布施英利さんの「美の方程式~美=完璧×破れ」<この世>は不完全だからこそ、人間には進化する余地があるのです!!

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「美の方程式~美=完璧×破れ~」

数々のメディア出演でも知られる

美術批評家の布施英利さんが、

芸術をテーマに難しい数式を美学的視点から

わかりやすく解説されたユニークな1冊です。

「美(調和)」にとって、不可欠な要素こそ

「破れ」だと強調されています。

もし、<この世>が、「完璧」だらけだとしたら・・・

そこには、人間が精神的に成長進化する余地などないでしょう。

今回は、この本をご紹介します。

「美の方程式~美=完璧×破れ~」              (布施英利著、講談社、2010年)

布施英利さん(以下、著者)は、現在、

美術批評家としての独立活動を展開されています。

数々のメディア出演もあり、著名な方のようです。

ところで、著者のユニークな点は、

もともとのご専門が「美術解剖学」だったことにあります。

とはいえ、学部生時代(大学・大学院時代)は、

専ら「芸術畑」で、解剖学に関する医学的専門知識について、

ご卒業後は、名著『バカの壁』でお馴染みの

養老孟司先生の下で独自の研鑽を積み重ねてこられたといいます。

初の著書は、大学院在学中に公刊された

『脳の中の美術館』(筑摩書房、1988年)だといいます。

(ちなみに、1996年に『新編』として<ちくま学芸文庫>から

文庫化再版されています。)

以後、これまでに様々な美術批評論を世に提起されるとともに、

「美術解剖学」の魅力を多方面から探究・発信されてこられました。

<解剖学>関連書としては、

『「進撃の巨人」と解剖学』(講談社ブルーバックス、2014年)

ございます。

また特に、一般向けの<絵画鑑賞手引き書>としては、

<絵画がわかるシリーズ>と題した

『構図がわかれば絵画がわかる』(2012年)

『色彩がわかれば絵画がわかる』(2013年)

『遠近法がわかれば絵画がわかる』(2016年、以上<光文社新書>)

公刊されています。

そんな著者が、今回挑戦されている意欲作が、

本書『美の方程式~美=完璧×破れ~』であります。

本書の特色は、芸術「美」を数学的観点から

わかりやすく解説されたところにあります。

芸術系大学の学生さんやプロ・アマの作家さんなど

芸術作品における創作表現技法に悩まれている方には、

特にお薦めの1冊です。

このように本書では<数学的観点>から

芸術「美」へのアプローチをしていくわけですが、

内容構成は、まるで「絵本のようなエッセー形式」ですので

数学が苦手な方でも安心して読み進められる工夫が

随所に施されています。

現代アートにご興味関心のある一般の方にとっても、

「現代アートって、もう一つ抽象的で何を表現しているのか

よくわからないねぇ~」と思いつつ、

抽象的ではなく

具体的なある種「古典的」様式美の世界にこそ、

真実味あふれる味わいを感じられる方なら、

その作品自体の背後に潜む神秘的生命エネルギーを生み出す源泉に

共通する美的形態の謎へともっと奥深く迫りたいと欲される方も

数多くいらっしゃるだろうと推察します。

また、「美的感覚力」を高めていくことは、

人生全般の生きる姿勢(積極的志向性)にも直結してくるだけに、

芸術鑑賞(批評)眼を単なる趣味として済ませるわけにもいきません。

もちろん、「美意識」は人それぞれであり、

もとより特定の美的価値観を強要することなど出来ませんが、

人間一般に共通する心地よく感じる審美眼を磨き、

共有することが叶えば、

この世における「不協和」から「調和」へと向かう道筋も

立ち上がってくるきっかけにはなるのではないでしょうか?

そうすれば、世の中に無用な諍いのない静かな安らぎが

実現する目途も立ってくるでしょう。

とはいえ、著者も本書で強調されている点ですが、

「完璧(完全)」性を無理に追求することで

かえって「調和」から遠ざかる道を生み出す

きっかけともなりかねませんから、

美意識を問題とする際には常に要注意事項ともなります。

そうした意味も含めたうえで

私たちが決して忘れてはならない視点こそ、

「破れ(一見して<醜>に見えるようなモノやコト)」にも

「調和」美を形成する要素が潜んでいるのだということになります。

本書全般で取り上げられている題材は、

<絵画>や<彫刻>に関する様式(形式)美が主軸をなしていますが、

後ほど、管理人独自目線のエッセーの項目では、

<文芸>や<音楽>についても語ってみたいと思います。

ということで、皆さんとともに、

『新時代へ向けた「真・善・美」の理想像とはいかなるものか?』を

テーマに「安らぎ」の時空構造を探究していく過程で

平和な世界を少しずつ実現させていきましょうとの趣旨で

本書を取り上げさせて頂きました。

※ちなみに、本書は、本書巻末に掲載されているような

<科学との出会いのきっかけになる新しい科学読み物>シリーズの

1冊であります。

管理人が本シリーズをお薦めさせて頂くのも、

比較的高度に難関な数理(科学)哲学に属する各種テーマを

一般向けに「読み物(絵本型エッセー調)」で

わかりやすく解説されていて好評価を得ることが出来たからです。

同じ講談社「新書」シリーズでも、

『「学術文庫」や「現代新書」、「ブルーバックス」は、

ちょっと私には敷居が高すぎるなぁ~』と思われる方にこそ、

「入門書」としては格好のシリーズだと思われますので、

是非騙されたと思って、一度手に取られてお試し頂くと

今までとはまったく異なる理解度に達することが叶うのではないかと思います。

本シリーズの中で

管理人にとって特に好印象に残った書物は、

・『アキレスとカメ~パラドックスの考察』

(吉永良正著、大高郁子絵、2008年)

