マリオ・リヴィオ氏の『偉大なる失敗~天才科学者たちはどう間違えたか』科学者の試行錯誤の軌跡は<失敗学>の宝庫だ!!

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『偉大なる失敗~天才科学者たちはどう間違えたか~』

マリオ・リヴィオ氏による

現代科学に多大な影響力を及ぼし続ける5人の天才科学者の

知的探究過程を分析考察した<科学に学ぶ失敗学>の書です。

人間なら失敗は日常茶飯事。

失敗時にいかなる教訓を得、その後どのような姿勢で

再挑戦を果たしたかが大切です。

科学する心を育むことは、失敗から学ぶ姿勢を培います。

今回は、この本をご紹介します。

『偉大なる失敗~天才科学者たちはどう間違えたか~』(マリオ・リヴィオ著、千葉敏生訳、早川書房、2015年初版)

マリオ・リヴィオ氏(以下、著者)は、宇宙物理学者です。

アメリカの宇宙望遠鏡科学研究所の科学部門長を務められた他、

科学に関する幅広い教養力を活かした一般啓蒙活動をされています。

著書には、前にもご紹介させて頂いた『神は数学者か?』など

多数ございます。

本書は、<訳者あとがき>にもございますように

前作までの数学を題材にした哲学的考察書とは一転した話題を扱っています。

今回ご紹介させて頂く本書は、

科学全般を主題に様々な科学者の<失敗の軌跡>を解析しながら

失敗を恐れずに学び続ける意義やそこからどのような知的教訓を

獲得することが出来るのかなどに焦点が絞られた

いわば「科学に学ぶ失敗学」の書であります。

本邦訳書の原書は、『Brilliant Blunders :From Darwin to Einstein-

Colossal Mistakes by Great Scientists That Changed Our Uuderstanding of Life

and the Universe』であり、本書はその「全訳」であります。

人間なら生きている限り、失敗は日常茶飯事ですね。

問題は、その失敗をきちんと分析考察したうえで、

その後の人生にどう活かしていくかにあります。

本書には、「天才」という冠がかぶせられた科学者が複数名登場しますが、

彼らの知的思考過程の軌跡を見本材料にしながら、

賢愚の差を大きく隔てる分水嶺をうまく抽出することに成功しています。

まずは失敗に気付くことが出来る(た)かどうか、

その失敗からどう軌道修正を図りながら、

後世に多大なる貢献をもたらす一定の知的成果を生み出していったかなどを

多角的な視点から追跡検証することを通じて、

<失敗は成功の元>へと転じうる知恵や心構えが示唆されます。

言い換えますと、当初は単なる<致命的失敗>に見えた研究成果も

事後的な観点から見直すと、<偉大なる失敗>だと判明していく過程が

明証されているところに本書の特徴があります。

ところで、「天才」であれ、「凡人」であれ、

人間には安易に失敗を認めたがらない心理的性格があるようです。

この心理的性格を誘発させる要因についても、

最新の脳科学や行動心理学などの知見の紹介を通じて

検証されています。

ここにあえて便宜上、「天才」と「凡人」と区分けしてみましたが、

誰にでも「天分の才能(天才)」は隠されているものです。

日常生活では気付くことの少ない「天才」要素も、

ひょっとしたら「失敗」が呼び水となって、

表出・創造されてくる性質があるのかもしれませんね。

ですから、皆さんにもその「失敗」を必要以上に嘆くことがないように

して頂きたいのです。

学力向上にせよ、仕事上の能力向上にせよ、

その他あらゆる人間の才能開花の原動力の側には、

常に「失敗」が潜んでおり、その「失敗」こそが

次なる飛躍へと向かう機会を与えてくれるわけですから・・・

このように2017年の酉年を心機一転の「飛躍の年」にして頂きたくて、

本年は、理系書にもより比重を置きながら(管理人自身の勉強も兼ねてですが・・・)、

<失敗学>をテーマとした書物などのご紹介から開幕させて頂いています。

もちろん、本年も<失敗学>以外のテーマにも数多く挑戦していきますので、

乞うご期待のほど宜しくお願い申し上げます。

それでは、「科学する心を育てることは、

知的謙虚さと人間的成熟度を高めることに資する!!」ということで、

本書のご紹介へと移らせて頂くことにします。

現代科学の基礎固めをしていった5人の天才科学者も迷走の連続だった!?

