茂木健一郎先生の「記憶の森を育てる~意識と人工知能」人工知能と人間の共存共栄を考えるための入門書!!

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「記憶の森を育てる~意識と人工知能~」

茂木健一郎先生が、「今・ここ」から将来に向けた

人工知能と人間の共存共栄を考えていくための

論考を提出されています。

昨今の人工知能の飛躍的進化を見ると、

人間の「想定外」の事態が続出中です。

楽観論、悲観論の渦巻く中で、人工知能研究の

現状を知っておくことで、私たちの不安は

少しでも軽減させられるのでしょうか?

今回は、この本をご紹介します。

「記憶の森を育てる~意識と人工知能~」          (茂木健一郎著、集英社、2015年)

茂木健一郎先生(以下、著者)は、マスメディアでも大人気の

脳科学者としてご活躍中の方です。

「アハ!体験(ひらめく瞬間の感覚)」や「クオリア(質感・

手触り感・味わい感などの触知感覚)」などのキーワードを

手がかりに、脳科学の最前線にある知見をわかりやすく

伝えられてこられました。

いわゆる「心脳問題」研究者であります。

理化学研究所(通称:理研)、イギリスのケンブリッジ大学を

経た後、ソニーコンピュータサイエンス研究所のシニアリサーチャーを

務めておられます。

ソニーコンピュータサイエンス研究所といえば、CD開発や犬型ロボット

「AIBO」開発で有名な技術者天外伺朗さんが初代社長兼所長だった

国内有数の「人工知能」開発の民間拠点の一つとして知られています。

天外伺朗さんと言えば、チクセントミハイの「フロー概念」を取り入れた

「フロー経営」などの啓蒙活動もされておられる方です。

著者には、天外伺朗さんとの縁もあって、

『意識は科学で解き明かせるか-脳・意志・心に挑む物理学』

(講談社ブルーバックス、2000年)という共著書もあります。

そんな物理学と「意識の不思議さ」は、「超」心理学のような

学際的研究との接点もあるようです。

人工知能問題は、こうした最前線にあり、これまでの「物理学と心理学」の

境界を乗り越えようとしてきた難しい研究開発分野でもあります。

本書では、そんな「人工知能と人間脳との違い」に焦点を当てつつ、

今後の「未来経済」において、どのように共存共栄していくべきかの

著者の現時点における一試論でもあります。

21世紀現在、世界の有名企業は、この「人工知能問題」で

しのぎを削っています。

「人工知能が、人間の雇用を奪う!!」とも不安な悲観論が

次第に高まっていく中で、人間の未来に「希望」は残されているのでしょうか?