・『「無限」の考察~∞∞=?』

(足立恒雄著、上村奈央絵、2009年)でありました。

ご参考までにご紹介しておきます。

それでは、導入部も長くなってしまいましたので、

本文へと移らせて参りましょう。

「美の<幾何学>」(プラトン)から生み出される世の光を見据えて生きる姿勢を持つことができれば・・・

それでは、本書の内容構成の要約からです。

①「第1章 美しい比例」

※本章では古代ギリシアの建築物(パルテノン神殿など)や

「美」の視点から学問を探究していった賢人哲学者などの

発見事例を通して、黄金比」をテーマに解説されています。

「黄金比」・・・

それは、まさしく「黄金」の極微とされる「美」の理想像を

生み出す分割比率であります。

数学的には、「1:1.6180339887・・・」の

線分比で表現することができるようですが、

数学的な解説は、本書でのわかりやすい解説に委ねましょう。

ここではまず冒頭で数学者ユークリッドの『幾何学原論』における

<外中比>が紹介されているのですが、

「黄金比」が意味するところとは、

『要するに、ある全体と部分の比が、その部分と部分の比と同じになる、

というのです。不思議ではありませんか!』(本書9頁)だと

いう点にあるそうです。

本章では、「線分図」上の比率としてイメージ像が

紹介されていますが、立体図で展開していくと・・・

どうやら、

『大きな世界の中に、小さな世界があって、

その中にさらに小さな世界がある。

そのどの世界も、同じ比から成り立っている、というわけです。』

(同9頁)という空間構造になっているそうです。

ある種の「入れ子構造」のようなものでしょうか?

もしくは、「<神>は細部にこそ宿る!!」とでも

形容すればよいのでしょうか?

そのような空間構造を古代ギリシアの賢者を始めとする

直観力に優れた人々は、理想の様式(形式)美だと

捉えていたようですね。

管理人も日々の生業の他に、

将来を見据えた「趣味と実益」を兼ねた仕事として

仏像彫刻などの修業を始めさせて頂いていますが、

彫り進めていると「曲線美」をどのように表現していくのかの

難問に次々とぶち当たることになります。

先生方は、「技法」の心(うまく彫ってやろうなどと逸る世俗的功名心)

などよりも、さらにもっとも大切な姿勢は、

「ひたすら美しい世界を念じ描き取る<美を感受する心>」を

養成しながら人間的にも成長していこうとする姿勢こそ肝要だと強調されます。

つまり、「仏道」の心得がなければ、

通常の精神状態における次元での心のままでは

まさしく、「仏作って魂を入れず!!」に

なってしまいがちだということのようです。

そうした管理人個人における「特殊」な美意識は

ひとまず脇に置いておくとしまして、

人類全体に共通する「普遍」な美意識を探究しながら

その価値を見出していったのがプラトンでした。

その思想の一端が、有名な「イデア論」ですが、

その「イデア論」で提示されていく理想像とは、

より高尚的な世界観であるようです。

つまり、普遍的かつ抽象的な「美とは何か?」を

探究していく「美学」なる学問の元祖がプラトンだと

いうことになります。

このあたりの詳細な解説は、本書28~32頁

ご一読下さいませ。

②「第2章 対称性と破れ・・・美人はブサイク?」

※本章ではいよいよ本書のメイン街道である

<対称性と破れ>をテーマとして語り出されていきます。

「対称性と破れ!?」

「どっかで聞いたことがある言葉だなぁ・・・」と

思われた方は、

おそらく理系の読者さんに多いことでしょう。

そうです。

「現代」物理学の極北は、

ただ今のところ、

この<対称性と破れ>の実相探究を目指して

邁進中なのです。

今回は、(宇宙)物理学や数学的観点からの分析考察は、

なるたけ少なくさせて頂きますが、

この「超」対称性理論が、

20世紀から延々と進展してきた

相対論と量子論の「中間場」に据えられています。

つまり、時代は、

「(目に見える)単純物質から(目に見えない)素粒子・エネルギーへ・・・」の

流れにあります。

「物質はどのようにして<この世>へと出現してくるのか?」

「質量の起原とは?」

このあたりを捉えるために、

現在、「ヒッグス場」や「重力場」などの

検知作業が行われているところです。

さて、本章では、「黄金比」に続けて、

「黄金の三角形」という立体面からの「黄金比」にまつわる

解説が展開されていきます。

ここでは、あくまで、学校教育で学ぶところの

「ユークリッド(初等)幾何学」を大前提に

豊富な図解を駆使したわかりやすい解説がなされていくのですが、

一般読者向けに

<対称性(シンメトリー)と破れ(つまり、対称性の崩れた

相違点の浮き出しのことです。)>とは

どのようなことを意味するのかをイメージしやすいように

ひとまずは「ユークリッド幾何学」に絞った手法を用いることで

創意工夫ある解説になっています。

そして、本章での挿話として、

レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナリザ』が

素材に扱われています。

この『モナリザ』の顔面の表情を微細に分析していくと、

ミクロ面に視点を取ると、微妙に表情がずれている(つまり、<破れ>)

