マリオ・リヴィオ氏の「神は数学者か?~万能な数学について」宇宙の森羅万象を支えるのは神=数学者??

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「神は数学者か?~万能な数学について~」

宇宙物理学者のマリオ・リヴィオ氏が、

数学の神秘と魅力について、わかりやすく

解説されています。

太古の昔より、この宇宙の森羅万象には

「暗号」があるとイメージされていたようです。

人間が、「言語」獲得以前から有していた知覚能力・・・

それが、数学的直感能力と言われています。

数学とは、「発見」か「発明」か?

今回は、この本をご紹介します。

「神は数学者か?~万能な数学について~」(マリオ・リヴィオ著、千葉敏生訳、早川書房、2011年)

マリオ・リヴィオ氏(以下、著者)は、宇宙物理学者。

アメリカの宇宙望遠鏡科学研究所にあるハッブル宇宙望遠鏡

科学研究所の主任天体物理学者兼広報アウトリーチ室長として

活躍中の方です。

著書には、国際ピタゴラス賞とペアノ賞受賞作品である

『黄金比はすべてを美しくするか?』『なぜこの方程式は

解けないか?』(いずれも早川書房)など多数あります。

ところで、古来から、「数字」には「秘儀的要素」があるなどと

されており、多くの哲学者などの魂を魅了してきました。

つまり、「数字は<暗号>だ!!」と・・・

上記の国際ピタゴラス賞の由来となったピタゴラスもそんな一人です。

ピタゴラスについては、前にもご紹介させて頂きましたが、

皆さんにとっては、中学時代に教わったであろう

「ピタゴラス(三平方)の定理」を通じて、

その名を知っておられる方も多いことと思われます。

もっとも、この定理自体が、ピタゴラス本人によって見出されたのか否かは

分からないようですが、不思議な魅力のある定理には相違ありません。

さて、そんなピタゴラスですが、他にも多くの古代人の魂を魅了してきたのが

「数学的世界観」でした。

この「数学的世界観」は、人類が「言語」獲得以前から、すでに備わっていた

知覚能力の一部だとされているようです。

本書では、そんな「数学」について、もともと世界に完備していたものが

後から浮き彫りにされていく「発見」なのか、それとも、

人間の後知恵によって数学的操作が施された「発明」なのかを巡る物語展開が

進められていきます。

言語以前の純粋な直感的イメージ像から湧き出てきたのが、「数学的世界」!?

私たちの世界は、まだまだ知らないことだらけです。

ところが、21世紀現在、人類はすでに何でも知り尽くしたかのような

傲慢な振る舞いで、世界から「喧噪や狂騒」が増す一方であります。

ということで、再度、「知性」を持つとされてきた人類の原点に立ち返りながら、

謙虚な生き方を見つめ直そうということで、この本を取り上げさせて頂きました。

本書では、「世界と数学との関連性」から人類の世界観に至るまで、多種多様な

哲学的数学者とともに探究していきます。

数学に苦手意識がある方(管理人もですが・・・)でも、

楽しく読み進めやすい内容となっています。

それぞれ興味関心があるテーマだけでも構いませんので、

難しい箇所は「飛ばし読み」しながらでも、

最後まで気軽に知的散歩をされることをお薦めします。

きっと、数学に対するイメージが一変させられることだけは間違いないでしょう。

数学の不条理な有効性!?(ユージン・ウィグナー)

