湯川秀樹/北川敏男博士の「物理の世界 数理の世界」人類と人工知能の未来を予見した天才の叡智が今再び甦る!!
「物理の世界 数理の世界」
日本を代表する伝説のノーベル物理学者湯川秀樹博士と
現代情報理論を開拓された北川敏男博士の「肉声」が
今再び甦ろうとしています。
2016年、再び、「万博」に注目が集まり、
人類と人工知能の共存可能性が話題になる中、
すでに1970年代に「進歩と調和」の未来像を
徹底考察された碩学がいました。
社会工学の問題点や現代教育のあり方も対談。
今回は、この本をご紹介します。
「物理の世界 数理の世界」 (湯川秀樹/北川敏男共著、中公新書、1983年第6版)
湯川秀樹博士(以下、湯川博士)は、
言わずと知れた日本初のノーベル物理学受賞者であり、
原子核内部を構成する陽子と中性子を結合させる
いわゆる「強い力」を媒介する素粒子とみなされる
<中間子>の存在発見を理論的に予測された
「理論」物理学者であります。
湯川博士がご成育された家庭は、
豊饒な文学的世界観に囲まれた環境だったといいます。
こうした知的教育環境が、奇抜な創造力や発想力が
「創発」されゆく源泉となっていたようです。
そんな湯川博士には、難しい物理的世界観を
一般人にも馴染みやすくさせる数多くの優れたエッセーが
あります。
『旅人~ある物理学者の回想~』(角川ソフィア文庫、2011年)
『目に見えない世界』(講談社学術文庫、1976年)
『創造への飛躍』(同上、1983年)などなど・・・
世界における量子物理学理論がまだ黎明開拓途上期にあった時代、
早くも、後のノーベル物理学賞受賞のきっかけとなる「中間子理論」を
生み出す発想源となったのも、中国文学者である弟の小川環樹博士の
影響もあったのか、「老荘思想」がその母胎となったようです。
湯川博士は、いわゆる「理論」物理学者であったことから、
哲学的世界観にも造詣の深い物理学者でした。
「素粒子」は、まさに「目に見えない」世界に住まう物質であり、
肉眼では捉えがたい宇宙における「隠れた因子」とされています。
「因子」ですから、この世界を奥深いところから支える
宇宙成立のための因果関係媒体ということになります。
とはいえ、この世界は、単純な因果律に支配された「時間の流れ」のみで
根本的に秩序づけられているのか否かは、「神のみぞ知る!!」ようで、
時間の因果律の中を生きる「人間」にとっては、
因果律を超え出た世界観など、にわかには理解し難いものがあります。
そのような世界観を描く「理論」物理学のテーマとして、
湯川博士は、「因果律の破れ」を扱っていたともいいます。
この「因果律の破れ」の問いかけこそ、
「老荘思想」の未明混沌の世界観や
はたまた、仏教哲学における「因縁生起(縁起論)」説とも
絡み合っているようですね。
そうした独特な世界観を形成していった博士は、
アジア人の中では、インドの作家タゴールや前にもご紹介させて頂いた
「ブラックホールの父」スブラマニアン・チャンドラセカールの叔父である
チャンドラセカール・ラマンに次いだ3人目のノーベル物理学受賞者と
なられました。
博士は、「平和運動」にもアインシュタインらとともに熱心に取り組まれ、
現代の原子力時代のあり方に、厳しい提言をされてこられました。
「人類と機械技術文明の進歩にも、一定の節度倫理意識がなければ、
やがて、自然と人工技術双方からのしっぺ返しを受けることになる!!」との
信念から、1970年代の「万博」のテーマでもあった
「進歩と調和」なる楽観的幻想像にも
厳しい目を向けられていたといいます。
一応のところは、湯川博士もそのテーマには賛成されたようですが、
『進歩だけではいかん、調和も必要だ、それは大変よくわかるようだけれども、
しかし、「いかん」とか「必要だ」という判定は大変むつかしい』(本書99頁)とも
留保的見解を示されています。
当時の高度経済成長期の裏側には、
万博の理想的テーマであった「進歩と調和」の恩恵を受けることの
叶わなかった無数の人びとが存在していたことも、
忘れてはならない歴史的教訓であります。
今、日本では、2025年の大阪万博再誘致へと向けられた
具体的な取り組みに期待も寄せられていますが、
重要な視点は、万博の背景にある「思想性」の問題にあるということは、
