佐伯啓思先生の「経済学の犯罪~稀少性の経済から過剰性の経済へ」成熟経済における余剰性の問題を考えよう!!

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「経済学の犯罪~稀少性の経済から過剰性の経済へ~」

佐伯啓思先生が、「余剰の時代」における

経済社会のあり方について考察されています。

「失われた20年」と言われ続けてきた中で、

実は「長期的な低成長経済」が1970年代初頭から、

ずっと続いてきたのだと強調されています。

そうだとすれば、現在の「成長戦略」にも限界があるのでは??

今回は、この本をご紹介します。

「経済学の犯罪~稀少性の経済から過剰性の経済へ~」    (佐伯啓思著、講談社現代新書、2012年)

佐伯啓思先生(以下、著者)は、社会経済学、社会思想史などの

知見を踏まえて、現代経済学を文明批評の視点から

鋭く考察されてこられた経済学者です。

その考察領域は多岐に渡り、「複雑系経済学」の系譜に

属されている経済学者のようです。

不定期で産経新聞の「正論」欄への寄稿や、数々のメディアにて

積極的な「現代経済学批評」もされてこられました。

著者は、「経済学は科学ではない!!」と強調されています。

特に、経済学を含め「社会科学」の「科学性」には、

常々大いなる疑問をお持ちであり、昨今の経済政策にも

現実経済からの遊離が目立つとして、厳しい経済批評もされています。

日本を含め、先進国経済はすでに成熟期から爛熟期を過ぎ、衰退傾向とまでは

言わずとも、長期的な低成長を余儀なくされる経済環境にあると分析されています。

1990年代のバブル崩壊から2010年代にかけての「失われた20年」・・・

マスメディアなどの一般的な「経済論壇」では、そのように言われ続けてきましたが、

現実的には、すでに高度経済成長が終焉を迎え、1970年代の大阪万博やその後の

オイルショックによる70年不況の頃から、先進国経済では低成長期に突入していった

とされるのが、著者独自の分析です。

このことは、本書第9章(285頁)に掲げられた「年代ごとの日米欧の経済成長率」の

グラフでも一目瞭然であります。

著者によると、現代先進国経済の大きな特徴は、「過剰性」にあるといいます。

実体経済、金融経済というどちらの側面から観察しても、「過(余)剰問題」が、

つきまとうといいます。

前回も当ブログで触れましたが、未曾有の量的金融緩和をしても、

なぜ「実体経済(実需)」は一向に上向こうとしないのか?

それは、すでに私たちが過剰気味の経済社会の中で過ごしていることと、

貨幣が市中に浸透していく前に、実体市場ではなく金融市場に「余剰資金」が

吸い込まれていく経済構造にも問題があるようです。

また、技術革新が経済生産性を向上させるものと考えられてきた程度には、

あまり新規の雇用を創出してこなかったことも事実のようです。

むしろ、「雇用なき景気回復」とも指摘されてきました。

「消費需要」も低迷する中、供給重視の経済政策を打てば打つほど、

貨幣の過剰な流出につながるとともに、供給能力だけが過剰に積み重なるという

「悪循環の罠」に嵌っていっています。

市中には、過剰とも思われるほどの潤沢な資金が流れ込んでいる割には、

なぜ「実質賃金」は下がり続けるのでしょうか?

また、安定雇用は減少していく一方なのでしょうか?

