ヴェルナー・ハイゼンベルクの「真理の秩序」から、現象界の奥深くに潜む高次元意識に向けて探究しよう!!

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「真理の秩序」

20世紀前期、物理学の世界を一変させた

ドイツのヴェルナー・ハイゼンベルク博士。

有名な「不確定性原理」は、それまでの

人類史における世界観に大きな衝撃を与えました。

その「革新的世界観」は、どこまで通用するものなのか?

そのことが、考察されている「真理の秩序」。

第二次世界大戦中、自ら封印していた「幻の書」が

今甦ろうとしています。

今回は、この本をご紹介します。

「真理の秩序」(ヴェルナー・ハイゼンベルク著、山崎和夫訳、筑摩叢書、1989年)

ヴェルナー・ハイゼンベルク博士(以下、著者)は、20世紀前半に

本格的な量子力学を創始したドイツの物理学者です。

1927年には、粒子の「位置」と「運動量」は同時には確定され得ないと

する「不確定性原理」を発表します。

これは、従来の「静止体系」における古典力学的世界観を転換させたことに

つながり、物理学のみならず、様々な分野における「世界観(ものの見方)」に

衝撃を与えました。

つまり、決定的(実在的)世界観が崩壊し、確率・統計的(離散的)世界観へと

変化していくきっかけとなったのです。

この量子力学的世界観は、必ずしも古典力学的世界観を全否定した訳

ではありませんが、「全体に対する部分」として、

包括的な見方へと変更させていくことになりました。

もともとは、著者の「思考実験」として導き出された理論でしたが、

観測機器などの発達により「ミクロ粒子」の世界を実験観察出来るようになると、

現実世界でも、実際に絶えず「揺れ動いている姿」が観測されるようになり、

この理論の「確からしさ」が、確認されるようになりました。

この理論は、しばしば、観測者が観測対象に影響を与えるとの相互依存性を

問題とする「観測者効果」とも混同誤認されているようですが、

それは「観測の限界」を意味している訳ではないようです。

つまり、「不確定性原理」は「観測」のテーマではないのです。

上記のように、もともと粒子自体が波のような性質を持っているがために

「不確定要素」を含んでいるということなのです。

いわゆる量子力学によく出てくる「観測問題」についても、

量子物理学者の間でも「観測」の解釈などを巡って

議論も錯綜している「難問」でもあり、一般人にとっては、

なおさら理解しづらいところでもあります。

この粒子の「位置」と「運動量」は「部分的」には同時に確定し得ないにしても、

「全体的」には、相互矛盾することはないと考えられています。

要するに、お互いに補い合っているとする「相補性原理」が

働いているということです。

「目に見えない」ミクロ粒子自体の「動き」も観測可能な限りでは、

絶えず揺れ動いており、その「観測状況」が、波のようなものであるため

「瞬間瞬間」の粒子の振る舞い具合を確定(決定)することが、著しく困難です。

そのため、物理的に記述することも難しく「数学的」に確率・統計的に

説明する方法しかないそうです。

著者は、その「数学的記述方法」として、「行列方程式」の形で

表現しました。

それで、ハイゼンベルク方式を「行列力学」と呼びます。

一方で、同じ量子物理学者であったシュレディンガーは、より分かりやすいと

される「波動方程式」の形で表現しました。

このシュレディンガー方式を「波動力学」と呼びます。

ところで、この双方の「量子力学」は表現の仕方が異なるだけで、

数学的には同じ結果が得られることも判明しています。

この「確率・統計的世界観」が皮肉にも、当時もう一つの物理学革新者であり、

「相対論」創始者でもあったアインシュタインに不安感を抱かせたことでも

話題になりました。

著者とその師匠筋に当たるボーアとの間の論争も、有名です。

面白いことに、アインシュタインもこの「ミクロ粒子の振る舞い」の

観察結果から「ブラウン運動」を発見していたのですが、その「振る舞いの謎」が

腑に落ちなかったのでしょうか?