多くの方々にとって、まさしく「死活問題」であります。

そんな不安やおそれを少しでも軽減させるとともに、各人で早期対策案を

練っておくことは、大切な試みであります。

本書は、季刊誌『kotoba』に連載された「記憶の森を育てる」

(2012年春号<No.7>~2015年冬号<No.18>を原典に、

「単行本化」に際して、大幅に加筆修正された書物であります。

ということで、皆さんとともに「人工知能」の最前線に分け入ることで、

これからの「人工知能と人間の共存共栄法」を探究していこうと思い、

この本を取り上げさせて頂きました。

「人工知能」と「人間脳」との相違点を探る

まずは、最初に本書73頁の図「人工知能」と「(人間脳における)意識」の

相違点からまとめておきましょう。

「人工知能」では、

①外界の「ビッグ・データ」を

取り入れた「コンピュータ内部処理」において、

②統計的解析や評価関数処理による最適化作業

(情報の要・不要を選別する作業)を経て、

③デジタルデータが導出されていく認識形式が

なされます。

著者は、この「デジタルデータ」を以下の「(人間脳における)意識」との

対比で、「限られた身体性」と定義付けされています。

一方で、「(人間脳における)意識」では、

①同じく外界の「ビッグデータ(物理的オーバーフロー)」を

②「人間原理」である「統計的解析・メタ認知(暗黙知)・マッハの原理

などを通じた、「志向的クオリア(概略認知を含む)」と

「感覚的クオリア(現象学<事象自体から表出されてきた直感的認識??>的

オーバーフロー)との相互作用を経た、

③「意思決定、判断、身体性に基づく運動(言語を含む)」によって、

認知がなされていくとの「推論仮説」を提出されています。

この図を簡単に要約してみましたが、詳細につきましては、

本書の丁寧な解説をお読み頂くとして、

現代の「脳科学」の最前線でも、古くからあるテーマ「心脳問題」は

未解決であることは、確かなようです。

脳(神経)科学の進展で、脳内構造についての

「ビッグデータ(大雑把な情報という意味です。)」は解析されてきたものの、

未だに「脳」は謎に満ちた存在であります。

なかなか「決定打」を出し切れていないようです。

著者は、脳科学者であり「脳=物質(のようなもの)」と微妙な解釈を

されていますが、あたかも「物質」であるかのように見える脳から

「心=意識の流れ??」が表出されてくる過程については、

いかなる研究者の間でも一致点が見出せていない現状にあるようです。

このあたりも、すでにご紹介させて頂いたロジャー・ペンローズ博士の

見解や最近ご紹介させて頂いた「潜在脳(主に、情動)」研究を見ても、

「感情反応(心)と知覚・情動反応(身体)との相互作用性」についても

その「物(脳)から心(意識)が表出されてくる過程」については、

未知の領域であることは変わらないようです。

そうした数々の「心脳問題」といった古典的難題に取り組む研究者の中で、

著者は、いわゆる「質感(クオリア)問題」についての、

日本における第一人者であります。

いわば、「脳」は、どのような「手触り感・味わい感」といった質的反応を

示しながら、現象界からの認知判断を下しているのかという難問です。

そこで、「人工知能」と「(人間脳における)意識」の双方とも

まだまだ「未知の大海」が拡がっていますが、

「人工知能」そのものが、「人間脳」による「意識的プログラミング」の

結果として開発されてきただけに、現状のあくまで<情報知識解析能力>以外の

領域では、「人工知能<人間脳」だとされています。

本書を巻末まで読み進めていくうちに、

今後の人類史における「戦慄すべき未来予想図」も描かれていきますが、

一方では、「希望という名の余白」も残されていると語ります。

但し、今後の人類の叡智にかかっていますが・・・

そのように現状では、「人工知能<人間脳」の段階で踏みとどまってくれて

いるようですが、日進月歩の技術革新の結果、最近の論調では、

「悲観論」が「楽観論」を上回る勢いになってきました。

とはいえ、一度動き出した歯車を止めることは、

人類が、「人工知能」への期待感を捨てることでもしない限り、

このまま続行開発されていきます。

世の最前線では、世の大多数の「不安やおそれ」を

尻目に研究開発は前進していくばかりです。

その大前提は、もちろん「楽観論」によるものですが、

「悲観論」についても同時進行で、何らかの納得いく説明が

提示されなければ、結果として「悲観論」がより一層強まり

世界に大混乱が生じないとも限りません。

ある意味、現状の「テロ問題」や「移民・難民問題」以上に

解決困難な「戦慄すべき事態」を招き寄せることにもなりかねません。

著者も、そのような憂慮ある提言もされておられます。

ところで、著者は上記のような「人工知能<人間脳」を大前提にしながら、

人工知能に対する「耐えられない狭さ」のことを問題視されています。

また、その結末としての人工知能自身による「暴走問題」にも注意を

呼びかけられていますが、私たち自身の「情感」や

「クオリア(質感)」を日々磨き続けることも大切です。

現代社会では、厳密な意味での「純粋自然」は減少の一途を辿ってきたそうで、

自然と言っても、人間の手の入った「人工自然」の環境で、日々過ごしています。

そうした、これまでの人類史における自然と人間の関係性についての教訓からも

今後の人工知能と人間との共存共生関係をも類推していくことが出来ます。

とはいえ、私たち人類は、「科学技術」を未だ安全な形で使いこなせていません。

そのことは、「原発」を始めとする「核エネルギー管理」の面でも問われ続けてきた

課題であります。

そこで、以下では、「人工知能」における「限界」は、

「人間脳」における「盲点」であるとの視点から、

本書の論考をヒントにしながら考察していくことにします。

「記憶の森を育てる」ことが、「人工知能の暴走」を抑止する鍵になる!?