さて、本書には下記の5人の科学者が「主人公」として登場します。

チャールズ・ダーウィン

ウィリアム・トムソン(俗称:ケルヴィン)

ライナス・ポーリング

フレッド・ホイル

アルベルト・アインシュタイン

これら5人の「主人公」を主役としながら、

それぞれの知的成果が現在の科学的評価から判断して一定の「成功」だと

みなされるに至るまでを側面から支えた数多くの脇役となる科学者の功績とともに

<偉大なる失敗>の本質が描写されています。

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ここで、内容構成の要約ご紹介に入る前置きとして、

本書を読み進められる際のアドバイスをさせて頂くことにします。

第1章『間違いと過ち』は本書全般にわたる著者の問題意識が示された章ですが、

第2章以下では、それぞれのパートが下記のように前半パートと後半パートの

2部構成となって上記の5人の科学者が辿った「科学的過ち」の検証評価と

それぞれの研究業績・理論の内容に関する簡潔な要約がなされています。

前半パートが、「理論や業績内容の概要」が解説された章

後半パートが、それぞれの「科学的過ち」に対する著者自身によって

評価分析された診断報告に当たる章と割り当てられています。

・<第2章・第3章>:チャールズ・ダーウィン。

・<第4章・第5章>:ウィリアム・トムソン。

・<第6章・第7章>:ライナス・ポーリング。

・<第8章・第9章>:フレッド・ホイル。

・<第10章・第11章>:アルベルト・アインシュタイン。

というような章立てになっています。

本書では、そのような5人の「主人公」の<科学的過ち>が分析考察のうえ

評価されていくわけですが、本書全体に流れる隠れたもう一つのキーワードが

「進化」だということです。

『地球上の生命の進化、地球そのものの進化、そして宇宙全体の進化の理論に

関する重大な過ち』(本書17頁)を主題に人類そのものの「進化」の過程で

犯してきた壮大な知的過ちとその原因・理由にまで考察が及んだ

良質な「人間」批評書となっています。

とはいえ、著者の批評にはあくまで穏やかで温かい目線があり、

科学的に見て、その過ちがどのようなレベルにおけるものなのか否かについて

検討考察が加えられたものですので、安心して読み進めることが出来ましょう。

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それでは、本書の内容構成に関する要約に入らせて頂きましょう。

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<序文>

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①『第1章 間違いと過ち』

※本章では、まず最初に本書におけるテーマ設定が宣言されています。

『本書のテーマは重大な科学的過ちだ。私のいう「科学的過ち」とは特に、

科学の理論や構想全体を台無しにしかねないような、または少なくとも

原理的に科学の進歩を遅らせかねないような、深刻な考え方の誤りを意味している。』

(本書15頁)

