「不適応能力者として生きる!!」ユニークな教育法で注目を集める大越俊夫先生に私淑する!!

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「不登校」

「引きこもり」

「ニート」など・・・

現代社会は、「社会の規格水準」から

ひとたび外れてしまった者には

大変「生きづらい」世の中です。

いまだに世間では、「社会に復帰させる」教育が

主流です。

真剣に悩みをもって、「人生を前向き」に考えつつも

「主流教育」へ疑問をもった「志の高い」すべての方へ

必読して頂きたい本があります。

「不適応能力~どんづまりが出発点~」           (大越俊夫著、致知出版社、2004年)

著者自身も、「不登校経験者」です。

その経験から、「社会の主流教育」に対して

反旗を翻そうと立ち上がった「志士」です。

『リバースアカデミー「師友塾」』の塾長でいらっしゃいます。

「教育は何のためにあるのか?」

「そもそも論」の所で、現代教育論は迷走しているのが

現状であります。

「人が人として生き抜いていく知恵」

を学ぶ「場」が、「教育の本旨」だったはずです。

「平均に合わせた教育」か「エリート教育」か

という「画一的教育」しかないかのようです。

昨今の「教育カリキュラムの変遷」は、

「大人社会の迷走」の「写し絵」そのまま

ような気がします。

それで苦しんでいるのは、「子どもたち」です。

「一人一人に個別対応した多様な教育」は

置き去りにされてきました。

これだけ「社会が進歩」し、「個性的な若者」が増えてきたにも

かかわらず、教育が硬直化している現状・・・

「思春期」における「子どもの自我の覚醒」に無自覚なままの

教育は、未来において多大な損害を与えます。

「当人の人生」にとっても、計り知れない「心の傷」が残ってしまいます。

こんな現状をなんとか変革しようと「フリースクール」を創設したのが、

「志士」大越俊夫先生です。

「生きるとは何か?」

それを「生涯かけて学んでいくのが教育」です。

「学校時代」だけが、教育ではないのです。

そのような「人生にとって重要な位置を占める教育」について、

考えていこうとこの本を取り上げました。

「社会復帰」だけが「教育の目的」か?

人間は、一人一人まったく異なる性格を持って生まれてきます。

すでに生まれたときから、何らかの個性を宿しているのです。

「自我の芽生え」

そこから「人生の旅立ち」が始まっているのです。

やがて、「思春期」になり

人は「社会との距離感」に大きな違和感を持ち始めます。

「自ら感じ、自ら考える」

「自律心の芽生え」です。

しかし、子どもが模範とする「大人の姿」が

現代社会では見えてこないのです。

子どもの「悩みに真剣に立ち向かう」ような「大人」が

少なくなってきているようです。

相談することも出来ないために、「孤立」してしまう

子どもも出てきてしまいます。

悲しいことに命を落としてしまう子どももいます。

言うまでもなく、「子どもは親の背中を見て育ちます」

現代社会では、「大人」も「経済社会の犠牲者」です。

そのため、「自律」よりも「(経済的)自立」を勧められます。

だからといって、すべての「大人」が「(経済的)自立」を

果たしているわけではありません。

悲しいことですが、それが現状でもあります。

したがって、子どもも「自律よりも自立を優先」するように

誘導されてしまいます。

結果として、「想像力と創造力」が奪われてしまい「人生を

奪われる」ことになってしまいます。

大半の子どもは「経済的自立」が出来ない環境にありますので、

「自前の教育」を受けることが著しく困難です。

また、社会の定義もはっきりしないまま「子どもたち」は

「社会人」になることを要請されます。

日本の現状では、一度「不登校」や「引きこもり」に

なってしまうと「冷たい視線」を浴びることになります。

これに耐えることは、大人でも難しいでしょう。

「フリースクール」も昔に比べて認知されてきましたが、

社会の中では「異端扱い」であります。

「社会って誰のために存在するのか?」

現実の社会は、最大多数の力によって形成されてしまいます。

このような「多数社会」に疑問を持った「少数派」は「居場所」

を奪われてしまいます。

したがって、強制的に「少数派」を「(多数派)社会」に「復帰」

させるということは、酷なことなのです。

「人格の尊厳」が失われるようなものですから・・・

だからこそ、「多様な教育手段」が必要になってくるのです。

不適応能力こそ社会を変える原動力だ!!

「大人」になってからも、「失業などの危機」は絶えず襲いかかってきます。

社会(市場)は、経済だけではないはずです。

様々な「代替社会」があっていいでしょう。

ましてや、現代はすでに「IT革命」の洗礼を受けているのです。

米国では、「オープンコース・エデュケーション(教育コンテンツの無償開放化)」も

いまや認知されてきています。

もともと、米国に限らず「自前の教育」こそ「多様な人間形成」にとって

欠かせないものであると思うのです。

老若男女問わず「生涯にわたって」、多様な社会を行き来できること。

そこに「未来の明るさ」があります。

こうした「未来像」を考えてみた結果、

私が考える「教育の成果」

それは、

「14歳までに独学自習して生き抜く力を身につけること」

これさえ達成できれば、「思春期を無事乗り越えた」

子どもたちは「厳しい社会の荒波」に羽ばたいていくことが

できるでしょう。

現に、昔の日本はそうだったのですから。

しかも、「技術革新の恩恵」で

「過酷な労働」は徐々に減りつつあるのです。

何度でも「再チャレンジできる機会」は多くあるはずなのです。

あくまで、現状では「理論的」にはですが・・・

「仕事」も多様化する一方の現在。

唯一のネックが、「お金の問題」ですね。

社会には「役に立つ仕事」はたくさんあります。

しかし「仕事の対価であるお金」とは

常にミスマッチが生じてしまいます。

現在、あらゆる「仕事」を「マネタイズ化(金銭化)」しようという

傾向にあるようですが、もっと「工夫」できないものか?

皆さんも一緒に考えて頂ければ幸いであります。

「不適応能力こそ社会の宝」

この言葉で締めくくりたいと思います。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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