細田晴子先生の「カストロとフランコ~冷戦期外交の舞台裏」単純な世界観に抵抗する偉大な独裁精神とは??
「カストロとフランコ~冷戦期外交の舞台裏~」
在スペイン日本国大使館などに勤務されたご経験のある
元外交官の細田晴子先生が、東西二極構造で対立を
深めていったとされる、公式冷戦期史観に挑戦された
好著です。
単純な政治的世界観に拘束されずに生き残った
スペインとキューバを主軸に、今後の未来政治経済に
活用できる知恵を学びましょう。
「独裁(者)って、悪人なの!?」
今回は、この本をご紹介します。
「カストロとフランコ~冷戦期外交の舞台裏~」 (細田晴子著、ちくま新書、2016年)
細田晴子先生(以下、著者)は、在スペイン日本国大使館などに
勤務されたご経験もある元外交官の教育者です。
ご専門は、スペイン史・国際関係史です。
これまでも、スペインと日本の架け橋として、
東西二極(米ソ)対立構造の中で、
国内が激しく揺れ続けてきた日本の政局の限界を
乗り越える知恵として、スペイン史を主軸に、
「もう一つの冷戦史(東西冷戦史観の盲点)」を
問う問題作を意欲的に発表されてこられました。
著作には、『戦後スペインと国際安全保障-米西関係に見る
ミドルパワー外交の可能性と限界』(千倉書房、2012年)や
『冷戦史を問いなおす』(共著、ミネルヴァ書房、2015年)
などがあります。
ちなみに、
インターネットブログ『nippon.com~知られざる日本の姿を世界へ~』という
掲示板にも、記事投稿されています。
こちらのブログも面白い視点を提供してくれる
多種多様な論考が掲載されていますので、
ご一読されることをお薦めさせて頂きます。
こちらの本が、「学術的体裁の書」だとするならば、
本書は、まさしく「一般向けの啓蒙<新書>」であります。
さて、「今なぜ、スペインとキューバなのか??」
「また、なぜ、フランコとカストロといった<独裁者>に
注目するのか??」ですが、
ここに著者の問題意識とも共有する管理人の興味関心があります。
というのは、
現代日本は、とっくの昔に冷戦期から脱出しているはずだったのに、
いまだに「冷戦後遺障害」に悩まされていると思われるからです。
特に、近年の英米といった二大「超」大国が衰退していく中で、
戦後一貫して「西側陣営」に属してきたとされる日本の
世界的立ち位置にも動揺が生じてきているように見えるからです。
一方、冷戦期に「東側陣営」であったソ連(現:ロシア)や
中国情勢も今ひとつ読み切れないところがあります。
ことに、「情報統制国家」の政治外交戦略には、
「不透明」なものが多々あり、
私たちの普段の「西側的??価値観(自由民主主義観)」だけでは、
今後の見通しをうまく掴めないのではないかと懸念もするからです。
著者自身、独裁政権下の精確な資料収集に苦労されたといいますし、
情報宣伝に秀でた両国のことですので、
本書で描かれている人間像も、
どこまで、核心部分に迫り切れているのかは
正直わからないところもあるようです。
そうした「ブラックボックス」を割り引いても、
本書には、優れた価値があります。
そんな世界の「超」大国の動向も、簡単に読み切れない中で、
日本は「安定的基盤」を地球上に構築していかなければならない
時期が、すでに到来しています。
それが、本年2016年であります。
そうした時期に、識者に注目されてきたのが、
「ミドルパワー」の潜在的外交能力とともに、
宗教界(特に、ローマ=カトリック<ヴァチカン>)の
「仲介者」としての役割であります。
ということで、これまであまり「表沙汰」にはされてこなかった
東西冷戦期の舞台裏を分析考察することで、
「独自外交路線」を追求し始めた日本と日本人の「次世代」に
役立つ視点をともに学んでいこうと思い、
この本を取り上げさせて頂きました。
「単純な二分法の誤り」が、独自外交の「障壁」になった!?