よく分からないところでもあります。

アインシュタインは、「相対論」の観点から物理学に革命を起こしたのでしたが、

彼自身も「光量子仮説」をもとに、ノーベル物理学賞を得ています。

その意味では、彼も広義の「量子物理学者」なのでしょうが、その「相対論」に

おける功績の方が、あまりにも世界に大きな影響があったのか、彼自身は

「量子物理学者」には含められていないようです。

ただ、20世紀の2つの「物理学革命」をいかに結合させるのかは、

100年ほど経た21世紀現在でも、いまだ全貌が解明されていません。

「量子力学」で残された大きな課題は、「重力」とされています。

それと、本書でも話題になる「意識(精神的エネルギー)」です。

そこで、最近「発見」されたという「重力波」が話題にもなっている訳ですが、

このテーマは、また近いうちに別著としてご紹介しながら考察していく予定でいます。

さて、「相対論」と「量子論」の結合が模索されてきた訳ですが、

すでにその「最初の挑戦者」がいました。

それが、著者であります。

著者は、前にもご紹介させて頂いたパウリとともに、

「相対論」と「量子論」の架け橋である「相対性量子力学」の先駆者でもあったのです。

「場の量子論」です。

このテーマが、今後さらに「重力波」の解析とともに発展していくのでしょう。

他にも、原子核は陽子と中性子から成り立つとの発見や、現在のリニア技術にも

応用されている「超伝導」の研究などにも多大な業績を残されています。

そして、ついにノーベル物理学賞を受賞することにもなりました。

1932年のことです。

ところが、歴史とは皮肉なことに、数年後には著者の祖国ドイツに

ナチス政権が成立したために、「原子力」の軍事利用研究に

参加させられることになります。

このことが、アメリカに亡命していたアインシュタインにも

再び不安感を与え、アインシュタイン自身も結果として、

歴史の歯車へと巻き込まれていくことになりました。

著者は、決してナチスに積極協力した訳ではないようで、

そのあたりは、本書でも一部伺われます。

彼は、亡命せずに祖国ドイツに踏み留まりますが、生きていくための「処世」も

あってか、戦時中は本書を「封印」していたようです。

そして、やっと、「封印」が解かれたのが、1984年のこと。

著者の弟子筋に当たる訳者が、本格的な「公開」に踏み切ります。

以上、前置きが長くなりましたが、本書のご紹介に入る前に、著者の略歴を

語っておくことは、皆さんにとっても有益だと思われますので、解説させて頂きました。

今回、本書を紹介させて頂くのは、21世紀現在に至っても、この「量子的世界観」が

人類史に与えた莫大な影響が理解されていないと思われたことであります。

本書は、難しい「量子物理学」に関する「理数系」の知識がなくても、

読み進めやすい「哲学的啓蒙書」です。

「量子物理学」を「哲学的に」押し広げていくと、どのような世界観に導かれて

いくのか?

本書は、21世紀の最先端分野にも通じる非常に高次元な道への「案内書」でも

あるようです。

その意味で、皆さんにお薦めさせて頂くにふさわしい1冊です。

本書をご一読して頂きながら、ご一緒に考察して頂ければ幸いです。

ゲーテに触発された高次元への案内書!?

著者は、訳者によると、いつもゲーテの魂とともに

一緒に行動していたようです。

この「量子力学発見」の「歴史的1日」にもゲーテ詩集を

吟じていたとのことです。

科学者だからといって、「高次元な存在(神?)」を意識しては

いけないという道理はないようですね。

むしろ、「真理の神様」として、科学的発見の「真理への導き手」として

科学者の下に、舞い降りてくるようです。

「ひらめき」として・・・

ゲーテも、現代とは異なりますが、「総合科学者」でした。

今ならさしずめ、「マルチアーティスト」でしょうか?

