大澤武男先生の「ユダヤ人の教養~グローバリズム教育の3000年」何としてでも生き残ろうとする執念に学ぼう!!

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「ユダヤ人の教養~グローバリズム教育の3000年~」

ドイツ・ユダヤ人史の泰斗である大澤武男先生に、

「ユダヤ人の生存への情熱と教育」について学びます。

21世紀現在、世界各地で「移民・難民問題」を始め

ナショナリズムとグローバリズムの摩擦が一段と激しさを

増しています。

そのような不安定な社会変化の中で、いかに摩擦を

回避し得るかの知恵が厳しく問われています。

今回は、この本をご紹介します。

「ユダヤ人の教養~グローバリズム教育の3000年~」   (大澤武男著、ちくま新書、2013年)

大澤武男先生(以下、著者)は、ドイツ・ユダヤ人史や古代教会史が

ご専門の方であります。

ドイツ政府給費留学生として、ヴュルツブルク大学で博士号を取得

されておられます。

著書に、『ユダヤ人とドイツ』『ヒトラーとユダヤ人』、

『ユダヤ人とローマ帝国』(いずれも講談社現代新書)

『ローマ教皇とナチス』(文春新書)など、

ドイツ・ユダヤ人やユダヤ教とキリスト教の対比から

接近した「ユダヤ人問題」について、歴史的な観点から

考察された研究をされてこられました。

さて、昨今の日本では少子高齢化と経済のグローバル化の影響から

「閉鎖性と開放性」の間で、絶えず揺れ動いてきました。

近年では、欧州情勢の複雑さとは無縁と思われていた日本でも

「移民・難民問題」が、連日メディアを賑わせています。

危機が発生してから、慌てて対処しようとする日本人・・・

常に危機を予測してから、慎重に思慮深く行動してきたユダヤ人・・・

この両民族の違いは、どこにあるのでしょうか?

著者は、居住圏(思想)の問題や教育内容の違いに解答を

見出されています。

日本人は、良くも悪しくも肥沃で流動率の低い島国に

<安住>することが、長く許されてきたために、

外部からの動揺には弱点のある民族とされています。

一方で、ユダヤ人は、中東の砂漠地帯を父祖の根拠地として、

絶えず周辺諸民族や神との関係でも試練に晒されてきた

「離散(ディアスポラ)の民」として世界中で不安定な生活を

余儀なくされてきた民族であります。

現代では、この相互に大きな違いが見られる両民族ですが、

太古の昔には、日本人も世界各地を彷徨いながら生き延びたという

伝承や歴史における「再発見」もこのところ相次いでいるために、

今後の「世界史における日本と日本人の立ち位置」を占う点でも

本書は、大変有益な視点を与えてくれるでしょう。

時代の変革期には、長期安定民族ほど、「不安定な心理状況」に

陥りやすいとされているだけに、あらかじめ「精神的危機への対処法」を

学んでおくことで、動揺を軽減させることが出来ます。

ということで、今回は、ユダヤ人史を通して、日本人にも活用出来る

「賢者(ソロモン)の叡智」をともに学ぼうという趣旨で、

この本を取り上げさせて頂きました。

なお、「ユダヤ民族」の定義について、特に断らない限りは、

「ユダヤ教信者」のことを意味させて頂くことをご了承願います。

ヤハウェ神との契約で結ばれたユダヤの民

さて、このような日本人とユダヤ人ですが、

前にもご紹介させて頂いた「ヨシュア伝承」などによると、

現在の「ユダヤ人」は、古代からの聖地であったエルサレム陥落後の

バビロン捕囚をも生き延びた古代ユダヤ人の末裔だとされているようです。

古代イスラエル国家は、南北に分離していた時代もあったそうで、

そのうちの数部族は「失われた」とも言われ、今なお興味深い論争が

続いているようです。

現在までのところ、その「真偽(真相)」についても、

未だ明確な確認もされていませんので、その件に関するコメントは

差し控えさせて頂きます。

もっとも、いわゆる「失われた12部族の1部族である古代ユダヤ=日本人」

という論点についての詳細な解説は出来ませんが、近年の目覚ましい

「世界史の中における日本民族史」などの見聞に触れると、

意外な「新発見」もあるようです。

そのように、「古代ユダヤ人の痕跡」について、

現在も世界各地で研究分析されていますが、

そうした古代ユダヤ人も、ある時を境に世界各地へと離散していきました。

そのため、「離散(ディアスポラ)の民」と称されています。

その過程は、「壮絶な民族体験」でありました。

その「試練」の中で、いかにユダヤ人は生き延びることが出来たのか?

