エルヴィン・シュレーディンガーの「精神と物質~意識と科学的世界像をめぐる考察」世界内存在である人間の謎に迫る古典!!

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「精神と物質~意識と科学的世界像をめぐる考察~」

20世紀の量子物理学者エルヴィン・シュレーディンガー博士の

古典的名著から、「世界内存在」(ハイデガー)である

人間の特異性について探究します。

博士は、物理学から生命論、哲学へと幅広く

思索されたことで有名ですが、

専門の量子物理学以外の業績については、

意外に知られていません。

そんな魅力を是非知って頂きたい。

今回は、この本をご紹介します。

「精神と物質~意識と科学的世界像をめぐる考察~」     (エルヴィン・シュレーディンガー著、中村量空訳、工作舎、1988年第3刷)

エルヴィン・シュレーディンガー博士(以下、著者)は、

20世紀の量子物理学を開拓した先駆者として

著名な物理学的哲学者であります。

著者は、量子力学を記述する方程式として、

「波動」力学方式を考案されています。

前にもご紹介させて頂きましたハイゼンベルク博士の

「行列」力学方式と対照的に紹介されることの多い

量子物理学者であります。

ハイゼンベルク博士も、今回ご紹介させて頂く著者同様に

専門領域を超越した哲学的考察にまで意欲的に挑戦された

量子物理学者でした。

そのことは、古典的名著『真理の秩序』で、

その一端に触れることができます。

20世紀の物理学革命は、

人類を取り巻く世界像(観)を大きく激変させました。

一つは、アインシュタイン博士の「相対論」。

もう一つは、著者を始めとした「量子論」であります。

上記の「相対論」が、宇宙などの超マクロ世界を記述する理論だとするなら、

「量子論」は、塵芥のような超ミクロな世界を記述する理論だと

一般的にはされているようです。

とはいえ、現代物理学の最前線では、

マクロとミクロの結び目(交錯地点)へと、

双方の理論からの接近が試みられています。

それが、「見果てぬ夢」である「万物理論」の完成へ

向けた歩み寄りであります。

著者が、超ミクロ領域における記述法として考案された

「シュレディンガー方程式」も、

現代では、量子力学とアインシュタインの「特殊」相対論との

結合式として、「ディラック方程式」などを始めとする

多様な記述法でもって、この世界をより詳細に記述するために

改良に改良が重ねられてきたところであります。

つまるところ、この宇宙における超微細構造が

どのような様態になっているか、果てしなく探究することで、

人類は、「目に見えない」世界に到達することを

夢見てきたということであります。

さて、このような超マクロから超ミクロにまで至る

広大な世界の中では、私たち人類は、

物理的には、本当に「小さな小さな存在」ですが、

精神的には、大きく飛躍し得る可能性を秘めた

「超知的生命体」でもあります。

それが、「意識の謎」であります。

物理的な肉体面から、人間を理解すれば、

「有限」な存在ですが、

非物理的な精神面から、人間を分析考察すれば、

「無限」な存在にもなり得る可能性があります。

そうした「意識」を有した生命体が、

人間の特異性でもあります。

その「意識」をいかなる志向でもって、

拡張していくかによって、

人間は、まさしく「霊長類」へと進化し続けることに

なります。

ところで、21世紀現在、ますます人工知能を始めとする

テクノロジーの革新度合が速まる中、

未来における人類の存在意義について、

再考しなくてはならない時期が到来しています。

その存在意義をより確かなものとさせ、

新たな「進化論」的位置づけも要請されています。

ということで、今回は、知られざる著者の哲学的世界観とともに、

「精神と物質」の接点と、その統合地点を目指しながら、

今後の人類の進むべき方向性を探究するヒントとして、

皆さんとともに考察してみたく、

この本を取り上げさせて頂きました。

「シュレーディンガーの猫」から得られた著者の視点と多次元世界観の分岐の背後には??

著者は、有名な思考実験である「シュレーディンガーの猫」の

考案者として知られています。

この思考実験の内容の詳細については、

その解釈も多岐にわたることから、

それだけで1冊の専門書も書けるという位ですので、

ここで簡潔に要約することも叶いません。

ただ、一言で誤解を恐れずに要約することを

お許し願えるならば、

観測問題(観測者の視点と観測対象のズレ)」に関する

パラドックス(逆説)を見出した実験だったということです。

つまり、観測者(主体)と観測対象(客体)は、

「相互に無関係ではあり得ない!!」ということであります。

その意味を、哲学的に表現すれば、

有名な「現象学」哲学者ハイデガー

「人間は、<世界内存在>である!!」という言葉が当てはまります。

著者は、まず、この意外にも<盲点>とされてきた

人間における認識「主体」と認識「対象(客体)」を

完全に切断しながら、分析考察し得るとの確信から

進展してきた古代ギリシア以来の「科学観」や

「科学的思考方法論」について、

再度、「人間」を「(括弧)」に入れずに捉え直す

(つまりは、<傍観者=世界の部外者>としての立場ではなく)