21世紀現在の「専門(分業)的学者共同体」では、

もはや、こうしたゲーテやレオナルド・ダ・ヴィンチのような

「総合的学者」が居心地よく研究しやすい環境は少なくなってきている

ようです。

確かに、著者もそうですが、「学際的研究」は増加してきてはいる

ようですが、あまりにも学問が細分化しすぎたことや、

「研究費獲得」のために即戦的研究が世間からも強く要請されているためか、

なかなか学問本来の「真理探究」の道が遠のく一方のようです。

当ブログは、プロ・アマ問わず、一生懸命学問を通じて「真理探究」して

おられる方々への応援もさせて頂いています。

研究者の皆さんは、「宝の人財」です。

官公署や民間企業でお勤めの技術者や研究者の皆さんへも

応援のメッセージをお届けさせて頂いております。

経済的窮境の中で、日に日に「技術(研究)開発投資」が

削られていく中で、いかに仕事のモチベーションを維持していくかは

大変なことでありましょう。

そんな真面目で素敵な読者の方々にこそ、本書は勇気あるメッセージを

与えてくれることと思います。

さて、学問研究や仕事のアイディアをいかにつかんでいくのかは、

ゆとりがなくなってくると難しくなってきます。

いわゆる「ひらめき力(想像力・創造力)」の源泉が枯れ果ててしまいます。

著者も、20世紀前半のドイツで苦しい思いで生き抜いてこられました。

まさに、「命がけ」でした。

そのような厳しい状況の中で、彼は「量子的世界観」を実生活のうえでも

活用していくための「哲学」を編み出していったようです。

本書の<序文>でも触れられていたように、若き頃の著者は、

パウリの観察によると「哲学的考察力が足りない!!」とされていたようです。

そんな厳しい指摘も効いたのかどうかはわかりませんが、師匠のボーアの下で

メキメキと「哲学的考察力」を高めていったようです。

その「努力と汗の結晶」が、本書にも残されています。

詳細な哲学的考察の「あと」は、本書をお読み頂くとして、

著者は、「全体と部分」に関する考察を進めていくとして、その先には

どんな「真理」があるのか、常に慎重であったようですね。

科学者にとっては、「真理(真実)の探究」は大切な志向性ですが、

この「真理(真実)」という言葉ほど、取り扱い注意の言葉もありません。

宗教や政治的イデオロギーのような、断定的な「真理(真実)」という

表現ほど危険なものもありません。

科学は、「仮説思考」を大前提に試行錯誤しながら、地道に

「未知の世界に隠れている秘密のベール(真理・真実)」へと迫っていくのが、

「科学的ルール」でもあります。

そのため、著者も本書で「言葉」に関する考察をしています。

母方の祖父である古典文献学者ニコラウス・ベックラインの孫でもある

中世ギリシア言語学者アウグスト・ハイゼンベルクが父でもある著者には、

そのような家庭環境もあり、「言語感覚」が他の物理学者に比較して敏感でも

あったようです。

現象そのものを言葉でもって記述するのは、いかなる天才的言語感覚を

持つ者であれ、はなはだ困難を要します。

どうしても、思考と言語をつなぐ境目に「宙ぶらりんの状態」が

生じてしまうからですね。

著者も、新しい科学的世界観を開拓していくうえで、「量子的世界観」を

いかなる表現で記述していくのが適切なのかという点について、

神経をとがらせていたようです。

それまでの「古典力学」なら、安定的な静止体系を仮定した「実体的モデル」を

大前提にしていたために、「閉じた」暫定的な部分的記述でも済みました。

しかし、その「閉じた世界」を「量子力学」によって「開かれた世界」へと

拡張していくためには、限界があります。

散文的な表現でも、動態的な不安定な世界を精密に描写していこうとすれば、

とてつもなく「形容過多」となり、過剰な表現が積み重ねられていってしまいます。

おまけに、「量子的世界観」は、離散的(確率・統計的)なイメージですので、

比喩や詩を使った記述の方が、親しみやすく感じられたのでしょう。

この表現法も、完全な記述は不可能ですが、説明の便宜としては

適していたようです。

そんなこともあり、ゲーテ的思考法に親しみを感じていたようです。

そして、世界のすべての現象を完全に精確な記述は出来ないとしても、

結局のところ、人間は言葉でしか表現し得ない生き物です。

著者は、このように要約しています。

『真理のどの領域でも結局は言語によって表現し得る。

さまざまな領域の間を分かつ深淵は、論理的な推論や言語の

首尾一貫した継続発展によって乗り越えることはできないもの

である。人間の理解する能力は無限である。最終的なものについて

人は語ることができない。』(本書57頁)と。

まとめますと、物理的に現象界を観察していくにしても、最後は

「認識(解釈)の問題」に行き着いてしまうということです。

ですから、緻密な描写が要求される「科学的思考」でも、

「言語哲学」は避けて通ることは出来ないということです。

この要約を読むと、ウィトゲンシュタインの表現も思い出されます。

「語り得ないものは、沈黙しなければならない」と。

とはいえ、著者もウィトゲンシュタインも「実生活」の場面では、

別の方法で切り抜ける工夫を凝らしていくのですが・・・

この要約の意味を解釈すると、先程のように「散文的言葉」では

完全に記述し尽くせないとしても、人間には<無限>の創造力・想像力という

「表現力がある!!」ということでしょうか?

