スチュアート・ブランド氏の「地球の論点~現実的な環境主義者のマニフェスト」極端な原理主義思考から脱出するためのヒント!?
「地球の論点~現実的な環境主義者のマニフェスト~」
未来学者で現実的な環境運動家として知られる
アメリカのスチュアート・ブランド氏が、
世に巣くう「極端な原理主義思考の盲点」を突く
好著です。
1960年代のヒッピー・ムーブメントなどの
実践的体験を通して、常に知的柔軟性をもった
学習をされてこられた環境論だけに説得力に富んだ
貴重な論考です。
今回は、この本をご紹介します。
「地球の論点~現実的な環境主義者のマニフェスト~」(スチュアート・ブランド著、仙名紀訳、英治出版、2011年)
スチュアート・ブランド氏(以下、著者)は、アメリカの
現実的環境活動家であり、未来学者として有名な方です。
1960年代のヒッピー・ムーブメントの時代に、
雑誌『ホール・アース・カタログ』(1968年創刊)で、
カウンターカルチャーの先駆者として、多くの若者に
支持されました。
スタンフォード大学では、生物学を学ばれ、ご高齢者に
なられた今でも「子ども時代の夢」を忘れずに、
一途に「地球の明るい未来」を探究されています。
様々な環境関連団体を立ち上げるなど、環境保護論者としては
大物だそうです。
「だそうです。」と伝聞・推測表現を使用させて頂いたのは、
管理人自身が、生まれる前だった1960年代のヒッピー・ムーブメントの
具体的な時代の雰囲気を知らないからです。
とはいえ、21世紀の昨今では、テクノロジーとの関連で
その名が知られるようになるなど、その斬新で現実的な発想法が
再び、注目されるようになってきたようです。
そうした流れの中で、21世紀を生きる私たち若者も、
諸先輩方より半世紀遅れで知ることになりました。
さて、今回、著者の「総括的な集大成」である本書を
ご紹介させて頂いたのは、現在の異常な「感情的反応」に
違和感を感じながらも、「反対派」の意見にも耳を傾けつつ、
自分でも、何が「本当の問題点」なのかを、
この際じっくり検証考察してみようではないかとの個人的動機が
きっかけでした。
その疑問解決学習の過程で、発見したのが著者でした。
特に、「原発論」「遺伝子組み換え問題」「気候変動(地球温暖化)論」に
ついての各論考は、冷静に思考する大切さを教えて頂きました。
もちろん、管理人も、こうしたきわめて現代の敏感な環境問題については、
「賛否両論」含めて、只今学習中ですので、「正解」について
皆さんに断言したり、極論を述べたりすることなど出来ませんが、
この点に関しては、「唯一の正解」などないと柔軟に考えながら、
今後とも「賛否両論」を各種書籍のご紹介を通じて、
皆さんとともに考察していければと考えています。
ということで、本書を読み進めながら、現代環境技術論の最前線を眺めながら、
同時に「現実的で柔軟な思考法や発想法」を皆さんとともに学習考察していこうと、
この本を取り上げさせて頂きました。
神のように振る舞い、巧みにやり遂げなければならない現代人
著者は、1960年代の雑誌『ホール・アース・カタログ』の
創刊当時における巻頭言「私たちは神のごとく、ものごとを
うまく処理することが望まれる」と、かなり「楽観的」な希望論を
語っていたことを自省されています。
あれから40~50数年後の21世紀現在には、以下のような
新たなモットーに見直さなくてはならないと。
それが、タイトルでもある
「私たちは神のように振る舞わなければならず、しかも巧みに
やり遂げなければならない」です。
この力強いあらたな「前向き」の宣言とともに、
「宇宙時代の<地球人>」として、各種難題に果敢に取り組むべしと。
そこで、著者は、多大な影響を受けたとされる「ガイア仮説」で有名な
ジェームズ・ラブロック博士の思想とともに、著者のエンジニアとしての
経験も踏まえながら、「テクノロジーと環境の相互協力体制」を
堅固に構築しながら、地球上の万類(地球インフラ)との共存共生を