まず始めに、本書の内容構成をご紹介しておきます。

①第1章「謎~<発見>か<発明>か??」

②第2章「神秘主義者たち-数秘術師(ピタゴラス)と哲学者(プラトン)」

③第3章「魔術師たち-達人(アルキメデス)と異端者(ガリレオ)」

④第4章「魔術師たち-懐疑主義者(デカルト)と巨人(ニュートン)」

⑤第5章「統計学者と確率学者-不確実性の科学」

⑥第6章「幾何学者たち-未来の衝撃」

⑦第7章「論理学者たち-論理を論理する」

⑧第8章「不条理な有効性?」

⑨第9章「人間の精神、数学、宇宙について」

著者は、本書第1章の数学は「発見」か「発明」かとの問いを立てながら、

第2章から第9章までの本文での探索を経て、双方とも複雑に絡み合いながら

人間の「選択」と「意図」によって、切り拓かれながら共進化していった

事実過程を描写されています。

著者によると、この宇宙の森羅万象をすべて「数学的記述」で

表現しきれることはないだろうと最終的には提示されます。

つまり、「宇宙は数学的構造そのもの」とする極端な「数学原理主義者」の見方を

論理の飛躍として一蹴されているようです。

昨今の人工知能などに活用されるアルゴリズムにも「限界」があるだろうと・・・

19世紀末期から20世紀以後に、論理学者とともに検証されていった

「数学的証明論」でも、著者はゲーデルの「不完全性定理」や「集合論」の知見などを

紹介しながら、この宇宙に遍在する森羅万象につき、

「数学的」に記述説明出来る領域は、

ごくごく一部にすぎないのではないかとも示唆されています。

著者自身が、「宇宙物理学者」だけに、興味深い考察でもあります。

「宇宙物理学者」には、これまでご紹介させて頂いた記事の中にも、

「数学」に絶対的信頼感を持ちながら、「楽観的な見方」をされていた方も

たくさんおられるようです。

それは、良いとか悪いとかいう「価値観」の問題ではありません。

この宇宙を、どのような感性でもって眺めるのが、本人にとって、

納得しやすいかとの「美的意識感覚(世界観)」の問題だと思われます。

管理人は、「数学的世界観」については、あまり詳細には通じていませんが、

「数秘術」や「幾何学」には、学生時代から大いに興味関心を

持ってきたこともあり、その「美的意識感覚」には、

何となくですが共感し合えるところもあります。

とはいえ、本書冒頭で著者が、イギリスの数理物理学者ロジャー・ペンローズ博士の

世界観を紹介されていますように、

博士によると、この世界には、3種の見方があり得るだろうと。

①意識がとらえる世界(心象風景の世界)

②物質的な世界(実在的物理世界)

③プラトン主義の数学的形式の世界(抽象的イメージの美的世界)

この3種の多層・多元的な角度から、「一つの現象」を

同時に把握しているのだと・・・

このそれぞれの「世界観」がどのように創出され、

どのように相互リンクしているのかについては、「謎だらけ」のようです。

管理人自身は、このペンローズ博士の謙虚な見方に共感を覚えますが、

なぜ、「数学的記述」が、この世界の諸現象をうまく説明することが

出来てきたのかという点については、論者によって諸説あるようです。

著者によると、「数学は、積み重ねの学問」だとよく言われるように、

先人の努力の跡を受け継ぎながら、その都度その都度、うまく数学的に

解決可能な形で「厳選」しながら「当てはめて」きたそうです。

まとめますと、一見すると、ユージン・ウィグナー氏の指摘されるように、

「数学」には、「有効性」が強く感じられるところもありますが、

このように、すべての記述までが可能ではありませんので、「不条理な」と

いう「限定」が付されていると言えるのではないでしょうか?

数学的世界観と一般的世界観との緊張関係の歴史!?

このように「数学」が世界に与えた影響力には大変力強いものがありますが、

そのことは同時に、「一般社会」との摩擦の歴史でもあったようです。

古代ギリシアのピタゴラス学派のみならず、プラトン的世界観も

その「哲人政治」など、今日の世界情勢や人類の精神的意識次元を見ていると、

とても安心出来ない「政治経済的世界観」でもあります。

そのため、プラトン自身の意図とは離れて、現代では悲劇的な評価として

(多分に誤解だと思われますが・・・)、プラトンを「全体主義の祖」などと

安易な決めつけをされる学者もいるようです。

確かに、実用化にはほど遠い知見ではありましょうが、そのような狭い見方では、

プラトンの真意や理想像も見えてこないでしょう。

それこそ、プラトンが指摘したような「洞窟内の影」だけを見ている

<単眼的思考>ではないでしょうか?

