今西錦司先生の「ダーウィン論」土着思想からのレジスタンス!!棲み分け理論による進化論とは?

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現代でも論争になる「ダーウィン論」

「棲み分け理論」で有名な今西錦司先生に、

新たな「進化論」を学びたいと思います。

生存競争の激しい現代社会・・・

いかに「居場所」を確保するか?

生物は、本当に「自然淘汰」や「突然変異」に

見舞われたのでしょうか?

すべての万物が共存共生していくための道筋とは?

その理想を探っていこうと、今回はこの本を読みながら

皆さんとともに考えていきましょう。

「ダーウィン論~土着思想からのレジスタンス~」     (今西錦司著、中公新書、1977年)

今西錦司先生(以下、著者)は、生態学者、文化人類学者であり、

日本の霊長類研究の第一人者として知られています。

ダーウィンの進化論に対して、「棲み分け理論」を提唱した

学者としても有名です。

従来の生物学の枠を超えた学際研究を積極的に進めた点でも

独創的な視点をお持ちです。

生態学から分類学を経て「社会学の領域」にまで跨るといった

いわば「生物社会学」研究者としての側面もあるようです。

現代でも、「今西進化論」は賛否両論があり、

議論は錯綜しているようですが、

ダーウィンの個体重視の進化論に対して、異議申し立てしたことは

評価されているようです。

ダーウィンの進化論自体にも、誤解が多いようです。

進化の過程を実際に観察するのは、膨大な時間もかかり

明確な検証が困難なことから、その真偽を確証する術もないようです。

にもかかわらず、「自然淘汰」仮説は一人歩きして

現代社会にも席巻しています。

後に、「突然変異」仮説なども現れていますが、この仮説自体も十分に

詰め切れていないようです。

ダーウィンが「進化論」を論じたのは、宗教から科学を切り離そうとした時代で

社会においても「産業革命」など人類史上稀に見る上昇発展の節目に当たりました。

しかも、悪いことに個人重視から集団重視へと移行しようとする過度期でもあり、

「生物の進化」と「人間の進化」の過程が混同された

「社会ダーウィニズム」も出現してきました。

著者が、活躍した時代は20世紀初頭で「凄惨極まる生存競争」が

人間界においても繰り広げられていました。

そんな時代に「種の起源」を論争するのは、ある意味で「危険な賭け」でもありました。

冷静な学問研究が、政治的な動きに悪用されかねませんでした。

人類は、二度の世界大戦を経てようやく「凄絶な生存競争から脱却」できたか

のように見えたのもつかの間・・・

今度は、「遺伝子学」の方向から優生学が復活しかねない勢いが出現してきました。

21世紀に入り、生物学の分野でも大いなる発展があり「新たな進化論争」が

巻き起ころうとしている昨今です。

「優位にある個体種しか生き残れないのか?」

それとも、

「棲み分けることにより、共存共生のうえで個別に進化するのか?」

現代社会でも、非常に関心の高い論争です。

そこで、今回は人類の未来像につき考えていこうと

この本を取り上げさせて頂きました。

ダーウィンの「進化論」って何??