今こそ、私たち日本人も学ぶべき時であるようです。

「記憶せよ 記憶せよ・・・」とは、ユダヤ教育の本質だと

どこかで学んだ経験がありますが、いざという時に役立つものは、

「お金」などの外面を取り繕う装飾品??ではありません。

「生命(いのち)と強靱な生き残りに役立つ頭脳」であります。

そうした「生き抜くための知恵」としての教育という発想が、

ユダヤ民族にはありますので、日本人を始め、他民族とは

「教育にかける情念や哲学そのもの」に根本的な相違があります。

このような「離散(ディアスポラ)の民」としての

「試練(苦難)のユダヤ民族史」については、

本書で詳細に解説されていますので、ご一読下さいませ。

重要な視点は、このような「苦難の道のり」を

いかに乗り越えてきたのかという「ユダヤ民族の意志決定」

あります。

21世紀現在の日本人の精神構造では、想像もつきませんが、

その「生き抜く意志」の原動力こそ、「信仰心」でありました。

ユダヤ人は、「旧約の民」ともされていますように、

「モーセの十戒」を始め、ヤハウェの神との契約を中心に、

同じ神を奉戴する堅固な絆で結ばれた民族であります。

ユダヤ人は、キリスト教徒以上に「契約(規範)重視の民」と

評されてきました。

この「神との契約」こそが、「選ばれた民」との意識を高め、

いかなる迫害や差別の嵐の中でも、生き延びてきた叡智でありました。

また、「来世を待つ思想(預言者・救世主待望思想)」も

現世における忍耐強さを鍛え上げていったようです。

ユダヤ人は、この「旧約聖書」を主軸に、細かい日常生活上の

問題は、「トーラー」や「タルムード」といった別添解釈集で

解決してきたとされます。

また「内外差別論」は、この「選民思想」とも相まって、

後世、ユダヤ人から見て「異教徒」の誤解を招く原因にもなりました。

その最たる例が、「陰謀論」の最筆頭とも目されてきた

一般的には「偽書」とされる「シオン長老の議定書」であります。

また、キリスト教徒からも、「旧教(ローマ=カトリック)」

「新教(プロテスタント諸派)」を問わずに「悪用」された時代も

ありました。

現実の歴史は、相互に癒着しながら「緊張と対話」による交流によって

開拓されていったのですが、常に「不定住・不安定な民」ユダヤ教徒に

とっては、「心配の種」でありました。

よくイメージされるような「ずる賢く狡猾な金貸し=シャイロック物語」も

中世以来の主流秩序から見た偽造された創作であります。

なるほど、ユダヤ教・キリスト教問わず「内」には「利潤禁止」で、

「外」には「利潤容認」として「二重規範」があったかもしれませんが、

少なくともユダヤ民族だけに、過重な責任を負担させるのは不公平だという

ことです。

そうした過度に誇張されたイメージが、どのように創造されていったのかも、

本書を読み進められる過程で理解されていくことでしょう。

また、キリスト教徒から見て「主イエス=キリスト」は「ユダの裏切り」に

よる「ユダヤ人の仕業」だと印象操作されてきましたが、これとて、

生身のイエス様ご自身が「ユダヤ人」だとされ、

確かに前にもご紹介させて頂いたように「ユダヤ教改革的異端派」であったことも

その「悲劇的結末」の要因になったかもしれませんが、

当時の「ローマ帝国」のキリスト教に対する宗教政策の一環として生じた事件としても

考察しなくてはならないようです。

「真相は闇の中」でありますが、少なくとも「偏見」は回避しなければなりません。

さて、上記でも語ってきましたように、ユダヤ教徒はキリスト教徒以上に

「契約(規範・戒律)重視の民」だとされています。

そうした日常的な契約解釈と現実世間との接触が、絶えず「緊張と対話」を

要請され、その独特な才覚が磨き上げられる機会になりました。

それが、現代に至るまでも「ユダヤ式教育」の原点にあるようです。

このように「ユダヤ式教育」により生き延びてきたユダヤ人でしたが、

やはり、ユダヤ人の「異邦人性(離散・不定住・旅人性)」が、

さらなる誤解や偏見にさらされていく原因になりました。

そこで、キリスト教とユダヤ教の俗世間における対応性を考えるうえで

興味深い論点をご紹介しておきます。

それが、本書でも詳細に触れられている「新教徒(プロテスタント)」の

マルティン=ルターとユダヤ教徒との信念の相違であります。

これが、20世紀のナチスによる大惨劇を生み出し、

現代にまで至る「負の残滓」となってきたからです。

当初「キリスト者」ルターも、「異邦人」的立場に置かれたユダヤ人に

対して、「同情的」だったようで、本来の「キリストの教え」と

されてきた「福音主義」へと改宗させようとの「善意」もあったようです。

ところが、「旧約の民ユダヤ人」は、ヤハウェ神との絆意識による

強固な信念から「改宗」を最後まで拒否したことが、

ルターを激怒させることになったといいます。

とはいえ、「善意の押しつけから、一方的な思い入れに至った訳ですので、

あくまで責任は、ルターさんよ、あなたの方にこそあるんじゃないかしら??」なんて

考えるのですが・・・

その現れが、悪名高い『ユダヤ人と彼らの虚偽について』(1543年1月)