様子が浮き彫りにされるとともに、

全体像に視野を拡張したマクロ面に視点を取ると、

整った形式美が浮かび上がってくる様子が見事に解説されています。

つまり、「美(対称性の<調和美>=完全(完璧)性」だとか

「醜(一見しただけの<みかけ>の破れ)」だとかの

一面だけで、(人間も含めて)物事の本質・真相を即断してはいけないとの

教訓が示唆されました。

もう一つの隠れた主題が、

このレオナルド・ダ・ヴィンチに代表されるような

「総合的な学際知(智)」の再評価・復権であります。

彼は、「芸術と科学」を統合させた観点から、

「学問」の意義に迫っていきました。

そこでは、ただ単に「学問」が実社会で役に立つか否かといった

狭い枠組みを乗り越えようとする気概の片鱗が窺えます。

管理人が当書評ブログで目指す「新」境地も

文理融合視点の重要性と「学際知(智)」を

現代に蘇生させるところにあります。

この点は、これまでも何度も強調させて頂いてきたところですが、

現代社会における企業での研究開発環境では

「遊びの要素がなさ過ぎる!!」もしくは、

「そのような<ゆとり>を生み出す契機に乏し過ぎる経済環境にある!!」ことから

どう頑張ってみても基礎研究への長期投資に消極的になってしまうところがあります。

この側面支援からも純哲学的な観点からのベーシックインカムの早期導入が

望まれるところですが、今回は、主題から外れますので、

保留させて頂くことにします。

(年末年始の余白ある時間(といっても、今年に入ってから

忙しすぎる毎日で目途も立ちませんが・・・)が生み出された際に、

暫定的な回答を提示させて頂く予定でいます。

もうしばらくお待ち頂ければ幸いです。)