いくら強調しても強調しすぎることはないでしょう。
この高度経済成長期は、同時に、
現代コンピュータ時代の黎明期でもありました。
現代のインターネットや人工知能開発の原点でもある
サイバネティックス理論も、この時期に育まれていきました。
そうした情報理論を地道に研究されていた数理学者が、
本書のもう一人の登場人物である
北川敏男博士(以下、北川博士)であります。
本書は、その両碩学(お二方とも、すでに鬼籍に入られた故人で
ありますが・・・)からの次世代向けメッセージが対談形式で示された
いわば「未来記」とも評価し得る過去の叡智が閉じ込められた
「タイムカプセル」でもあります。
ということで、本書における登場人物のご紹介から長々と綴ってきましたが、
両賢者の思想の一端につきましては、
本文内で追々触れさせて頂くとしまして、
「今、再び、ここに、賢者の肉声が甦る!!」と題して、
今後の人工知能を始めとする機械技術文明と人類史の行く末を
皆さんとともに分析考察していこうとの趣旨で、
今回は、この本を取り上げさせて頂くことにします。
物理学と数理学における世界観の相互比較から読み解く20世紀科学の総合分析書
それでは、本書の内容構成の要約に入っていきましょう。
本書のテーマは、3部構成によって成り立っています。
①「Ⅰ 20世紀科学の進展-自然認識の科学から制御の科学へ」
※第Ⅰ部では、人類の自然界に対する科学的視野が
次第に開けていく様子とともに、
20世紀科学の総括による未来予想図が対談で浮き彫りにされています。
ことに、「物理学」と「数学」から見た「生物学」といったテーマでは、
現代情報理論の最前線である「人間」と「人工知能」における相違点を
比較考察しながら、今後の世界像を予見する有益な視点を提供してくれています。
「人間」の自然界に対する<認識>のあり方が、
自然世界内における人間のありかを意図せずに狭めてきたことも
自然界を<制御>する思想から読み取ることができます。
また、こうした自然界と人間の良好関係を再構築していくうえで
不可欠となる科学的<認識>方法論についても、
『認識と創造』(本書10~14頁)といったテーマで対談されています。
従来の科学的<認識>方法論が、「もの」として、
世界を把握しながら、ある種の「超」人間的な視点で語られてきた
一つの要因に、「単層」的科学認識モデルがありました。
そこでは、「理論」と「実験(観察)」の交流のみから
現れ出てきた知見が、応用されていくだけで、
「方式」を立てながら、より「複層」的に交流していく
「相互依存関係(相乗効果)」の把握から見出されていく「こと」的発想には、
ほど遠いものがあったとも示唆されています。
「相互依存関係」(いわば、<認識>する人間と自然界との相互関連性)といった
「世界内」に「人間」を予め繰り込みながら、
自然現象を科学的に検証していく手腕こそ、
20世紀の新しい科学観の特徴でもあったといいます。
それが、「量子物理学的世界観」の得意とするところであります。
とはいえ、「人間」は、「世界内存在」であると捉えるにせよ、
現実的には、世界(自然界)を「人間」にとっての最適を求める「場」と
考える<制御>の視点がなければ、「文明的発達」もあり得なかったでしょう。
このように、自然界を<制御>する思想が必要となってきた由来が
示されていきますが、21世紀現在では、
こうしたシステム工学的科学観のみが行き過ぎてしまい、
「人間」と「自然界」をほどよく調和させ得る「生態系」に
大きな亀裂を生じさせてきたことは、皆さんもご承知のところであります。
そこで、科学的<認識>のあり方も再検討し直す余地が出てくるということで、
『システム工学とエコロジー』(本書51~56頁)での対談から
現代科学の諸問題が提起されていくことになります。
まとめますと、
「純粋な」意味での自然観には、すでに、
「人間」の手が入りすぎた「人工的」自然観の高度な発達から
後戻りは不可能にせよ、「生態系」が完全に「人間」の手でもって
<制御>し得なくなると、共存共生もまた、より難しくなっていくばかりだと
いうことになります。
ここに、「老荘思想」を見直す必要もあることが、
北川博士によって示されます。
