石黒浩先生と鷲田清一先生の「生きるってなんやろか?」科学者と哲学者が語る、若者のためのクリティカル「人生」シンキング!?
「生きるってなんやろか?」
石黒浩先生と鷲田清一先生が対談形式で
語りながら、哲学する若者向け人生論です。
日本のアンドロイド研究の第一人者である
石黒浩先生と臨床哲学の最前線をゆく鷲田清一先生に、
これからの「人間と機械の協働社会」における
「生き抜くための知恵」を学びます。
ロボットとアンドロイドは、似て非なるもの!?
そのキーワードとは、「皮膚感覚」です。
今回は、この本をご紹介します。
『生きるってなんやろか?~科学者と哲学者が語る、若者のためのクリティカル「人生」シンキング~』(石黒浩・鷲田清一共著、毎日新聞社、2011年)
石黒浩先生(以下、アンドロイド先生)は、日本のロボット工学研究の
第一人者で、「アンドロイド先生」として著名な方です。
鷲田清一先生(以下、テツガク先生)は、哲学・倫理学研究者で、
近年は、「臨床哲学(哲学のフィールドワーク=現場聞き取り対談学習)」を
テーマに、身近な哲学的生き方を提唱されるなど、積極的な学外活動を
なされてこられました。
対談当時は、大阪大学総長で、本書での肩書きも「テツガク総長」として、
同じく大阪大学を中心に研究されている石黒浩アンドロイド先生とともに、
対談されています。
現在は、京都市立芸術大学理事長・学長として活躍されています。
そんなユニークなお二人ですが、学者にしては、珍しく「処世術」にも
大変秀でておられるようです。
アンドロイド先生は、日本の「アンドロイド」研究の第一人者で、
これからの「人間と機械(ロボットや人工知能)との協働社会」についての
生き方を、テツガク先生とともに「臨床(対談)哲学」していきます。
本書では、現代の若者向けメッセージとともに開幕されるとともに、
今後ますます技術革新が進められていく中での、人間と機械との共存共生から
人間の「存在意義」にまで幅広い視点から探究考察されていきます。
ということで、皆さんにとっても面白く有意義な時間を本書とともに
お過ごし頂きたく、この本を取り上げさせて頂きました。
「若者よ、負けるでないぞよ!!」
それでは、皆さんとともに読み進めながら、考察していきましょう。
ゆとり世代の若者だからこそ、ロボットとの協働社会を違和感なく生き抜くことが叶うのでは・・・
アンドロイド先生は、「パソコンの父」と称されたアラン・ケイの
有名な『未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ』という
言葉の紹介とともに、これからの未来を開拓していく若者向けの
応援メッセージを発信されています。
テツガク先生も、「あなたにしかできない仕事なんてありません!!」と
いきなりきついお説教から対談を始められていますが、
必ずしも今時の若者事情を揶揄しておられる訳ではありません。
第1章『あなたにしかできないことなんてない』は、就職活動など
将来の「人生設計(処世術)」で悩まれている若者には必読です。
いわば、「若者よ、小粒の人生で終わるなよ!!」とハッパをかけられています。
現代版の「青年よ、大志を抱け」(クラーク博士)です。
管理人も、若者世代(とはいえ、今や30代半ばのおじさん仲間入りですが・・・)
俗に言う「ゆとり世代」という言葉には、「イヤな響き」を感じます。
そもそも、そのような「レッテル貼り」に何か有益な意味があるのでしょうか?
