出光佐三氏の「マルクスが日本に生まれていたら」企業も国家も社会も人間も「信なくば立たず!!」

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「マルクスが日本に生まれていたら」

出光興産の創業者にして百田尚樹さんの

小説『海賊とよばれた男』の主人公モデルとも

される出光佐三氏の哲学思想を語った本です。

「本来の日本人に戻ろう!!」

そして、『「対立闘争観」の迷妄から覚醒して、

日々の仕事を通じた社会貢献に勤しもう!!』

真面目な勤労・勤勉が軽視されていく時代だからこそ、

学び直したい現代。

景気回復祈願。

今回は、この本をご紹介します。

「マルクスが日本に生まれていたら」(出光佐三著、春秋社、2013年新版第4刷)

出光佐三氏(以下、著者)は、言わずと知れた、

日本を代表する石油業界を牽引してきた存在として

知られる「出光興産株式会社」の創業者であります。

「出光興産株式会社」と言えば、石油業界でも

民族資本による独自路線を貫いてこられた石油会社であります。

敗戦後、占領下に置かれていた「エネルギー資源小国」日本は、

独自ルートで、東西冷戦などの複雑な国際情勢の中で、

まさに「命がけの乾坤一擲の勝負」をもって、

「石油の世紀」20世紀を生き抜いていかざるを得ない状況に

ありました。

そのあたりの事情は、「日章丸事件」などを題材にした

大ヒット小説海賊とよばれた男』(百田尚樹著、講談社、2012年)でも

描写されたことで、ご存じの方もおられるでしょう。

2016年の12月には、『永遠のゼロ』の主演男優であった岡田准一さんの

再起用で、映画公開予定とのことです。

著者は、実業家にしては珍しく、「資本主義の矛盾点」と

真摯に向き合いながら、「大家族型経営」を目指してこられました。

第二次世界大戦後は、東西冷戦の対立とも相まって、

左右両翼の闘争も一段と強まり、

とっくの昔に、東西冷戦も終結した後の

21世紀に入った2016年現在ですら、

後遺症が日本社会の至るところに残っています。

イデオロギーの不毛な対立だけではなく、昨今は、あらたな「搾取形態」として

「ブラック企業」や「ブラックアルバイト」、「貧困ビジネス」など、

経済的には貧しくとも、真面目に将来を見据えて働く者を打ち据えるような

過酷な労働環境も復活してきています。

一方で、政治面でも、ますます「日本人離れ」した発想で、

いよいよ、日本社会は分裂していく状況にあります。

日本社会の上層部でも、「日本を取り戻す」とするかけ声もある中、

足を引っ張る人間が、上下左右の朝野を問わず、後を絶たない現状にあります。

そんな時局だからこそ、将来を担う真面目な日本人青少年にこそ、

読んで頂きたい1冊があります。

それが、本書マルクスが日本に生まれていたら』であります。

いきなり、「マルクスかよ!?」と思われた方もおられるでしょうが、

著者は、実業家としての確かな目で、人間の本性を透徹した見識で

分析考察しながら、いわゆる「マルクス主義思想」に背を向けながら、

事業展開をされてこられた方です。

ただ、「資本主義」自体にも矛盾が存在するとの視点は、

マルクスの問題意識とも共通するところがあったとされています。

「資本主義」の内在的問題点を克服する視点は、

「資本主義」の「長所」を確信する人間にとっても、大切なテーマです。

ということで、「働く人間を応援する!!」、「日本人に戻ろう!!」をテーマ

皆さんとともに、この日本社会に「より良き」労働環境を取り戻していく知恵の書として、

考察していこうとの思いで、この本を取り上げさせて頂きました。

「対立闘争文化」の西洋人理論家「マルクス」と「大和心の調和文化」の日本人実業家「出光佐三」

最初に、本書の内容構成をまとめておきます。

①「序論 なぜマルクスをとり上げるのか」

②「1 平和にしあわせに暮らす社会とは

具体的にどんな社会か」

③「2 人間解放の道」

④「3 歴史と社会」

⑤「4 経済と経営」

⑥「5 労働観と貧乏論」

⑦「6 道徳と宗教」

⑧「7 マルクスと私」

⑨「結び マルクスの功罪と日本人の使命」

この9つのテーマで、マルクスと出光佐三氏の

思想観の違いが、わかりやすく活写されていきます。

本書は、東西冷戦対立の「ピーク期」の1966年当時に、

出光の経営のあり方を問い直す過程で、社長室メンバーによる

勉強会にて討論された記録的著作集だとのことです。

それを一般向けにも公開していこうとの趣旨で刊行された模様です。

東西冷戦時と言えば、企業内においても、激しい労使(資)闘争で、

内外問わずに、厳しい「突き上げ」があった中で、

出光興産の場合には、その「人間尊重」による職場環境から、

労働組合も存在していなかったといいます。

他企業も、当時は、激しいストやスト破りなどで、

本業が妨害されたりするなど、企業コストにも多大な損害が

出る中で、好運な職場環境だったようです。

詳細は、是非、本書や上記『海賊とよばれた男』など、

著者である出光佐三氏に関する自伝集などを紐解いて頂きたいのですが、

