青木薫さんの「宇宙はなぜこのような宇宙なのか~人間原理と宇宙論」私たちを取り巻く世界観も一変する宇宙論!?

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「宇宙はなぜこのような宇宙なのか~人間原理と宇宙論~」

理系翻訳者の第一人者である青木薫さんが、

人間原理をテーマに、これまでの宇宙論を

簡潔に要約された「新書」に挑戦されています。

そこから見えてきた世界観とは!?

私たちの普段の生活実感では、見落としてしまっている

多様な世界像が、宇宙論を解読する過程で

再発見されることに・・・

ともに視野を拡張しましょう!!

今回は、この本をご紹介します。

「宇宙はなぜこのような宇宙なのか~人間原理と宇宙論~」  (青木薫著、講談社現代新書、2013年)

青木薫さん(以下、著者)は、日本を代表する理系翻訳者として

わかりやすい文体で、一見とっつきにくい理系ワールドへと

誘ってくれる定評ある翻訳活動をされてこられました。

ご自身も、京都大学理学部、同大学院へと進学されて、

理論物理学の博士号を取得されています。

その縁もあってか、本書の「宇宙論」でも紹介されていた

インフレーション理論の日本人提唱者として有名な

佐藤勝彦博士の名前がもっと世に知られても良いのではと

呼びかけられています。

世界的には、アラン・グース氏の方が有名になってしまっていますが、

同理論の「発表」に関しては、佐藤勝彦博士の方が早かったと

強調されています。(本書187~188頁ご参照)

(ちなみに、佐藤勝彦博士は、前にもご紹介させて頂いた

児童向けの宇宙学入門書(『ホーキング博士の

スペース・アドベンチャー記事①記事②記事③)の

日本語版監修者としてのお仕事もされておられますので、

ご興味関心ある方は、各該当記事もご一読下さると幸いです。)