本道に戻りますが、

現代教育では、こうした「総合知」を学ぶ楽しさを

味わう機会に乏しいために、

人生の初期の時点から若者より純粋な「知的好奇心」が

剥奪されてしまうことになります。

そして、社会に出る頃には、

見事なまでに「つまらない」大人へと成り下がってしまい

ただただ疲れるだけの毎日で、人生の本質から逸らされていって

しまうことになります。

このような<受動的人間>になってしまうと

無気力・無感動・無節操な人間のままで

<この世>における諸相から何ら学び取ることもないまま

人生を終えてしまうことにもなりかねません。

そのような消極的人生で自他の歩みを誤って頂きたくないと

管理人自らの人生の中で強く感じ、学び取ってきたこともあって、

「いかにすれば、現代社会に蔓延する虚無感情や冷笑感情などと

訣別することが叶い、人生を有意義に過ごし終えることが叶うのか?」を

主題に語り続けさせて頂いています。

どうか次世代の方には、

このような「つまらない」大人(人生に無自覚でいれば、すぐにも

このような症例へと陥りがちな現代人特有の精神病理が現れた典型的な

人間像)に成り下がってしまい、ご自身の<かけがえのない>いのちの

使いどころを見誤って頂きたくないと

心底願っていますので、

人生における「仕事(働き方)」についても、

「役立つ」だけの視点で取り組んでいく

これまでの時代風潮をいち早く抜け出して頂くべく

そのヒントとなる「仕事」を通じて次世代を生きる皆さんへ

「失われた20年」世代からの応援メッセージとして

送り届けさせて頂きます。

「もし、<この世>に役立つ(即効性かつ金銭的評価しか受けられない)仕事しか

なかったとすれば・・・」

そこには、本当に殺伐とした経済社会しか残りませんね。

「経済」とは、本来は、「経世済民」というように、

仏教的には、「衆生済度」のような要素も含まれているはずです。

こうした「余白」が経済にも組み込まれているがために、

「歓喜」の声も生み出されていくのです。

そうした観点からの「美意識」も、

このレオナルド・ダ・ヴィンチから

学び取って頂きたいと思います。

③「第3章 螺旋・・・生命の形へ」

※本章では、著名なホラー映画『リング』『らせん』ではありませんが、

<生命の形>としての「螺旋」がテーマとなっています。

ここでは、<美の標本>としてフランク・ロイド・ライト

ル・コルビュジエの建築などを素材にしながら、

さらに深く<対称性と破れ>が探究されていきます。

ここで管理人が「再」発見したのが、

現代アートの世界では、極度に「抽象化」された作品が

評価されるところから、

「あまりにもシンプル過ぎる」作品には

見向きもされないとの「偏見」を無意識のうちに

抱え込んでしまっていたところ、

そうした「蒙」が自然と啓かれていったことです。

20世紀からは、シュールリアリズムダダイズムなど

「形式美」をあえて壊す形態の作品が評価されるようになったとの

見方が、これまでの美術史の教科書などでは描写されてきたように

感じられましたが、著者によって、必ずしもそうした見方だけが

主流の見方(評価)ではないんだということも教えて頂くことが

出来ました。

近現代における諸問題が生起してくる原因は、

先程解説させて頂きましたように

「科学」の世界と「芸術」の世界が「分離・切断」され、

「細分化(バラバラ)」にされていったことにありました。

そうした時代の流れに棹さしながら、

あらためて、「シンプル・イズ・ベスト!!」という

「初等幾何学の美」を「再」発見したのが、

このご両人だったそうです。

そうした「盲点」は、

意外にもあまり世間には幅広く知られていない

(管理人もまったく知りませんでした・・・)ようですので

こうした観点にご興味関心がある方には、

是非お薦めの記事であります。

ところで、本章におけるもう一つの「螺旋の美」というテーマでは、

生物学・解剖学者である故三木成夫博士の多大な業績が

紹介評価されているところにあります。

管理人も最近の特に興味関心あるテーマが、

当書評ブログの主題の一つでもある

「マクロとミクロの結び目(あいだ・さかい・はざま)問題」ですが、

このテーマを探究していくと、

どうしても「起源論争」にも視点が向かうことになります。

そうしたところから、あらためて、

ダーウィンなどの様々な進化論の相違点や共通点を

研究考察していくことになるわけですが、

その最中に出会ったのが、この三木成夫博士でした。

本書の著者は、東京芸術大学のご出身であることから、

独自の「三木成夫像」を描写されていますが、

この「螺旋の美」を深く探究されていたのが、

三木成夫博士だったといいます。

こうしたご縁から管理人も博士への興味関心を募らせたわけですが、

博士のご持論は、『人は胎内で進化を辿る』であります。

博士の業績に関する詳細は、

『アインシュタインの逆オメガ~脳の進化から教育を考える』

(小泉英明著、文藝春秋、2014年、49~54頁)も

是非ご一読願いたいのですが、

ここから、著者は、

さらに『<崇高>の美とは何か?』へと

まっしぐらに邁進していかれます。

④「第4章 崇高・・・もう一つの美」

本章では、『<崇高>の美』をテーマに、

エドマンド・バークカントなどの美学論について

触れられています。

また、<美の標本>では、『ゴッホの星』が

話の素材として取り上げられています。

「星」といえば、上記のカントも

『夜空の星々と内なる戒律の調和美』を追求した哲学者として

ことに有名ですが、

「文芸作家」シュテファン・ツヴァイクの『人類の星の時間』が

管理人には思い浮かんできます。

人「類」の進化の極北とは、「星」になることだと・・・

管理人も、夜空に輝く美しい光を放つ「星」になることを志ながら、

<この世>における人生の喜怒哀楽を深く感受して

歩ませて頂いています。

そのような歩みに「焦点」を合わせていくと、

一見すると「不協和」に見える要素にも

「調和」へ向けた何らかのメッセージが込められているようだと

感じられてくるから不思議です。

『どうすれば<不協和=陰>に見える要素からも

<調和=陽>へと転じられる美的要素を「再」発見することが叶うのか?』を

問い続けることで、

これまでの自分自身の人生における歩みも見つめ直すきっかけが掴めますし、

人「類」だけではなく森羅万象との和解へ向けた再出発にも

つながっていくことになります。

まとめますと、本書だけ読み進めても、

もともと「美的概念」自体が、「不完全要素(破れ)」を含んでいるだけに、

「完璧(完全)」な対称性ある「崇高美」には

なかなか辿り着けないかもしれません。

しかし、「正解」はないかもしれませんが、

読者の皆さん一人ひとりが、

ともに『<崇高美>とは何だろうか??』という

素朴な疑問を問い続けて頂くことが叶いますれば、

「きっと良いことが、あなたにも訪れることでしょう・・・」

そんなことを本書とともに、

皆さんにも探究考察して頂ければ

紹介者としても幸いです。

⑤<エピローグ>

結局のところ、本書における

<美の方程式>とは、

『美=完璧×破れ』にあります。

どちらかに偏っても「調和」は生み出せないようで、

両者が程よいところでバランスを保つことができれば、

「自ずから」調和の美は創出してくるようですね。

⑥<参考図書>

この一覧表では、

「黄金比」や「三木成夫博士」に関する関連推薦図書が

紹介されています。

管理人自身は、未読ですが、

ここにある

『黄金比はすべてを美しくするか?』

(マリオ・リヴィオ著、斉藤隆央訳、早川書房、2005年)には

興味関心あるところですので、

いつか挑戦してみたいと思う1冊です。

マリオ・リヴィオ氏の解説は、比較的わかりやすかったので

お薦めですね。

(ちなみに、マリオ・リヴィオ氏の著作については、

こちらの記事もご一読下さると幸いです。)

<文芸>や<音楽>にも一定の「調和美」の秘法が存在する!?