単に、前世代による、後から続く若者たちの「はしご外し」をして、
御身の地位安泰に溜飲を下げるだけの「自己満足感情」ではないかと、
常々20代後半の時から感じてきました。
管理人の世代は、いわゆる「ゆとり世代」ではないにせよ、周りの「大人たち」からは、
「ひ弱なマニュアル世代」だと、さしたる根拠もなく指摘されてきただけに、
違和感を10代の頃から感じてきました。
ですから、管理人など若者世代の「前を歩く人間」も、常に「前世代」の後ろ姿を
反面教師にしながら、謙虚に歩み続けていかなければなりません。
「教育とは、上から下への一方通行ではない!!」からです。
「ともに学び、ともに歩み、ともに喜怒哀楽を味わいながら、生き死にする」
それが、「人間(人と人との間で生きる<生物>)」であるからです。
それが、「輪廻転生!?」かどうかは分かりませんが、
「順繰り」だということだけは確かであります。
また、本書最後尾におけるアンドロイド先生が、「自分の枠を壊せ!!」という意味で
今時の若者にハッパをかけるために言われた表現ですが、
若者向けに「きつい物言い」をすれば、
今の時代「パワハラ(力関係による嫌がらせのこと)やアカハラ(大学内での権力関係を
利用した嫌がらせ)とか言われたりするんですよ。」という発言を受けて、
テツガク先生も「そんなの無視(笑)」(本書202頁)などとされていますが、
ここだけは、何となく若者世代としては「イヤな感じ」もするところです。
とはいえ、先に触れましたように、お二人とも、「悪意」を込めて語っている訳では
ありませんので、そのことは「許容の範囲」としておきましょう。
ですが、やはり、今の時代もっと「表現」には気を付けた方が良いかもしれませんね。
ましてや、「教育者」であればなおさら・・・
それは、管理人とて同じことですが。
ちょっとした「先生方」の発言が、多くの若者の「心」を傷つけているとするならば、
やはり由々しきことでありましょう。
それは、一般企業などにおける「先輩」などの「先に生きている方」の発言とて
同じことです。
もっとも、最近の何でもかんでも「ヘイトスピーチ」などと言って、
無思慮な「言葉狩り」をするなど、神経過敏になり過ぎるのも大問題ですが・・・
それは、「思考停止社会」であり、「全体主義」にも誘導されかねない
大変恐ろしい「危険な徴候」でもあるように感じるからです。
前置きはこのあたりで止めておきますが、こうした表現形式についても、
「人間と機械の違い」の観点から、実にわかりやすく考えさせてくれます。
まさに、「怪我の功名」ですね。
絶妙なタイミングで、考えるきっかけが与えられました。
まさか、先生方もこうした効果を狙われたのかどうかは分かりませんが、
なかなか軽妙なトークから哲学的考察の面白さに
読者を導くための工夫がなされているようです。
つまり、「読ませる対談集」です。
管理人も勉強になります。
ありがとうございます。
先程、「ゆとり世代」の話題になりましたが、このこと自体は、社会の進歩とも
大いに関係があるだけに、若者世代のみに特有の現象ではありません。
技術進歩は、人間の「楽さ加減」を追求していった結果、進化していくものなので、
機械自身に一方的な責めを負わせることも出来ません。
逆に、機械から人間に問いかけられているのかもしれませんね。
「今時の若者は・・・」という有名な言葉は、太古から語り継がれてきたという
だけに、そんなの無視しておけばいいのです。
大切なことは、「自らいかに生き、いかに世界に関与し、いかに死にきるか」であります。
ですから、両先生も、本書で語られておられますように、
「自分のやりたいことって何でしょうか?」などと、
他人に聞くのは、確かに「愚問」です。
「具体的なアドバイスを」と尋ねたところで、その人「固有」の人生経験談からしか
回答をもらえない訳ですから、自分自身で必死になって考え抜かざるを得ません。
その伝で言うならば、現代社会は、「何でもありの至れり尽くせり!!」の過保護社会です。
だからこそ、意識して考え抜く生き方をしていかないと、
「奴隷の平和」に不感症となってしまいます。
そのことを、20世紀には、「全体主義」と呼んでいました。
ただ、前世紀は、まだしも「目に見えるわかりやすい形」でしたので、
何らかの防御策も立てられたのでしょうが(それとて、人類は大失敗の末、
大きな教訓を学ばせられましたが・・・)、21世紀現在は、よほどの注意力をもって、
思慮深く生きていかないと、簡単に「罠」に絡め取られてしまいます。
なぜなら、「目に見えにくい心地よい管理社会」だからです。
そのこともあって、あえて先生方も「厳しい助言」をされたのでしょう。
ところで、本書では、アンドロイド先生のご専門「人間と機械の違い論」と、
テツガク先生による「現場臨床(対談)哲学論」の相互交流から、
今後の人類が未来社会を生き抜く知恵を哲学しながら探究していこうとの趣旨で
語られています。
ロボット研究を通じて見えてきた世界の果てに、
「人間とは、そもそも何ぞや??」というテーマが「再発見」されたようです。
その「再発見」を手がかりに、「考え抜く大切さ=安易な正解を求めない生き方」が
強調されています。
そこで、タイトルに込めた思いをまとめておきますと、
「ゆとり世代」と称される若者の得意技は、
「新しい技術への順応度が高い!!」ということです。
その一方では、若者特有の弱点「経験が少なく、思慮が浅い!!」ということもあります。
この長短をいかに結びつけていくかが、「生きる知恵」であります。
つまり、若者はロボットとの協働社会には、違和感なく素早く溶け込めそうな特質も
ありますが、同時に「考え抜く」という知的作業を疎かにしていくと、
早晩ロボットに人間が「制御(制圧)」されてしまう羽目にもなりかねないということです。
このことは、是非とも押さえておきましょう。
「できないこと・待つこと・役に立たないこと」に共感する「皮膚感覚」を養おう!!