であります。

1543年ですから、日本にキリスト教が伝来(1549年)する直前のことです。

この頃のヨーロッパ大陸では、このようなユダヤ人だけでなく「異教徒」や、

「正統派」からの「異端派狩り」が頻繁に行われていたということです。

いわゆる日本に伝道に来た南蛮(スペイン・ポルトガル)渡来の

イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが、「正統派」なのか「異端派」

なのかは、管理人はよく理解出来ていませんが、こうした「中世宗教闘争」の

過程で、日本への布教活動が行われていたことは知っておく必要があります。

後の、九州キリシタン大名が派遣した「天正遣欧少年使節団」も

伊達政宗の家臣であった支倉常長率いる「慶長遣欧使節団」の

一件も、このような世界史的な文脈の中で考察してみないことには、

その「真意」もつかみかねるようです。

ひょっとしたら、日本人もユダヤ人と同じ「罠」に陥りかねない

「危機」を招いていたかもしれません。

こちらも、「真相は闇の中」ですが・・・

そして、中世から近世、近代へと至る過程で、ユダヤ人も「啓蒙思想」により

救済されていったようですが、フランス革命後には、一旦「自由解放」されるも、

その後の「反動」で、再度抑圧にさらされていった経緯がありました。

ですから、「自由・平等・博愛思想」には、

このような意外にもろい性格を有していたことも知っておく必要があります。

ユダヤ人の場合には、歴史的にこのような「気まぐれ対応」など頻繁だったようで、

そうした変化にも臨機応変に対応する術があったようです。

この点から、私たち日本人も、社会変動に対応する知恵として

学ぶべきことが多々あるようです。

「薄氷を踏むような表層に浮かぶ<友愛精神>など、吹けば飛ぶようなもの」

だということも、歴史的教訓として脳裏に刻んでおく必要もあるようです。

「寛容と忍耐の道とは、かくも厳しいものなのです!!」

そこで、近代以後になると、このような紆余曲折もありながら、

次第に西欧各地(なかんずく、著者のご専門であるドイツ)でも

ユダヤ人の同化が受容されるようになっていきましたが、

ロシアなどの「ユダヤ人迫害運動(ポグロム)」の影響もあり、

「東方ユダヤ人」の過剰流入問題と、それまでのドイツ社会に

同化していた「西方ユダヤ人」との間でも、たびたび摩擦が生じていたようです。

これが、後に「イスラエル建国」を巡っての「ユダヤ人同胞間における対立」にも

発展していったようです。

ですから、この「中東問題の最難関イスラエル」は、ナチスやイギリスだけの

「負の政策的結果」との視点だけでは、とらえきれないようなのです。

21世紀初頭のアメリカ歴代政権までは、「イスラエルとアメリカの関係」は

良好だとされてきましたが、オバマ政権以後は再び「険しい苦難の道のり」に

入っているようで、現代の中東情勢の泥沼化や西欧諸国の移民・難民問題への

厳しい対応措置とも相まって、不安定化しかねない勢いにあるようです。

日本国内の主要メディアでは無視されがちな論点ですが、

世界平和の安定と同じ地球人同胞の未来を予想すると心配の種であります。

そこで、この「イスラエル建国論」ですが、教科書的にも本書でも

解説されていますように、ヘルツルの思想「シオニズム運動」に由来することは

比較的知られているようですが、ユダヤ人は決して「一枚岩ではない!!」のです。

ユダヤ人ほど、「リスク分散意識」の高い民族もいないようです。

それこそ、日頃の「ユダヤ式教育」の賜物でしょうか?

「対話による論争」は頻繁であります。

「100%の一致は、否決せよ!!」との俗諺の真偽は不明ですが、

少なくとも「見解の相違」が多すぎるという点は、

この「シオニズム=イスラエル建国運動」にも当てはまるようです。

ユダヤ教徒にも、様々な派閥があるそうですが、

「正統派ユダヤ教徒」の中の「超正統派」ユダヤ教徒の一派には、

「シオニズム=イスラエル建国運動」に反対の「ネートレイ・カルタ運動

という思想系譜もあるようです。

このあたりは、世界史の教科書や一般向けニュースにも現れないようなので、

各自調査してみる価値もあります。

管理人も学生の頃から、こうした運動もあることは

どこかで聞いたことがありますが、なかなか良い情報が見つかりません。

インターネット検索や日本語文献調査をかけても、なかなか詳細な情報にまでは

たどり着けないのです。

もちろん、政治・宗教紛争を予防するのが主目的であり、

興味本位の「陰謀論探究」ではありません。

そもそも、こうした「迷宮巡り」には興味も関心もありません。

そうしたことも含めて、ユダヤ人の方々に「安息の日々」が

早期に訪れることを願ってやみません。

さて、そうした「苦難のユダヤの民」はどのように生き残り戦術・戦略思想を

練っていったのでしょうか?