ところで、私たち人間を取り巻く世界には、「豊穣な海」が

広がっていますが、日々の暮らしの忙しさや厳しさからか

「盲点」が拡張されていくばかりのようです。

著者は、こうした人間と世界における本来の「豊かさ」に目を向ける

ことをきっかけに、「質感」とともに「記憶の森」を育てていくことを

強調されています。

「人工的な世界観」が強くなればなるほど、「自然の彫刻美」に注意を払いながら、

「<私>が<私の一部である世界>との一体認識」を高める努力を積み重ねていく

必要があるとのことです。

この「世界観」については、「人工知能と人間の相違点」の現れでもありますが、

「内省」しながら「意味記憶」を「意識の深層」へと積み重ねていくことで、

「世界内存在」としての人間の「有り難さ」もまた実感されていくからです。

この「意識を介した認識(認知)過程」こそ、人間の特異性でもあります。

著者は、上記の「豊穣な海」に「オーバーフロー」という表現を与えていますが、

世界の「物理的オーバーフロー」を「意識を介して」、「現象学的オーバーフロー」

へと「連続的に」転換していくことが出来るのも、人間の本来の豊かさだと語ります。

「人工知能」では、こうした「意識を介した」、「意味記憶」にまで高めたり、

折に触れての「有機的な想起作業」をすることが、現時点での「限界」でもあります。

そのことを「チューリングテスト」などの事例を引き合いに説明されています。

現状では、本書262~263頁の人工知能と人間との「会話??」のように、

人工知能では、「しりとり(連想)ゲーム」の段階にあるようです。

前後の文脈のみに限定された「文字通りの<言葉>」を手がかりに、

「表面的な」会話をなぞるだけのようです。

「言外の微妙なニュアンス(まさに、クオリア=情感・質感!!)」や

「暗黙知」が働かなかったりするなど、融通が利かないようです。

とはいえ、冒頭の方でも語らせて頂きましたように、人間とて

「精神的次元」での会話という点では、年々歳々「硬直化」してもいます。

だからこそ、「現象学的アプローチ」である「事象そのものへ=根源へ」と

いった積極的「志向性」が要請されています。

「根源へ」は、前にも当ブログでご紹介させて頂いた書物のタイトルでも

ありますが、そこでもこうした「人間の無関心さ」に対する危機意識が

強調されていました。

「人工知能」であれ、「(人間脳における)意識の傾き」であれ、

「きわめて狭い領域にしか興味関心がない」という現代社会の傾向には、

ゾッとするものを感じさせます。

著者は、「人工知能と人間の相違点」の分岐に、「身体感覚」を置いています。

「人工知能」は、先程も語りましたように、「身体感覚」と強力に結びついた

「意識の流れ」が乏しいところから、概略認知機能に限定され、

「ホメオスタシス機能(<生物(有機)的>安全装置)」が

まったく働かないところにも最大の難所があります。

そのことが、人工知能の「暴走問題」を引き起こし、収拾のつかない事態にまで

発展していくのではないかと指摘されています。

では、そのような「暴走問題」を食い止める秘訣とは??