図る道を、本書で論旨展開されています。
人類は、今からおよそ1万年前に「農耕牧畜大革命」を起こし、
あらたな「文明」が誕生していったとされています。
これにより、人類の生活は大激変し、地球環境への適応度も
大きく革新されていったといいます。
しかし、その道は、同時に過酷な負荷を地球にも人類にも
もたらしました。
「奴隷制の始まり」や「地球環境への破壊行為」などマイナス面も
大きかったからです。
「農業」と言えば、現代のような「商工業」や「情報通信業」などの
ハイテク産業社会から見ると、どこか懐かしく環境に優しいイメージも
流布されているようですが、現実は、そんなに甘いものではありません。
こうしたおよそ現実からかけ離れたイメージに、待ったをかける緻密で
誠実な思考の大切さを説かれたのが、著者でした。
実際に、現在の環境活動家による、こうした「甘いイメージ」での印象操作や
間違った憶測情報などを根拠とする風評被害も後を絶たないところです。
著者は、そうした「反知性的??な後ろ向き」の議論に
一つひとつ丁寧なデータと自らの体験学習に基づきながら、反論していきます。
著者が、現代の「都会的??」環境活動家と大きく異なる点は、
1960年代のヒッピー・ムーブメントにおける「コミューン活動の<限界>」を
実際に体験されてこられたからです。
その過程で得た教訓が、「テクノロジーの役割の重要性」でした。
これなくして、「コミューン(コミュニティー)の維持発展もあり得ない!!」と・・・
著者も、現代でも多くの自然環境愛護者(管理人もですが)にも絶大な人気のある
アメリカの環境思想実践家ジョン・ミューアやゲーリー・スナイダーなどの知見を
活かしながら、その「幻想イメージ」に挑戦されています。
著者は、「実際的体験の重要性」から環境問題を現実的かつ柔軟な姿勢で、
解決していく手法を強調されています。
このあたりは、「アウトドアライフ派」の管理人にとっても、
共感もし、イメージもしやすい点であります。
ロングトレイル(日本では、アメリカほどではないですが、東海道自然遊歩道など)や
登山やロッククライミング、渓流歩き(釣り)などを体験していると、
現実の「自然環境」がいかに過酷で、恐ろしいものであるかを
否応なく体感させられるからです。
管理人も、海難事故だけでなく、山で死の一歩手前の恐怖感を味わってきました。
だからこそ、「自然との共生は決して楽なものではない!!」し、
意外にも、「まったく手つかずの<純粋な原自然>など、
ほとんど死滅しているのではないか・・・」とも考えられるのです。
ところで、人類の懸命かつ賢明な(偉大な、とまでは誇張表現出来かねますが・・・)
生存意欲により、自然の過酷さを乗り越える知識(技術)や知恵が発達していったことは、
ご先祖様に、素直に感謝感激しなければなりません。
こうした先人の弛むことなく続けられた努力の結果、
多大な恩恵を享受出来るようになったのですから。
そこで、「テクノロジーの活用」が大切なテーマになってきます。
確かに、人類の「テクノロジー史」には、悲惨な体験も多々ありました。
最初の「道具(武器など)や火の発明・発見」の背後には、
決して、平和で穏やかな物語があった訳ではありません。
しかし、そうした「悲惨な」事件・事故だけをことさら針小棒大に誇張したり、
煽り立てたりするだけでは、「真相」が見えてくることもありません。
もちろん、著者も強調されていますように、「悲惨な」事件・事故による
教訓から真摯に学び続ける姿勢は大切です。
それは、このたびの「原発事故」にも当てはまります。
しかし、実際のところ、そうした事例につき、正確な科学的検証が
なされてきたのかというと、今でも「大きな疑問符」が残ります。
管理人は、実際に「震災の現場」に足を運んだこともなく、
「現地住民」ではないので、無責任なことは言えませんが、
ただ一言、今回の教訓から学び取ったことは、「全国民の歴史的課題」だと
いう認識をあらたにしたことです。