『本書の目的は、真に偉大な数人の科学者にスポットライトを当て、

その意外な過ちの一部を詳しく紹介しながら、その過ちがもたらした予期せぬ

影響を追っていくことだ。と同時に、そうした過ちの潜在的な原因を分析し、

その過ちと人間の頭脳の性質や限界との興味深い関係を、できるかぎり

解き明かしてみたい。しかし、最終的には、発見や革新へとつながる道が、

過ちという想定外の道筋で作られることもあると証明したいと思っている。』

(本書17頁)と・・・

このような動機とともに、人類の知的「進化」の諸相と未来への期待感が

語られています。

本書では、そんな「科学的過ち」を主軸にしながら、「進化」の目を通して、

様々な観点から検証されていくのですが、本章の冒頭にて

現代「進化」論を語る上では外せない今や古典的名著ともなっている

ダーウィンの『種の起源』に関する数々の誤解についても読者の注意を惹きつけます。

この『種の起源』に関する解釈・批評は数多くありますが、

今回は、生物における「進化」論だけがメインの書物ではありませんので、

詳細は省かせて頂きます、

それでもこの書物の初版のなかでは、『「進化(evolution)」という

単語をいちども使っていない!』(本書18頁)ということには

意外な「発見」をさせられました。

その概要については、次章で簡潔に要約されています。

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②『第2章 起源』

※本章では、そんな『種の起源』で提唱されたダーウィンの

いわゆる「進化」理論の概要が解説されています。

著者は、この『種の起源』の中心主題に触れる前に、

この書物の中では『議論されていない内容について理解しておくこと』

(本書29頁)が重要だと強調されています。

つまり、『生命の実際の起源だとか、宇宙全体の進化などというものについては、

一言も述べていない。さらに、一般に考えられているのと反して、

彼は人間の進化についてはまったく論じていない。』(同頁)だと。

辛うじて、『『種の起源』からおよそ12年後に刊行された著書

『人間の進化と性淘汰』の中でようやく、ダーウィンは自身の進化説が

人間にも成り立つはずだという見解を明確にした。』(本書30頁)に過ぎないと

されています。

ダーウィンの「進化論」の4本柱には、

<進化><漸進説><共通祖先><種文化>があり、

これらを結びつける考えに「自然淘汰(本書で著者は、自然「選択」という

用語を使われています。)」や「(突然)変異」などの「仮説」が出てきます。

今日では、前にもご紹介させて頂いたように「進化」にも<小進化>と<大進化>に

分けて論じる生物学者が多いようですが、いわゆる「進化」の方向性や

その時間意識については、現代「遺伝学」などの膨大な知見から、

<進化>とは、「一様に進むものではない!!」との見解に収斂してきています。

本章でも詳細に触れられていますが、ダーウィンがこの考えを提示した時には、

メンデルの遺伝法則はまだ世に広く伝播しておらず、当時の進化学界状況では、

上記のとおり、時間は一直線にゆっくりと「漸進」しながら「進化発展」を

遂げていくものだと仮定する「斉一説」が主流だったからです。

この「斉一説」の具体的内容についても多岐にわたるので、

ここで簡潔に語ることも出来ませんが、次章以下でも生物学者以外の

科学的知見が紹介される過程で、徐々に修正を受け続けていく様子が

語られています。

いずれにしましても、今日では、『斉一説に反して、進化上の変化の

速度はふつう、ひとつの種の中でも時間的に均一とはいえないし、

種によっても異なる場合がある。』、『主に進化がどれくらいの速さで

表れるかを決めるのは、自然選択が及ぼす力(選択圧)だ。』(本書34頁)だと

いうことも判明してきています。

ダーウィンの科学界における功績をまとめておきますと、

「科学」と「宗教」との厳格な領域設定にまた一つ大きく踏み出したことや、

「進化」を考察する<科学>からは、

「目的論(今日のインテリジェント・デザイン論など)」を除外していく姿勢を

打ち出したところにあります。

また、これも前にご紹介させて頂きましたように「人間原理」を飛び越える

萌芽がダーウィンの発想の底流にあることなども優れたところです。

いわゆる「人間原理」に代わる「宇宙原理(別名:コペルニクス原理)」です。

(とはいえ、著者自身はこの「コペルニクス原理」へと過度に傾斜していく姿勢には

慎重な立場を見せていますが・・・<その理由付けなどについては、

本書第11章で触れられています。>)

また、ダーウィン理論は、「科学的ではない!!」とするような見方も

これまで数多く見受けられてきましたが、そのあたりの科学的妥当性についても

カール・ポパーの主張変遷の紹介(本書49頁)を通じて「反証」されている

解説記事も興味深いところがありました。

さて、そんなダーウィンですが、

一体どこに「偉大なる失敗」が潜んでいたのでしょうか?

