佐々木閑先生の「出家的人生のすすめ」やりたいことを生涯追求するにも、<律>に従った生き方が必要だ!!

Pocket

「出家的人生のすすめ」

「科学的仏教人生の求道者」佐々木閑先生が、

一生かけてやりたいことを追求するためのルールを

授戒して下さいます。

それには、社会と無用な摩擦を起こさないための知恵が

是非とも必要になります。

そのルールとは、<律>です。

昨今、若者の間で静かに浸透しつつある最小限生活主義・・・

とはいえ、人間が完全に孤立して自足生活をするのは、

絶望的に困難です。

今回は、この本をご紹介します。

「出家的人生のすすめ」                 (佐々木閑著、集英社新書、2015年)

佐々木閑先生(以下、著者)は、京都の「禅仏教系」大学である

花園大学文学部仏教学科教授で、文理双方の思考法にも長けた方です。

「科学と宗教の接点」を学際的に「より良く生きる知恵」を

特に、仏教哲学に求められて研究されてこられた方でもあります。

さて、本日はこれまたヘンテコな??タイトルの書籍の

ご紹介をさせて頂きますが、内容は高密度ですので、

乞うご期待でございます。

21世紀に入り、資本主義経済社会はますます「実業」よりも

「金融・情報業」などに比重が移りつつある中で、

従来の「コツコツ努力型職業」が疎んじられていく風潮は

誠に悲しく残念なことです。

とはいえ、こうした時代の流れもそう易々とは食い止めることも

難しいようです。

さらには、今後数十年から数百年??にわたり、「人工知能(機械)」が

人間による労働機会を奪いかねない勢いで、水面下で進化発展し続けています。

管理人も、「人工知能(機械)と人間との協働社会」の未来予想図について、

これまでも当ブログで、たびたびご紹介させて頂いてきましたし、

今後ともご紹介させて頂く予定でありますが、これまでの研究成果では、

「長所」「短所」それぞれあるようです。

ただ、現時点では、人工知能が人間の単純労働を駆逐していく勢いが

高まる一方だということ、また、専門職労働だからといって、

決して油断してはならないことも判明してきています。

なにせ、「ディープラーニング(深層学習型)人工知能」の頭脳は

悲しいですが、驚異的かつ脅威的だからです。

そこで、今後はその「人工知能(機械)」によって新たに創造された

「労働」時間の有効活用法を真剣に考えていかなければなりません。

もっとも、今後の進化発展の方向性次第で、現代の「労働観念」や

「資本主義経済」生活の中身すら大きく革新されるかもしれませんが、

近未来経済予想図がどのようなものになるのかは、

まだ誰も知るよしがありません。

そのような急激な経済社会の移行期にあって、すでに現時点で

「ダウンシフター(減速生活者)」や「ミニマリスト(最小限生活者)」

挑戦されておられる方も多いかもしれません。

また、一般企業や官公庁ですら、「独立系」部門制度を導入した

あらたな「革新的ベンチャー事業」などを試験中の個人・法人事業主の方も

多いものと思われます。

「本業」よりも「副業」による利益率が高い事業所もあるかもしれません。

いずれにせよ、このような大変革時代には、「旧来の陋習」を打破しなければ

生き抜くこともままならなくなります。

そんな訳で、当ブログでも硬軟織り交ぜて、様々なジャンルから書物を

ご紹介させて頂いてきました。

できるだけ、頭を柔らかくしておいた方がリスクも分散出来ますし、

急激な変化が訪れても慌てなくて済むものと思われるからです。

そこで、今回は「働かずに好きなことを継続していくための条件」

<律>という集団生活におけるルールを中心に据えつつ、

「出家的生き方」をご提案しながら、皆さんとともに考えていこうと思い、

この本を取り上げさせて頂きました。

ちなみに、以下で語らせて頂く「働かずに」とは、決して「楽して遊び暮らす」

という意味ではありませんので悪しからずご了承下さいませ。

(そんなことが叶えば良いのでしょうが、それはそれで問題もあるでしょう・・・)

