小
    哲学      質料             形相
    倫理学    行為功利主義        規則功利主義
    法学      自然法            実定法
    覊束行為           裁量行為
    論理学     存在量化           全称量化
    言語学   言語リテラシー
    (オブジェクト制約言語)
    経済学    財の変化量          財の収入量
    経営学    財の最大化量
    数学     量化数量           等価数量
            数学的リテラシー   

    「いろは歌」続き、
      いにしへの 道を聞きても 唱へても
        わが行ひに せずばかひなし 

    「精神としての身体」市川浩著に、
     ≪…物質的なもの、生命的なもの、心的なものを認識することができるとすれば、それはわれわれの存在自体が、これら三つの次元を統合しているからにほかならない。≫
     このことは、[桁表示の十進法の基]での『妖怪』(【e π】)から[極座標]の[コスモス表示]の『球の数』である『4/3』は、[時間]を[空間]で『単位化』している事である。
    [直交座標]では、[立方体]の[中心]と[頂点]の[一次元]表示(距離)は[√3/2]を[二次元]表示すれば[3/4]((√3/2)²)となる。
    これにオイラーの多面体定理を眺望すると[3/4]は、[空間]を[時間]で『単位化』している事になる。
    そして、『循環構造』(π)と『計量構造』(e)を[カオス表示]で帯同している。
     先の、≪…指先と机の間 二次元 ≫が『循環構造』(π)と『計量構造』(e)を『球の数』と『平面の数』において、
    「数はどこから来たのか―数学の対象の本性に関する仮設―」  
    Enrico Giusti(エンリーコ・ジュスティ)著 斎藤憲訳の
    ≪…二つの性質をともに持つ変換、…で同時に両方向に連続な変換だけが集合の次元を保存…≫ とのことを
     九鬼周造の、
    ≪[異種結合の結果」 → 目的的必然=自由(みずから)≫を≪…二次元≫(数学的思考の場)が『球の数』と『平面の数』を同じ【1】に表象している事だ。
     ≪…暮らした次元≫(三次元)に≪そこに四次元 …≫(時間)があることを[自然数]みずから立ち顕れるのが、『球の数』の『4/3』である。 

    『次元の数』にも[四則演算]が立ち上がり、[時間]で単位化するのと[空間]で単位化するのとでは、[文系][理系]にかかわらず≪身体的「情動」感覚≫のイメージ図 ④ となるのは[人]の[本性]か。

    イメージ図 ④ 
    ≪身体的「情動」感覚≫ 大      ≪身体的「情動」感覚≫ 小
    様態        [極座標]         [直交座標]
    次元の掌握      [時間]で単位化    [空間]で単位化  
    [数物概念]の      [時間]の      [時間]が[埋没]し
    注力         [可視化]     [数学思考]が[二次元]で
    [ニッチ]の
    言葉(言語)       [ハレ]          [ケ]  
    自然現象        [波][渦]…        [凪]… 

    イメージ図 ④の[時間]と[空間]の行き来は、[極座標]と[直交座標]の行き来であり、いつも言っている【オイラーの等式】である。
    ≪我々の宝石≫ ≪人類の至宝≫ ≪史上最も偉大な等式≫ ・・・

  4. 1729 akayama より:

    身にあそぶ 時を重ねて 一と生(成)る   

     数学の【1】は、6つの『妖怪』の徴表の【1】である。

     ドナルド・キーン(1922.6.18 – 2019.2.24)に哀悼の意を表し

     ・・・・・

        ―ドナルド・キーン訳―

    『書評の鉱脈をジャイロスコープする。』

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