それが、次章のテーマです。

③『第3章 そう、この地上に在るいっさいのものは、結局は溶け去る』

結論から言えば、当時は、先にも触れましたような「遺伝学」に関する

最新知見伝播の限界から今日では否定された「融合遺伝」の考え方に

ダーウィンが絡め取られていたことにあるのではなく、

『融合遺伝の仮定のもとでは、彼の自然選択のメカニズムは期待どおりに

作用しえないという点を(少なくとも当初は)完全に見落としてしまったこと』

(本書55頁)に「ダーウィンの過ち」があると評価されています。

そのあたりの考察が、メンデルの遺伝法則に関する詳細な解説との

比較対照とともに明示されます。

また、ダーウィンの「数学が苦手だった!?」一面も紹介(本書65頁)されていて、

その素顔の一端にも共感が持てて個人的には面白く読めたのですが、

こと「遺伝学」の知見を踏まえた現代「進化」科学理論の構築のためには、

もはや「確率・統計」の吸収消化が欠かせない時代に突入していたことには

同情も禁じ得ませんでした。

こうしたメンデルの知見についてダーウィン自身が感づいていたのかどうかに

関する近年の文献学的研究の成果も紹介(本書73頁あたりご参照のこと)

されていますが、メンデルの方は、

ダーウィンの進化論に多大な影響を受けていたことも判明しているようです。

このようにダーウィンとメンデルの相互交流の軌跡についても触れられているのですが、

先程も触れました「融合遺伝」説にダーウィンが拘り続けていたわけでもないところに

科学者としての面目躍如たるところがありそうです。

後年のメンデルの遺伝法則発見のきっかけともなりそうな実験もきちんと

行っていたからです。

その実験結果もメンデルの出した結論にあと一歩のところまで

手が届く段階に来ていたようです。

つまり、ダーウィン自身は、「融合遺伝」説にも不備があるだろうことに

気付いていたのです。

ただ、ここからが面白いのですが、不備に対して「不信感」を募らせたあまり、

行き過ぎが高じて、「パンゲン説」なる奇怪な仮説をも提唱してしまったのでした。

とはいえ、このように行きつ戻りつ紆余曲折に満ちた歩み方をしたところに

「科学の進展とはなかなか一筋縄にはいかないものだなぁ~」とも実感させられたのでした。

このダーウィン自身が「生物」の進化に必要と考えた時間の長さが

次章以下で語られていく「地球」の進化時間と矛盾を来すような出来事が

ある科学者によって主張されたことから、またひとつの混乱が生み出される

きっかけが生み出されました。

その科学者の名は、ウィリアム・トムソン(熱力学温度単位の<ケルヴィン>で

知られる俗称:ケルヴィン卿)です。

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④『第4章 地球は何歳?』

※前章でダーウィン理論に対する数学的反論を企てたフリーミング・ジェンキンは、

このウィリアム・トムソンの友人でありパートナーでもあったことから

すっかりその計算方法や結果にも依存し過ぎていたようですが、

このウィリアム・トムソンの計算方法自体やその根拠となる発想自体にも

難題が抱え込まれていたことが明かされます。

当時は、まだまだ「科学」と「宗教」との価値観対立が色濃く残されており、

地球の起源を巡っても、<天変地異説>が生き残っていたような状況でした。

しかし、「起源」に拘っていては、一向に地球「進化」の具体的な時間分析に

迫ることが叶いません。

そこで、視点を「起源」から「進化」に切り換えて、

考察していくきっかけを生み出したのが、

チャールズ・ライエルの『地質学原理』でした。

このライエルから「斉一説」が引き出され、

ダーウィンの進化論の底流に据えられた「漸進説」の発想へと

結びつけられていくことになったのです。

とはいえ、この「斉一説」にせよ、「漸進説」にせよ、

その特徴はあくまで、『「想像を絶するほど膨大な」時間というかなり

あいまいな考え方』であり、『ほぼ定常状態にあり、無限に近い時間を

かけて非常にゆっくりと変化していくような』(本書92頁)地球「進化」時間像に

止まっていたところに限界がありました。

そこに風穴を開けたのが、ウィリアム・トムソンの具体的計算結果だったのです。

ですが、割り出されたその時間は、わずか『9800万歳』。

ざっと誤差を考慮に入れても

『2000万歳から4億歳までに収まることは確実だと考えた。』(本書100頁)

この間の熱力学的考証の軌跡に関する詳細な理論的解説は本書に委ねますが、

少なくとも現在有力視されている推定時間『およそ45億4000万歳』

(本書113頁)との間には圧倒的な時間差があります。

それでは、一体なぜこんなに差が開いてしまったのでしょうか?

