今西錦司先生の「主体性の進化論」環境適応型適者生存偏向を乗り越える進化論「変わるべくして変わる!?」

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「主体性の進化論」

「棲み分け理論」で著名な今西錦司先生が、

環境適応重視型の旧来の進化論を乗り越えようとされた

「今西進化論の総決算の書」です。

今から30年前の古い見解のように見える「今西進化論」

現代でもミクロな「個体」の世界には迫りつつも、

生物全体社会といったマクロな「種」の「起原」については、

ほとんど解明されていないようです。

「変わるべくして変わる<主体性>の進化論」

今回は、この本をご紹介します。

「主体性の進化論」(今西錦司著、中公新書、1980年)

今西錦司先生(以下、著者)は、20世紀の生物進化論を「社会学」的な

視点から拡張された文化人類学者であります。

前にも当ブログでご紹介させて頂いた『ダーウィン論』では、

ダーウィンの「個体」偏重型進化論の限界について考察されています。

生態学者から文化人類学者へと学際領域を乗り越えていった

先駆的研究姿勢は、今なお「心ある」研究者に多大な影響を与えています。

著者自身は、「登山家」の一面もお持ちで、

現代では、ほとんど見失われてしまった「自然誌学」の提唱者(ナチュラリスト)

でもありました。

現代進化論は、ミクロの「分子生物学」や「発生生物学」などの実験観察を

主体とする大学研究室を中心としたいわば「実験室進化論」のようです。

「生物の起源」そのものも、未だ解明されているとは言い難い状況にある中、

こうしたミクロの「個体偏重型進化論」にも限界があるようです。

そんな中で、登山家や文化人類学的視点から、実際に野山を駆け回りながら

「フィールドワーク(現場観察)研究」をなされたマクロの「種」「種社会」

「生物全体社会」といった有機的進化論の復権も待望されているところです。

こうした「種」に重きを置いた「社会的生態学進化論」は、20世紀の

政治経済動向に対する反省とも相まって、現代でも誤解が多々見られ、

あまり重点的研究がなされているとも言えないようです。

とはいえ、本書でも強調されておられるように、著者は、

「社会環境偏重型」の適応重視進化論に疑義を提起されています。

19世紀のダーウィンやラマルクといった、現代進化論の源流にも厳しいメスを

入れながら、実際の観察や新たな遺伝学の要素も加味した「種の起源」を

探究されています。

内容は、今から30年前のものであり、著者独自の分析考察や研究手法にも

賛否両論あるようですが、「種の起源」自体への回答は、

未だ留保されているのが現状でもあるようです。

現代社会は、あまりにも急速な進歩発展を遂げたためか、

生物界や人間界において「不適応感」の度合がますます高まっています。

そんな中で、従来型の「適応偏重型進化論」を超克されようとした

著者の功績が、次第に再評価されつつあります。

今回は、そんな著者最晩年の著書から、今後の「非適応型進化論」を

皆さんとともに模索しながら、一人ひとりの「より良き居場所」が

確保される社会を再創造していく道のりを探究してみようと、

この本を取り上げさせて頂きました。

ダーウィンもラマルクも同じ穴のむじな!?         進化論から「適応」というあいまいな概念を取り外せ!!