基本的には、ゲーテと同じく「理性(知性)」を重視していたようですが、

やはり「最終的なものは語り得ない!!」からこそ、「真理(真実)」の前には

常に謙虚な姿勢が要求されるということでしょう。

その意味では、著者は「神秘的な存在(真理・真実)」の探究を

慎重に進めてきた科学者でありました。

つまり、著者もゲーテ同様に、最終的な「物理的考察の果て」には、

深遠な「裂け目」があり、「科学と神秘の結び目」を慎重に探究して

いったようですね。

有機的生命体(人間)の高次元への進化に向けて・・・

それでは、私たち人間が「高次元な世界」へと志を持って

前向きに歩みを進めていくためには、どのような見方を

養っていったらよいのでしょうか?

本書では、その「高次元へと進化していく道筋のヒント」も

残してくれています。

とはいえ、科学者の視点で慎重に考察されています。

それが「宗教(精神世界・精神科学)と数理的科学の違い」を

明確にしていく視点の大切さです。

前にも語りましたが、「真理(真実)」という言葉を軽々しく

使用する訳にはいきません。

著者も、ナチズムのことを「奇怪な現世宗教」として嫌悪感を抱いていましたが、

この「奇怪な現世宗教」という幻影は、21世紀現在もなくなった訳ではありません。

「至る所に張り巡らされている!!」のが、日常風景です。

しかも、この「奇怪な現世宗教」という一見して判別しにくい「仕組み」が

政治・経済・文化に組み込まれているのが、私たちの生きている「現実社会」の

一面でもあるからこそ、「危機的な状況」でもあるのです。

著者もゲーテに親しんでいたこともあり、また、

ある種のドイツロマン主義的傾向を持ったナチズムに抵抗してきた経験も

あったがゆえに、私たちに「真理(真実)」という断定的世界観に警鐘も

鳴らしてこられたようです。

では、私たちはそのような「真理(真実)の罠」からいかに抜け出していくのか?

それは、やはり、「わかりやすい物語」というのか、

「真理(真実)の形を模した幻想(幻影)」と安易な取引をしないことに

尽きるようです。

著者も、最終的な「真理の秩序」へと落ち着いていく道を歩むにせよ、

道中の「悪魔の誘惑」に負けない叡智を身につけていくヒントを示唆されています。

残念ながら、私たちは数少ない「天才」と異なり、脱落していきやすい「凡人」

ではありますが、「それでもなお・・・」と高い志を胸に抱きながら、

慎重な歩みを進める者には、苦難に満ちた『生涯の終りには、あのあらゆる

世俗的なものから解放された全く純粋な精神的な形成物-たとえば

「ファウスト」(中略)が残るのである』本書207頁)と。

そして、著者も生涯「学問」を愛された方でしたが、

豊かな「創造力・想像力」を学び身につけるのは、やはり「学問」であり、

「芸術」である。

とりわけ、「学問は芸術!!」との信念をお持ちだったようです。

以上、本書を読み進めながら考察してきましたが、

本書を読むと「科学者」にもロマンティックな一面があることに

あらためて気付かされました。

20世紀の「量子力学の祖」ハイゼンベルクには、こんな「神秘的な一面」も

あったのですね。

冒頭の方でも触れさせて頂いたパウリとは、また違う「神秘的科学者」で

ありました。

「真理は思考を自由にする」という有名な言葉もありますが、

確実な「神秘(真理・真実)」に一歩でも近づいていくためには、

日々の絶えざる試練も真摯に受け止めながら、学び続ける必要があるようです。

皆さんも、本書を読みながら「真理への探究」をともにして頂ければ幸いです。

本書は、「哲学啓蒙書」のようなエッセー風の書籍ですので、皆さんにも

親しんで頂けるのではないでしょうか?

お仕事で疲れて、よいアイディアが思い浮かばない時などに、ちょっとだけ

紐解いて頂ければ、いずれかの「章」、特に後半に進めば進むほど、

なにがしかの「インスピレーション(霊感・ひらめき)」が得られるかも

しれません。

なお、著者の別著として、

部分と全体 新装版~私の生涯の偉大な出会いと対話~」

(山崎和夫訳、みすず書房、1999年)

「そして世界に不確定性がもたらされた~ハイゼンベルクの物理学革命~」

(デイヴィッド・リンドリー著、阪本芳久訳、早川書房、2007年)

をご紹介しておきます。

※こちらは、「アインシュタインとハイゼンベルクの世界観の違い」が

実感出来て、大変面白くて読みやすかった好著でした。

ですので、直接本書に読み進められる前に、こちらで予習しておくと

理解も多少促進されるものと思われます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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3 Responses to “ヴェルナー・ハイゼンベルクの「真理の秩序」から、現象界の奥深くに潜む高次元意識に向けて探究しよう!!”

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