なぜなら、余程の「暇と退屈」を賢明に生きる知恵がないと、

「小人閑居して不善を為す!!」が、古今東西の歴史的教訓だからです。

また、本書の内容は、主に「仏教的サンガ(集団生活)」をテーマに

絞った論考ではあるようですが、世界史的な視点から、キリスト教における

「修道院生活」との比較や、近代資本主義(デモクラシー)の原動力となった

哲学思想、そして、今後の近未来経済社会における斬新な労働社会構想など

考察していければと思っています。

それでは、至って生真面目な分析考察をしていこうと思いますので、

皆さんにも本書から、様々な叡智を学び取って考えて頂ければ幸いであります。

働かずに好きなことだけをして生きるための条件「律」

まず、本書のテーマ「出家的生き方」でありますが、

この「出家」とは必ずしも、本格的な仏教生活に従事していくことを

意味してはいないことを最初に強調しておきます。

著者も本書で語っておられますように、「科学者共同体」のような

一般企業での研究開発部門者の「働き方(生き方)」も含められているからです

つまり、「働かずに好きなことだけ」という意義は、

出来るだけ、外部の予算獲得競争、営業事務処理作業などの

周辺庶務に気を散らされることなく、本来の中核事業に集中するための条件や

環境設定をいかに最適化していくべきかという問題意識であります。

それでは、この「出家的働き方(生き方)」に本格的に入っていく前に、

大前提として、本書における「仏教的生活共同体(サンガ=僧伽)」と

そこから創造されてきた知恵「律」について解説しておきましょう。

仏教ですから、当然「この世という苦界からの脱却(悟り=涅槃寂静)」を

目指すのが、あらゆる仏教修行の究極的目標であることは、言うまでもなく

皆さんもご存じだと思われます。

そこで、こうした究極的目標に至るまでの「生活設計手段」を

あらかじめ考案しておかなければなりません。

そこで、お釈迦様が考案した「生計手法」が「托鉢」でありました。

ちなみに、「托鉢」は修行行為の一環で、単なる「物乞い」では

ありません。

それは、「托鉢者」だけの一方的行為ではなく、「喜捨(寄付)者」自身の

修行行為も含めた「相互行為」だとされているからです。

なるほど、お釈迦様も「理屈」がうまいですね。

ですから、タイ、ベトナムなどの「上座部(小乗)仏教圏」では、

「托鉢者」の振る舞いを侮辱したり、見返り(西洋的経済対価)を

求めてはならないとされているのも、こうした背景哲学にあるようです。

今、「小乗」と語りましたが、これは「個人的(救済)」を中心とした

仏教の一派のことであります。

これに対して、一般大衆へのより大きな救済も視野に入れた仏教を

「大乗」仏教と言いますが、本書では「小乗」がテーマになっています。

ということで、以下で「律(サンガ)」などを論じる際には、

「小乗仏教生活」が大前提となってきますので、最初に確認しておきます。

ちなみに、日本は「大乗(現世利益=大衆生救済)」仏教国とされ、

ほんの一部のみが、「小乗」だとされています。

(禅宗に近いとされ、また近年若者などに大流行中??)

なぜなら、まさしく「働かずに好きなことだけして生きる」が目的だからです。

「好きなだけ」という表現は、語弊もありますが、「個人救済が目的」だと

ここでは、ひとまずイメージしておいて下されば結構であります。

その後、仏教が本場インドから中国、日本などに伝道されていく過程で、

その「生計手法」も多様化(例えば、「作務(さむ)=自給自足生活」など)

