アンドリュー・J.サター氏の「経済成長神話の終わり」減成長と日本の希望をみんなで考えよう!!

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「経済成長神話の終わり~減成長と日本の希望~」

ユダヤ人国際弁護士で日本でもご活躍中の

アンドリュー・J.サター氏が、「経済成長」の

意義を根底から見つめ直すための提案をされています。

「経済成長とは、何か?」

「付加価値を増加し続けること・・・」など、

多種多様な定義があるようですが、

こうした定量的な数値目標を掲げるだけでは、

一向に経済の本質に近づけません。

今回は、この本をご紹介します。

「経済成長神話の終わり~減成長と日本の希望~」      (アンドリュー・J.サター著、中村起子訳、講談社現代新書、2012年)

アンドリュー・J.サター氏(以下、著者)は、ユダヤ人の国際弁護士であり、

現在は、外国法事務弁護士として、日本の岩手弁護士会に所属されている方です。

前にも当ブログの記事末参考文献としてもご紹介させて頂いたことのある

『ユダヤ式「天才」教育のレシピ~「与える」より「引き出す」!』

(アンドリュー・J・サター、ユキコ・サター共著、講談社+α文庫、2010年)

という教育関連の書物も出版されています。

本書内容とも関連する「民主主義的議論の作法」を学ぶ点でも

お薦めの1冊であります。

さて、本書は、2011年の東日本大震災を経た、民主党政権時代に構想執筆された

書物だといいます。

ところで、本書によると、

著者も、アメリカでは民主党員(本書312頁)だそうですが、

日本の民主党政権時代の経済政策には懐疑的のようです。

本書によると、当時の「新成長戦略」といった経済政策も、

現政権と同様な「ネオリベラリズム(新自由主義)」と親和性のあるものだと

厳しく指摘されています。

この流れ自体は、政権交代後の現在でも、あまり大きな基本的枠組みは変化していません。

こうした一連の政治的動きを今から振り返ってみれば、健全な政策論争が、

与野党ともになされていたとは、とても言えないようです。

著者は、岩手県弁護士会所属でもあり、実際の震災の現場を身をもって体験されている

だけに、数字面における「震災復興事業と経済成長との直接的関連づけ」にも、

疑問を呈しておられます。

とはいえ、本書のタイトルでは「経済成長神話の終わり~減成長と日本の希望~」と

題されていますが、一切の「経済成長」思想を否定している訳でもありません。

本書における重要な主張事項は、従来の「計量型」経済成長路線からの質的転換を促す

「現実的」な改善案の提示であります。

2016年現在、震災復興も5年を経ましたが、現地ではまだまだ復興の目途も立たず

中途過程にあるといいます。

翻って、本書刊行時から日本でも「政権交代」があり、

海外では「政治経済的激動の時代」が動き始めています。

現在のところ、アメリカ大統領候補者争いでも見られますが、

共和党・民主党問わずに、「第3の道」の候補者に

注目が集まっているようです。

最大の特徴が、「国内重視への切り換え」と「大衆支持路線」であります。

共和党候補のドナルド・トランプ氏の発言に注目が集まる中、

民主党候補の「民主社会主義者」バーニー・サンダース氏の発言にも

興味関心があるところです。

そういや東西冷戦時代に、日本にも「民社党」なる存在があったそうですが、

現代日本には、野党も与党と同じく「ネオリベラル路線」であるだけに、

健全な「第3の道(民主社会主義路線)」の復活があっても良いのではと、

個人的には考えさせられました。

「経済問題を政治イデオロギー闘争の渦へと巻き込まないためにも・・・」

この「第3勢力」の復活を突破口に、日本型「新」社会主義と

「ベーシックインカム制度導入」の生産的な議論がなされればとの

思いも強く感じさせられました。

そんなこともあり、今後の日本に与える影響も「予想外」の展開が

見込まれるだけに、注目すべきアメリカ大統領選挙となっています。

こうしたアメリカの従来型政策の転換路線から推察すると、

いよいよ、日本でも「独自路線」を追求するように迫られているかのようです。

その日本政治における「選択判断」のための「決断時期」は、

今のところ未定ではありますが、

少なくとも5月の「伊勢志摩サミット」以後の、「なるべく早い時期」との

微かな声もちらほらと聞こえ始めているようです。

今回の選挙からは、「18歳以上」の「若者層」の投票行動も容認されているだけに

今後の「選択判断」は、日本社会にとっても重要な「節目」となります。

その前に、本書でともに学んでおきましょうという趣旨で、

この本を取り上げさせて頂きました。

なお、いつもながら、皆さんには独自に考察して頂き、あくまで

ご自分の知的感性を磨くための「ヒント」としてご活用下さることを

申し添えておきます。

GDP(数値的)経済成長至上主義からの脱却に向けて・・・