当然そのような疑問を皆さんもお持ちだと思います。

著者は、今日本経済に、真実のところ、何が起きているのか分析するとともに、

そもそも「現代経済学自体に内在する問題点」から、実際の経済政策にも

「認知的歪み」が生じているのではないかという問題意識から、他にはあまり

指摘されることのない「貨幣の謎」にも深くメスを入れていきます。

そうした結果、見えてきた世界は、何と「経済成長からは、ほど遠い姿」でした。

ということで、今後ますます過剰経済の圧力がのしかかり、今ある経済常識が

通用しなくなっていく中で、私たちはいかなる視点を持ちながら、

この厳しい経済環境を生き抜いていけばよいのか、皆さんとともに

真剣に考えていこうと思い、この本を取り上げさせて頂きました。

正直、本書を読み進めていくにつれ、経済の未来予想図には「絶望感」も

深まる一方ですが、そのような「絶望感からの克服」の処方箋としては、

今ある「経済的価値観」を転換させていくことでしか解決しないだろうと、

著者はまとめられています。

暴走する金融主導型資本主義と経済学の犯罪

現代世界経済は、過剰結合の中で、一国だけの経済政策の効き目が

ほとんどなくなるほど、国外経済事情が国内経済に重くのしかかってくる

経済環境にあります。

先進国では、「自由主義」と「民主主義」を軸に政治経済運営が

なされてきましたが、経済面における自由主義が強くなればなるほど、

政治的民主主義は弱くなってしまうという相関関係にあるようです。

現代では、「政治(国家)と経済(市場)」は、切っても切れない強い関係で

結ばれています。

先だっての、イギリスのEU離脱の可否を巡る国民投票の件で、ヨーロッパは

複雑に揺れ動いていますが、この事例の教訓にも見られるように、

ナショナリズムとグローバリズムとのあまりにも過剰な結合は、かえって

社会を不安定にしてしまいます。

特に、EU加盟国では各国の独自の経済政策が制約されるために、機動的な経済運営に

支障を来し、自国内における経済危機に素早く対応出来ないという由々しき事態に

直面してしまいます。

このEU情勢は、今後の世界情勢の大きな分岐点ともなりかねないだけに、

慎重に注視していかなければならない難問であります。

翻って、日本周辺の東アジア情勢も、中国バブル処理の問題や

次期アメリカ大統領選挙の結果次第で、大きな影響も出てくることが

予想されるだけに、こちらの情勢も心配なところです。

ところで、現代先進国経済は、いずれの国も「過剰資本」や「過剰生産」の

問題に悩まされています。

通常の「景気循環過程」では、うまく在庫調整も進まないようで、

すでに成熟経済を迎え、消費意欲もあまり進まずに、雇用不安と賃金下落、

増税や社会保障不安の問題などで、将来に大きな不安材料を抱えているために、

支出を抑制し、貯蓄に回そうとする動きが強まっています。

民間における私たちの「自衛行動」は、もちろん正しい選択肢ですが、

社会全体としては、ますます景気が冷え込む懸念材料にしかなりません。

現在、未曾有の量的金融緩和の最中であり、マイナス金利まで導入して

民間に資金が潤沢に浸透するよう経済環境を整備している段階ですが、

その「余剰資金」も、株や国債などの金融市場に吸い上げられ、

実体経済の下支えには回らないという「歪んだ」経済構造になっています。

そのため、企業は設備投資や人財育成を控えたり、企業倒産の不安から

内部留保へと回され、賃金上昇にも追いつかないという「悪循環」にあります。

その中でも、政府の経済政策は「供給側重視路線」を採用し、

「第1の矢(金融政策)」に比重を置きながら、「第2の矢(財政政策)」は

手控え、「第3の矢(成長戦略)」も都会と地方では大きな温度差があると

聞きます。

実需が落ち込んでいて、民間経済が極度に落ち込んでいるのであれば、

「第2の矢(財政政策)」を積極的に打ち出すべき時期でありますが、

現在もすでに国債を過剰に抱え、その処理だけでも大変なのか、

公共投資向けの「国債発行」は大幅に抑制されています。

一方で、各種増税や過度のプライマリーバランス(歳入・歳出の均衡)重視

により、超緊縮経済路線が続いています。

すでに、来年の消費再増税も凍結すべきではないかとの意見も出始めている

そうですが、大勢はそのまま実施の方向にあるようです。

そもそも、なぜ長期間「低経済成長」だったのでしょうか?