ここにも、当時まだ知られていなかった科学的知見の壁もあったようですが、

ウィリアム・トムソン自身の認知の壁もあったことが

次章で検証に付されます。

⑤『第5章 確信とは往々にして幻想である』

結論から言えば、

『これまでの観測結果によって認められる許容度を踏まえれば、地球の推定年齢は、

彼の認める以上に大きくぶれる可能性があることに気づかなかった点』

(本書119頁)に「ケルヴィンの過ち」があると評価されています。

ケルヴィンも地球の年齢を計算するうえで、「一定」の定常状態を

暗黙裏に置く「斉一説」からは距離を置く姿勢を保っていたようですが、

計算結果を導くうえで不可欠な基本仮定となる熱伝導率については

「一定」とする仮定を持ち込んでしまったのではないかと

弟子のジョン・ペリーから疑問符を投げかけられます。

つまり、ペリーは、地球の「固体性」や「均質性」といった

ケルヴィンが暗黙裏に潜ませた仮定に打撃を与えたのでした。

「ケルヴィンの過ち」の原因には、当時まだ詳細に解析されていなかった

放射性崩壊に関する知見が得られていなかったこともありますが、

著者はそのこと自体は仕方がないこととはいえ、

『(ペリーが提唱した)地球のマントル内部の対流の可能性を

始めのころ無視し、その後も否定しつづけたこと』に

『地球の推定年齢が許容できないくらい低くなってしまった真の原因』

(本書128~129頁)があるとされています。

「この<拘り>にはどのような脳の<クセ>があるのだろうか?」と

問うところから現代の心理学や神経科学の知見などの紹介とともに

『既知感について』と題する考察記事(本書129~133頁あたり)で

語られているところも読みどころです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

⑥『第6章 生命を解するもの』

⑦『第7章 ともかく、誰のDNAなのか?』

※第6~7章では、一転して「生命」そのものの謎に迫るテーマが満載ですが、

ここでは、遺伝子「構造」について対照的なイメージモデルの詳細な解説を

通じて、「ライナス・ポーリングの過ち」について語られています。

この2章は、「分子」生物学用語なども数多く出現してくるため、

この学問領域に造詣が深くなければ、読み進めるに当たっての

かなりの「難所」だと思われます。

(あくまで管理人自身の読後感と知的限界にしか過ぎませんが・・・

このテーマに興味関心がある読者様には誠にもって解説も至らず申し訳ございません。)

このように抽象的な専門的解説に紙数が費やされていますし、

管理人にとっては、もう一つ興味関心が湧かなかったところも

正直な印象でしたので、誤解を招く恐れもあることから、

ここではその煩瑣な解説は省略させて頂くことにします。

いずれにしましても、最も「わかりやすい」イメージでまとめますと、

現在では勝利を収めたワトソンクリックの「二重らせん」モデルと

ライナス・ポーリングの「三重らせん」(本書175~181頁)との

相互対比を通じて、その「過ち」に至る過程が浮き彫りにされている章であります。

ワトソンから見れば、ポーリングの「三重モデル」が

ばかばかしいほど間違った代物だと思われたのは、

『単に三本鎖だったからではない。ポーリングの核酸分子は、

そもそもまったく酸とはいえない代物だった』(本書182頁)からといいます。

言い換えると、専門家の目から見ると、「初歩的な単純ミス」という評価に

なるのでしょうか?

このような「間違い」が起こってしまった原因を分析する著者によると、

「過去の成功体験をもとに、今回もそのまま同じ成功につなげられるだろうとする」

極度に楽観的な「帰納的推論」の誤謬に嵌り込んでしまったこと(本書187頁)や

『「フレーミング効果」と呼ばれる人間の認知バイアス(管理人注:偏見や誤謬のこと)

とも関連していたのかもしれない。』(本書189頁)と推察されています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

⑧『第8章 ビッグバンのB』

⑨『第9章 永遠に同じ?』

第8~9章では、宇宙の「起源」と「進化」に関する

20世紀における大論争に多大な影響を及ぼし続けた(現在でも話題にされ続ける)