まず、本書の内容構成は、全体で大きく3つのパートに分けられて

考察されています。

パート1では、「そもそも論」として、「経済成長は果たして善か」

パート2で、「経済的価値論」として、アリストテレス哲学を参考に

「経済の価値とは何か」

パート3では、現代フランス思想で問題提起されてきた

「デクルワサンス」というキーワードを手がかりとして、

「減成長の主題論」である「成長なき繁栄」について、

それぞれの論考が展開されています。

ところで、経済成長と言っても、冒頭でも触れさせて頂きましたように、

その「定義(意味づけ)」は多種多様であります。

ただ、共通していることは、

「数字的な付加価値を高める」傾向に肯定的評価がされてきたことです。

本書では、そうした「経済的成長神話」をあらゆる視点から見直すための

ヒントが提供されていきます。

特に、「経済成長と社会福祉向上の関係」といった「強い結びつき」には

激しい「疑問の声」も出されてきたところです。

詳細は、本書をお読み頂くとして、

憲法第25条で定められた「健康で文化的な最低限度の生活」(管理人は、

常々「最大限度」の間違いではないかと思っているのですが・・・)を、

その時々の「経済成長率」に委ねてしまうような社会福祉制度設計には

あらゆる階層を通して、懐疑的な意見が出されてきたことには

意識を傾けたいところであります。

そもそも、現代経済の中心には、モノやサービスの「使用価値」よりも

「交換価値」に比重が置かれてきた「交換経済重視」の経済文化が据えられています。

これ以外の「代替的経済文化」もありますが、弱々しいレベルにあります。

つまり、「万事カネ」中心に回転してきた経済社会であります。

本書でも指摘されていますように、医療福祉といった「いのち」に関わる分野や

未来に期待を持ちながら、前向きに生きるための社会環境に不可欠な教育分野でさえ、

「稼ぐ力」といった「(貨幣数量的)経済力」が強く追求されてきました。

21世紀現在、技術革新も驚異的なスピードで進展していく中で、

人間の「頭の中身」は、旧態依然の「石頭」であります。

その割には、「人工知能」にだけ恐怖感を抱きながら、責任を押しつけるなど、

人間独自の「意識改革」には目が向けられていないようです。

もっとも、著者も強調されていますように、「技術革新」の未来に

過度な「楽観論」を抱くことも危険なようです。

かえって、人間の意識が追いつかなくなりすぎて、想定外の事態が

生じた時には、手遅れとなることもあるからです。

それは、私たちも身近なところで経験済みであります。

著者は、こうした計量的な「数値至上主義」に主導権を持たせた

「経済成長神話」から抜け出すための処方箋も、具体的なデータなどを参考に

提示されています。

「経済的価値観」を考察するうえでも、古代ギリシアの哲学者アリストテレス

議論などを見据えながら、「価値観」の転換を促しています。

近現代的経済価値観は、「倫理」が軽視されているところに、最大の短所があります。

近現代の黎明期には、まだ「倫理観」も加味された「経済思想」や「経済構想」も

残されていましたが、20世紀以後から現代に至るまでに、

完全に削ぎ落とされていきました。

「借金してでも、消費せよ!!」などを大前提に、経済政策も立案されてきました。

その現れが、昨日も語りました「住宅政策」であります。

しかし、ここにも「落とし穴」がありました。

「居住価値」という「使用価値」を重視するよりも、「不動産売却価値」という

「交換価値」が重視されてきたからです。

ために、人々は冷静な判断が出来なくなってしまったようです。

「交換価値」重視だと、他者との比較に基づく「相対評価」が中心となります。

一方で、「使用価値」重視だと、各人各様の「絶対評価」に力点が置かれるように

なります。

この冷静な「経済的価値判断」が、経済の過熱化を最小限に食い止めるための

「安全壁」となってくれます。

つまり、「経済安定=社会安定」につながり、相互矛盾も軽微に抑えることが出来ると

いうことです。

現代経済社会の考えでは、「一般社会」との乖離も拡張されるばかりです。

また、不自然なまでの「経済格差」が拡大されればされるほど、

社会的摩擦といった「社会格差」も拡大されていきます。

こうした「社会安全面」での考察が、現代経済の「主流的価値観」に見られないために

深刻な事件にまで発展しています。

さらに、このような「数値的経済成長神話」は、短期的な視点しか持てなくなるという

世代間における断絶がもたらされてしまいます。

「生産的有限性」への配慮もなく、無思慮・無慈悲な環境破壊などももたらしてしまいます。

こうした残酷な未来をたぐり寄せないためにも、今早急に「経済的価値観」の転換が

要請されています。

それが、「自然の声」でもあるようです。

「経済成長神話」を見直すことは、「民主主義」を深く考える機会でもある!!