「科学的世界像」へ向けた統合的再構成を試みられています。

そのことによって、「哲学(精神)と科学(物質)」の接点から

理想的調和点へと向けられた「生命的世界観」を探究していきます。

著者は、「意識」を「生命の流れ」の中で捉えられる

生物的進化論として考察されるとともに、

専門の量子物理学的世界観から、「精神」の特異性について、

様々な角度から仮説を提出されています。

そんな著者の「生命論」については、

また、後日ご紹介する予定ですので、

本日は、これ以上触れないでおくことにします。

それでは、著者の問題意識に触れたところで、

本書の内容構成を要約しておきましょう。

「第1章 意識の物理的な基盤」

「第2章 知力の未来」

「第3章 客観化の原理」

「第4章 算術上の矛盾-精神の単一性」

「第5章 科学と宗教」

「第6章 感覚的性質の不思議」

という「章立て」になっていますが、

とりわけ、

著者の「シュレーディンガーの猫」実験における

問題意識とも重なる考察が、

第3章・第4章・第6章に現れています。

つまり、「意識」は「単数か複数か??」

それによって、この「世界」の「真実」は

「一つなのか多数なのか??」などなど・・・

もちろん、著者は、現代の多くの量子物理学者が

提唱している「多次元解釈」を支持する論者ではありません。

そのことは、次の「仮説」に表現されています。

『私の精神も世界も、構成しているものは同じ要素なのであります。

両者を「相互に参照すること」は計り知れないほど多いのですが、

それでもこの状況は、すべての精神と世界について共通のものなのです。

世界は私にただ一度だけ与えられたものなのでありまして、

たった一つの存在でも、たった一つの知覚対象でもありません。

主体も客体も一つなのです。両者の間の壁が、物理的な科学における

最近の実験の結果くずれ去った、などとは言えないのであります。

そもそもこのような壁はなかったのですから。』(本書82頁)

『一つの精神に多数の意識を想定することすらできない』(本書92頁)