さて、本書のご紹介を兼ねつつ、

皆さんへの人生における「調和の美」を志向した

応援メッセージも込めたエッセーもご紹介してきましたが、

ここからは、本書の主題である<絵画>や<彫刻>から

一旦離れて考えてみたいと思います。

冒頭でお約束させて頂いていた<文芸>と<音楽>の

話題へと移らせて頂くことにしましょう。

・「<文芸>や<音楽>にも本書で解析されたような

<対称性と破れ>が存在するのだろうか?」

・「人間にとって心の琴線に響く著者・読者・作品(仮想)世界および

現実世界との<あいだ>における共感・共鳴現象が、どのようにして

立ち上がってくるのだろうか?」ということに

文筆業に携わっている者としては、どうしても意識が向いてしまいます。

作家の「文体」に躍動感がなければ、

生きた「言葉」として読者へうまく伝えることが出来なくなってしまいます。

管理人も本格的な文筆の世界に入るまでは、

日常会話で使用する「言葉」をあまり深く追究することなく

何気なく使うだけの日々でした。

そのために様々な人間関係における意思疎通を図るのに苦労してきました。

もちろん、このこと自体は、<この世>における諸現象(心が感受したままの

実相感などを含めて)を精密に写し取ったうえで伝達することなど

絶望的に困難な事柄であることから、

人生を終える「その瞬間」に至るまで悩み続ける難題であり続けることは、

「悟り」を開かない限りは、ほぼ確実でしょう。

そうした人間ならば当然有してしかるべき難題をより緻密に分析考察しながら

「言葉」の使い方について、あらためて学び始めるきっかけになったのも

<文筆業>という世界に入った功徳であったようです。

「言葉」の表現技法次第で、

人の「心」を開かせる・閉じさせる要因にもなるのですから、

一つひとつの「言葉」を思慮深く使い分けていかなくてはなりません。

「言葉」とは本当に難しいものですね。

特に、「日本語」ならなおさら・・・

「言葉」は、その使われる文脈や日々の人間関係の微妙な距離感などを

文字通り映し出す「鏡」なのですから、人情の機微に否が応でも

敏感にならざるを得ません。

「言葉」とは、日本神話が伝えるところの「天の岩戸」のような

役割を果たすのかもしれませんね。

そこで、日本神話を子細に検討してみると、

「言葉」の原初形態とは、

「表<意>文字」よりも「表<音>文字」に

より比重が置かれたものだったことが次第に判明してきました。

このあたりの詳細な研究考察も今後の課題ですが、

古代語が総じて「音(リズムや旋律)」に力点を置いていたらしいことは

確かなようです。

だからなのでしょうか?

あの「天の岩戸」を開くきっかけに歌舞音曲が使われたのにも

深い目的があったようなのです。

とはいえ、「力づく」で「天の岩戸」を開いた神様には、

管理人自身は、どうしても納得がいかないのですが・・・

(ここらあたりの微妙な心理状況は、

特に、只今現在「引きこもり中」で世に出るか否かの狭間で

日々悩まされている方(ないしは、ご経験のある方)なら

共感して頂けるものと確信しております。)

そうした日本神話への管理人自身の解釈は

ひとまず脇へ置いておくことにしましょう。

このように考え、想像しながら、考え、綴るという作業を

繰り返していると、まさに「猿田彦」さんに導かれるように

管理人自身に憑依するかのように「道」が開かれていくようです。

そのことは、毎度のことで、

予め事前に用意したメモなどのシナリオ構成が時々刻々と

微妙に変化していくからこそ、「文筆業」は面白いのです

(もっとも、その分だけ、ひと作品完成させた後は

しばし放心状態になるのですが・・・。

まぁそれだけ「文筆業」とは生命エネルギーを

使い果たす仕事だということです。)

このワクワク・ドキドキ感を皆さんにもお伝えしたくて、

また、皆さんにも実際に「書きながら」言葉が持つ生命エネルギーを

実感して頂くことで、日々を生きる「糧」にして頂くようにも

お薦めさせて頂いています。

そろそろ、最後の「閉め」という<刻限>が近づいて参りましたが、

このように「言葉」にも<対称性=陽>と<破れ=陰>の要素が

含まれていることをより意識して頂こうと

ここでは強調して語らせて頂きました。

よく世の中では、「それを言っちゃおしまいよ・・・」だとか

「そんな野暮ったいこと言うなよ・・・」などという表現がありますが、

管理人は昨今の世相やこれまでの人生(まだ30数年程度ですが)を

過ごしてきた中で、そうした先人の知恵にはただただ脱帽するかぎりです。

そこで、管理人も文章の綴り方ということで

谷崎潤一郎氏の『文章読本』や日本文化が生み出した日本語の独特な文体を

醸し出させる「ぼかし・ずらし」技法を示唆する『陰翳礼賛』には

本当に日々お世話になっています。

大阪の文人・墨客文化には、このような「人情の機微」を洗練させてきた

何かがきっとあったのでしょう。

京阪地方は「商人(町人)」文化であり、

江戸関東地方は「武家文化」などと

俗に対照的に比較されることも多いようですが、

管理人自身が学び得た範囲では、

そのどちらにも一長一短があります。

もちろん、管理人もこのような独断と偏見のある単純な見方など

大いに問題がある視点だとは考えています。

まだまだ学び足りませんので、簡潔に断言することなど慎まなければなりませんが、

「武家文化」には<闘争文化>の遺伝子が根深く影を落としていたからこそ、

「上方」文化とはまたひと味違う独特の風格が育っていったのかもしれません。

翻って、「上方」文化では、商売や芸能文化を拡張させ進展させていくことは、

日々の生業のうえでも死活問題だったことから、

自ずから<平和文化>へと花開かせる力学が働いたのかもしれません。

いずれにしましても、戦国の乱世から江戸の太平へと世の中が

移り変わっていく過程で、日常「言語」にも微妙な変化の兆しが

現れ出ていったようです。

その意味では、いつの時代も、

「言葉とは時代を映し出す<鏡>」だということになります。

最後に、管理人は、これまで本記事中で、

「陰」よりも「陽」に比重を置きすぎた嫌いがあったことが心残りですが、

重要なことは、どちらにも偏り「過ぎ」ない程度の

ほどよい「塩梅(さじ加減)」だということを強調させて頂くことをもって、

今回のまとめに代えさせて頂くことにします。

「で、<音楽>の話題は、どないなった!?」と

ツッコミを入れられそうなところですが、

力尽きましたので、またいずれの機会にでも続編談義を

させて頂くことにしましょう。

「最後は、<逃げ>か・・・」という声も聞こえてきそうですが、

話の「オチ」はこれにて一件落着!?