していきましたが、ここでは「仏教的労働観の原点」である「托鉢」に絞って

考察しておきます。

こうした本場インド(もっとも、現代インドでは超少数派になっている

ようですが・・・)や「上座部(小乗)仏教圏」では、「働かずに修行」が

ポイントになってきます。

そこで、こうした「出家的生き方」をうまく完結させていこうと思えば、

絶対に社会との摩擦・衝突を回避しなければなりません。

少なくとも、その軋轢を「最小限」に抑制しながら、聖俗の均衡点を

探る必要があります。

そこで、必要となる視点が、「出家生活共同体における厳しい掟(律)」

あります。

ここで、「律」とは、「集団組織におけるルール」を指し、

一方で、個人的なルールを「戒」といいます。

併せて、「戒律」ですね。

日本仏教は、こうしたルール設定においても特異なようです。

個人的な「戒」の方は、前にも当ブログでご紹介させて頂いた鑑真の来日にて

実現されることになりましたが、余程の高い志や見識を持った僧でない限り、

現代でも「破戒僧だらけ(失礼!!)常態」であるようです。

もっとも、あまり厳格すぎない日本仏教にもそれなりの魅力があることは、

公平な観点から論評しておきましょう。

さらなる問題は、「律」であります。

この「律」も、日本ではあまり厳格には受容されていないようです。

もちろん、奈良の大和西大寺、生駒聖天宝山寺や京都の浄瑠璃寺など

真言律宗系」の優れた高僧を輩出してきた寺院があることは事実です。

しかし、本書で触れられている「律」は、あくまで世俗から離れた

「出家生活共同体としてのサンガ」であります。

もちろん、「サンガ」も完全に社会との接点を喪失した(させた)

世捨て人集団とは異なりますが、このような厳格な「律」を下に、

結集した集団生活者の一群は、日本で見られることはありません。

だからこそ、正式な仏教修行を経ない「新興宗教教団」の悪事も

後を絶たないのです。

かつて、日本を震撼させた有名な某教団などの事例でも明白です。

そういうこともあって、本書でも「律(厳格な集団内におけるルール)」を

設ける重要性が強調されている訳であります。

「働かず好きなことをして生きる」にも、俗世間をきちんと納得させるための

証明が必要だからです。

著者も語っていますが、その意味で、

お釈迦様とは「最高の組織設計者兼統率者」だったようです。

そこで、この「サンガ(出家生活共同体)」ですが、この組織では

俗世間とは異なる独自の運営法もあったようです。

それは、

①僧侶の上下関係は(能力に限らず)完全年功序列制。

②統率者はいない。(もっとも、上座部仏教のような<長老>は

存在するようですが・・・)

③上下階層組織形態ではないため、消滅しても再生機能が強く働く。

④腐敗堕落防止措置の自浄作用を保持させるための「授戒」が必要。

(サンガメンバーの資格要件)

⑤確実で堅固な義務教育制度の充実。

⑥修行には、査定制度はない。(その代わり、<自己修養>は厳しい!!)

⑦教育目的も、一般世俗社会とのルール(功利主義)とは異なり、

「生き甲斐の充実度を高める」ことに主眼がある。

などがあるようです。

誰でも「出家的生き方」に挑戦することは出来るのか??

それでは、こうした「出家的生き方」のうちで、その内部における

「生計の立て方(労働観)」は、一体いかなるものだったのでしょうか?

次に、そのことを仏教(サンガ)とキリスト教(修道院)との

労働スタイルの違いなどから分析考察してみましょう。

まずは、仏教(サンガ)の労働観からですが、

先程も語りましたように、原則として「労働は一切禁止!!」で

世俗社会における余剰分で生活するという「托鉢スタイル」です。

現代仏教では、中国禅の影響から日本でも「自給自足スタイル」も

容認されているようですが、あくまでこれは「本来の姿ではない!!」と

されているようです。

中国の有名な禅師である百丈懐海の言葉。

「一日不作、一日不食(一日作(な)さざれば、一日食らわず)」

当時の中国社会事情を反映したやむを得ざる「労働スタイル」だったようです。

それは、日本もそうですが、

総じて、中国・日本などの世俗権力の強い社会では

なかなか「托鉢スタイル」は浸透困難なようです。

管理人も、日本国内の「托鉢僧」(昔は「虚無僧(尺八僧)」もいたそうですが)

には、同情や敬愛の念は抱きますが、日本の現状では

意外に「他人に厳しい」社会のようです。

つまり、日本社会では「自力救済型」が聖俗社会ともに強いということです。

そのような「寛容度や自由度の低い完全自立型社会」では、

あらたな革新的実験生活も試行することすら困難であります。

そのことは、著者も本書で、特に強調されておられるところです。

さて、その点で、西欧宗教社会を代表するキリスト教(修道院)での

労働観はどのようになっているのでしょうか?