それが、第Ⅲ部「自然科学の可能性」の章で対談されるテーマ
『進歩という概念の意味』(本書132~136頁)でも定義付けされている
「営存」という造語を取り入れた「営存」的立場と「制御」的立場、
「創造」的立場をともにバランスよく考慮した環境科学への
進化要請へと直結していくことになります。
ここに、従来の狭い範囲における物理学と数学の境界線を乗り越え、
「生物学的視点」も取り入れた双方からの歩み寄り(接点)が
創出されていきます。
そのことが、第Ⅱ部以下の対談で、さらに展開されていきます。
また、「創造力」や「発想力」に興味関心がある読者の方に
対しては、下記の対談がお薦めです。
・『時間論』(本書34頁~37頁)
・『時間の階層と記憶』(本書37~40頁)
・『時間と制御と創造』(本書40頁~44頁)
②「Ⅱ 物理学と数学の接点-制御の科学における両者の役割」
※第Ⅱ部では、第Ⅰ部で浮き彫りにされた20世紀科学進展史の
問題点を双方の接点から、探究していくことになります。
ことに、第Ⅰ部で示された自然界を統御していく思考法から
「確率・統計学」的発想を科学的世界観に導入していったわけですが、
第Ⅰ部で示された対談の中でも、現代情報統計学の中心をなす
「ビッグ・データ」解釈の限界点にも踏み込んだ考察が、
示されています。
そこで、現代情報科学のあり方を考えていくうえで不可欠な
確率・統計学思想については、
第Ⅰ部『確率論の構成』(本書14~22頁)や
『データに学ぶ』(本書23~26頁)、
『確率と安全率』(本書27~29頁)が、
今後の「人間」と「人工知能」の役割分担を予想していく点でも
必読箇所となります。
第Ⅱ部では、このような<制御>工学をいかに改善していくかの課題に
向けた物理学と数学の役割分担の問題に触れていきます。
ここでの要点は、現代情報技術文明を支えるシステム工学的発想の
多様性をさらに開いていく問題提起にあります。
紹介しながら、コンピュータ・デジタル発想の意外な盲点を
今後いかに微調整していくかに課題があるとも指摘されています。
つまり、「ゆらぎ」や「ファジー(あいまいさ)」のような発想を
いかに、より現実の生命現象に即したものに進化・改善させていくかと
いうことです。
そのあたりの難しさを、当時(1970~1980年代頃)に
すでに示唆されていた点は、
今日のディープ・ラーニング(深層学習方式)による「人工知能」開発などの
最前線を踏まえると、その優れた慧眼が今にも鮮やかに甦ってくるようです。
いずれにしましても、「不確定性」に充ち満ちた自然界に
生きる人間が、『複雑性に対応する数理科学』(本書102~106頁)を
考案してきた過程を知ると、人間の飽くなき未知への挑戦に感動を覚えます。
第Ⅱ部でのもう一つのテーマが、
人間の<制御>志向が現代経済にもたらした問題点であります。
そのあたりは、『情報流通の失敗』(本書108~111頁)や
『計画とパラメーター』(本書111~113頁)で対談されています。
③「Ⅲ 自然科学の可能性-数学と物理学の課題」
※第Ⅲ部では、本書全体から判明してきた
今後の数学と物理学の課題点から、
人間には、『制御可能なものと不可能なもの』(本書115~118頁)が
あることを十二分に自覚しながら、
『新しい情報論を考える』(本書121~124頁)ヒントを出されています。
ここに、『自由度という概念』(本書124~127頁)が現れ出てきます。
この「自由度」をいかに活かすかが、今後の人類史の行方を左右します。
そこで、人間の生き方との絡みが出てくるわけですが、
北川博士は、ここに、「営存」という用語を持ち出されています。
曰く、『「存在しかつ生活を営む」という意味で「営存」』(本書117頁)だと。
つまり、「経営」の<営>+「実存」の<存>を組み合わせた造語です。
問題は、人間の「実存(生きる充実度のようなもの??)」感覚が、
「営(経済的欲求志向)」に支配されている現状にあります。
そのような心理的に「生きづらい」感覚をいかに改善させていくかを
考えるテーマとして、『創造と制御の絡み合い』(本書128~132頁)があります。
このあたりのテーマでは、生きる発想を柔軟にする「水平思考」などの
視点も提出されています。