さて、このように「哲学すること」には魅力がありすぎて、
時間もあっという間に過ぎ去っていきます。
管理人も、「酒好き」ですので、学生時代から多くの方々と
「コミュニケーションの真の楽しさ」を味わってきましたが、
「恋愛」などと同じく、社会に出ると、
なかなか「ゆとり」を持った時間も持ちにくく、
「生きた心地」も少なくなっていきます。
アンドロイド先生もテツガク先生も、学生諸君に熱い応援メッセージを
送っておられますが、管理人も若者の皆さんには、
学生(青春)時代を大いに謳歌して頂きたいと老婆心ながらアドバイスさせて
頂くことにしましょう。(本書28~29頁ご参照)
「失敗が許される回数」も社会に出ると限りなく少なくなっていきますし、
「忠告」して下さる方も、「自分自身の人生だけで精一杯」ですので、
柔軟なうちに、どんどん先輩から学び取っていきましょう。
「反発心」も時に覚えることもあるでしょうが、
そのことが、後々、「生き抜く糧」となってくれるのですから。
ここは、「先行投資」と素直に割り切って、愚直に「己の道」を
邁進していって下さいね。
ところで、昨今の社会風潮の苦しいところは、
今後の「人間と機械との協働社会」に対する見通しも「不透明」な点とともに、
何事も、「即戦力・生産力・効率性・計算可能性(つまり、金銭評価偏重)」といった
ところにあります。
テツガク先生は、そのことを『新自由主義VS「できない」の価値』
(本書123~125頁ご参照)のテーマで対談考察されていますが、
人間社会は本来「予測不可能性」に満ち溢れており、
決して「計算可能」なことばかりではありませんので、
その意味でも「新自由主義(象徴的表現として使用しています)」のような
「生産効率第一主義」は、社会に逆行しています。
一方で、「極端」な社会平等主義も「安全第一主義」で生命本能に反してしまいます。
やはり、適度な緊張感がないと、人間の「免疫能力」も落ちてしまうようです。
たまたまですが、本日の「ホンマでっかTV!?」のテーマでも、
おみくじに「凶」が出るだけで、極端な拒絶反応が引き起こされるとの話題が
出ていましたが、ここまでくると、過度な「清潔(幸福楽観)感情偏重論」で
末恐ろしいものを感じさせられます。
本書でも、そうした「免疫力」をつける「処世術」として「生体ゆらぎの活用」が
指摘されていますが、ある種の「粘菌共存共生感覚」を養っておくことも
「生き抜く」ためには不可欠だと思われます。
あまり「清潔第一主義」を求めすぎることも良くないことは、
歴史的教訓から言えます。
「全体主義」の遠因ともされているからです。
本書でも語られていますが、「極端から極端」を経験していく中で、
ある一定の「生体ゆらぎ感覚」を身につけていくことが大切なようです。
その意味では、若いうちに「突出体験」をして「痛い目」に遭っておくことも
有益です。
もっとも、過度な社会への迷惑は避ける必要がありますが・・・
昔は、厳しい「一家言者」がどこの地域にもいましたが、
ここ数十年の「無関心社会」の進展で、誰もそうしたことを指摘しなくなりました。
これも、「便利社会」の罪であります。
「不自由だからこそ、不足感があるからこそ、知恵が働く!!」というのが、
人間の成長進化にとっても良いようです。
そうしたことからも、現代社会は「退行(衰退)型社会」なのかもしれません。
そこで、人間が生き抜く能力として養っておく必要があるのが、
「皮膚感覚」であります。
アンドロイド先生も、「ロボットとアンドロイドの大きな違い」に、
この「皮膚感覚」を挙げられていますが、人間の場合にも当てはまります。
むしろ、この「皮膚感覚=身体感覚」こそ、「人間らしさ」です。
本書では、「生殖活動」や「恋愛行動」など様々な視点から、
人間特有の「らしさ」についても語られていますが、
「見かけ」と「動き」の相違点にも注目された「アンドロイド研究」から、
人間の性質について詳細に触れられています。
その結果、得られた知見からは、「どうも人間は自分自身のことを