ところで、こうした「経済成長神話」を深く捉え直す真摯な取り組みは、

「民主主義精神の復活と回復」にもつながっています。

著者も、様々な角度から改善案の提示もなされています。

弁護士の視点から、法律面の検討や実体験を通した

「株式会社と協同組合との相互比較による経済組織論」の考察からは

学ぶべき点が多々あります。

「経済力」による力関係で、コミュニケーション力を計るのではなく、

「実質的な社会参加力(コミットメント能力)」により、ともに「場の力」を

活かしながら、創造していく歓びを分かち合う「共有経済論」も参考になります。

現代経済における一般的な傾向では、「短期決算重視」になる傾向のために、

長期的な安定した企業運営も難しくなります。

どうしても「投資家志向」に傾くからです。

もっとも、「投資家」といっても、その価値観は多種多様ではありますが、

「貨幣」資本主義を大前提とする限り、「利潤追求」を完全否定することも

出来ないからです。

「資本」の意味づけを変えていくことも重要となってきます。

現代「資本」主義は、あまりにも、「貨幣」にとらわれた「狭い」資本主義であります。

そのため、「評価経済」などの「ランキング化」から抜け出せなくなってしまうのです。

本来の「資本」主義は、もっとダイナミズムな経済を許容するはずです。

この「資本概念」を拡張していくことで、従来型の「経済成長神話」からの「質的転換」を

遂げることも叶います。

現代「資本」主義は、「貨幣利子」を梃子に、急激な成長をもたらします。

しかし、実際の経済生活における主体は、生身の人間であります。

「貨幣」は、あくまで「手段」にしか過ぎません。

誠に残念なことではありますが、この「貨幣」に極度に依存する傾向が

人間の精神面における「知的劣化」をも招いてきたようです。

その悪しき傾向が、政治面にも現れているようです。

その意味で、「経済成長」と切り離した「社会制度運営」も望まれるところです

人々の経済的不安を払拭するだけでも、心理面でゆとりも生まれ、

「より良き仕事とは何か?」を考えていくきっかけとなります。

極端な階層対立も少なくなることでしょうし、

社会的に有意義な活動も多くなることでしょう。

昨日も強調しておきましたが、今後の「未来経済」の見通しを分析予想していると、

ますます早期の「ベーシックインカム制度」の必要度も高まるばかりです。

私たちは、そのような時代に生きているのです。

「財源はない!!」とは、いつも指摘されることですが、そんなことはありません。

そうした「財源論」に対する処方箋も、著者は提示されています。

また、現在の「円安誘導政策」にも疑問をもたれているようです。

従来型の「円高不況論」も、「木を見て森を見ず」の論かもしれないと・・・

むしろ、内需拡大にシフト変更するなら、国内景気の状況変化にもより

「硬直的な一律適用」はもちろん出来ませんが、有利に働く長所の視点も提供されています。

本書を読んで、なぜ、「保守派」政権なのに、通貨を堕落させる「円安誘導政策」を

採用するのか、近年疑問に思っていましたが、解消できました。

「実体主導経済よりも金融主導経済に親和性があるから・・・」

「え~、内需拡大路線ではなかったのか・・・」

「結局は、一時的な国外の資金源をあてにした経済成長路線なのかと・・・」

「内需拡大路線なら、国民経済重視に切り換えるべきではないか・・・」など。

ところで、現代日本の「政局」では、「改憲論」「護憲論」といった政治的論点だけが

強調されてきたようですが、真実のところは、「経済格差問題隠し」にあるようです。

若者の「集団的政治デモ行動」も話題になりましたが、

将来に対する「経済的心理不安」も

そうした一連の政治行動の原動力になっているようです。

なぜなら、政治的立場にかかわらず、自らの「政治的価値観」は一旦留保したうえで、

冷静に謙虚に彼ら彼女らの声に耳を傾けていると、どうやら「経済的徴兵制」という

視点からの「異議申し立て」の側面も見えてきたからです。

それが嫌だと・・・