『水平思考の世界』は、本書でも紹介(本書127頁)されていますように、
前にもご紹介させて頂いたエドワード・デボノ氏の著作名であります。
いわば、「視点をずらす発想法」とでも言えましょう。
このような「視点(発想)」の組み替えの自由さこそが、
人間が、本来的に有する進化の過程で編み出してきた「才能」で
あります。
この「視点」の組み替えは、「人工知能」への「情報」の組み入れ・
編集作業との比較とも相まって、
面白い視点をふんだんに提供してくれることになります。
どのような「情報」を取り入れ、加工編集し、「生存」に役立たせるかは、
「1回限り」の人生しか与えられていない人間にとっては、
死活的重要問題であります。
ここに、「情報」の取り扱いにおける
「人工知能」との大きな相違点があります。
そこで、「教育」が人間にとって必要となるわけですが、
湯川博士と北川博士は、
『人類主義に立ちたい』(本書162~163頁)や
『教育の規格化を破りたい』(本書163頁~166頁)、
『制御と情報の独立性』(本書186~188頁)などで
対談考察されています。
ことに、本書最終対談『制御と情報の独立性』における
人間の情報に対する取捨選択(まさに、コントロール問題!!)の
「同一性」に由来する
『結局コントロールしきれるかどうかという問題』(本書188頁)が、
人間には、絶えず付きまとうところに「自由さ」も「不自由さ」も
あるということになります。
このような流れで、「物理の世界」と「数理の世界」から見た
「人間」の「心」に関する「ざっくばらん」な対談が
展開されていくことになります。
本書は、こうした問題意識に貫かれた「理数系世界」への総合案内書の役割も
果たしています。
そんなことから、これから、「物理の世界」や「数理の世界」へ向かわれる
若い読者の方には、是非ご一読頂きたい1冊であります。
④「注」
※本文内で使用された用語に関する注釈解説集です。
⑤「あとがき(京都大学教養学部長 井上健)」
※本書の話題でもある「物理の法則」と「生物の法則」との絡みについて、
『量子力学を中心とする理論物理学を勉強してきた者の立場からの、
やや「保守的」な感想』(本書197頁)として、
本書における「湯川-北川対談」の総合司会役を
果たされています。
「あとがき」を読まれることで、
「対談」を読む限りでは、
「ざっくばらん」に語られていた多岐に渡るテーマも、
物理学と数理学の発展していく流れに関する補足説明が与えられることで、
皆さんの理解を促進させる補助線ともなることでしょう。
井上健先生は、<教養学部>長のお立場から、
本書の主題である「物理学」と「数理学」の世界観を
「学際的」に横断し得る見方でもって、
本書の「案内役」を務められています。
このように「教育的配慮」が行き届いているのが、
本書の特徴でもあります。
今日の大学教育が、ますます社会の実態動向に合わせて、
「分業化」・「専門化」していく流れの中にあって、
こうした横断的な知識の「橋渡し役」が必要不可欠となってきています。
本文内でも「研究における触媒」役を意味する
<カタライザー>なる学際横断的世話役のような存在が、
ますます必要とされていくだろうとも言及されています。
(第Ⅲ部:自然科学の可能性<研究における触媒>
本書170~173頁ご参照のこと)
そのことは、項目を改めて、触れさせて頂きます<未来教育のあり方>を
決定づける重要課題でもあるとされています。
本書の「対談」の中でも、
現代教育の方向性が、「実学」志向の流れにある中で、
単なる「雑学」ではない「一般教養」の役割はどこにあるのかという
問題意識も提示されています。
「一般教育」が、いわゆる「虚学」へと埋没してしまわないための知恵と工夫が、
これからの「大学(初等中等<義務=国民>教育に多大な影響を与える高等教育機関)
の使命(役割)」としての重要な責務が課せられていることも強調されています。
こうした「一般<教養>教育」の充実度が、
一般国民の「民度(民主主義の成熟度や社会への参画意識度)」をも
高めていく触媒ともなるだけに、
表層的な「虚学」イメージを払拭する教育界の努力も要請されるところです。
人間を制御する「社会工学」思想の問題点と未来教育のあり方を展望する視点とは??