さて、管理人にとって、
最近の興味関心あるテーマの一つに、
「揺れ動く複雑怪奇なヨーロッパ情勢」がありますが、
おそらく、今後の世界情勢の大混乱の中で、
生きていかざるを得ない「次世代」の皆さんにとっても、
このことは、決して「対岸の火事」ではない関心事だと思われます。
日本人にとっての、ヨーロッパ情勢に関する知識といっても
相当な偏りがあります。
たいていは、英米圏の通信社から送信されてきた情報を
そのバイアスを厳しく吟味することなく、
そのまま焼き直した原稿を基にした「伝聞記事」をもって、
私たち一般国民に届けられるのが、
これまでの大手マスメディアの仕事だったようです。
もちろん、各メディアの良心は、「独自取材」から
裏付けし直した「取材源」によるものと信じてはいます。
しかし、普段の一般紙(テレビなど含む)の情報だけに接していると、
世界は、いまだに「わかりやすい単純な図式観」の中にいるような
錯覚を抱いてしまいます。
現代では、インターネット放送という「多極媒体」も
その構造を打破しようと意欲的な挑戦劇も見られますが、
「資本」主義の論理で、この世界でも情報の偏りがあると
多くのインターネットメディア論者が、
疑義を提起してきたのが現状です。
しかも、映像だと、どのような意図で放映されたものなのか、
すぐには判断がつかない難しさもあります。
現代社会は、「情報戦・心理戦・思想戦」といった
「プロパガンダ情報」が、見た目以上に、
日常生活に満ち溢れてもいます。
こんなご時世の中で、何が情報の「真偽」かを
即座に見極めることは困難を窮めます。
そこで、貴重な検証法が、
「歴史をクロスチェックしながら学ぶ視点(俯瞰的思考法)」であります。
とはいえ、「歴史も<勝者>によって形成されるもの」ですから、
歴史の<表舞台>から消された真相に迫ることも、
一般人にとっては、絶望的な困難を伴います。
こんな時に役立つのが、やはり「読書」であります。
多角的な視点で、問題意識を持ちながら、
厳しく吟味しつつ、洪水のように出版される書籍の中から
「珠玉の1冊(数冊)」を選抜するためには、
よほどのセンスが必要とされます。
その厳しい選別作業の過程でこそ、
一瞬一瞬で流れていく映像とは異なった
メディアリテラシー(情報選別分析眼能力)が養成されていきます。
管理人も<書評>活動をさせて頂いているからには、
可能な限り、責任をもった優れた著作を世に提供していく義務が
あります。
「目利き」の能力は、日々の「仕事力」でもあります。
そこで、注意を払い続けている問題意識に、
独自論も多少含ませて頂いていますが、
とりわけ大切にしたいことは、
自らの価値観(大半が、幼い頃から刷り込まれてきた<社会化教育>に
よる歪んだ価値観)を鵜呑みにしてしまっていないか
との自己検証作業であります。
今回ご紹介させて頂く書籍では、
まさしく、そうした普段の「盲点」を教えてくれます。
例えば、「独裁者って、すべてが<悪人>なのか?」や
「政治的立場(左右両翼が掲げるそれぞれの世界観)の
<わかりやすさ>だけで、人間を評価したら見えるものも見えなくなるよ!!」
などですね。
そこに、カストロとフランコを取り上げさせて頂いた理由もあります。
この両人は、「革命家にして、軍人」
「軍人にして、情熱家」
「ゲリラ部隊から身を立てていった<英雄>」など、
「非常事態」から新たな世界を創出していった稀な指導者であります。
奇しくも、2015年には、ローマ=カトリック教会を「仲介者」として、
長らく懸案事項だったアメリカ=キューバ間の「国交正常化交渉」の
第一歩も踏み出されたところです。
とはいえ、ここに、大多数の読者の皆さんにとっても、
疑問を抱かれる点があるのではないでしょうか?