昨日のテーマでも語りましたが、
「<傍観者>ではなく<当事者>として感じ、必死に考え抜く姿勢こそが、
真摯に生きることであり、次につながること」だということだけは、
間違いないところです。
その意味で、「原発(原子力エネルギー)」に賛成するか反対するかを
問わずに、冷静に見つめ直していき、明日につなげていく義務が
私たちの世代にはあります。
著者は、「原発」や「遺伝子組み換え作物」について、
冷静に分析考察された結果、「肯定的な評価」を下されていましたが、
もちろん、「倫理的かつ科学的な検証」は、日々怠ってはいけません。
そのことは、著者も慎重に配慮しながら論考されています。
ただ、著者が強調され、管理人も昨日の記事で考察させて頂きましたように、
「ゼロリスク幻想(100%の安全・安心などは、この世にない!!)」という
いわゆる「リスクマネジメント」の視点は持っておく必要があります。
ですので、法律政策を運用する際にも、「予防原則」だけに拘泥することなく、
「警戒原則」の視点でもって、柔軟な解決法を探究していくのが、
より望ましいようです。
こうした視点を持たないと、根拠なき風評被害だけが肥大化していき、
現地復興や住民生活再建に、多大な迷惑と損害を与えることにも
つながるからです。
また、「原発(原子力エネルギー)」や「遺伝子組み換え作物」などにしろ、
一部分の問題点だけを強調しすぎて、多様な視点を見落としていくのも、
多大な恩恵の喪失にもつながりかねません。
もっとも、「経済的利益」の視点だけから
評価判断していけばよいというものではありません。
実のところ、そうした「あたらしいテクノロジー」が
どこまで進歩・進化しているのかを、冷静に見極める視点がないと、
かえって「不透明なブラックボックス状態」で見えなくなり、
「密室処理」されていくのを容認することにもつながりかねないからです。
著者の見解を深読みしていくと、
「遺伝子組み換え(遺伝子導入という表現でイメージ喚起させていますが)」
などの「人工的手術」も、正しく活用していけば、
かえって「優生学的思想」を未然に察知予防することも出来るだろうとの
見通しも得られるようです。
「遺伝子の水平移動」という表現で示唆されていますが、
こうした視点を持つことで、ダーウィンの「垂直偏重型進化論」が
悪用されていく道も予防出来るのではないかと・・・(本書253頁)
また、「有機農法」だけでは、地球環境に<優しくない>直耕型農法だけになり、
「遺伝子組み換え農法」を組み合わせることで、地球環境に<優しい>不耕起栽培
なども可能になるだろうと、実際の「農家の声」なども紹介しながら
指摘されています。
さらに、森林伐採法についても、「商業(販売)用木材」と「自然木材」との
「棲み分け理論」を活用させた「育成(伐採)法」も提案されています。
このように、自然から人類が学ぶべき点は、まだまだ多くあります。
特に、微生物やミミズ、ビーバーなどの「ニッチな生物多様性」から
積極的に学んでいく姿勢も強調されています。
極端な原理主義思考から脱却していくための知恵
著者が、本書を通じて最大限強調されてきたのが、
この「極端な原理主義思考から脱却」の視点であります。
先程も語りましたように、この世には、残念ながら
「100%の安全・安心」も
「100%自然な状態」もありません。
それでも、人類は試行錯誤を積み重ねながら、他の生態系システムとの
共存共生を何とか図ってきました。
そこで、著者は、科学者と環境活動家とエンジニアのそれぞれ三者三様の
長所をともに活かしながら、危機の時代を乗り越えていく必要性を強調して
最後を結んでおられます。
著者は、「悲観派」を「ヤマアラシ型人間」、
「楽観的柔軟派」を「キツネ型人間」と面白く例えられながら、
対照的な視点で分析されていますが、
実際の生き抜く過程でのフィードバック体験からでしか、
物事の真相は見えてこないことも強調されています。