それこそが、人間脳における「精神的意識の流れ」を高めていくことに

他なりません。

著者によると、「もっと、この世界の重さを感じて生きる!!」という

ことです。

その意味で、「無関心こそ、人間にとっての<獅子身中の虫>」であります。

著者は、クオリア(情感・質感)を高めていくコツとして、

「場所記憶」を高めていく視点を持つことで、「人間の存在論的な危機」を

超克していく工夫の大切さを強調されています。

「存在論」と「認識論」は、古来から哲学の二大テーマでありますが、

ことに、昨今では、「存在の耐え難い軽さ」が人びとの「生命の尊厳」を

侵し続けています。

「文明の危機とは、第一義において<人間精神の危機>である!!」

この「認識論」とともに、「存在論」の重さを実感する日々の点検作業を

怠ると、真の意味で「人類の生存危機における特異点」へと、

容易に誘導されていくことでしょう。

本書は、そのような「戦慄すべき未来予想図」から脱却するための叡智が

秘められた「聖なる書」でもあります。

特に、本書の圧巻は『第二部 場所と記憶 Ⅱ-6 言葉と国家』という

論考でありました。

近現代的国民国家の「限界」が垣間見られてきた今日この頃、

著者も語られていますように、「国家権力の歯止め無き無政府状態」を

追求することは、現時点における人類の精神的次元では、

もちろん「無謀な挑発かつ危険な状態」であるにせよ、

「国家」や「日常社会」自体も、ある種の「共同幻想」であることは

確認しておいた方がよいようです。

「国家」もまた、「人工知能」や「人間」と同じく「暴走問題」を

抱えています。

「言葉が国家を形成していく」という視点は、昨日のトマス・ペインの

問題意識とも通底するものがありますが、この「言葉」こそ、

つくづく厄介な存在でもあります。

「言葉そのもの」に込められた微妙なニュアンスをいかに誤解なく

皆さんにお伝えしていくことが叶うのかという難問は、

管理人にとっても、「最大の課題」であります。

そこで、いつも書きながら考え、考えながら書き続けていきますので、

時間はかかっているのですが、その点にこそ、人間の長所もあります。

こうした完成品として仕上がっていく「書き言葉」の「言外」に

込められた「想い」も感じ取って頂ければ、「救い」でもあります。

管理人は、「言葉を愛しています!!」

確かに、「想い」を伝達していくことは、絶望的に困難なことであります。

優れた古今東西の文筆家も、そのことで日々悩んでいたといいます。

職業的文筆家でなくても、人間であれば、言葉から離れて思考も行動も

していくことは出来ません。

そこで、「言語問題」ですが、「人工知能と人間の関係性」を考察する前提として、

「意識的プログラミング問題」を先に提起させて頂きましたが、

「人工知能」に「良き言葉」のみに限定したプログラミングを施せば、

「暴走問題」は一件落着になるのかと思いきや、そもそも「メタ問題」として、

ここでも「人間原理(何を<善悪>の基準にするべきか??)」といった

難問は、依然として残るようです。

人間にとっても、ただ「言葉狩り」さえ叶えば、差別撤廃などの「暴走抑止」に

なるのかと問いを立てても、これまで人類史における歴史的教訓から考察すると

悲観的にならざるを得ないようです。

「上に政策あれば、下に対策あり」という俚諺もありますように、

こういった「暴走」も「暗号化」で切り抜けてきたところがあります。

その意味では、人間自身による「情報の取捨選択」といった「選別機能」の方が

人工知能の「暴走問題」を心配するよりも、余程「先決問題」なのかもしれません。

いや、絶対に「先決問題」でありますとも・・・

このように「断言」させて頂いたのも、人間には

「倫理的防御装置」が内在されているものと信じるからです。

確かに、現状では、人工知能以上に人間の世界でも、「暴走問題」が

絶えず付きまとっていることでしょう。

ですが、「意識の流れ(傾き)」といった特殊装置が

人間脳には「内蔵」されています。

つまり、自らの「高次(メタ)意識」でもって、予期せぬトラブルも

自力修正することも出来るのです。

また、人間には「連想ゲーム」を先程の人工知能における会話以上に

自由自在に楽しむことが出来ます。

そこで、毎度の「連想ゲーム」の要領で、本書にはない独自の視点

提出してみましょう。

それは、人工知能にはなく、人間にはある「認知的不協和(ダブルバインド)問題」

といった「心理的現象問題」であります。

人工知能は、「機械(デジタル処理装置)」ですから、

アルゴリズムも常に「0か1」であります。

ですから、その「言語(論理)的処理」も一瞬のためらいもない「記号操作」で