また、長年の世間一般への数学啓蒙活動が評価されて、

2007年には、日本数学会出版賞も受賞されています。

本書の主題ではありませんが、宇宙論とも関係のある素粒子物理学の

世界では、本日また「新発見」が発表されました。

それが、「元素の周期表」に、新たな元素名が付け加わったことです。

斯界における日本人研究者のご活躍に心より祝福させて頂きます。

本書でも「元素」の話題が若干触れられていますが、

「原子論」の世界も20世紀以後、現在に至るまで多大な飛躍を見せている

最中にあります。

そのことは、本書の主題である「現代宇宙論」でも同様であるようです。

20世紀半ば頃に提唱された「ビッグバン理論」に加えた

上記「インフレーション理論」が、目下のところ、「主流説」であるようですが、

今日に至るまで、「理論」物理学の発展や実際の観測事例(現在も続行中)における

「新発見」から、その他の多種多様な「宇宙論」も発表されてきました。

そのことは、本年2016年の正月連続記事に掲載させて頂いた

ブライアン・グリーン氏の『隠れていた宇宙』(記事①記事②)でも、

ご紹介済みであります。

さて、今回ご紹介させて頂いたきっかけは、これまで数々の宇宙論を読みながら

読者の皆さんへ、なるたけわかりやすいご紹介に努めるべく励んできたのですが、

その過程で、人間原理」というキーワードが頻出してきました。

しかし、このキーワードこそ、くせ者で、宇宙論を語る際にも避けては通れないところ、

専門家ではない管理人にとっては理解不十分でもあり、

その疑問を解消しようと一般向けの解説書を探していたのです。

なかなか「好著」に巡り会うことがなかったところへ、

著者がお書きになられた本書が、その問題解決書として

管理人の前に現れ出てきたことにありました。

おそらく、一般の読者で「宇宙論」にご興味関心のある方の中にも

同じ「もどかしさ」を抱えておられる方もあろうかとも推測し、

個人的な疑問解消だけで終わらせることなく、広く読者の皆さんにも

「人間原理と宇宙論」の知識について、共有して頂こうとの思いで、

本書をご紹介させて頂くことになりました。

本書の主題は、『宇宙はなぜこのような宇宙なのか』でありますが、

私たちが住む世界から「この」宇宙を考え始めるところから、

「この」宇宙には、「唯一」の宇宙しか存在していないのではないかと

思いこむ傾向にどうしても陥ります。

そのことは、科学哲学や量子物理学の世界でも

頻出する「観測選択効果」の問題とも共通しますが、

強烈な「視野の制約」のことを「人間原理」といいます。

この「人間原理」は、別名「人間中心主義」とも称され、

本来なら、「人間抜き」の宇宙論を分析考察していくのが、

物理学の使命のはずなのですが、どうしても「目的論」などといった

客観的分析には馴染まない動機が含まれてくるために、

宗教的要素が色濃くなり、あまり好ましくない「原理」とされてきました。

著者も、一般的な「物理」学者がそうであるように、

当初は、違和感を持たれていたようです。

ところで、今回、著者は、「本業」である翻訳の世界を離れて、

昔から疑問を持ち続けてこられた「人間原理」について、

これまでの「宇宙論」を振り返りながら、分析考察されたうえで、

独自のわかりやすい解説と見解の公表に挑戦されています。

始めての「新書」挑戦のようで、案は、すでにマーティン・リース氏の

『宇宙の素顔』を翻訳されていく過程から温め始めておられたようですが、

本書公刊までには、数十年もかかったと語られています。

(本書<あとがき>250~253頁ご参照)

著者は、上記のような「物理学者魂」から、「人間中心主義」的な

独断と偏見に捉えられた「人間原理」に違和感を抱いておられたことは、

すでに触れさせて頂きましたが、「人間原理」を分析考察していった結果、

見出されてきた知見からは、必ずしも「人間中心主義」のみに

狭く限定して解釈しなくてもよいのではないかと、

徐々に心境も変化していったといいます。

そうした過程で得られた知見とは・・・

「人間原理」を超越していこうとする豊かな宇宙像や世界観でした。

私たちが、この「人間原理」をテーマに考えることは、「宇宙論」以外にも

あらゆる分野で活用出来ます。

「唯一」ではなく、「多種多様」な「豊かな」世界観。

それは、多種多様な人間模様を「この世界(宇宙)」で許容する

寛容な人間精神にも直結していきます。

ということで、皆さんにも、「宇宙論」をあらためて考察して頂くことで、

「豊かな」世界観を開拓して頂くためのヒントの書として、

この本を取り上げさせて頂きました。

「人間原理」とは、そもそも何だろうか??

さて、本書の主題「人間原理」と「宇宙論」に入っていく前に、

本書の内容構成を要約しておきます。

①「第1章 天の動きを人間はどう見てきたか」

※古代からの「占星術」とその裏付けとなる「天文学」が

どのように連動しながら発展してきたかを主軸に、

天動説(地球中心主義)」に立脚する「占星術」の

化石のような力強い影響力に対比して、

「天文学」が、絶えず歴史の中で揺れ動いていった

「不安定さ」の様子がうまく描写されています。

中でも、「天動説」のプトレマイオス的宇宙観(天地二元世界論)

から脱却していこうと再挑戦する「知の挑戦者」コペルニクス

地動説(太陽中心主義)」もわかりやすく解説されています。

いわゆる「コペルニクス的転回」ですが、その過程も複雑だったようで、

多大な「誤解」を受けてきたといいます。

「地球中心」から「太陽中心」と言葉だけを見ると「誤解」も生じますが、

実際の「地動説」の目的は、「宇宙の全体像」を精密に描写することに

あったとされています。

一方で、コペルニクスが生きた時代は、「ルネサンス(人間中心主義)」。

そうした時代風潮の中で、「地球」を宇宙「全体」の中における「一部」に

降格させていったのではないかとの批判から、「人間中心主義」とは

相性が悪いのではないかと、他のルネサンス知識人にも「誤解」されたことや

元々の「地動説」も一般的には理解しづらいなど、

その「完全」受容に至るまでには、なお時間が必要だったようです。

このコペルニクス的観察眼が、後に「科学」と「哲学」の分離を

促していったことも要約されています。

すなわち、「科学」は「人間抜き」の「客観的記述法」を担当し、

「哲学」は「人間入り」の「主観的記述法」として、

相互に異なる領域に属していくことが始まりました。

後に、20世紀半ばに「人間原理」が登場するまでは・・・

②「第2章 天の全体像を人間はどう考えてきたか」

※古代から「宇宙論」には、3つの説があったといいます。

①原子論者の「無限宇宙論」(宇宙に果てなし)

②プラトンやアリストテレスの「有限宇宙論」(宇宙に果てあり)