天体物理学者が主人公です。

その天体物理学者こそ、フレッド・ホイルです。

フレッド・ホイルは、現在の「ビッグバン」仮説に対抗する

いわゆる「定常宇宙」仮説を組み立てたことで話題となった科学者です。

※なお、「定常宇宙」仮説については、先述のリンク先記事である

『宇宙はなぜこのような宇宙なのか~人間原理と宇宙論~』

(青木薫著、講談社現代新書、2013年)でも

簡潔に解説されていますので是非ご一読下さいませ。

第8章では、皮肉にも対立する仮説「ビッグバン」という用語を

誕生させるきっかけになったホイルの講演内容が紹介されるところから開幕し、

第9章では、その「定常宇宙論」の詳細な概要と

現代の「(ビッグバン)インフレーション」仮説との対比解説がなされています。

現在では、より精確な天文観測の結果、「宇宙は膨張し続ける」現象や

「ビッグバン」仮説を裏付ける宇宙マイクロ波背景放射の存在から

すでに「定常宇宙」仮説は下火状態になり、不利な状況にはありますが、

その壮大な宇宙観自体には、科学的観点から一旦離れて評価するなら、

大変魅力的な仮説であることも確かなようです。

そのため、現在でも隠れたファンは多いとも聞かれます。

具体的な「定常」宇宙のイメージ像は論者によって

<まちまち>ではあるようですが・・・

その「定常化」した宇宙の状態がもし仮に真実に近い実相だとしても、

少なくとも「収縮」したり、いわゆる宇宙が「冷却死」もしくは、

「熱死」に至ることがなければ、今後の人類にも希望が持てそうな

ロマンも感じさせられますが、実のところは誰にもわからないのが現状でしょう。

このような「定常宇宙」仮説ですが、この仮説が誕生していく背景には、

元素の「起源」を巡るガモフとホイルの見解の相違も含まれていたようです。

「ビッグバン」仮説では、『宇宙には明確な始まりがある』のに対して、

「定常宇宙」仮説では、『宇宙では絶えず物質が生成されている』

(本書209頁)とする見立てがそれぞれの仮説の背景にはありますが、

その「起源」を探究するうえで、物質の歴史や物質とエネルギーの

宇宙空間内における比率問題などの解析を避けることが出来ないからです。

こうした元素の「起源」論争も絡むだけに(それは現在でも<目に見えない>暗黒物質や

暗黒エネルギーとして検知作業が続けられています。)今なお「ビッグバン」仮説に

完全なる勝利をもたらしているわけでもなさそうです。

(管理人の勉強不足のせいで「確答」など出来ませんが・・・)

また、著者によれば、この「定常宇宙論」の発想自体は「提唱された当時は」

抜群のアイディアだった(本書287頁)とされていますが、

『物質が絶えず創造される定常宇宙は、現在流行しているインフレーション宇宙

モデルと多くの点で共通している。』(同頁)とも評価されています。

このような評価も一面にはあることから、

「定常宇宙」論の立場は現在「不利」な状況にあるとはいえ、

なお多くの魅力が残されており、未だに「下火」がくすぶり続けているのです。

ところで、この元素の「起源」ですが、

『ガモフはすべての元素がビッグバン直後の数分間』で作られたと考えたかった一方で、

ホイルは、すべての元素が恒星の長い進化の過程で、恒星内部で作られた』と考えたかった

ようです。(本書239頁)

ただ、『自然はその折衷案を選んだ。重水素、ヘリウム、リチウムのような

軽元素はビッグバンで合成されたが、それよりも重い全元素、特に生命にとって

欠かせない元素は、恒星内部で調理されたわけである。』(同頁)と

著者は解説されていますが、「ビッグバン」仮説に多大な支持が集まっているとはいえ、

「絶対に」自然界の成り立ちの「起源」がそうなっていたのかどうかを

確かめるまでには今なお至っていないようです。

いずれにせよ、一般的に「間違いがある」とされることが多いホイルですが、

その宇宙の起源や進化論争はともかくとして、

こうした恒星や超新星爆発といった「星」の誕生研究から副次的に得られた

天体「核」物理学に関する知見では、比類を見ない功績をもたらしたことは

間違いないところです。

「ホイルの過ち」については、本書279~289頁で著者が検証されています。

特に、この「定常宇宙」論と「生物進化」論の整合性にどうも腑に落ちない難点があった

(著者によると、ホイルによってある種の「インテリジェント・デザイン論」を再び

持ちだそうとしていた(本書285頁)ところに減点評価を下している)ところに

厳しい評価が下されています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

⑩『第10章 「最大の過ち」』

⑪『第11章 空っぽな空間から』

※それでは、この「過ち」を乗り越えていった

「天才」科学者とは誰だったのでしょうか?