その中で、個人的に感じ入ったのは、前にもご紹介させて頂いた
著者によると「悲観派」のジェレミー・リフキン氏の事例でした。
管理人も、前回気になっていた「原子力に関する疑問点」について、
著者が、あらたな視点をもって教えて下さいました。
一見、「水素エネルギー論」だけに注目して読み進めていると、
「楽観派」に感じられてきますが、その実用化の背後には、
各種の「代替エネルギー」によって十分に補強されていなくてはなりません。
風力・地力・太陽光その他自然の再生可能エネルギーも、備蓄能力や
生産能力、経済コスト力では、原子力に打ち勝てません。
さらに、「原子力」といっても、多種多様のようです。
今現在、開発研究が進められている「第4世代型原子炉」や
「トリウム原子炉」などもあります。
著者も強調されてきましたように、一カ所だけをことさら針小棒大に
取り上げて、「代替策」の研究を妨害することは許されません。
また、著者の柔軟な姿勢が窺える論考として、
「グリーン派(伝統的保守派)」と「ターコイズ派(積極的技術活用型進歩派)」
との協働作業があります。(本書429~435頁)
相互対立するのではなく、それぞれ独自の視点を交換し合いながら、
共同歩調を合わせていく・・・
そんな姿勢こそが、今後の環境活動だけに限らず、
すべての人間的諸活動には必要となってくるのでしょう。
それは、「硬直(教条)化したイデオロギー論争」ではありません。
「実りある生産的な議論」を巻き起こしていくことで、
思考停止や時間停止などを回避する知恵でもあります。
最後に、著者のアイディアで今後の国際紛争解決のための平和的手段と
しても参考になったのが、「無人(非武装)緩衝地帯の有効活用」です。
つまり、この地帯を「自然保護区域に指定」するといった
ウルトラC的解決法です。(本書360~363頁)
こうした奇抜なアイディアを提供出来るのも、
著者が「柔軟な実践的環境活動家」だったからです。
1960~1970年代の「緑の農業革命」についても、
功罪双方の面における丁寧な分析評価をされています。
ノーマン・ボーローグ博士も、もともとは「人口過剰問題」に
激しい危機感を抱いていた「悲観派」だったからこそ、
テクノロジーを活用させた「早期積極介入」の判断をなされました。
このことによって、多くの「いのち」が救われたことは
いくら強調しても強調し足りないところでしょう。
また、この時点では、多くの「環境活動家」が、
むしろ懐疑的だったことも忘れてはいけません。
一見、「正義派」と見られている人間こそ、意外に危機的状況では
弱いものです。
また、人間の評価も、「一面的」に判断してはいけません。
日本にとっては、この時期に、アフリカなどで「早期積極介入」していた
活動事情も、もっと世に知られても良いでしょう。
笹川良一氏などの支援活動で、ボーローグ博士の取り組みが功を奏していった
事実も忘れてはいけません。
後に、地球温暖化「京都議定書」の場面でも一躍有名になったアル・ゴア氏も
評価されており、従来型の環境活動家の姿勢に疑問を持たれているようです。
(本書268~277頁)
このように、著者は、本書で私たちが、マスメディアなどの印象操作などに
よって、知られていない貴重な情報を紹介解説して下さっています。
ということで、個々の「環境問題」については、賛否両論があっても
もちろん構いませんが、「柔軟な思考や発想」を学びながら、
未来志向の「環境活動」に何らかの形で関与されたい方には、
お薦めの1冊であります。
今後は、この「現実的な環境主義者のマニフェスト」を議論のたたき台と
されてみてはいかがでしょうか?
最後に、著者の次の言葉で締めくくらせて頂きます。
『「自然」と「人間」は不可分だ。
私たちは互いに、手を携えていかなければならない。』(本書435頁)
最後までお読み頂きありがとうございました。
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