「調和の<美声>」・・・

そのタイトルのヒントは、

三島由紀夫氏の『金閣寺』の中にあります。

まさしく、今回の<対称性=陽>と<破れ=陰>を表す

管理人一押しの、とあるへヴィメタルバンドの「新曲」アルバムを

待ち望んでいるところですが、未視聴の段階でもあり

そのご紹介は他のファンやバンド関係者の方々など多方面に

無用なご迷惑をお掛けすることになりますので、

敬愛と憂慮の念も込めて、ここでは控えさせて頂きます。

とはいえ、その<ヒント>は、当書評記事のどこかにあります。

お暇な方は、どうぞ検索システムで探し出してみて下さい。

きっと、素晴らしい「新世界」へと誘われること間違いなしと

確信いたしております。

(ちなみに、主流メディアにはほとんど出演されない方々なので

知る人ぞ知るアーティストですが、これからの芸能文化やビジネスにおける

マーケティング戦術・戦略とはこういった方向性なのかということも

副次的に学び取って頂くと、いろいろな勉強にもなるかと思います。)

その「なぞなぞクイズ」も読者の方へのお楽しみサービスということで

あえて「隠して」おきます。

最後に「人情の機微」を味わって頂きたく

次のエッセーを引用しておきます。

『近ごろの東西の新聞はどれもおもしろくない。

(中略)わたしが心待ちにしているのは、一葉が落ちて

涼風が吹き始め、大阪堀江明楽座と御霊文楽座が開場するに

及んで、幸いにもまだ往来することができたなら、

もう2、3回、大隅太夫、越後太夫の義太夫を聴いて、

玉造、紋十郎の人形を観てから、この娑婆世界に別れを告げることだ。

これぞわが悲願である。音曲にどっぷりつかっていたわたしには、

これら傑出した芸人たちと同じ時代に生きられたことが、

この上なく幸せだった。

わたしはいまだわが不遇を嘆くつもりはない。』

中江兆民著『一年有半』<兆民居士は不遇ではない>、

鶴ヶ谷真一訳、光文社古典新訳文庫、310頁より)

※いいですねぇ~、中江兆民「居士」は・・・

大阪に縁のある明治期に活躍した自由民権運動家にして

優れた教育者です。

本書は、兆民の「最晩年」の境遇を描いた

エッセーですが、「人間の死に際の心境とは、

かくありたいものですなぁ~」と思わず襟を正させてくれる

珠玉のエッセー集です。

また、同じ兆民の『三酔人経綸問答』は

比較的バランスの取れた戯曲形式の「政経」問答集で

昨今の「焦り逸り狂う」だけの政治経済「狂騒劇」を見るにつけ、

考えさせられるところ「大」の名著でした。

皆さんにも是非、この明治の「壮士」の息吹を

感じ取って頂きたくお薦めしておきます。

そして、本当に本当の「閉め」ですが(我ながら、長広舌だとは

思いますが・・・、皆さんへのご奉仕だと思って頂くことでご寛恕賜ります。

本書<エピローグ>から、

『「美」にとって、まず必要なのは、「完璧」であることです。

(中略)しかし「美」にとって、話が難しいのは、どうやら

「完璧」なだけでは、それを究極の美とはいえないところがあるのです。

ただ完璧なだけでは、整いすぎていてつまらない、何か大切なものが

欠けている、そんなふうに思いませんか。(中略)

そこで出てくる、仕上げの味付けが「破れ」ということになります。』

(本書115~116頁)

※このことが本書で強調されています。

まとめますと、『美=完璧×破れ』です。

あとは、その「破れ」(未完の美)をいかに皆さんの人生で

味付けして頂くかの出番です。

ということを本書でも「閉め」の言葉として送られています。

人生とは、畢竟のところ、「完璧」を目指しつつ、

「未完」に終わってしまわざるを得ない一代限りの人情劇であります。

面白いことですが、自分とは「これだ!!」と言えるものなど

本当のところはないのかもしれません。

ただ、日々の外面風景をどのように己の心象風景に映し、

照らし出すかで、その味わい感に変化の彩りを添えることに

なるようです。

そのような「実感(質感)」を皆さんも大切にして生きてみて下さい。

そうすれば、「悲しみ」や「虚しさ」も少しは軽減されるとともに、

そうした捕らえどころのない「陰」も「陽」の背景を成す精神的肥やしと

なってくれるのではないでしょうか?