著者による『ダーウィン論』の詳細については、冒頭でも掲げさせて

頂きました前回の記事から、前著をご一読して頂くことにしますが、

本書でも前回の「積み残し問題」について、丁寧に解説されています。

本書での主眼も、このタイトルに込められています。

皮肉なことに『種の起源』で一躍「現代進化論の祖」となったダーウィン自身も

時代や観察資料の制約から、「個体」(それも、かなり狭い領域)に迫る研究で

閉じていたようです。

著者もダーウィンに同情されていますが、19世紀当時の社会事情や学問研究の段階では、

かなりの限界もあったようです。

また、ダーウィンとは別の視点から研究考察していった、

もう一人の「現代進化論の祖」であるラマルクも同じような私的事情を抱えていたようです。

当時の宗教界の事情もあって「適応」についての関心度合が強く、

科学的な「進化論」と言えども、随分と狭い領域での分析考察だったといいます。

著者によると、「進化論」は、巷間言われているほど狭い分野を探究する学問ではない

とも指摘されています。

つまり、「進化論」を大きく3つの問題に集約させることが許されるなら、

①「種の起源」

②「適応」

③「系統」

に関わる理論だと言えるようです。

このうち、①「種の起源」については、ダーウィンやラマルクなどの

19世紀の進化論者は、結局のところ「入口」にすらたどり着けなかったようで、

③の「系統」問題も、著者が言うところの「種としての<大進化>」といった

長期間かけて観察してみないことには判明しない「難題」であるため、

なかなか人間1代限りの研究では、その全貌把握にまでは達し得ないとの限界も

あったのだとされています。

そのこともあって、短期間での「個体差」研究よりも難しい側面があるので、

これは一概にダーウィンやラマルクだけの責任に帰するのも酷というものであります。

そこで、「わかりやすく」比較的手っ取り早く取り組める課題として、

「適応」に着目した「進化論」に偏っていったようです。

この「適応」から派生していった論点が、「自然淘汰」や「突然変異!?」といった

諸概念の提唱につながっていったとされますが、

そもそも上記のように語ってきましたように「進化論」自体が

長期的観察から得られた知見を参照に、事実確定と理論構築していく学問であります。

したがって、容易には「自然淘汰」や「突然変異!?」といった考えが

「進化論」を考察するうえで適切なのかどうかも見えてこないようです。

また、この「適応」や「自然淘汰」、「突然変異!?」といった諸概念自体に

「あいまいさ」も含まれているため、「科学的な」研究対象に馴染むべきものか

どうかも、大問題であります。

ダーウィンやラマルクといった19世紀とは異なり、現代進化論は、

ミクロ世界から接近していく遺伝学を重視した「分子生物学」や

生物(生命)の起源を探究していく「発生生物学」の研究成果が飛躍的に

積み重なってきましたが、それでも、マクロ世界を解析する「種の起源」には

今なお十二分に迫り切れているとは言えない現状にあるようです。

そしてまた、この「種の起源」を考察するうえで、何かと誤解の付きまとう

「あいまいな適応概念」を取り外していくことから、あらたな「現代進化論」の

再出発を図ろうではないかと提起されるのが、著者であります。

著者も、最初は19世紀末期から20世紀初頭の「環境重視型生態学」の

調査研究から斯界へと足を踏み入れたようですが、「環境に対する想い」や

現実のカゲロウや高山地帯などにおけるイワナ・ヤマメ、植物の樹木観察といった

フィールドワーク調査からも、従来の「生態学」とは異なる視点を得られていった

といいます。

そこで得られた知見などを総合考察すると、従来の「適応概念」もあいまい過ぎる

とともに、著者独自の「棲み分け理論」とも整合性のない「進化論」でもあると

感じられたところから、西洋の「進化論」の大家たちの研究とも

大きく離れていく結果となったようです。

そこから、著者独自の自由自在な研究領域が見出されていったとされています。

ダーウィンやラマルクとも別の角度から、著者独自の「棲み分け理論」が

開拓されていく過程で、再発見した考えの先行研究者の学説として

ワグナーの「隔離説」やアイマーの「定向進化説」があります。

本書では、そうした先行研究者と著者独自の問題意識の共通項と相違点を

中心に据えながら、詳細に分析考察されています。

「種」も「個体」も2にして1とする「共進化論」と「主体性の進化論」!?

このように著者も西洋の先行研究者を批評してきましたが、

まとめますと、著者が強調したかった論点とは何だったのか?