「なぜ、社会(共産)主義国家とされるキューバに
<宗教はアヘン>とも批判されてきたキリスト教徒の仲介が叶ったのか??」
実は、この影には、キューバを取り巻く世界史の動向がありました。
それが、キューバの旧「宗主国」だったスペインの存在でした。
スペイン情勢に関しては、前にも当ブログでご紹介させて頂いた
20世紀には、「独裁国家(第二次世界大戦時には、<枢軸国>)」として
「東西両陣営」によってみなされてきました。
とはいえ、同じ<枢軸国>であった日独伊三国とも異なる
「独自路線」を歩んできたようです。
このように日本とも関連深いスペインなのですが、
ほとんど学校教育では語られることもありません。
「世界史」の授業ですら、スペイン革命(それも、「人民戦線」側に
偏った視点!!有名作家ヘミングウェイの影響もあるかもしれませんが・・・)
からスペイン内戦へと至った局面を、
単純な「反動」とみなすなど、現在でも偏向したスペイン史が
教えられ続けています。
ヨーロッパは、独仏と英国だけではないにもかかわらず、
相変わらず、こうした旧ヨーロッパ史観で教育されている現状を
見ると、日本と日本人の未来に憂慮の念を抱かざるをえません。
そのことは、前回の『ドン・キホーテの哲学』の次回課題として、
本書の紹介へのイントロとしておきました。
「欧州情勢は複雑怪奇」(平沼騏一郎首相)や
「東亜新秩序」(近衛文麿首相)などといった
「曖昧な<魔(迷走)語>」で、
再び、孤立化の道を歩まないためにも、
責任ある日本の現役世代は、歴史的教訓に学ぶ義務があります。
また、キューバの旧「宗主国」は、スペインと語りましたが、
その帰属を巡って、1898年には米西戦争へと発展していきました。
1890年頃には、アメリカ大陸でも、
すでに「フロンティア消滅」が生じてきたことから、
アメリカの先行きに「限界」が生まれつつあった微妙な時期でも
ありました。
それが、後に、セオドア=ルーズベルトの「棍棒外交」に直結していきます。
日本では、なぜか、このセオドア=ルーズベルトが「テディ・ベア」の愛称でも
知られ、日露戦争の講和会議「ポーツマス会議」の斡旋仲介者でもあったことから
「親日派」と目され、親しみが込められた印象がありますが、
このような「帝国主義者」の一面もあったのです。
その後の日本と日本人にとっては、「愛憎半ばする大統領」だったのです。
世界の転換期において、一番恐怖にもなり、懸念されるのが、
このような「二枚舌・三枚舌・・・外交」であります。
もっとも、明確な形での外交メッセージであれば、
ある程度の柔軟な対処は可能ですが、
「秘密外交」のような姿勢を持たれると、
世界にとっては、「破局的運命」の被害に見舞われることにもなりかねません。
つまり、「大義なき俗人政治指導者(大衆迎合政治家)」によって、
人々と世界は振り回されることになるということです。
また、19~20世紀(現在も)とは、政治の世界では、
「世論」を味方につける「煽動的プロパガンダ(政治宣伝)」も
重要視され始めた「不幸な時代の幕開け」でもありました。
そんな「大義なき政治指導者」に対する不満が、
世界の民族的革命指導者の魂に火を付けました。
皮肉にも、「民主主義国家」の政治指導者の優柔不断さへの不満が
「独裁政治」の道へと進展していきました。
その問題意識を共有していたのが、
若き日のカストロとフランコでした。
彼らは、「大義ある政治指導者」のイメージ像を確立していくための
手法として、「独裁者」を演じきったようです。
「独裁(者)」と聞いただけで、拒絶反応を引き起こしてしまうのが、
私たち「民主主義国家」に生きる住人ですが、
実際には、「民主主義」の劣化こそが、「衆愚政治」を、
やがては、「<悪い意味での>独裁政治」へと誘導していったのが、
現実の「世界史」でありました。
カストロとフランコに関する人物評価も複雑で多様化していますが、
功罪相半ばするとはいえ、現代政治の腐敗や不真面目さへの挑戦者として、
最近では、この両人は「再評価(良い意味で)」されてきたようです。
ようやく、イデオロギーに囚われない人物や政治評価が出来る時期が
到来したようです。
そんな人物と政治手法の分析評価から、