そのあたりの検証も、あまり大手のメディアではなされていないようです。

著者によると、すでに「失われた20年」以前から、「長期低成長経済」は

進行してきたといいます。

この間、資源の稀少性から価格が高騰したりする現象も

たびたび起きてきましたが、問題は「稀少性よりも過剰性」の方にこそあると

著者は強調されています。

特に、金融資産の過剰流動性は、世界の実体経済を不安定にさせ、

確率的にある程度まで対応可能な「リスク管理」の次元を超え、

「不確実なブラックスワン現象」を世界中で巻き起こしてきたとも

語っておられます。

このような本格的な「グローバル化現象」は、各国の「国内経済」の

安定的な舵取りを大変危険な状況へと追い込みます。

少なくとも、「民主主義国家」であれば、「暴走する資本主義」を

うまく調教することも困難なようです。

皮肉にも、強い独裁的管理国家でもなければ、抑制出来ない状況にあるといいます。

ところで、著者は現代先進国で採用されている経済政策やその理論的支柱である

「市場競争中心の経済学」に疑問を投げかけています。

具体的には、「教科書的経済学」の想定するような以下のモデルである

①人間はいつでも合理的な行動をとり、完全情報をうまく活用する。

②「実体経済」が経済の本質であり、「貨幣」は単なる補助手段に過ぎない。

③消費意欲は無限にある一方、生産資源は有限であり、「稀少な資源」を

効率よく分配することにある。

という「市場経済の基本命題」に対して、真逆の見解を提出されています。

つまり、①不合理な人間と不完全な情報

②貨幣そのものが重視されていく経済

③欲望は他者との関係で作られ、人々の欲望が生産力の増加に追いつかなければ

「稀少性の解決」ではなく、「過剰性の処理」こそが経済の問題

だとされています。

著者は、そもそも「経済学は科学ではない!!」とも強調されています。

現実経済の「実体」を無視して、机上の「架空モデル(理論)」に固執するのは

「百害あって一利なし」とのことです。

実際に、表向きの「自由主義経済政策」というよりも、「計画的な管理経済」にも

なってきており、「適正に管理された国民経済」とも、ほど遠い経済政策に

なってきている点にも警鐘を鳴らしておられます。

過度な成長重視でもなく、単純な脱経済成長路線でもなく

著者によると、「過剰経済」においては、

これ以上の経済成長を見込めないことも直視すべきだとされます。

特に、「貨幣論」についての

第7章と第8章の考察は、前回ご紹介させて頂いた冒頭記事の書物とも

併読して頂ければ、より一層、現代の「貨幣偏重型経済」の

問題点の理解も促進されるでしょう。

著者の現代世界経済に対する見立てでは、

18世紀のイギリスの「重商主義政策」が、

今日の「グローバル経済」の問題を考察するうえで、

役に立つ視点ではないかと、アダム・スミスの経済論を

取り上げながら、批評されています。

教科書的な見解であるアダム・スミスの「自由放任」か「介入」

かという視点で見るのではなく、「不確実な経済依存」か

「確実で安定した経済基盤」かという視点も取り入れながら、

アダム・スミスへの「世間的誤解」を解く解説もされています。

実際に、アダム・スミスは「自由放任」ではなく、その「道徳破壊」

を回避するための知恵も残していますが、一般的には、

見事に無視されてきたといいます。

要するに、アダム・スミスの「自由放任(神の見えざる手)」という

言葉だけが都合良く悪用されて、一人歩きしてきたようです。

また、著者はケインズへの誤解も解く解説をされています。

ケインズと言えば、20世紀の「世界大恐慌」を解決する処方箋を

描いた経済学者として有名ですが、一方ではあまり知られていない

「貨幣論」も残しています。

もちろん、デフレ期における「不況対策」という観点からは、

今でもなお有効ですが、貨幣の「過剰流動性」の論考にこそ、

現在の「過剰資本」の問題解決に当たっても、重要なヒントになります。

最後に、著者はこれまでの経済成長率の分析結果や

技術革新や人口変動の予想図から低成長経済がこれまで以上に

長く続くだろうと予測されています。

ですので、その変化に柔軟に対応出来る「経済的価値観」の

見直し作業が必要だと強調されています。

かといって、最近流行の単純な「脱経済成長論」とも異なります。

グローバル化の流れを回避する術が、たやすく見つからない以上は、

この趨勢を受け入れながらも、「適切に調整された国民経済」の

重要性を指摘されておられます。

まとめますと、「脱成長社会」ではなく、「脱成長主義社会」へ

向けた「より良き社会構想」を官民協調して実現していく努力が

大切だということです。

いずれにせよ、今後の未来経済では、現行経済の

「規模の経済性(大きい経済圏の追求路線)」を重視するのではなく、

身近な「小さな経済生活圏」を多様化するとともに、貨幣においても

民間における地域通貨の積極的導入など分散化していく形で、

厳しい国内外からの「嵐」を軽減する知恵と工夫が要請されます。

皆さんも、本書で「現代世界経済」の最前線事情を確認されながら、

各自の持ち場で様々な「経済防衛策」を立案する参考文献の一つにして

頂ければ幸いです。

最後に、著者の別著として、

『アダム・スミスの誤算-幻想のグローバル資本主義(上)』

『ケインズの予言-幻想のグローバル資本主義(下)』

(いずれもPHP新書、1999年)

『資本主義はニヒリズムか』

(三浦雅士との共著、新書館、2009年)

をご紹介しておきます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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