物事は、表面・表層的にとらえるだけでは、その豊かな世界観から

学び取ることも叶いません。

ですから、当ブログでも、管理人の個人的見解や各著者の独自見解は提示していきますが、

あくまで良質な議論の素材として、皆さんにもそれぞれ、こうした見解を換骨奪胎して

頂きながら、「より良き」知見にまで高めて頂き、世界に少しでも豊かな貢献をして頂くべく

書評を通じて呼びかけさせて頂いています。

ところで、このように「数学的世界観」は、「美意識」まで含んでいるためか、

西洋史では、神学論争にまで巻き込まれてしまう事態が、しばしば起こっていました。

意外に思われるかもしれませんが、「ビッグバン仮説」すら、

現代の「神学論争の申し子」のようです。

アメリカでは、進化論の一説として「インテリジェント・デザイン論」も

話題になっているそうです。

そうした「世界観」自体は、もちろん各人各様の「選択の自由」でありますが、

何がコトの「本質」かという視点から見てみますと、また問題もあるようです。

現代宇宙論の一大テーマ「多宇宙論」のような見立てもありますが、

私たちが生きている「この世界」は、現実的に一つしか選択出来ないところに、

大混乱が生じることにもなりかねないからです。

そうした現実世界における「多元論」に由来する「大混乱」を防ぐ手だてとして、

「数学的世界観」の魅力が、かえって相対的に増すのかもしれませんね。

なぜなら、「数学的世界観」は、「抽象的統一世界観」と親和性があるからです。

もちろん、「数学的世界観」にも、「ユークリッド幾何学的世界観」や

非ユークリッド幾何学的世界観」など多種多様な「世界観」もありますが、

相互の「棲み分け」がうまくなされており、整理整頓もしやすいようです。

この点が、社会科学的世界観とも大きく異なります。

その意味では、イデオロギーによる世界解釈から逃れる手だてとしては、

こうした数学的思考法や世界観にも学ぶべき点が多々あるということになります。

哲学的思考法も、数学的思考法と似た側面もありますが、

前者が「言語」、後者が「数字(記号)」という大きな相違点もあります。

前者の「言語」の方が、後者よりも断然「恣意的な解釈」が入り込む余地が

あります。

このことが、現実世界に多大な混乱をもたらします。

思えば、20世紀以後における

哲学界からの「論理学」への接近と数学界からの「論理学」への接近というような

相互交流があったのも、そうした20世紀における現実世界における大厄災を

回避する術をいかに確立していくべきかとの倫理的な課題もあったからです。

出来るだけ「誤謬」や「偏見」が入り込む余地を少なくさせ、「わかりやすい」

一義的解釈を可能にする夢が、21世紀現在も続けられています。

それが、人工知能などのアルゴリズム思考法に注目が集まっている大きな要因でも

あるようです。

とはいえ、ここにも大きな問題が孕まれているようです。

先程のゲーデルの問題意識とも絡みますが、

「計算複雑性」や「メタ認知限界(フレームワーク問題)」もあるからです。

今後の未来社会で、私たち人類と機械がいかなる領域で「役割分担」していくのが

より望ましいのかも、今から技術開発と同時進行で検討していかなくてはなりません。

その意味で、世界は大きく激変しようとしています。

私たちは、早晩その「夢の共演」に立ち会う日がやってきます。

そうした事態が、現実に訪れた時に慌てなくても済むよう

心の準備をしておくのに最適なのが、本書の主題である「数学的思考法」や

「哲学的思考法」であります。

とりわけ、「思考実験」の活用を積極的に日々の生活に取り入れていきましょう。

最後に、管理人も数学に好感を持つ理由(分野によっては、苦手意識もありますが・・・)

ですが、最初から「実用化」だけを目指して研究考察されてきた訳ではないからです。

また、社会科学の世界と違って、「安定度」にも信頼が置けますし、

一つずつの着実な積み重ねと「棲み分け」が最大限評価されるからです。

柔軟な更新も許容されています。

著者も、こうした数学の効用に関して、

「積極的側面(最初からの実用化<発明・創造・利用構築>)」と

「受動的側面(最初からの実用化は一切意図せずに、後になって役立つことが

判明する<再発見>)」という2つの側面から解説されています。

一見、「役立たず」と思われているものが、後から「復権」される可能性が

高い点も好感が持てるところであります。

人間も、このような扱いを受けることが叶えば、

もっと世界は穏やかで平和な豊かな社会になるだろうに・・・

なかなか、人間には、こうした「認知限界(誤謬や偏見、社会的排除差別)」から

逃れ出るための知恵と工夫が身に付かないようです。

やはり、「言語(文化・社会的価値観)の壁」が大きすぎるのでしょうか?

絶望的な感覚にも悩まされますが、数学的思考法や哲学的思考法を学ぶことで、

希望も見えてきます。

最後に、著者が引用するバートランド・ラッセルの著書『哲学入門』からの

一節の言葉で、まとめさせて頂きます。

『それゆえ、哲学の価値に関する議論は次のようにまとめてよいだろう。

問いに対して明確な解答を得るために哲学を学ぶのではない。

なぜなら、明確な解答は概して、それが正しいということを知りえない

ようなものだからである。むしろ問いそのものを目的として哲学を学ぶ

のである。なぜならそれらの問いは、「何がありうるか」に関する考えを

押し広げ、知的想像力を豊かにし、多面的な考察から心を閉ざしてしまう

独断的な確信を減らすからだ。そして何より、哲学が観想する宇宙の

偉大さを通じて、心もまた偉大になり、心にとってもっともよいものである

宇宙とひとつになれるからである。』(本書324頁)

「神は数学者か?」

それは、評者によって多種多様な見方もありましょうが、

管理人は、「数学者とは、虚空蔵菩薩さんの心を知る人」のことだと

感じています。

「宇宙全体の平穏を祈り続け、調和と一体化を目指す求道者」のイメージです。

現実世界では、聖俗の世界ともに、まだまだ「闘争や狂騒(競争)」が止みませんが、

いつの日か、このような愚かな対立から賢い調和の人類後史へと進展することを

願いながら、筆を擱かせて頂きます。

ということで、本書をご一読されることをお薦めさせて頂きます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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