著者も、「次世代」政治への熱きメッセージを込めながら、
解説されています。
ここで、本書の内容構成を要約しておきますね。
①「序章 三角関係-キューバ・スペイン・米国」
※先程の米西戦争以来の因縁あるアメリカ=スペイン関係ですが、
その狭間に置かれたのが、キューバでありました。
キューバも、フィリピン同様に、この戦後処理として、
アメリカの「保護国」へと編入されることになるのですが、
旧「宗主国」であったスペインの対ラテンアメリカ世界政策の一環や
キューバへの精神文化的紐帯から、戦後も末永く、
スペインは持続的関係性を維持していくことになります。
(ちなみに、ハワイもこの戦争中にアメリカへ併合されていった
事実を忘れてはいけません。ハワイと日本との関係は、それ以前から
親密な外交関係に進展しつつあったのですが、そうした史実も
今となっては、歴史の表舞台から消去されてしまったようです。)
この19世紀末期からつい最近に至るまで、
キューバ・スペイン・米国は、複雑な外交関係を通した
接近を試行錯誤してきた様子から、本書は開幕します。
②「第1章 対比列伝-正反対に見える二人の共通項」
※本書の主人公カストロとフランコの人物像を
著者独自の研究成果から浮かび上がらせていきます。
ご両人の共通項とは・・・
ⅰスペイン・ガリシア地方を「心のふるさと(拠り所)」とする。
ⅱスペイン内戦とゲリラ戦に「独立精神」を学び取ったこと。
ⅲ反米主義と愛国心が強かったこと。
ⅳカトリック(キリスト教)との接点を有していたこと。
③「第2章 形容矛盾-革命前後のキューバとカストロ」
※スペイン内戦(1936年)からキューバ革命(1959年)に
至る過程とともに、「革命前後」のキューバ=スペイン関係を
米国の政治家などの著名人物を通じて描写しています。
④「第3章 独立自尊-カストロ・キューバをめぐるスペインの独自外交」
※当時は、カストロ・キューバのみならず、フランコ・スペインも
国際的に孤立の中、米国との絶妙な距離感を保持しながら、
キューバ=スペイン間での外交関係が、
継続維持されてきた事情が解説されています。
通俗的には、「スペイン=西側陣営」、「キューバ=東側陣営」といった
冷戦史観のイメージ像がありますが、
現実の冷戦史の裏面では、両国が異質な存在であったことや、
バランスある古典的勢力均衡を志向してきた政治勢力であったことも
明らかにされていきます。
こうした過程におけるスペインの「独自外交」が、
ローマ=カトリックの総本山「ヴァチカン」の根回しとともに
展開されていった背景にも触れられています。
⑤「第4章 遠交近攻-国際社会におけるキューバとスペイン」
※キューバの「国際主義」の具体的内容や、
キューバの「独自外交」および米国の対キューバ・スペイン政策を
中心に解説されています。
⑥「第5章 大義名分-大義ある人々からプラグマティストへ」
※1960年代後半~70年代前半のフランコ・スペインの
「大義ある」国際外交とともに、より実践的な「プラグマティスト」に
よるフランコ「独裁」政権運営が、柔軟に修正されていく過程が
描写されています。
政治的な「面子(大義名分)」から経済的な「実利」重視へと、
国際的な動向にうまく対処しながら、
政治的思考法を切り換えていく様子について・・・
⑦「第6章 世代交代-ポスト・フランコ=カストロ時代」
※フランコ・カストロが、政権運営を「次世代」へと引き継いでいく過程で、
双方の外交関係も、いまや転換期を迎えつつあるようです。
皮肉にも、「民主化(外交アクターの多様化)」は、両国の関係性を
不安定にさせる懸念もあるなど、
「独裁」政治の利点(一貫した管理政治の可能性など)も
明らかになってきたようです。
とはいえ、世界的な「民主化」も世の流れ・・・
キューバとスペインの若い世代も、
手探りで「安定基盤」を確保すべく模索している途上にあります。
⑧「終章 万物流転-歴史に名を残すのは」
※結局、「歴史に名を残す人間とは??」を問いかけつつ、
「倫理観」をもった責任ある名誉志向の指導者が、
良くも悪くも、荒野に名を残すそうです。
「生前の功業は、棺を覆いて後に定まる!!」と古人も言ったように、
絶えず「いま・ここに」一番大切な課題に取り組みながら、