③ストア派の「有限宇宙+無限空間」(コスモスには果てあり、万有には果てなし)

最後の③は、一見して理解しにくい時空構造ですが、

「生きている<有限>宇宙(コスモス)を全体とし、そのコスモスとその外延には

領域界のない、どこまでも果てしなく続く<虚空=無限空間(遍在宇宙)>と

いった<万有>が合体したもの」というように、

「有」も「無」も含んだ「空」集合のような

現代数学でも難題とされる時空構造を想定している宇宙論です。

常に生成消滅を繰り返す、ある種の「無限循環型宇宙」であり、

大きな万有の世界から見たら、現代宇宙論にも続く「サイクリック宇宙論」の

元祖のようなモデルであるようです。

以後、ニュートンアインシュタインなどにつながっていく宇宙論が

解説されていくのですが、「定常型」宇宙論に支えられていた時代が

長く続いたようです

「均一的」な宇宙・・・

その「仮定」をモデルにしながら、アインシュタインは

「相対理論方程式」を構築していくことになるのですが、

アインシュタイン自身は、観測の結果も充足させるモデル修正を

常に念頭に置きながら研究考察されていたことは強調しておく

必要もあるようです。

一般的に流布されてきたアインシュタインのイメージ像も

誤解されてきたことは、「第5章」のアインシュタインのλ(ラムダ)を

テーマにした本書208~217頁でも詳細に解説されています。

そして、20世紀前半より、

ハッブルなどの「宇宙空間は急速に膨張している」との観測結果から

今日の「ビッグバン+インフレーションモデル」の「変化する宇宙像」と

定常宇宙モデル」の「変化しない宇宙像」の2つの世界観が

せめぎ合いながら、同時並行的に進展していくことになるのですが、

その決着までにも、相当な時間を要したことが解説されています。

観測結果では、このように「宇宙膨張論(変化する宇宙像)」が確実になり、

優位に立ったことから、「定常宇宙モデル」の役割も果たし終えたように

見えたのですが・・・

「インフレーション仮説」そのものは、今しばらく横に置くとして

「ビッグバン仮説」は、誕生「後」の世界

(まさしく、「人間原理」が働く時空観)に限定された説明しか出来ないために、

「そもそも論」として、宇宙の誕生「前」から「瞬間時」については、

なお不明な点もあることなど、形を変えた「変化しない宇宙像」には

議論の有効性も薄れることなく、残されてきたモデルであります。

③「第3章 宇宙はなぜこのような宇宙なのか」

※この章から、本書の主題の「中心部」になっていくのですが、

ここに「人間原理」が登場してきます。

われわれ「人間」が、「この宇宙」に存在するということは、

最初から組み込まれていることは、いわば「当たり前」なので、

「この宇宙」も「あるべきようになっている」。

つまり、「今」の姿こそ「あるべき」宇宙像なのだと。

ただそれだけ!?なのだと・・・

ですから、「人間原理」も何か「人間」が「特別な存在」という

わけではなく、宇宙全体像の中の「一部」にしか過ぎないという

古くは、コペルニクス原理の命題とも共通する視点が

再度「復活」してきたことが描かれています。

この考えは、「第2章」末尾のハーマン・ボンディの『宇宙論』でも展開される

宇宙原理」や「完全宇宙原理」といった

「コペルニクス原理の最拡大解釈のドグマ」として、

ブランドン・カーターから反論されています。

ボンディの「変化しない宇宙像」に対して、

カーターの「変化する宇宙像」からの反論であります。

ここから、カーターから提出されてきた「弱い人間原理」や

「強い人間原理」といった主題に入っていくのですが、

その点に関する詳細な解説が展開されていきます。

「人間原理」は、

「コペルニクス原理(人間も含めた宇宙全体像の細密描写)」に

比重が置かれすぎたとの「誤解」から、創出されてきた原理のようです。

「第1章」でも、ルネサンス知識人の間で、

論争が巻き起こったテーマですが、ここでは、

『宇宙はなぜこのような宇宙なのか??』といった本質的疑問から

立ち上がってきた「原理」として分析考察されています。

丁寧な詳細は、本書をご一読下さることをお薦めします。

④「第4章 宇宙はわれわれの宇宙だけではない」

カーターによる反論は、まだまだ続くのですが、