「さぁ、師走に入りました。今年も残すところあとわずか・・・

一日たりとも疎かにせず、楽しい日々を過ごせますように

心よりお祈り申し上げています。」

なお、「芸術」に役立つ数学として、

『アートのための数学』

(牟田淳著、オーム社、2008年)

併せてご紹介しておきます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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2 Responses to “布施英利さんの「美の方程式~美=完璧×破れ」<この世>は不完全だからこそ、人間には進化する余地があるのです!!”

  1. 1729 akayama より:

    ≪『新時代へ向けた「真・善・美」の理想像とはいかなるものか?』 ≫ 

     いつもの―[鳶に油揚げ]―思考 つまみ食いの寄せ集めで、
     江本伸悟先生は、
     ≪心について≫ ≪命について≫ ≪知について≫ や
     ≪階層性≫  ≪超個体≫  ≪生態系≫  等を、
    河井寛次郎らに寄り添っての語りがあった。
     河井寛次郎の遺文に、
        ≪ 善悪美醜正邪不可分 ≫ 
       とあり、≪「真・善・美」の理想像≫ の迫りを、
     ≪ 「黄金比はすべてを美しくするか?最も謎めいた「比率」をめぐる数学物語」
       マリオ・リヴィオ著 斉藤隆史訳 ≫ から、
     [無限](∞)と[双対性]との[パースペクティブ]で、先の『数学を支配する6つのシェーマ(符号)と絡めて観る。

     ≪美しい≫を≪心地よい≫・≪魅力的≫との視座で観ると、
     アメリカの美術評論家ジエイ・ハンビッジは、
      ≪ 「静的な対称性」→正方形
        「動的な対称性」→黄金長方形  ≫ 
        としているが、
     筆者が提唱しているスローガン
      『黄金比 橋掛け渡し 自然比へ』
      『アスペクト 知らずもがなや 比は自然』
     前者は、[コスモスの比率]が[無限](∞)を通して掴む二次元の【1】を、
     ケプラーの、
     ≪…フィボナッチ数について、任意の項の平方が、その両隣の項の積と【1】だけ異なるのである。≫
     から、黄金長方形内の正方形の入れ子構造の[無限](∞)としての行き着く先とパースペクティブできる二次元の【1】である。

     後者は、西洋数学の成果【超越数e】から、
     数直線【0】から【1】と【e-1】をとり、そこにおける『自然比矩形』(悴点)での一次元の【1】である。 

     二つの[長方形]の[双対性]をまとめると、
              [双対性]の眺望
    図形から数概念   [黄金長方形]      『自然比矩形』 
    数学(概念)     ホモロジー        コホモロジー
    思考の立脚点     コスモス         カオス 
    数の範疇       有理数          超越数
    思考の作用素(材料) 直交二直線の比     [0]からの数直線                              の比
    次元の数の種類    無理数          実数
    次元の移行      二次元の【1】へ     一次元の【1】へ  
    思考概念の眺望    虚数(i)       [群]の揺籃による                         【数そのモノ】
    変換概念       空間の(π/2)回転    離散創発方程式から                           虚数(i)
    次元間の比の保存      1/Φ            1/e

     数理哲学としての[シェーマ](符号)の【0 1 ∞】の作用で[双対性]を観ることができ、コスモス表示よる[十進法]の[符号]による[桁表示]の【0 1 2 3 4 5 6 7 8 9】は、[群]の数学(概念)を獲得し[算数]から[数学]へと突入できる。

     特に、虚数(i)は、90°(π/2)回転で三次元空間に作用する。
    二次方程式の虚数解は、平面座標(方程式空間)を90°(π/2)回転した軸を虚数とすれば、二次曲線の変曲点の位置(虚数)として視覚化できよう。
    もちろん実数解は、どちらに90°(π/2)回転してもかわらない。

     黄金比を≪美観の絶対基準とするのはやめるべきだと思うのである。≫
                            と結んでいる。 

     長方形の中で二つを比べるジエイ・ハンビッジの投影としては、
       「静的な対称性」→[黄金長方形]
       「動的な対称性」→『自然比矩形』 
           と観得る。

     音楽では、
      ≪…人間の音楽を支配する法則を、あとで初めて明らかにしたのは、科学なのである。≫ 
      
    この事は、【数そのモノ】が、[群]の調和を[帯同]していることか。

     詩では、
     ≪…詩ほど数学から遠いものは、ないように想える。…≫  
     
     この事は、詩人の≪純粋な想像力≫と数学人の≪自然の摂理≫の[双対性]と観得る。

    [黄金比]は、[入れ子」構造の[無限∞]での、先の[正方形]の行                         き先や
           [五角形]と[五芒星形]の[入れ子」の行き先? 
                           などに現れる。

     [コスモス]概念から組み立てられた[黄金比]は、物理界の[コスモス]を創る。

     タイル張りの[ペンローズのタイル](凧と矢)や[黄金三角形]と[黄金グノーモン]らの構成比を[無限∞]で見ると[Φ](黄金比)となる。
      数学者ペトラ・グンメルトの、
     ≪一種類の「模様入り」正十角形を決った重複規則に従って組み合わせると、ペンローズのタイル張りが得られることを厳密に証明した。≫
    [正十角形]は、≪辺の長さ1の[正十角形]に外接する円の半径は、[Φ]に等しい。≫