それを、「教育問題」と絡めて、次に考察していきます。

「形式知学習法」の日本教育と「実践知学習法」のユダヤ教育

さて、こうした「生き残り」に関する意識が、

日本人とユダヤ人では、あまりにも大きな違いがあります。

ユダヤの「カバラ哲学」でも有名なハシディズムという考えが

ありますが、その中でも特に有名な人物にマルティン・ブーバー

という「ユダヤ神秘主義思想家」がおられます。

この方の言葉に、「対話こそ教育の出発点」があります。

著者も本書で、たびたび言及されておられますが、

どうやら私たち日本人は、こうした「教育の本旨」を

軽視してきたか、無知なためか、楽をするためなのか

理由は分かりませんが、随分と乱暴に無視してきたことは

否めないようです。

著者は、ドイツ留学経験者であり、

ドイツにおける「ユダヤ教育の実態」にも詳しいようですが、

日本では「みんなと同じ平均的社会人」が好まれるようです。

この視点にも、「賛否両論」あるかもしれませんが、

昔から日本社会にうまく溶け込めなかった「異邦人的日本人」の

管理人にとっては、著者の見解に同意できるところもあります。

また、ユダヤ式教育も学生時代より興味があり、

自分でも試してみたこともありますが、

従来の日本式教育よりは、はるかに時間はかかりますが、

人間としては役立つ素晴らしい「実践知教育手法」でした。

ただ、長い苦難の道のりを歩んでこられたユダヤ人にとって、

「安息の地」を待望する感覚は、私たち日本人のように

「祖国喪失」を体験したことのない民族には、

なかなか実感が伴わないところです。

そこで、よく「グローバル教育(この定義も、不明ですが・・・)」を

強調される方(もっとも、国際的視野を持つ教育は祖国存続のためにも

不可欠ですが)の中には、安易に「地球市民」だとか、「世界市民」だとか

強調される教育者の方もおられるようですが、昔から管理人自身は

「違和感」を持ち続けてきました。

「そりゃ、おかしいぞ!!」

「祖国喪失経験者なら、むしろ<安息の地>祖国再建を願う

<愛国者>が多いのではないか・・・」との疑念もあったからです。

もちろん、「乱暴な排他的愛国主義は、ならず者の最後の砦」として

受け容れがたいものがありますが、

一般的な素朴な「祖国愛」までを否定する感覚は理解出来ません。

管理人自身は、日本社会にあまりうまく馴染めないために、

「みんなと同じ日本」には、かなりの違和感がありますが、

古代史が描くような「雄大な日本」には勇気が湧いてきます。

その意味で、冒頭とも関連しますが、

「日本民族は、決して<単一民族>ではない!!」ようです。

「雑種民族というか、もともとは世界各地から流浪の果て??に

たどり着いた多様な雑種文明・文化を持ち寄って創建された古代日本だった!!」

ように想像されます。

このようなことも、未だ「真相は闇の中」でありますが、将来の日本人教育や

日本社会再建を真剣に考えていく過程では、必要となる発想には相違ありません。

その意味で、著者も日本教育のあり方については、

様々な角度から問題提起されておられますが、真剣に耳を傾けるべき知見に

満ち溢れている好著であります。

「何としてでも生き残るぞ、ともに!!」であります。