「強い人間原理」は、『そもそも宇宙はなぜこのような宇宙だったのか』という

本書の主題とも関わるだけに重要なテーマであります。

本章では、カーターの世界アンサンブル論から、

数学的事象論も踏まえた「観測選択効果」が描写されるところ、

「われわれが、事象内(全宇宙空間内における生存領域)に存在するのも、

<無数>にある宇宙の中で、<たまたま>存在が許されている宇宙に存在

しているだけにすぎない!!」との視点から、「目的論」とは無縁な形態での

「(強い)人間原理」が復活してきます。

ここから、量子論における「多世界解釈」とも親和性の強い

「多宇宙論」が、宇宙論のテーマでも取り上げられていくことになります。

この後、宇宙を構成する物理的微細定数の話題などに入り、

いわゆる「微調整(ファイン・チューニング問題)」が紹介されるのですが、

この「微調整」は、「目的論」と混同されかねない「何者か(サムシンググレート論や

インテリジェンス・デザイン論)」とは一線を画した「純粋な物理学」テーマとして、

端的に、「この宇宙を形成している<物理定数>は、なぜこの値なのか?」といった

厳密な論点から「人間原理」が解説されていきます。

⑤「第5章 人間原理のひもランドスケープ」

その過程で、無数の「泡」宇宙が、「ビッグバン+インフレーションモデル」といった

宇宙論の「標準モデル」から自然に「多宇宙モデル解釈」が導かれてきました。

自然な観測結果とも整合性ある「現代版」の「多宇宙ビジョン」です。

ここから先は、現在の観測技術の限界とも相まって、「未知の領域」へと

入っていくことになりますが、少なくとも「予想モデル」を組み立てながら

「整合的理論」が構築されていく過程の紹介とともに、

現代「宇宙論」の最前線「ひも(ランドスケープ)理論」の

解説が始まります。

この結果、見えてきた「世界観」の一つに、「無限循環型宇宙論」があります。

結論的には、現代「宇宙論」の世界では、「多宇宙ビジョン」を

大前提にしながら議論されているといいます。

ところが、日常生活における私たちの世界観たるや、旧態依然とした

「唯一」の世界に捕捉されてしまっているかのようですね・・・

ここに、「狭義」の「人間原理」の「限界」があります。

これも、「観測選択効果」の一種なのか!?

⑥「終章 グレーの階調の中の科学」

いずれにせよ、このように、宇宙論の最前線から

「われわれの世界」を眺めていても、その都度、

宇宙観が変化してきたことは、本書全体における強調点であります。

このように、科学そのものも、常に「パラダイム・シフト」(トマス・クーン

が、起こりえることも注意しておく必要があります。

つまり、「固定観念は、いつまでも有効ではない<限定>された見方!?」だと

いうことです。

ここに、「人間中心主義」をも乗り越えていく

現代のあらたな「人間原理」の役割と意義があります。

「大きな視点で、世界を眺める!!」

ここに、未来へ向けて積極的に生きていこうとする

人類の可能性(希望)があります。

「人間原理」の歴史は、宗教的世界観(「唯一」の真理!?)と

科学的世界観(「仮説」検証を繰り返しながら、少しずつ変容していく

暫定的真理モデルの許容)を巡る闘争史でもあったようです。

「科学」には、「限界」があるのかないのかを巡る論争も

終わりを見せることはないですが、少なくとも「硬直的だ!?」とする

一般的な見方とは、真っ向から対立するということは言えるのではないでしょうか?

科学は、「常住不変を嫌います」し、むしろ「諸行無常」の世界観とも

親和性があるとも言えそうです。

現在では、完全な「真理」というよりも、暫定的かつ近似的な「仮説」という

含みを持たせた科学「定理」を大前提に「理論(定理・公理など)」が

厳しく吟味されています。

つまり、科学すら時代によって変化を余儀なくされるということです。

「硬直(教条)」化したイデオロギーは、科学ではありません。

ただ、その都度その都度の「実験観測」といった厳密な検証結果から

世界が「更新」されていくことを許容しています。

とはいえ、「人間原理=観測選択効果は、視野を頻繁に狂わせてきた」ことも

事実であります。

それ故に、理解困難なのも、「人間原理」の特徴であります。

「人間原理」を常に乗り越えようとする「生命の意志」のみが、世界観の歪みを正すのだろうか!?