まず大前提として、進化そのものは事実としても

「進化の定義(意味)づけや進化過程の解釈は異なる」という

ことを確認しておかなければなりません。

最初に「ダーウィンの進化論(自然淘汰説)」について

著者は、以下のようにまとめておられます。

なお、著者はこの仮説につき「ダーウィニアン・ドクトリン(以下、ドクトリン)」

と名づけられています。

①種に属する各個体間に、個体変異あるいは個体差があること。

②生物の種はその種の維持存続に必要な以上の個体数を、子孫として生産すること。

③したがってそこには個体間の直接的あるいは間接的な生存競争が生ずること。

④たとえわずかでも生存上に有利な個体差をもった個体が、適者生存して生存競争に

勝ちのこること。

⑤適者生存した個体は、その有利な個体差を遺伝によって次代へ伝えること。

この「ドクトリン」に対して著者は「論争」を仕掛けていくのですが、

大前提として「生存競争の実体(自然淘汰)とは、どんなものか?」

「進化の過程について確認された事実とは?」

このことが、明確に確認検証された経緯が

ダーウィンの観察結果からは読み取れないために、大きな疑問として

浮かび上がってくるようです。

「ドクトリン」の大きな特徴は、「優位な個体」が生き残って

「劣位の個体」を完全に滅ぼしてから進化し続けるという点にあります。

ダーウィンの観察といっても、それは「家畜や栽培植物の育種」という

人間の手が入ったものを前提に、「自然界そのままの生物の生存競争」に

当てはめたところに強引さがあると、著者は考えます。

また、ダーウィンの種に対する見方は、あまりにも「擬人化された個人尊重

主義」にあるため、種の中での「個体間競争」に過度に重きが置かれています。

これに対しては、著者は「種の中の個体には個体差はあれども、大きくは

異なる性質を持たない」として、個体間競争には比重を置いておられない

ようです。

著者は、種と個体を二つにして一つとイメージされているので、

種と個体の変化はそれぞれ連動するものと、見立てられています。

そのため、種そのものが大きく変化する「大進化」と個体における

小さな変化である「小進化」を時期に分けて考察しています。

この場面について、著者は「適応拡散」と「定向進化」という

言葉で説明していきます。

「ドクトリン」では、「種と個体を分離した」格別な進化とするために

実際には「適応と関係ない進化がある」ことをうまく説明出来ない難点も

あるようです。

さらに、ラマルクの提唱した用不要説によると

用いられた何らかの有利な器官は、進化のプラス面で矛盾はなくとも、

「不利な退化現象」についてのマイナス面には一貫した説明がつかない

点にも「ドクトリン」には無視し得ない難点があるようです。

適応を巡っての大きな世界観の対立

その他の細かい論争点は、本書をお読み頂くとしまして

最大の問題点は「適応とは何か?」についてです。

社会に適応するという意味付け次第で「世界観」が大激変する

ことにも関わってくるからです。

「ドクトリン」では、「適応拡散と結びついた大進化」の場面を

説明出来ても、その後の個体における個別差が現れる「定向進化」

過程に入る「小進化」については、「適応と直接関係ない進化もある」

ために一貫性がありません。

なおかつ、「ドクトリン」によると一見すれば「種(集団)」よりも

「個体」を重視しているように見えても、生存競争に打ち勝った優者が

劣者を淘汰してしまうと考えるため、一種の「全体主義」のようにも

イメージされかねないところにも問題があるようです。

著者は、「生活の場」という環境も視野に入れながら「全体と個体」との

バランスも考慮に入れて「棲み分け理論」を形成していきます。

すなわち、「適応」について「棲み分けによる生物の分化発展

であり、棲み分けの高密度化である・・・」

そのことは、「一応の棲み分け完了後は、それぞれの間で安住している状態

=各種の生活の場を互いに侵害しない状態」として「適応の優劣を問うもの

ではない」と「多極相論の立場」に立っておられます。

要するに、「進化と適応を切り離す」ことで混乱を避けるべしということです。

「適応」の定義によっても「進化論の意味づけ」が変わっていくようですね。

「厳しい生存競争による自然淘汰以外にも適応に達する道があるかもしれない!!」

これは、私たち人間社会にも勇気づけられる言葉です。

いずれにせよ、問題なのは「自然淘汰」「突然変異」「適応」という

言葉だけが先行しており、その意味づけは明確に定まっていないようです。

また、科学で一番注意しなければならないのは

「事実そのものとその解釈(理論)の違い」についてです。

ですから、何も「進化論」に決まった答えがある訳ではないのです。

現状、「進化論(ドクトリン)のイデオロギー化」の方が

世間を席巻しているようですが、これこそ「非科学的」な態度です。

ですから、皆さんも社会を決しておそれることなく各々の「個体差」を

活かしながら共存共栄の道を探っていきましょうね。

それが、著者からのメッセージでもあるようです。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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5 Responses to “今西錦司先生の「ダーウィン論」土着思想からのレジスタンス!!棲み分け理論による進化論とは?”

  1. […] 課題に昨日ご紹介した今西錦司先生や「集団遺伝学」を研究されている […]

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