さて、本書内容の「超訳」ご紹介を済ませて頂いたところで、
さらに、人間を制御する「社会工学」思想の問題点や
未来教育のあり方を皆さんとともに考えていきましょう。
まずは、「社会工学」思想の問題点からです。
この「社会工学」思想を分析考察するに当たっては、
一人ひとりのかけがえのない「いのち」を宿した
人間を「結節点(立ち位置)」に措定しながら、
マクロとミクロを絡ませた俯瞰的な視点を持つことが、
とりわけ大切になってきます。
問題は、安易な「社会」という言葉から生み出されていく
狭く囚われた「全体主義的」イメージ像にあります。
確かに、「人間」は、当然ながら、
人と人との<あいだ>という「場」を拠点に活動する生物ですし、
「言葉」を介した「理性的コミュニケーション」に
より力点を据えてきたのが、他の生物との大きな相違点であります。
ここでは、考えるきっかけの「モデル」を提示することから
分析考察していきますので、以下は、いつもながらの
管理人ならではの「試論」として語っていく姿勢であることを
ご了承願います。
「社会工学」的発想の問題点は、
何を「目的」に据えた設計デザインなのかというところにあります。
そのことは、本書の対談でも、強調されてきたところです。
「社会工学」をどのような尺度で捉えるかによって、
「社会」に住まう個々の人間生活空間を
良くも悪くも大きく変えてしまうことになります。
現代「社会」においては、あまりにも、
幅広い空間を想定した様式にて、
政策立案といった「社会工学デザイン」が設計されていきますので、
一人ひとりの貴重な意見が全面的に採用されることなど、
ほぼ絶望的な生活環境にあります。
そのことは、ほんの少し、時事問題に触れただけでも、
たちどころに判明するところですね。
まとめますと、「社会」の範囲をどこに設定するかによって、
「社会工学デザイン」の仕様も大幅に変更されていくということです。
そんな「不安定」かつ「不確実」な社会空間の中で
いかに翻弄されることなく、自らの貴重な生活「自由」空間を確保していくかは、
人生の刹那刹那をかけがえのない「いのち」の問題として扱う
人間にとっては、本当に大切な問題であります。
とはいえ、近現代的「時空間」を形成してきた主流思想から
生み出されてくる社会秩序に棹を差しながら、
一定の距離を置いて、主流社会が志向・想定するあり方から
逃れ出たいと模索しようとも
社会的な「政治」が、「私事」に介入してきます。
そんな「政治」のイヤらしさから逃れたい欲求に駆られた時に、
心地よく響くのが、湯川博士も多大な影響を受けたという
「老荘思想」であります。
人によっては、「仏教思想」を始めとする
「いのち」の重みをじっくりと味わいながら生きる発想を
教えてくれる多種多様な「隠遁」の思想に
「心」の拠り所を求められる方も少なからずおられると
思われます。
とはいえ、現代の「組織」や「(貨幣評価中心の)生産」型労働観に
囚われた「仕事」観や「教育」観では、
今後の人類は、ますます絶望的心理状況へと駆り立てられることでしょう。
そこで、そんな「思考停止」に陥りやすい心理状況へと誘導しがちな
「社会工学」思想に対して、
どのように立ち向かうかが、
次なる課題となります。
そこで、「未来教育のあり方」を皆さんとともに考えようの出番です。
少なくとも、今後の「人工知能」を始めとする機械技術の進展によって、
現状のような「集団型指導体制」のような「政治」も「経済」も
「教育」も徐々に縮小されていくことでしょう。
これが、一つの「楽観的見方」です。
もう一つの方向性は、
「ビッグデータ社会」に親和的な均質型「超」巨大社会の出現が
考えられます。
そこでは、「個人」は、「社会」に
文字通り「埋没(データマイニング化)」されてしまうことも予想されます。
これが、「悲観的見方」です。
そこで、「社会」の中で住まう「個人」の<最適規模>志向が
今以上に強まってくることが予想されます。
一人ひとりにとっての<最適規模>の設定の段階で
自由が許容されないところには、
「選択の自由」も「機会均等」もあったものではないでしょう。
そんなことから、管理人は、
「教育」の問題を、
「教育は私学から・・・」の原点に回帰する必要があると考えています。
されでも、現代教育においては、
ことに、「私学」であればなおさら、
「経済原理」がすぐさま介入することになります。
「学びたい者には、学びたいだけ、どうぞご自由に!!」ということは、
現代教育では、少なくとも、日本の「国公立」教育現場でも
難しいことです。
本来、「教育」こそ、「経済原理」から
もっともほど遠い領域にあるテーマです。
そもそも、「生きること」を「経済原理」に還元して
人生を「設計(何ともイヤな表現ですが・・・)」していく
思想ほど、貧弱な発想もないでしょう。
現在、様々なマスメディアなどに出演される経済評論家や
教育評論家も、旧態依然たる「ランキング発想」などに
未だに、頭が占領されているようです。
これが、わが国のエリート層の実態だとすれば、
何とも浅ましい教育「競争」のなれの果てでありましょうか?