このように、「人間原理」探究の果てに見えてきた「宇宙論」の

最新見解は、『いろいろな可能性があるなかで、宇宙はたまたま

このような宇宙だったのかもしれない』(本書252頁<あとがき>)

考える人々が増加し続けているようです。

しかし、「人間原理」には、もともと「認知的バイアス」が含まれていたことは

再度、確認しておく必要があります。

私たち「人間」が、「いま・ここに・生きている」この世界(宇宙)は、

当たり前ですが、「人類史」の過程であります。

つまり、広大な「宇宙史」の中では、「ほんの一瞬」の「限定」された

時空間で生きているに過ぎないということであります。

「人類」の存在しない宇宙は、この「人間原理」から想像しても

あまり意味のない営みではあるでしょう。

しかし、この「宇宙」自体が、「人類」のみの「独占空間」だけでないことは

確かな事実であります。

そのような「謙虚」な「志向性」で「宇宙史における人類史」を分析考察していくと、

「人間原理」が一転して、「宇宙原理」に通じていくようです。

この「謙虚さ」こそ、良心的な物理学者の探究源になっているようです。

「大きくて広い宇宙空間から見れば、人間の生存空間など<たかが知れている!!>」

のかもしれませんが、まったく希望がないわけでもありません。

この「宇宙の最果て」を探究する過程で、ある人は「希望」を語り、

ある人は「絶望」を語る・・・

そんな文字通りの幅広い解釈を許容するのも、「人間原理」の不思議さで

あるようです。

「人間は考える葦」(パスカル)とは、うまい比喩であります。

その人の「志向性=生命の意志=純粋さ=高次意識」だけが、

狭義の「人間原理」を乗り越える「導き手」となってくれるのでしょう。

このようなイメージ像で、表現すれば、「物理学」の世界を超越した

「宗教的精神世界」のように感じられる方もおられることは、

重々承知しているつもりです。

しかし、本書を読み進めてきた結果、むしろ、「理論」物理学の世界こそが、

あやふやな真偽不明な「神(サムシンググレート)」観念を持ち出さなくても、

宇宙の「実相」を描写することが出来る「長所」があることも判明してきました。

もちろん、「物理」学とて、「人間が学び問い続ける営み」ですので、

「人間原理」といった「限界」もあります。

ですから、どのようなアプローチでも、「完全記述」は不可能であります。

その「限界」を踏まえたうえでの「謙虚さ」こそが、

「人間」の「高貴さ(万物の霊長)」であることも、また確かなようであります。

本文中で、「科学」と「哲学」はルネサンス精神(狭義の「人間原理」)から

分離していった歴史的過程も見てきましたが、

現在は、その「学問」におけるアプローチ方法こそ違いますが、

再び、「科学」と「哲学」が共存共生しながら「融合」しようとしている

最中にあります。

そこが、「科学哲学」の面白みでもあり、

SF(サイエンス・フィクション)の楽しみでもあります。

ということで、皆さんも、本書は、難しい「人間原理」や「宇宙論」といった

専門的解説にとどまらずに、

皆さん独自の「豊かな」世界観を構築して頂くための触媒となってくれる好著ですので、

是非ともご一読されることをお薦めさせて頂きます。

「宇宙論」の魅力・意義は、「幅広い視点で、世界を眺める姿勢が得られること」です。

最後に「生命」について、日本が誇るSFの名巨匠である

小松左京氏の、人類へ向けられた愛あるメッセージを孫引用して

筆を擱かせて頂くことにします。

『生命というものは、それ自体として価値があり、それゆえに

存在しつづける権利があるのではないだろうか?』

(『未来の思想』中公新書、1967年所収

<『宇宙にとって人間とは何か~小松左京箴言集~』

PHP新書206頁、2011年>からの孫引き)

同書「第1章」に、「宇宙と未来」をテーマにした箴言集が

掲載されていますので、本書とご併読されながら、

「人間原理」を通して、「人類の未来」をともに考察して頂くと

幸いです。

なお、本書でも触れられていて、管理人もお気に入りの

「サイクリック宇宙論」については、

「サイクリック宇宙論~ビッグバン・モデルを超える究極の理論~」

(ポール・J・スタインハート/ニール・トゥロック共著、

水谷淳訳、早川書房、2010年)

をご紹介しておきます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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4 Responses to “青木薫さんの「宇宙はなぜこのような宇宙なのか~人間原理と宇宙論」私たちを取り巻く世界観も一変する宇宙論!?”

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