実は、こちらもおしなべて、仏教サンガ生活以上に厳しいようです。

パウロに始まるとされる労働観「働かざる者、食うべからず!!」

中世のカトリック系修道院での「祈り、かつ働け!!」などと、

きわめて厳格だったようです。

西欧の場合、むしろ、日本に比べて「労働罪悪論」があるために

仏教以上に「托鉢・喜捨(寄付)文化」に寛容な社会なのかと

思いきや、予想外の「労働観」だったようです。

もっとも、こうした「労働スタイル」が、後世、

キリスト教の世俗化を促すようになった宗教改革以来の

「労働そのものが救済の対象!!」とする「行動的(世俗内)禁欲」を

生み出し、近代資本主義の勃興を促していった過程は、

まさしく、「歴史の逆説!!」であります。

有名なマックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

には、この歴史的過程などが詳細に分析考察されています。

面白いのは、キリスト教では、「利子(利潤)獲得が禁止」されているにも

関わらず、このような方向へと発展していったことです。

とはいえ、これとは別に修道院が「十分の一税」など

現代のような寄付文化に依存している一面もありますが、

現代キリスト教会では、マザー・テレサのような「修道院僧」の方が

例外的存在で、ことにアメリカでは巨大なビジネスになっていることは

「成功哲学系書物」を読んでもイメージされるところです。

なにせ、「ドライブ教会」まであるそうですから・・・

さて、このようにキリスト教会でも、厳格な「戒律主義」は存在しては

いるのですが、堕落観についてまでもが、仏教とは異なるようです。

キリスト教では、むしろ、「戒律(規範)に従う方が堅信的」とされます。

むろん、キリスト教本来の目的は「非戒律主義=キリストの教えそのものに

忠実」であるべきなのですが、現状では「真逆」になってしまっているようです。

それが、非教会系キリスト者にとっては、「我慢ならない!!」という事情も

あるようですが、その話題は、別の機会に譲らせて頂きます。

これに対して、再度、仏教(サンガ)に戻りますが、こちらの方は

「戒律重視」であり、「出家的生活共同体」においては、

むしろ「俗世間との付き合いを良好に保つため」、一見「戒律重視」の

立場に傾きそうですが、堕落観という観点から判断すると、

逆に「戒律を守りすぎ」たために、俗世間からますます遊離していくことが、

堕落だとみなされているようです。(以上、『日本人のための宗教原論』小室直樹著)