完結することが出来ます。

一方で、人間の「言語(論理)的処理」は簡単ではありません。

必ず、一瞬のためらいがあります。

また、「心理的言語操作」も含まれますので、意識的にしろ、無意識的にしろ、

必ず「あいまいさ(ためらいの結果)」も現出されてきます。

そのため、いかに「言語明晰」を心がけようと、「意味不明瞭」な余白も

残してしまいます。

そのことが、「認知的不協和(ダブルバインド)現象」に帰結されていく

一要因となるようです。

皆さんも、日々の「社会的言語の使用法」で苦労されていることと思います。

その「言外」に込められた「微妙なニュアンス」は、

さらなる「対話(単なる<会話>ではなく)」で、

余白を埋めていかなくてはなりません。

とはいえ、人間は、「有限な存在」であります。

つまり、「時間的」にも「空間的」にも「有限な存在」だということです。

「人間は、時空そのもの」と言い換えてもいいでしょう。

ということで、このような「永遠論法」も「有限」の前で一区切りつけなくては

なりませんので、今回はこのあたりまでにしておきますが、

「人工知能と人間の相違点」を本書などを手がかりに考察していくだけでも、

世界には「オーバーフロー現象」が湧き出てきます。

この「オーバーフロー状態」をいかに泳ぎ切るかということも、

人間の知恵と工夫にかかっているということを強調しておきます。

やはり、「意識の流れという脳内現象は、汲めども尽きぬ無限の泉」のようですね。

「有限の中の無限、無限の中の有限」

一見すれば、矛盾した言葉でありますが、この世界、さらにその遙か彼方に

広がる宇宙という大海の中では、この人間自身に、

「不思議な脳内現象」がしきりに「決断」を迫ってきます。

「人工知能問題」は、今後とも、より良き書物のご紹介とともに、考察を

皆さんとともに深めていきたいと考えていますので、皆さんの方でも

各自本書などをきっかけに、ご自身の考えを深めて頂きたいと思います。

著者によると、「私」という「個別的井戸」を深く掘り下げていくことが、

「私たちという世界」を取り巻く「集団(普遍)的井戸」へと結合していく

ようです。

「私たちは、個別性を有しつつも、水面下ではつながっている」

ということに、深く感謝しながら各自の「記憶の森」を育てていきましょうね。

それが、「不安やおそれ(アルゴリズム)」に打ち勝つための

「創造のための原動力」になっていきます。

著者は、本書でニーチェスピノザなどを例に「神問題」についても

考察されていますが、究極のところ、「神問題」とは、「宇宙的覚醒問題」

と同義であります。

この「神」の個別的定義は、各自ご自由でありますが、

近代以降の「神は死んだ!!」(ニーチェ)とされる自立的知性という

思想も、「共同幻想」の一つのようです。

その意味は、生きている限り「何かを信じている!!」はずなので、

誰しも「神(宇宙意識??)とともに」生きていると考えなければ

つじつまが合わないということです。

そのあたりも、著者は考察されておられます。

また、本書でも語られていた「ポジティブ心理学者??」チクセントミハイの

「フロー現象」も、日々の仕事に対する「活性剤」として役に立つようです。

仕事が煮詰まって、なかなか先行きが見えない時でも、

とりあえず、何らかの「作業」をしてみる。

それは、直接の業務内容と関係なくても良さそうです。

要は、「仕事に<縒り>を戻す」ための「触媒」として活用しながら、

再び「フロー現象=ゾーンに入ること」を作り出すことが出来れば良いのですから・・・

そのうちに、淡々と黙々と仕事に取り組んでいる自分が見出されていくとともに、

「気づきの瞬間(著者のいう、アハ!体験)」も訪れることでしょう。

「集中と弛緩の断続性」が、一番「心にも体にも優しい」ようです。

ということで、皆さんにも本書をご一読されることをお薦めさせて頂きます。

なお、著者の別著として、

①「人工知能に負けない脳~人間らしく働き続ける5つのスキル~」

(日本実業出版社、2015年)

②『脳と創造性~「この私」というクオリアへ~』

(PHPエディターズ・グループ、2005年)

③「クオリア入門~心が脳を感じるとき~」

(ちくま学芸文庫、2006年)

④「脳と仮想」

(新潮文庫、2007年)

をご紹介しておきます。

※差し当たっては、本書と①のご併読をお薦めいたします。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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