また、昨日の記事では触れる時間がありませんでしたが、

「左派リベラル系」の立場の方が出される「民主主義観」に「闘技的民主主義」

あるようです。

これは、ベルギーの女性政治学者シャンタル・ムフさんという方の考えですが、

ある種の「決断主義(敵か味方か)」(カール・シュミット)が含まれています。

「闘技的」は、従来の「討議的民主主義」に限界が感じ取られたところから

出されてきたようです。

管理人は、これは「精神的危機の徴候」だと感じています。

政治的立場を問わずに、20世紀的な「敵か味方か」に再び閉じ籠もることは、

少なくとも「知性的人間」が向かうべき場所ではないと、強く確信するからであります。

このような各世代間また、同世代間においてすら、

深刻な闘争や対立が頻繁に起きてくる時代は、不幸であります。

今もっとも問われているのは、「民主主義の熟度と人間の精神的試練」であります。

著者は、「ボトムアップ型」の「対話型民主主義」の代案を提出されています。

また、「ネットワーク科学」に基づいた「社会安定理論」も紹介されています。

(本書227頁)

「闘技型」ではなく、従来型の惰性的「討議型」をも乗り越えた積極的な「対話型」の

民主主義の復活と回復であります。

本書には、そのようなリベラルな視点での「民主主義社会復活論」も考察されています。

特に、本書310~315頁にかけての「民主的能力(民主的コンピタンシー)」

是非「熟読して自家薬籠中のもの」にして頂きたいと思います。

管理人も身につけるべく努力していく所存です。

フランスの社会科学者であるフィリッペ・ブルトン氏の分析ですが、

①客観化能力

②共感認識能力

③意見組成能力

④議論のバランス能力

これに著者独自の視点を付け加えた

⑤再考能力

の5つの「民主的思考能力形成」学習の重要性であります。

管理人の意見も付け加えさせて頂くと、

⑥「垂直的思考(志向)能力」であります。

なぜなら、「同じ価値観をもった同時代に生きる者」による意思決定だけでは、

常に「認識不足」が生じるとともに、「決定的に重大な致命的判断ミス」へと

誘導されかねないからです。

「歴史的感覚」は、もちろん「経済倫理的価値観形成」にも必要な視点を

提供してくれます。

ですので、本書を政治的立場に関係なく、あらゆる階層の方々に

お読み頂くことを願っています。

まとめますと、「政治的安定には、経済社会的安定が不可欠であり、<先決問題>」だと

いうことです。

このことを強調しておきます。

本書を読了されると、「減」成長路線でも、「日本の希望」が見えてきます。

「決して、厳しすぎる社会環境は未来永劫続くことはありません!!」

「早期に<問題点>に気づき、冷静に真摯に前向きに

改善への相互協力をしていく限りは・・・」

「間違いに気付いたら、原点に戻ろう!!」

このように、本書もまた単純な「経済衰退論」を嘆く論考でもありませんし、

「経済的マッチョイズム(極端な努力至上主義的根性論)」を説く趣旨の本でも

ありません。

ということで、この春一番にご一読されることをお薦めさせて頂きます。

なお、「経済成長神話」について、

「経済成長という病~退化に生きる、我ら~」

(平川克美著、講談社現代新書、2009年)

「移行期的混乱~経済成長神話の終わり~」

(同上、ちくま文庫、2013年)

「経済成長って、本当に必要なの?」

(ジョン・デ・グラーフ&ディヴィッド・K・バトカー他共著、高橋由紀子訳、

早川書房、2013年)

本書でも紹介され、前にもご紹介させて頂いた佐伯啓思先生の

「大転換-脱成長社会へ」

(NTT出版、2009年)

「経済成長なき社会発展は可能か?-<脱成長>と<ポスト開発>の経済学」

(ラトゥーシュ著、中野佳裕訳、作品社、2010年)

をご紹介しておきます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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