100%知り尽くせない安全制御装置のようなものがあるらしい・・・」とのこと。
この「盲点」があればこそ、他人を察する心も育つのではないか・・・
アンドロイド先生の解説とは少しずれますが、「心」というのも
単独では生まれることはなかっただろうとの推論が語られています。
ロボット(人工知能なども含む)研究では、「心・魂・意識」といったキーワードが
ネックになっているようですが、必ずしも、「心・魂・意識」なるものが、
予め「人(単体としての意味)」に「組み込まれている」のかどうかは分かりません。
ただ、「人」が「人」と共同生活をしていく過程で、
「人間」へと共進化していく訳ですが、この時に、相互間に「心がある」ものと
信じ合いながら、生活しているようです。
いずれにせよ、この「心・魂・意識」といった「精神現象」は未解明であります。
脳科学の研究から、人間の「脳神経回路」と同じ装置を「機械」にも導入して
「人間らしさ」を出そうと、現在のところ研究開発が進められていますが、
この点で、「限界」があるようです。
まとめますと、「人間と機械との大きな違い」には、
こうした「わからなさ」が絶えず付きまとうが故に、
「生き生き感(生々しさ)」が表出してくるのだと思われます。
言い換えますと、「機械」は失敗も少なくなる代わりに、
「生き生き感」が失われ、「人間」は失敗が多い代わりに、
「生き生き感」が増すとも言えるのではないでしょうか?
だからこそ、「失敗を極端に恐れ、極力無くしていこう」とする動きからは、
人間社会の活力源が喪失させられていき、「人間らしさ」も奪われていくことに
なるのではないかとも懸念されるところです。
「人間は、失敗から学ぶ生き物」
そのために、あえて「脳内」を「ブラックボックス構造」に
設定しておいたのかもしれません。
「神なき時代」に「人間らしさ=知的謙虚さ」を取り戻していくためには、
こうした側面からも、考え抜いていかなくてはなりません。
「世の中だけ勝手に進展していって、人間だけが<変わらず!!>」ということも
ありませんし、その逆もまた同じでしょう。
「共進化」とは、「人間と社会の共同進化」のことだからです。
まとめますと、「人間」は「わからないことだらけ」だからこそ、
「考え続け、生きること」が出来ているということです。
「考え続ける」ことを深く味わいながら、人生の喜怒哀楽を体現していく
ところに「人間らしさ」があるのではないかということです。
そのことを「機械」は「反面教師」として、
「人間」にそれとなく教えてくれているのでしょう。
今後の未来社会を「人間」と「機械」が協働しながら共存共生していくためのヒントが
本書では語られています。
最後に、この対談で両先生方が強調されていることでまとめておきます。
「自分らしさ(自分の価値)は、自分自身では発見出来ないらしい・・・」という
重大事であります。
その意味で、「アイデンティティー(自己同一性)」に極端にこだわり過ぎるのも
「不健康」のようです。
そのあたりの考察を「アイデンティティーとエクスタシー」という面白いテーマで
されています。
ですから、若者の皆さんには、「何でも見てやろう、やってやろう!!」との
知的好奇心を育てていきながら、精神的に疲れ切った「大人たち」を慌てさせて下さい。
「恐るべき子ども(若者)たち」(ジャン・コクトー)をモットーに。
その姿勢が、「おもしろき こともなき世を おもしろく」(高杉晋作)と
「すみなすものは 心なりけり」(野村望東尼)となって、
今の閉塞社会を吹き飛ばしていく原動力となってくれることでしょう。
ということで、本書は「アンドロイド」に触発された優れた「人間論」とも
なっていますので、皆さんにもご一読されることをお薦めさせて頂きます。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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