それは、「進化論」自体、中でも生物全体社会を志向する「種の起原」に

関する調査資料が少なすぎるといった難点や、短期的な「ミクロ観察」を

繰り返していっても、どこまでも「個体」に偏りすぎるとともに、

環境に左右されるといった「環境要因論」に主軸を置いた理論構成にも

科学的視点が弱かったのではないかとの見方であります。

ワグナーの「隔離説」との違いでも、環境上の「障壁」に力点を置きすぎた理論も

著者独自の調査研究とも大きく食い違う点も多々観察されてきたため、

極端な「環境障壁説」にも再考し直す余地があるのではないかとも指摘されています。

また、アイナーなどの「定向進化説」についても、調査資料が少なく、

「ある一定の方向へと進化していった!!」とする見方も、

つまるところ「系統の起原」の問題であって、

「種の起源」へとは迫り切れていないのではないかと疑義を提起されています。

まとめますと、これまでの「進化論」はミクロ世界に偏り、

なおかつ「環境適応重視型」の「個体優位進化論」だったようです。

分子生物学などの遺伝学分野でも、「中立」的な立場が出始めている昨今、

著者がご存命だった時代とは、格段に大飛躍を遂げてもおり、

著者の見解にも大きな反証が出されてきていますが、

今なお、生物全体社会といったマクロな「種の起源」論争には

今ひとつミクロ「個体論」以上には踏み込めていないようです。

現代社会では、著者が強調されてこられたような「適応重視型進化論」も

見直されてきたことは、著者などの功績も影響しているようですが、

21世紀の「あらたな進化論」におけるミクロとマクロの結び目を

どこに設定するかによって、各人各様の「現代進化論」も進化分離していく

だろうということは言えましょう。

とはいえ、「適応重視=環境要因論偏重型進化論」の勢いが狭まった訳でも

ありません。

ミクロの分子生物学の知見が、今日「ビッグデータ」として悪用されるなど、

新手の「優生学=適応偏重型進化論」が猛威をふるい出すとも限りません。

著者の「主体性の進化論」も、20世紀前半の「生態学」の残滓の影響も

あるせいか(著者自身は、こうした反論に真摯に応えようと努力されて

こられましたが・・・)、今なお根強い誤解もあるようです。

「種」と「個体」は2にして1つのもの・・・

こうした「全体と個体の相互関係論」の全貌や著者の真意も

十二分に伝わり切れていたかどうかも心許ないところがあります。

著者自身、19世紀末期から20世紀初頭の「環境重視型生態学」や

政治経済面における「社会進化論の悪影響」から逃れ出ようと、

生涯を通した研究にわが身を捧げてこられただけに、

その誤解が残されていくことは、著者ならずとも

良心的な研究者にとっては、誠に残念なことであります。

そのあたりの著者の志を引き継ぐ若手の柔軟な研究者が待望されるところです。

最後に、「応用問題」として「人類の起源」についても若干考察されていますが、

この人類についても、「現代人の始祖」は、たった一系統だけだったのかどうか、

その詳細な調査研究が待望されるところです。

それによって、西洋の特殊宗教的事情とともに「科学的装い」を

凝らしてきたとされる「現代進化論」の最前線をも

超克していく道のりが拓けていくことでしょう。

いわば、「バベルの塔崩壊」の通俗(歴史)的解釈とも異なる、

多種多様な「種」の共存と、「個体」の共生への道であります。

著者の「棲み分け理論」も一読しただけでは消化不良に終わってしまいますが、

魅力にあふれた論考であることには相違ありません。

「近似的な並行進化」の過程が、「かけがえのない」個体間の共存共生を促し、

「種」全体でも調和の取れた「棲み分け」を促してきた「主体性の進化論」・・・

こうして眺めてみると、著者自身の見解は、まったく「全体主義」とも

ほど遠い「進化論」であります。

「進化論」で、しばしば言及されるキーワード

「適応」「自然淘汰」「突然変異」「環境」などなど・・・

これらには、もともと「あいまいさ=多義性」がありますので、

論者の「定義」や研究の「志向性」の違いとも相まって、

なかなか決着がつかないところがあります。

「進化論」とは、そうした各人各様の「世界観」をも反映させたものであり、

「種(人類やその他生物)の起原」も短時日での観察で、

全貌が把握出来るものでもありませんので、「科学的」な研究対象に

「そもそも論」の次元で馴染むものなのかどうか?

そのあたりにも「進化論」が人類の「難問」とされる理由もあるのでしょう。

いずれにせよ、何事にせよ「起原論」は「盲点」であります。

どこまで、人類はその「未知(神秘)の世界」に迫れるか?

それは、今後の人類の努力次第でありますが、

「進化論」の教訓から学ぶことがあるとすれば、

それはひとえに、「森羅万象の前での知的謙虚さ」だということです。

やはり、「わからないものはわからない」と言い切る勇気も必要です。

それでも、「わからないもの」を「わかろう」とする努力は、

決して無意味ではありませんが・・・

ということで、正直管理人も本書を一読した限りでは「消化不良」であります。

「わからないものは、わかりません!!」

「されど、わかりたい!!」

そういう「オチ」になってしまいましたが、皆さんも日本を代表する碩学の

「主体性の進化論」に触発されながら、ともに考察して頂けると幸いです。

「今西進化論」の総決算を知りたい方にお薦めの1冊が本書です。

最後に、著者の『ダーウィン進化論』との格闘の軌跡から得られた

人生上の教訓を本書から引用させて頂くことで、

皆さんへの「応援メッセージ」に代えさせて頂きます。

『(ダーウィン進化論との格闘の軌跡を受けて)

このことを、私の好きな山登りにたとえてみよう。進化という大事実を、

一つの大きな山とみるのである。するとこの山へは、いろいろな側からの

アプローチが可能であろう。いいかえるならば、いろいろな側からの

登山路があってもよいのである。それらのいろいろな登山路は、その中の

どれが正しくて、どれが間ちがっている、というようなものではない。

どれもこれもが登山路として成りたつようなものである。ダーウィンは

それらのなかの一つの登山路をえらんだ。私はダーウィンのとらなかった

別の登山路をえらんだ。これでは競争にもならないし、勝負のつけようも

ないではないか。』(本書215頁)

皆さんも、「ニッチな居場所」を見つけることが叶えば良いですね。

最近の大ベストセラーである『置かれた場所で咲きなさい』(渡辺和子シスター)

というメッセージとも相通じる心があるようですね。

「変わるべくして変わる」

そうした自然な人生の流れが、あなたを「あるべき場所」へと導いて

下さることでしょう。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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2 Responses to “今西錦司先生の「主体性の進化論」環境適応型適者生存偏向を乗り越える進化論「変わるべくして変わる!?」”

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