著者は、私という「主体=自我あるいは精神意識」が、

この世界を観察し、身体をもって関与する際の知覚過程に対しても、

様々な論説を取り上げながら、考察されていますが、

とりわけ、この第4章「算術上の矛盾-精神の単一性」では、

前にもご紹介させて頂いたライプニッツの「モナド論=予定調和説」ではなく、

著者が多大な影響を受けたというショーペンハウアー思想の背景にある

古代インドのウパニシャッド教理から、一つの解釈像を提出されています。

その回答こそ、「梵我一如(主体と客体の邂逅的一致)」であります。

本書で触れられている上記の矛盾解消法の提言によれば、

『両方の矛盾共、西洋科学の構造に東洋の同一化の教理を

同化させることによって解き明かされるだろう(いまここで

それを解くつもりはありません)ということなのです。

精神は、まさにその特性からして単一のものなのであります。

一切の精神は一つだと言うべきでしょう。

私はあえて、それは不滅だと言いたいのです。

なぜなら、精神は特別の時刻表をもっておりまして、

精神にとっては常にいまがあるのみなのですから。

まことに精神にとりましては、過去も未来もありません。

記憶と予想を包み込んだいまがあるのみです。(以下、略)』

(本書99~100頁)とされています。

ここから、著者は、世界観について、狭義の自然科学だけに

依存し過ぎることなく、宗教との接点にも考察を及ぼされています。

この第4章を受けて、第5章では、

そのものズバリの「科学と宗教」との接点に関するテーマについて、

カントやアインシュタインの時間に関する考察について触れながら、

さらなる探究に挑戦されています。

著者は、熱力学分野における革新者であった

ボルツマンの影響を受けられていますが、

その「時間の統計的理論」こそ、

アインシュタインの時空を超越しようとする相対論にも

勝るとも劣らない時間の哲学ではないかと語られています。

管理人には、その難しい物理的解説には明るくありませんので、

語ることが叶いませんが、

要は、時間に関する「相対論」の中身を巡る相違点が

ここでは話題になっているということだけ触れておきます。

いずれにせよ、現代物理学の最先端は、「時間」をも超越した

「空間的宇宙論」が大テーマであるようですね。

著者によると、

『物理的な理論は現在の状況において、

時間を超えた精神の不滅を強く示唆している、と

主張してよいように私には思われるのであります。』

(本書133頁)ということで、

これが、著者を含めた「良心」的な物理学者の目指す

方向であるようです。

まとめますと、著者の問題意識は、

「唯物論」にも「唯心論」にも偏らない

人間を「含めた」世界像の再提示だったということです。

このような著者の見立てには、量子的世界観に関する

主流派??とされてきたコペンハーゲン解釈とも、

「多次元(世界)解釈」で著名なエバレット3世とも

異なる視点があるようです。

具体的な世界「解釈」については、

物理学者でなくとも、各人各様の「世界観」がありましょうが、

この世界において、まずは「迷子!?」にならないための処世論としても、

著者の視点から多大なヒントが得られることでしょう。

人間の知的判断をしばしば迷わす「感覚的意識」の不思議と、理論に関する注意事項

著者は、最終章にて、「感覚的性質の不思議」について

考察されています。

哲学の領域では、「形而上(目に見えない世界)」から

「形而下(つまり、経験可能な目に見える世界)」へと議論が

移行してきましたが、

それは、人類の「<精神史的>進化論」という流れから

見れば、ある種「退行」しているようにも思われます。

「経験哲学」は、もちろん、日常生活上の<処世術>としても有効ですし、

「神秘のベール」に包まれた世界へと迷い込まないためにも

不可欠な視点を与えてくれます。

とはいえ、やはり、何度も繰り返しますが、

人類は、「霊長類」であります。

ですから、やはり、「知性」だけに偏らない「感性・霊性」の

次元における「進化」も考慮した生き方を目指したいものです

しかしながら、このような「感性・霊性」といった精神レベルを

強調し過ぎることも、また何かと問題であります。

未知の領域であるため、「知性」以上に、「精神的袋小路」へと

迷い込まされることにもなりかねないからです。

むしろ、「知性」以上に、しばしば迷わされるようです。

こうしたことから、この世界を完全に精密描写しようと、

科学はトコトンまで努力してきたわけですが、

それでも、著者が提起した「観測問題」といった「限界」も

あることから、「近似的」なところまでしか記述し得ないことも

知っておく必要があります。

そこで、著者は、科学者としての注意点として、

「観察された事実と科学的理論」について注意を促されています。

(本書151~155頁)

つまり、「観察された事実」には、感覚を通した解釈も

暗黙裏に含まれてしまう傾向にあるため、

「理論」そのものにも、感覚的性質が含まれているのだと

安易な説明を施してしまいがちですが、

著者は、『理論は決して感覚的性質を説明するものではありません。』

(本書155頁)と強調されています。

その意味で、「理論」は、どこまでいっても「仮説止まり」であり、

常に「更新可能性」があるものだと考えておく必要があります。

そうした「仮説」に対する<生産的批判>を容認することが、

「良心」的科学者であります。

管理人も、学生時代の文理融合の見果てぬ夢を追った

ライフワークを余暇に探究していますが、

このような「学問のルール(ある種の倫理憲章!?)」は

大切にしたいと考えています。

「科学と神秘の接点(つまり、文理融合的世界観の構築)」を

探究する管理人ではありますが、

なかなか、万人に対して、説得力ある私見を提示することは

難しいものです。

管理人は、「唯識」物理学をテーマに、

時間を超越した空間的物理学に興味関心があるのですが、

「宇宙=<空>」は、まさに人間の知覚だけでは捕捉できない

広大な領域事象空間であります。

アインシュタイン博士も、

宇宙には、「隠れた変数(現代版エーテル??)」があるのではないかと

重力理論にまで研究を進められる中途で、

生涯を閉じられてしまいましたが、

その志は受け継ぎたいものです。

管理人は、「社会人」になってから、ある程度の社会経験を踏まえた結果、

学生時代の「置き土産(果たし得なかった課題)」である

理数系の学問に再チャレンジしています。

「唯識」物理学ですから、

学問的には、「仏教哲理(<空>仮説)」と

数理的には、「0と∞」をテーマにした幅広い学際領域に

当たるようです。

まだまだ「入門」にも差し掛からない未熟レベルですが、

大胆な構想(学問としての方向性)を模索している段階にあります。

最終的にどのような「仮説」が提示できるかは、

今後とも研鑽に努めなければなりませんが、

人生を終えるまでに、

どこかの地点で、その「置き土産」を人類後進のためにも

残していきたいなと願っています。

いつの日か、当「書評」ブログ外の媒体で発表してみたいと

思っています。

読者の皆さんの中にも、「科学と神秘の接点」を志向した

学問研究をされていらっしゃる方もおられるかと思いますが、

何か良きアドバイスなどあれば、是非ともご教示頂ければ

幸いであります。

『学問は自由だ』

これは、管理人が、高校生時分に、

将来の進路を決定するうえで、

参考書とした『学問は自由だ-対話・知のクロスロード』

(吉永良正著、東京出版、1994年)のタイトルですが、

この珠玉の1冊に出会えたことが、

わが生涯の「宝物」であります。

是非、将来の進路に悩まれている高校生諸君にも

ご一読して頂きたい1冊であります。

「受験」勉強では、無味乾燥感しか味わうことが出来ないかもしれませんが、

大学(大学院)あるいは、生涯学習としての

学問は、道のりは険しくとも「楽しいもの」だと確信しております。

「学問」は、「趣味」としては「最高峰かつ最高に贅沢な一品」であります。

ということで、今回は、20世紀の物理学に革命的発想を与えられた

エルヴィン・シュレーディンガー博士にお出ましになって頂きましたが、

また近日中には、今回触れられなかった「生命論」の観点から、

ある本(賢明な読者の方ならお察しがつくかと思いますが・・・)の

ご紹介とともに、続編として考察していく予定ですので、

楽しみにしてお待ち頂ければ幸いであります。

皆さんの「世界観」を変える良質な古典として、

ご一読されることをお薦めさせて頂きます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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