責任ある「大道」を歩み続けることのできる
勇気ある挑戦者こそが、革新的なリーダーであるようです。
その他の「冷戦期外交の舞台裏」もスペインとキューバの
「独自外交路線」から学び取って頂きたいのですが、
本書で強調されている視点(教訓)も、
「単純な二分法の誤り」に注意を払いながら、
幅広い角度から、思考を柔軟にさせていく姿勢に学ぶことで
あります。
「個人」の「思い込み」も道を誤りますが、
「集団(国家)」という「共同幻想」レベルにまで発展すると、
容易なことでは、後戻りすることも出来なくなってしまいます。
それは、「閉ざされた言語空間」での長きにわたる「太平の眠り」から
醒めた時になって、慌てふためくことにもなります。
その冷戦期の「思考停止状態」が、
現下の日本社会の至るところで見られます。
悲しいことですが、与野党を問わず、
世界情勢の激変(ことに、「西側陣営」の様変わり)に
右往左往しながら、世界情勢の急速な激変から内向き方向へと、
不毛なイデオロギー論争といった「先祖返り」をしつつあるかに
見受けられます。
とりわけ、「責任」ある野党の不存在が、事態の混乱に
より一層の拍車をかけています。
自ら、独自外交の「障壁」を堅固に構築してしまった責任は、
現役世代のうちに解決しておく必要があります。
左右のイデオロギー論争も、焦点が合わずに、
国民共通の重要課題に冷静に対処し得る環境も悪化しているようです。
そんな時期だからこそ、世界史の中における日本を真剣に考えることの
出来る「革命的(よい意味で)リーダー」が待望されているところです。
しかし、待望だけでは、危険であります。
油断していると、「悪い<独裁>者」による「腐敗政治」が始まります。
フランコやカストロの人物像は、今回の著者の本で、
あらたなイメージが打ち出されましたが、
「独裁政治」が、腐敗化しないための規範として、
一にも二にも「倫理(大義)」を重視し、
政治指導者としての自らにも課していたとも
指摘されています。
(もっとも、生身の人間ですから、常に正しい倫理観を
保持し続け得たか否かは疑問ですが・・・)
著者の両者に対する人物評価では、
「独裁者」にしては珍しい倫理観を有していたようです。
たまたま、彼らは、「強烈な個性的キャラクター」を有していたからこそ、
賛否両論はあれ、不安定な冷戦期における「自国存立」を
護持し得ることが叶ったのでしょう。
ただ、「強烈な個性的キャラクター」に依存するだけでは、
「民主主義」の持続的発展をなし遂げることも叶いません。
その意味でも、今日的な意義で、フランコとカストロの
政治姿勢に学ぶべき点も多々あるのではないかとも感じられるところです。
次世代へと語り継ぐ「多極的世界観」の責任ある教育姿勢を考えよう!!
ところで、著者も本書を通じた分析考察で強調されていたことに
「単純な二分法の誤り」に嵌り込まないようにと
注意を促される場面がありました。
責任ある大人にとっては、次世代への
こうした知的思考法を支援し、
育て上げる教育的配慮も必要であります。
今回の参議院議員通常選挙から、18歳以上の参政権が付与されていますが、
学校教育での「公民(主権者)教育」の様子はどうなっていたのでしょうか?
「公民(主権者)教育」とは、
まさに「厳しい世の中の現実を生き抜くための考える力」を
訓練する場であります。
一般社会には、学校教育におけるような「正解」はあり得ません。
もっとも、「人道的見地」の観点から
社会の安定性維持(人間の安定的生存権確保)のために
守るべき「社会規範」はあります。
それが、「道徳(外面的規範)」であり、「倫理(内面的規範)」だと
管理人などは信じていますが、
個々人の「モラル」が、現実の場における「専制や圧迫・隷従」を
回避する安全弁となります。
されど、それは、日本国憲法の通俗的世界観と誤解されている
「他者依存型世界観」でも「自己中心型世界観」でもない
「中庸(中道)」を目指す視点を獲得していくことが、
個々の人間として、また世界各国として、
目指すべき理想的到達地点でありましょう。
そこで、こうした「公民(主権者)教育」では、
「対話(ディベート=模擬討論)」を導入してみるのは
いかがでしょうか?