     個体の形態に[周期的な結晶]と[アモルファス](非結晶)の間に「準結晶」がある。
     物理学者ポ-ル・スタインハートとチョン・ヒヨン=チャイが、
     ≪ユニットの重複にかんする純粋に数学的な規則を本物の原子が集まった「準単位格子」同士で原子を共有する物理的イメージに変換できることをあきらかにしたのである。≫

      ≪原子の集団(準単位格子)が、密度を最大にするようなパターンで隣りの集団と原子を共有した構造をしているのだった。≫
               や
      ≪「ブラックホール」は架空の概念でなく、宇宙に実在するとわかっている。…「ビックバン」モデルによれば、宇宙は、そうした特異点…≫
      らの[思考の立脚点]が、『自然比矩形』(悴点)との[双対性]で観得る。

     べノワ・B・マンデルプロの[フラクタル]・[カオス]・[自己相似性]などを、
     『[カオス]と[コスモス]の行き来という[思考の立脚点]』
        で観るのと、
     ユークリッド幾何学からの[直線]・[円]・[立方体]・[球]などは、
     『[コスモス]と[コスモス]の行き来という[思考の立脚点]』
        で観る違いなのかな? 

     数学者ヒレル・フルステンペルクとハリー・ケステンは、
     フィボナッチ数列の構成をランダム(確率的)に創る[項の絶対値]が、何らかの定数の累乗になるのを証明していたが、コンピュータ科学者ディヴァカール・ヴイスワナートが見つけた。

    [ベンフォードの法則]は、
      ≪…[純粋数学]が[応用数学]に変貌…≫

     ≪…[数学]は、ある意味で宇宙の ―人間が認識する宇宙の― 言語と言える。≫ 
        とある。

     
    【カオス】と【コスモス】の関係を他の分野に拾う。

    「脳は美をどう感じるか」川端秀明著に、
     ≪全体は部分の総和以上のものである。…面白さや美しさといった芸術のメッセージの伝わり方が、個々の技術や表現の総和を超えたものであることに普遍性を与えてくれる。≫

     ≪…普遍性を与えてくれる。≫は、【数そのモノ】(数学)であり、
     [散逸構造]と[平衡構造]の数学的な[双対性]で観得る。

    「イナンナの冥界下り」安田登著の、
      ≪…「心の前の時代に」の人に「未来が見える」…≫
     との
     ≪…「あわいの時代」…≫
         へと誘うのを、 

     ≪南方曼陀羅≫の≪悴点≫(思考『自然比矩形』)に求めよう…。

     熊楠語録の時系列の拾い、
      ≪…宇宙の幾分を化しての己の心の楽しみとす。…≫
      ≪物を多く知るばかりで、それを一々づつつなげて考えねば何の悟も   用なし。≫
      ≪人となれば 自在ならず 自在なれば 人とならず≫
                京都工芸繊維大学美術工芸資料館 展示より

     
     ≪…<この世>が、「完璧」だらけだとしたら・・・
       そこには、人間が精神的に成長進化する余地などないでしょう。≫
     ≪人生とは、畢竟のところ、「完璧」を目指しつつ、
    「未完」に終わってしまわざろうを得ない一代限りの人情劇≫

     ≪一代限りの人情劇≫は、≪悴点≫思考の『自然比矩形』で喩えると時間軸としての底辺(下辺)で一次元の開区間(1.(e-1))であり縮約(縮退)自然数で捉えれば、虚数(i)の作用で得た【1】(≪一代≫)なのだ。  
    開区間(1.(e-1))の時間軸で[生きる]≪人情劇≫を【数そのモノ】(数学的)に観れば、[わけのわからない](カオス)から生み出した【1】と[わけがわかっていると思っている](コスモス)の【1】とから出来ている【1】の≪…「あわい」…≫のしがらみ(柵)と自分自身との戦い、…人が希求してやまない[コスモス]が、もうお分かりのように[カオス]を抱え込んでいることだ。
    [散逸構造]の[コスモス]が[不断]の≪悴点≫思考により[普遍性]が保持できるとのそのことが【数そのモノ】(数学)と観て間違いないのではないか。

     林修先生の〔いつやるの今でしょ!〕が、マインドフルネスに通ずるとのことは、[散逸構造]を[生きる]その時点・時点での≪悴点≫活動と捉えられよう。
    【数そのモノ】(数学)は、≪悴点≫活動を分析(説明)できる道具にはなるが、完璧に未来を予測できるものでもない。これは森毅の[インプット〕と[アウトプット]の記述と同様である。 

     [散逸構造]の人類(宇宙)の時間軸での存在(観る)文化の物理定数の定義の変遷でも【数そのモノ】の[離散性]と[連続性]を≪悴点≫思考で眺望できよう事が、[プランク定数]による[キログラム]の定義変更などへも思いを馳せることにもなろう。 

     最後に、佐治晴夫先生の思考背景を、
      ≪宇宙の誕生からどのようにして生命の誕生に到ったのであろうか。プリゴジンに よれば、混沌とした状態において一定の条件が整ったとき、ある形態が作られると いう。これを「自己組織化」という。≫
    ≪科学技術は見えないものを見えるように、聞こえないものを聞こえるようにして くれたが、反面、見えないもの、聞こえないものを信じさせなくなった。これは今日の大きな問題である。≫ 

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