第10~11章で、いよいよアインシュタインが登場します。

アインシュタインの「最大の過ち」と言えば、

その<宇宙定数項>の話題が何にも増して有名ですが、

本書の最大功績は、これまでにその<宇宙定数項>こそが

「最大の過ち」だと数多くの書物に記されてきたところ

「実はそうではなかったのではなかろうか?」との疑問から

著者による丹念な捜索活動と「異論」が提出されている点にあります。

その探索過程こそお楽しみ頂ける箇所ですので、ご期待下さいませ。

この著者独自の探索には、

他の類書ではあまり見られることが稀な「努力と汗の結晶」がありますので、

この第10~11章を読み進められるだけでも、

本書からの収穫は充分なものがあるかと思われます。

アインシュタイン博士には、他にも優れた話題がありますが、

これまでも博士に絡む書物を紹介させて頂きましたので、

今回は、紙数の関係上、これ以上の解説は省略させて頂きます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<最後に>

・訳者あとがき

・図版/引用クレジット

・参考文献

・原注

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

それでは、最後に本書から<科学する心>を養ううえで大切な視点を与えてくれる

言葉をご紹介しておきます。

『何事にも絶対の確信を抱くなかれ』(バートランド・ラッセル、本書351頁)

そして、永遠の知の探究者に捧げる言葉として、

『研究で本当に価値のあることを成し遂げるには、仲間の意見の逆を

行く必要がある。単なる変わり者になることなく、それをうまく成し遂げるには、

繊細な判断力がいる。すぐには解決できない長期的な問題については特にそうだ。』

(フレッド・ホイル、本書211~212頁)

相当な自信の表れですね。

とはいえ、「思い込み」が強すぎるのもまた「天才の天才たる所以」なのかも

しれませんが・・・

結局のところ、「天才」とは、生前における世俗的評価はともかく、

「誤解」を恐れずに、仮に「大失敗」だと評価を下されたにせよ、

何かしらの形で後世へ意義ある知的成果や教訓を残すことが出来れば良しと

満足することの出来る稀な「種族」なのかもしれませんね。

前人未踏の新たな道を開拓する勇気と知恵を人一倍持する人間にこそ、

後世から「天才(奇才それとも変人??)」の勲章が与えられるのでしょう。

本書の読了後にあらためて実感させられたことは、

粘り強く研究課題に取り組むことと、

「異論」「反論」を恐れずに前に進む勇気と、

自説に難点が見つかれば、何度でもあらゆる角度から

柔軟に再検討し直す姿勢がとりわけ最重要だということでした。

そのためには、優れた研究仲間との「対話」の機会が

保証されていることも大切な条件となります。

独りよがりな研究内容だけでは、説得力も生み出せませんので・・・

そんなことから、本書は、今「水面下」でブームになりつつある??

「在野研究者」の方にも<研究上の注意点>が学べる1冊になりそうな

感じもしています。

それでは、今回はここまでとさせて頂くことにします。

「進化論」や「(多元)宇宙論」など今後とも幅広い科学的テーマを

扱った理系書にも積極的に挑戦していきますので、

どうか理系読書人の皆さんにも温かいご声援と適切なご教示コメントを

頂ければ大歓迎です。

こんな「理系」知識には疎い「文系」の管理人ですが、

今後とも「理系」方面にも精力的に翼を拡げていきますので、

ご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。

ということで、本書は、

科学者と科学精神から学べる「偉大なる失敗」分析を通じて

いかに事後の成功へとつなげるかの知恵と勇気を授けてくれる好著ですので、

皆さんにも是非ご一読されることをお薦めさせて頂きます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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