「決して、よそ者を払い除けてまで我先にと自分だけ生き延びれば良しとの

排他的な生き残りではありません!!」

まとめますと、ユダヤ人は「苦難の歴史」を通じて、「緊張と対話」という

絶妙なバランス感覚の下、「事象そのもの、根源へ!!」を

強力なモットーにして、叡智を発揮させてきたということです。

最後に、継ぎ足しのようで恐縮ですが、イスラエルが話題に出たついでに

今後の未来経済運営を考えるヒントがあります。

それは、キブツ」という「ユダヤ型協働相互扶助経済システム」です。

これなどは、「ベーシックインカム論」とも親和性があって、

今後の資本主義経済社会の行方次第ですが、現行経済システムの

「代替案」としても一考すべき価値があります。

面白いと言えば、語弊がありますが、ユダヤ人と一口に言っても、

日本人と同じく「貧富それぞれ」の階層から成り立っています。

私たち日本人のイメージ(ほとんどが、マスメディアの印象操作ですが・・・)

では、ニューヨークの裕福な実業家を思い浮かべてしまうようですが、

この「キブツ」を学ぶだけでも、まったく意表がつかれます。

どの程度の「成功度」かは、理解不十分ですが、少なくとも

旧ソ連や中国のような「社会(共産)型経済社会」における

「集団農場」とも異なるようで、日本でももっと研究紹介されても

よい価値があるようです。

「貧しい人にも寛大なユダヤ社会」というイメージも忘れてはなりません。

ということで、本書は、似ているとも似ていないとも言われる

「日本人とユダヤ人の相違」を学ぶうえで格好の教材ですので、

ご一読されることをお薦めさせて頂きます。

なお、「ユダヤ人の歴史」としては、

「ユダヤ人の歴史(上・下)」

(ポール・ジョンソン著、阿川尚之他訳、徳間書店、1999年)

また、「ユダヤ人の生き延びる叡智」として

「人生最強の武器 笑いの力~ユダヤ人の英知に学ぶ~」

(加瀬英明著、祥伝社新書、2010年)

「今こそ アーレントを読み直す」

(仲正昌樹著、講談社現代新書、2009年)

※本文ではお伝えしきれませんでしたが、「対話を重視」する

思考法が、ユダヤ人の女性思想家ハンナ=アーレントの解説を

通じて学ぶことの出来る好著です。

さらに、「ユダヤ式教育」については、

「ユダヤ人が教える正しい頭脳の鍛え方」

(エラン・カッツ著、母袋夏生訳、角川書店、2005年)

『ユダヤ式「天才」教育のレシピ~「与える」より「引き出す」!』

(アンドリュー・J・サター、ユキコ・サター共著、

講談社+α文庫、2010年)

をご紹介しておきます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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One Response to “大澤武男先生の「ユダヤ人の教養~グローバリズム教育の3000年」何としてでも生き残ろうとする執念に学ぼう!!”

  1. […] 前にも当ブログの記事末参考文献としてもご紹介させて頂いたことのある […]

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