元々が、第一次世界大戦後に雨後の竹の子のように

現れ出た「にわか成金」のような「金権腐敗資本家」や

戦時体制下における「上からの計画的統制経済」を嫌悪されたり、

違和感を持っておられたことなどから、

いわゆる「働く者をいじめる資本家」の横暴に対しては、

義憤の念をお持ちだったといいます。

著者は、九州の宗像大社の信仰地域で青少年期を過ごされたこともあり、

文字通り、後年の「海の男」に相応しい世界観を培われていかれたようです。

そして、1905年には、神戸高等商業学校(現:神戸大学)に進学され、

当時の大学生には珍しく、遅ればせながら、「丁稚奉公生活」から

本格的な社会人生活を始められたといいます。

そのため、この時期における大学生特有の「頭でっかちな」エリート意識から

ではなく、すべて実地の「現場研修」から実践的に経済・経営などの

諸学問を積み重ねられたといいます。

著者は、1905~1909年頃に、大学生活を過ごされたのですが、

日露戦争後で、辛くも戦勝国から一等国へと格上げされていく日本国の

上昇期に当たっていました。

この時期は、日本資本主義もようやく軌道に乗り始め、

勢いも出始めてきた時期だったのでしたが、今以上の深刻な格差問題も

存在していたといいます。

特に、九州は、官営八幡製鉄株式会社や造船会社、炭坑会社など、

大陸との接点でもありましたので、日本資本主義の発展史の中でも、

より歪みが出やすい労働環境であったようです。

そのあたりは、時期は異なりますが、

有名な五木寛之氏の『青春の門』などでも詳しい描写がありますので、

広く人口に膾炙しているところでもありますが、

「労使(資)対立闘争」が、激甚だった地域でもありました。

とはいえ、管理人の母方の祖父母も「九州人」ですので、

幼い頃に、よく聞かされましたが、「働き者」が多かったといいます。

大陸との「玄関口」で、古来から日本の国防上の拠点でもありましたので、

常に緊張感を持った荒々しさや質実剛健さといった気風があったようです。

そんな独特な九州人の風格も兼ね備えておられたのでしょう。

「九州男児」である著者も、

「強きを挫き、弱きを助ける」性格に育たれたようです。

そして、著者は、宗像大社をことの他、篤く信仰されていたそうで、

まさしく「水の神様」である龍神様のご加護とともに、

日本を背負ったお仕事を生涯かけて果たされました。

本書を読ませて頂くまでは、著者の思想や人格など知るよしもなく、

今回初めて、その一端に触れさせて頂くことになりました。

すると、問題意識が似ていることや、

同じく、「水の神様」とのご縁もあるなど、大変興味深く読ませて頂きました。

「水の思想」を取り入れた実業家は、管理人も敬愛する松下幸之助氏など

様々な方がおられますが、共通する視点が、

対立闘争を「無化」していく柔軟な姿勢にあります。

松下幸之助氏も、著者と同じく明治中期から昭和後期にかけてご活躍された

実業家ですが、「明治の良さ」を色濃く残された人間でありました。

「理屈ではなく、現場に徹して、淡々と黙々と、社会的負託に応える」というような

日本人の長所を兼ね備えておられた好人物でありました。

そうした気風でありましたので、仮に、労使(資)紛争が起きても、

「対話路線」を重視されたりするなど、暴力的解決や安易な金銭的解決で

こと足れりとする考えに嫌悪感をお持ちだったようです。

この点から観察すると、現代のような「にわか成金趣味」を持った実業家が現れ出たり、

実力に見合わない「肩書き志向」のリーダーが続々と世に輩出されていく

時代とは異なる「人間的魅力」が、必然的に磨かれざるを得ない社会風潮だったことも

窺えます。

著者は、西洋と日本における「人間観」や「世界観」の大きな相違点の

背景には、「対立闘争文化」か「大和的調和文化」といった生活環境の差異に

あったのではないかとの仮説で、マルクス思想とご自身の思想観の違いを

社長室メンバーとの問答形式の勉強会で説明していきます。

一番大きな重要点は、「人間」や「社会」、「国家」や「企業」など

個人を取り巻く生活環境に対する絶対的な信頼感が醸成される雰囲気の中で

育ったか否かで、各人における人生観などへの「確信度」にも

大きな差異が生じていったのではないかとの問題意識で、

上記のテーマに一つひとつ丁寧な説明をされています。

まとめますと、「信なくば立たず!!」であります。

そこから始めないことには、社会に散在するどのような難題も解決し得ることは

難しいだろうとの見方で、「人間らしさを尊重した<和>の心」を取り戻す

物心両面での「人間修養」が重要だとの視点を提供されています。

「もう、日本だけではなく、世界にも、対立闘争観は不要だ!!」

そうした熱血的リアリズムでもって、「まずは、自分の態度で<示唆>しよう!!」

つまり、「自分から<率先垂範>して、背中で世に<光>を照らし出そう!!」との

姿勢を持つことで、社会に積極的な働きかけを仕掛けていくことを勧められています。

そのためにも、「(本来の)日本人の長所に気付き、日本人の原点に回帰しよう!!」と

呼びかけられています。

すべては、「相互信頼」に尽きる!!