そんなところからは、真の意味で、
皆とともに「切磋琢磨」しあいながら、
お互いを高めていく「生産性」思考(志向)が生まれ出ることも
難しくなります。
日本の経済的豊かさを本気で求めるとともに、
生活不安を抜本的に改善する方策を提案しましょう。
それは、
「ベーシックインカム(最低限所得保障制度)」の導入と
教育の「無償化(自由開放性)」及び「居住・移転の自由」度を高める
交通インフラなどの整備整頓などです。
特に、高等教育の「自由開放化」は、
ビジネス発想の豊かさを花開かせ、
現代のような意味での「ムダ・ムリ・ムラ」などが節約され、
雇用流動化社会の短所をも
大幅に是正改善させるメリットがありましょう。
その意味では、NHK大河ドラマ『真田丸』での事例を
そのまま類推適用するわけではありませんが、
表現の上で語弊のある点、お許し願いたいところですが、
すでに「移行期的混乱期」も終息せざるを得ない経済状況においては、
現代の「浪人対策」を本気で改善させる手だてを創案せざるを得ない
時期に当たります。
なにせ、深刻な「人手不足問題」も生じつつあるのですから・・・
あるいは、日本の故知に習えば、
「勧進方式(今ならさしずめ、クラウドファンディング??)」による
農林水産業や公共事業の振興も大きな課題として残されています。
これなども歴史を謙虚に学べば、誰でも思い浮かぶ案でありましょう。
細かな改善策などの技術的テクニックの問題は、
時間をかけながら、慎重に進めれば、
いずれ、より良き解決策も見出されるでしょう。
大切なことは、この「失われた20年」で喪失させられた
若者の「アニマルスピリッツ(動物的嗅覚・本能)」を
信頼することにあります。
まずは、「小手先のテクニック」などに走らずに粘り強く
考え抜き、生き抜く「相互扶助案」を編み出していくことです。
そこに、日本の民主主義の復興もあります。
ということで、本書の主題の一部であった<制御>理論の
現状の問題点を乗り越える視点として、
今後の<より良き>社会へ向けた試論を提示してみました。
確かに、一朝一夕に解決し得る「易問」だとは、
管理人も、つゆほども思ってはいません。
管理人の微力だけでは不十分だからこそ、
ここに掲げさせて頂いたような一試案も叩き台として、
皆さんにも、本書の両賢者によって示された
未来へのメッセージを共有解読しつつ、
ともに未来を切り開くべく立ち上がって頂きたいのです。
「皆さん、ともに、少しずつ、歩を進めましょうよ・・・」
そんな再び歩き出そうとする心に
「明るい火」を灯してくれるのが、本書であります。
それほど、『物理の世界 数理の世界』は奥深い世界なのです。
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なお、現代日本の「経済原理」に代替する発想論として、
『農本主義のすすめ』(宇根豊著、ちくま新書、2016年)
「生産性」を高めるヒントとして、
これも「対談形式」の書ですが、
『生産性を高めるために私がしていること、
考えていること』(三橋貴明著、PHP研究所、2016年)も
ご紹介しておきます。
※前者は、「農業」といった「ものづくり」の視点から、
後者は、広い意味での「サービス産業」といった視点から考察した
従来型の<生産論>に対する見方を再考させる論旨を
展開されています。
それぞれの<生産性>に対するイメージや考え方は、
大きく異なっていますが、
少なくとも、現状のような「働く意欲」や「生きる意欲」を
喪失させるような現代「労働」観には
決然と対峙した視点を提供されています。
共通する視点は、「無理をし過ぎないこと」と
「人間性の回復」にあります。
また、次世代の若者へ向けられた愛あるメッセージが
込められている点も好感が持てました。
皆さんも、幅広い知的好奇心を養われつつ、
大きな「社会」に流されないための知恵と工夫を練っていきませんか?
「ともに学び、ともに励み、一歩ずつ着実に前進!!」
後者の三橋貴明先生も強調されていましたように、
「継続は力なり!!」を合い言葉に、
この困難な経済状況を少しずつ突破して参りましょう。
そのためには、旧態依然とした「万博」イメージの背景に潜んでいる
「驚くべき思想性の欠如」をも乗り越える高度な精神的視点が
要請されるところです。
そんなことを、「文化の日」に考えてみました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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[…] その日本人物理学者こそが、前にもご紹介させて頂きました […]