教育者は、純粋な「司会者」に徹するとともに、
論理の飛躍などの弱さを補強するヒントなりコツを
指摘するに止めるのです。
「ディベート」は、単なる討論「ディスカッション」とは異なります。
あらかじめ「賛成」「反対」の立場でもって、
立論させる過程で、また、普段の自分の価値観とあえて異なる立場を
演じることで、自説の弱点や恣意性に気付くよき知的学習法にもなります。
管理人は、大学時代に、この相違点をESS(英語サークル)で
先輩から教わりましたが、
こうした視点が、「盲点」を克服させてくれるようです。
実は、管理人もこうした「価値観交互転換技法(右の視点に偏った時は、
左へと、左の視点に偏った時は、右へとずらす思考法」を活用させて
頂いています。
「わかりやすさ」を追求される読者によっては、管理人の立場を、
「八方美人」と揶揄される方もおられるでしょうが、
主張を「封印」しているわけではないのです。
現代社会の風潮が、あまりにも安易に流れる傾向にあることを憂慮する
観点から、当ブログで、皆さんとともに「考える場」を創出していきたい。
そして、少しでも、世の中の「乱気流」に押し流されることなく、
あえて棹を差すことで、冷静に日常生活を見つめ直して頂く視点を
獲得して頂きたいのです。
そこで、最後にもう一点だけ補強しておきたい主張が、
「多極的世界観」といっても、「限界」があることです。
「多極(多様)性の共存共生」といっても、
もちろんテロや戦争などの暴力を肯定していいわけではありません。
とはいえまた、「暴力反対!!」と空念仏を唱えるだけでは
戦争や差別のない世界への実効性が確保出来なかったことも、
最近の事例を観察していて実感させられたところです。
誠に悲しいことですが、これが世界の現実でもあります。
しかし、理想追求を諦めてはなりません。
管理人も、この世における「平安楽土主義」を理想としながら、
絶望的に困難な人間の飽くなき支配欲に打ち勝ち、
克服していきたいと願っています。
一方で、人間社会における「内面ルール」としての倫理観の要請に
限界がある現実を見据えるならば、
「外面ルール」としての、道徳や法律(強制力ある抜本的抑止論)に
関する予防策も立案しておかなくてはなりません。
その具体的方法論については、
まさしく「価値観のせめぎ合い=政治的現実の場」で
収拾困難な事態が待ち受けていますが、
それでもなお、冷静に「対話」的議論を粘り強く繰り返すことを
忘れてはいけません。
悲惨な事件が立て続けに起きる時期に
重要なことは、
価値観は異なっても、まずは交渉(議論)のテーブルに着くことです。
参議院議員選挙後の初国会では、
国内外の安全保障政策について、あらためて積極的(生産的)な議論を
お願いしたいところです。
特に、野党の皆さんにはですが・・・
最後に、本書から著者に教えて頂いた優れた教育的知見を引用させて
頂くことで、筆を擱かせて頂くことにします。
『イノベーションを生み出し、自分の付加価値を高めるには、
異質なもの同士のかけ合わせが大切なのだ。そのように筆者は学生たちに
常に言っている。教育というものには即効性がなく、目に見える成果が
出るまでに時間がかかる。大学での教養課程は、遠回りに見えても
必ず何らかの成果を生み出すはずだ。学生たちが何年も後に、
若い頃に取り組んだことを思い出して、人生の中で役立ててもらえるものと
信じている。』(著者あとがき・本書238頁より)
そうなのです。
「教育こそ、信じて託し育てるサポート<行>」なのです。
「自然に<良知>が開花すべき時期を待つことこそ、教育の本旨」だと
管理人も信じていますので、ともに学ぶ場を今後とも、
当ブログから発信していきたいと思っています。
「どうか世の中の<大人>の皆さん、次世代の若者の
潜在的才能の開花を妨げないで頂きたい!!」のです。
そうした世代間における相互信頼感の醸成こそが、
良質な「民主政治」を発展させていくことにも直結するものと
信じています。
「是は是、非は非」をモットーに、
日本と日本人を取り巻く国内外の生活環境が、
穏やかなものになりますよう祈っています。
最後は、「教育者」としての著者の立場もご紹介させて頂きました。
ということで、本書の主題『カストロとフランコ』のような柔軟にして、
硬軟織り交ぜた「多角的独自外交」を日本政府のみならず、
世界の良識ある指導層と諸国民の皆さんに役立てて頂こうと、
何かしらのご参考になるだろうとの思いで、
本書のご一読をお薦めさせて頂きます。
なお、ディベートについては、
『闘論(ディベート)に絶対勝つ方法~
「知」と「情」で相手を納得させるノウハウ』
(松本道弘著、日本実業出版社、2000年)
『ザ・ディベート~自己責任時代の思考・表現技術』
(茂木秀昭著、ちくま新書、2001年)
『知的複眼思考法~誰でも持っている創造力のスイッチ』
(苅谷剛彦著、講談社+α文庫、2002年)
また、発想法としては、
『新装版 逆転の発想~天才だけが辿り着いた「成功法則」』
(糸川英夫著、プレジデント社、2011年)
さらに、フランコについては、
『フランコ~スペイン現代史の迷路』
(色摩力夫著、中公叢書、2000年)
カストロ議長の息子さんとの対談集として、
『もう一歩先の世界へ 脱資本主義の革命が始まった』
(苫米地英人/フィデル・カストロ・ディアスバラールト共著、
徳間書店、2011年)
をご紹介しておきます。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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