このように、著者は、本書を通じて、

マルクス思想との対比で、「人間観」や「世界観」を開陳していかれるのですが、

結局は、人間や世界に対する「信頼感」をいかに自分自身の中で、

堅固に確立しているかに尽きるようです。

それぞれの思想観の相違点に関する詳細は、本書をご一読して頂くとして、

「相互信頼感」の育たない生活環境では、

「人間らしさ」が花開く条件も減少していってしまいます。

そんな生活環境では、互いに人間を慈しみ合うといった敬愛感情が

芽生えることも少なくなるでしょう。

本書を読み進めていくと、「理屈文化」が栄えれば栄えるほど、

「人間らしさ」の長所である「情愛」も育まれにくくなるといった

当然の真理に遭遇することになります。

「理屈」は、人間を迷わせ、素直に学び働き続ける姿勢を奪ってしまうようです。

つまり、「自立心」や「自律心」を剥奪する一方だということです。

そのような生活環境で、生涯を過ごしていくと、「依頼心」も増長する一方で

あります。

それが、硬直した社会を創出していくのだとすれば、

世の中の動向もさることながら、

まずは、「自分の意識的努力によって、自身を徹底して、社会的害毒から

何が何でも護り抜く!!」覚悟が必要になってきます。

その意味では、現代社会教育も、「人間」教育には

ほとんど役立ってこなかったのかと慨嘆せざるを得ない現状にあります。

現在、様々な歪みが出現してきている中で、教育改革も幾たびもなされてきましたが、

どうも、「日本人」の一般的人格形成には寄与していないようで、

西洋的な「利害関係中心」の狭い人間観に囚われてしまっているようです。

「実学・専門・分業主義」なども、その筆頭に挙げられるでしょう。

ここでは、「道徳(端的に言うならば、<人の道>)」が軽視されています。

ここにきて、政府も、大学教育において、今までの「教養型大学」方式から

「実業型大学」への転換を果たすべく、

半世紀ぶりの「抜本的改革」を指示したとのニュースもありましたが、

現状でも、大学高等教育機関が「就職予備校化」している中で、

あらたな予算だけ増加させ、既得権益も創出されていく一方だとするなら、

皮肉なことでもあります。

それならば、いっそのこと、著者の過ごされた「明治大正期」の頃のような

幼少期からの「職業実践的教育重視」方式に転換すれば良く、

いたずらに高等教育機関が粗製濫造されていく傾向に

歯止めをかけさせた方が、はるかに賢明な対策案でありましょう。

何か、根本的な「心得違い」を犯しているように思えてなりません。

管理人の父方の祖母も、尋常(高等??)小学校で、そのまま社会に出て、

「丁稚奉公」しながら、「理髪業」という「手に職を」付ける生き方を

選択された生涯でしたが、基礎教養レベルは、現代の大学生以上であったようです。

というよりも、今日日の大学生の基礎学力などでは、

厳しい往時を生き抜かれた諸先輩方の足下にも及ばないようです。

「知識」よりも「知恵」の劣化が激しいようで、

管理人もご先祖様に申し訳ないほどであります。

石原慎太郎氏の近著『天才』の主人公である田中角栄氏や松下幸之助氏を

引き合いに出すまでもなく、戦前の小学校教育は、

かなりのハイレベルだったと聞きます。

祖母などは、大正世代でしたが、泉鏡花尾崎紅葉などを諳んじていて、

よく幼少時分に、子守歌代わりに、あたかも講釈師のように、

まるで見てきたような臨場感で、語り聞かせてくれました。

こうした「語り聞かせ」の技法そのものが、

明治大正期の商人などの「即戦力」にも

なっていったのだと推測すると、

「遊びながら学ぶ」という自己教育法も侮ることは出来ません。

著者の語りを聞いていても、

「理屈」よりも、「情」で「示唆する(本書では、この<示唆>という表現が

頻出するのですが・・・)」ためか、心底「腑に落ちる」ようです。

これが、「肚で<つかみ><わかる>」ということなのでしょう。

「情理を尽くして説得に当たる」という言葉も、

ほとんど聞かれなくなった昨今だからこそ、

「体認・体得」による「自己修養」は大切にしたいものです。

今後、ますます、テクノロジー文化が進展していく中で、

「人間」による「搾取」以上に、恐ろしい状況が現出するかもしれません。

こうした傾向にある時代だからこそ、

「マルクスもびっくり!?」といったところでしょうが、

マルクスの生きた時代に予想された「資本主義後」の経済社会が

今後、どの程度まで実現するのか否かは、予想も困難ですが、