ですから、仏教的出家生活共同体(サンガ)も聖俗の絶妙なバランスを見出していく

のが、賢明な「教団運営法」のようです。

こうした俗世間との関係も十二分に配慮した仏教でしたが、

なぜか、仏教ではキリスト教とは異なり資本主義が発達しなかったようです。

少なくとも、こうしたお釈迦様に忠実であろうとする「原始(小乗)仏教」では。

日本で近代的な資本主義が爆発的に拡大するためには、

江戸時代以降を待たなければならなかったようですが、

このあたりは、「浅学非才」ですので、後日また研究しておきましょう。

まとめますと、この仏教とキリスト教における「行動様式」が、

後に、近代的世俗(聖俗分離)主義である「政教分離思想」を創出していった

のですから、この点でも日本では理解度が異なるようです。

この背景事情を探究するのも面白いのですが、今回は紙数の関係上保留しておきます。

最後に、今後の近未来経済における労働社会構想について、

若干考察しておきましょう。

おそらく、今後の「人工知能(機械)」の進化発展とともに、

人間の「労働観」も相当一変していくことが予想されています。

現状でもすでに、先進国経済は「過剰(余剰)経済」となっており、

世界的には「長期デフレ傾向」で、日本の場合は、今はまだ

未曾有の量的金融緩和も続けられており、輸出ドライブもかかっている

かもしれませんが、こうした「超マイナス金利政策」も

未来永劫続くという訳ではありません。

いずれ、為替も「円安から円高」へと戻り、内需拡大策も

再び困難な局面を迎える時期も到来することでしょう。

その時が来れば、現状の国内の過剰在庫はますます輸出調整が

困難になり、「万事険しい!!」の時期が到来するかもしれませんし、

その頃の新興国の安価な大量在庫事情とも絡み、

その調整には、さらに手間取るかもしれません。

管理人は、出来るだけ「未来思考(楽観思考)」でいたいですし、

日本と世界の将来を真剣に憂慮していますが、なかなか良き知恵が

湧き出てきません。

国内経済の国内処理による解決策ではなく、

国内経済を無思慮な「安価な労働力」で補おうとしたり、

新興国への「安易な外注化」を続ける限り、

日本国内の優れた労働者を路頭に迷わせることになります。

そのような「最悪な事態」を招かないためにすべきこと・・・

その一つが、「組織労働の見直し」の一環である本記事の提案も

ヒントになるかもしれません。

それは、冒頭でも触れさせて頂きました「(社内)独立ベンチャー思考」で

あったり、「情報産業(人工知能など)」をフル活用した

「働かずに好きなことで生産的事業に挑戦する出家的ベンチャー思考」です。

今は、もちろん、「そんなの空想物語!!」の段階ではありますが、

やがては、現行の社会福祉制度と経済成長との連動型経済システムが

「特異点」に達する時も到来することになるでしょう。

そこで、ここ数十年のうちに、現実的な「経過措置」は設定しなくては

なりませんが、「本格的なベーシックインカム制度」や少なくとも

「社会人再教育全面無償化制度」の導入も検討する余地があるかと

思われます。

時代の大転換期には、思い切った「発想の転換」も必要です。

決して、その「緩やかな移行措置」が手遅れとなり、

再び、20世紀のような「大惨事」にならないためにも、

今こうしたあたらしい「遊び心」も取り入れた「革新的労働観」に

取り組むべきではないでしょうか?

本書の主題からは、フルスピードで一見「ぶっ飛んでいる」ようには

管理人自身も実感していますが、著者の視点の延長上には、

このような「世界観」も拡がっているように見えます。

「基礎教育(研究開発)投資は、明日の糧そのもの!!」です。

そのためにも、著者も強調されていますように、

「出家的生き方」をする人びとに対しては、寛容と敬愛の念が

注がれてもよいのではないでしょうか?

とともに、本書のような「出家的生き方」をする人間にとっても

「戒律」は守らねばなりません。

著者は、この「サンガ(出家的仏教生活共同体)」の本場インドの

多様な社会風土が、現代インドの経済発展の寄与度に関係していることも

指摘されておられます。

ちょうど、その意味では「今が一番良い種蒔きの時期」です。

国内経済における「財政政策出動」と「再増税延期」とともに、

「内需拡大」を押し広げることで、超マイナス金利で余剰となった

資金を、こうした「奇抜なアイディア」にも積極投資していく・・・

それが、「国内経済」にも「国際経済」の安定度にも貢献していく

方策なのではないでしょうか?

管理人は、未来を信じ、そのように確信しています。

「次世代のためにも、今決断が求められる時期」です。

最後にそんな新しい未来への門出を祝して、次の言葉を

引用して筆を擱かせて頂きます。

『たくさんの殺人が横行しています。たとえば、才能を持った

若者を彼らに適していない職業に就かせるのも人殺しです。

また、面倒だからといって見て見ぬふりをすることも殺人の

片棒をかつぐことです。おかしな法律や制度がまかり通ることを

傍観するのも人殺しと同じです。自分の生活を守るための冷酷さ、

蔑視や無関心も結局は誰かの可能性を殺しているのです。

不安な若い人に対してつれない態度や疑い深い態度を示すことも

また、若い人の将来をひねり殺しにしていることなのです。』

(ヘルマン・ヘッセ「殺すべからず」超訳ヘッセの言葉

白取春彦編訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン、216頁より)

ということで、皆さんにも、このあらたな奇抜な視点・発想を提供して

くれる『出家的人生のすすめ』をご一読して頂き、ともに

「未来のためのアイディア創り」にご協力して頂ければ幸いであります。

なお、著者の別著として、

本書の親本である

『「律」に学ぶ生き方の智慧』(新潮選書、2011年)

「生物学者と仏教学者7つの対論」

(斉藤成也氏との共著、ウェッジ選書、2009年)

「科学するブッダ~犀の角たち~」

(角川ソフィア文庫、2013年)

「仏教は宇宙をどう見たか~アビダルマ仏教の科学的世界観~」

(化学同人、2013年)

また、本文でご紹介させて頂いた京都「南山城」の浄瑠璃寺住職で

いらっしゃる佐伯快勝さんとアレックス・カーさんとの対談本

「対談 世流に逆らう」(北星社、2012年)

をご紹介しておきます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

sponsored link




 

One Response to “佐々木閑先生の「出家的人生のすすめ」やりたいことを生涯追求するにも、<律>に従った生き方が必要だ!!”

デイヴィッド・ロイ博士の「西洋の欲望 仏教の希望」アメリカで静かに浸透中の社会参画仏教とは!? | 双龍天翔 へ返信する

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

サブコンテンツ

このページの先頭へ