いずれにせよ、「マルクス」にせよ、「テクノロジー」にせよ、

「人間らしさ」を封印したうえで成立していった「人間観」「世界観」で

あることだけは確かであります。

このような、あらたな経済社会へと向けられた「過渡期」だからこそ、

読んで頂きたい本書であります。

仮に、近未来社会において、ベーシックインカム制度が導入されたところで、

肝心な「人間らしさ」を喪失させていくだけならば、その意味もないでしょう。

いわゆるマルクスの有名な標語「必要に応じて分配する」も

「人間性に反する」点が多々あることから、どの程度まで許容すべきかは、

今後の近未来経済の動向や人類の精神的進化度によって決定されていくだけに

ここでも安直な「楽観論」を提示することなど出来ません。

この点は、著者も、本書31~35頁で「示唆」されている重要点であります。

ですから、あたらしい近未来経済へ向けた「人間らしい働き方」を、

今のうちに、真剣に考えながら、日々「仕事力」を磨き上げていく必要

あります。

「技術的特異点(シンギュラリティー・ポイント)」は、「2045年」と

よく言われていますが、あとわずか30年内外であり、

テクノロジーの進展度は、予想外の「急進」だとも予想されているだけに、

そのような時期が早期に訪れても、

安心して「平和に幸せに暮らしていける(経済)社会」を構築していく準備を

ともに開始していく時期でもあります。

そんな時期に、本書を新鮮な気持ちで読み進めていかれると、

斬新な発想も湧き出てくることでしょう。

「我欲・エゴイズム」ではなく、「調和」の「大和心」を抱いた「日本人」に

「回帰」ではなく、「進化」していきましょう。

本書は、著者の生まれ育った時代の特殊環境など、

読者によっては、「国粋主義」的要素が色濃く反映されているなどと

感じられる方もおられるかもしれませんが、そんなことはありません。

あまりにも、戦後のステレオタイプな「平和観」や「人権観」などで、

本来の「人道観」を忘却してしまっているだけです。

とはいえ、私たち「日本人」は、絶望する必要もないようです。

「明るく前向きに」陽転できる性質は、体内遺伝子に組み込まれているようです。

後は、私たちが日々を真剣に生き抜く姿勢の過程で、

「スイッチ・オン(呼び覚ます)」だけです。

最後に、著者の「人間らしさ」を回復させるための「(心の)奴隷解放宣言」

引用列挙しておきます。

①「黄金の奴隷となるな。」

②「法律・組織の奴隷となるな。」

③「権力の奴隷となるな。」

④「理論と数の奴隷になるな。」

⑤「主義の奴隷となるな。」

(本書124~126頁ご参照)

の「(心の平和)5原則」を大前提に、

「資本は人なり、資金は金なり」といった

厳格な「資本」と「資金」の峻別から、

本来の「資本」主義の長所を引き出していこうとの見方を

紹介されています。

「人間」のための「資本」主義・・・

著者は、あえて、「主義」という言葉を避けておられますが、

思想というものも、何であれ、長所だけを柔軟に取り入れていく姿勢こそが、

「生命の更新」につながるようです。

著者は、別の箇所で、「恒産なくして恒心なし」の正反対として、

「恒心なくして恒産なし」とも強調されていましたが、

貧困の克服も、「心を整えることから・・・」という視点は、

現代「貨幣」資本主義社会では、特に忘れられがちですので、

本書を読みながら、呼び覚ましておきたいものであります。

ということで、「宗像大社」とのご神縁で、

「龍神の時代」ともされる「龍神の国」日本に、

突如甦ってきた著者の御霊に感謝しながら、本書を読み進められると、

皆さんの曇ってしまった「心」も清められることでしょう。

政治的な見解は、参議院選挙前なので、控えさせて頂きますが、

本書を紐解かれながら、もう一度、「日本人の原点」を見つめ直して頂きたく、

お薦めさせて頂きます。

それは、同時に、「人間とは、そもそも何だっけ??」を問い直す機会でもあります。

「努力し続ける正直者が報われる健全な社会建設のためにも・・・」

なお、著者の別著として、

「働く人の資本主義」(春秋社、2013年)

「人間尊重70年」(春秋社、2016年)

をご紹介しておきます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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