宮沢賢治「春と修羅」などを読みながら、「華厳的生き方」を実践していこう!!

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「働かざる者食うべからず!!」

この「脅迫的言辞」におびえている方も

いらっしゃるでしょう。

そんな「脅迫的言辞」に負けない生き方が、

「華厳的生き方」です。

今回は、求道者「宮沢賢治のことば」を

お届けしながら、「生き方や労働観」について

考えていきたいと思います。

「宮沢賢治のことば」                  (本田有明著、サンマーク出版、2011年)

わずか37歳の若さで亡くなった「宮沢賢治」

東北大震災以降、あらためて静かに読み継がれています。

奇しくも「宮沢賢治」の生まれる「二ヶ月前」に

「明治三陸地震」が起きており、

誕生の四日後にも「陸羽地震」が発生しています。

まるで大地の裂け目から「転生」してきたかのような

「宮沢賢治」

彼は、「仏教的求道者」でした。

また、科学的知識欲にも恵まれていました。

「宗教と科学の架け橋」

「文理統合の草分け的存在」でした。

そんな彼も「病弱続き」でした。

しかし、「詩作」や「様々な活動記録」を

見ると「精力的な働き」に満ちた生涯でもありました。

その「エネルギー」は、どこから湧いてきたのか?

混迷し困難な時代を生きる私たちにも、なにがしか

「ヒント」になるものが多く得られるだろうと、この本を

取り上げてみました。

「銀河系に生きる私たち」

私たちは、銀河系にある太陽系第三惑星「地球」で生きています。

古来より人類は、「夜空に瞬く星空」に憧れながら生きてきました。

「宮沢賢治」が描く「銀河鉄道の夜」

幻想的な文学ですね。

「児童文学」としても傑作です。

生前は、出版されることもなく死後に評価された作品です。

「おとな」になると、「こども」の時に見た

「この世(現実)とあの世(空想)の時間の裂け目」をすっかり忘却して

生きていきます。

それが、「おとな」になることだとされています。

確かに、「あの世(空想)」ばかりに浸っていたら「危ない」です。

日常生活を過ごすことが困難になってしまいますからね・・・

でも、「おとな」になっても「想像力や創造力」を

無くしてしまったら「本当につまらない人間」になってしまいます。

そのような「生きるのに大切な感性・霊性」は、是が非でも

守っていきたいものです。

~正しく強く生きるとは 銀河系を自らの中に意識して

これに応じて行くことである~

(「農民芸術概論綱要」の「序論」から)

「わたしも一人の修羅」

奈良の興福寺にある「阿修羅像」

「人間界」では、自覚するとしないとにかかわらず

少しでも油断すれば、簡単に「修羅道」に嵌ってしまいます。

そんな日々の実感からか、多くのファンがいるようです。

いうまでもなく、「修羅道」には誰も落ちたくないものです。

されど、「善いこと・正しいこと」を求めて生きようと

すればするほど、逆説的に「悪の罠」に足下がすくい取られて

しまいます。

だからこそ、人間は常に「自分は悪をもなす修羅」

意識して生きていく「覚悟」が必要になるのでしょう。

~まことのことばはうしなわれ 雲はちぎれてそらをとぶ

ああかがやきの四月の底を はぎしり燃えてゆききする

おれはひとりの修羅なのだ~

(『春と修羅』「春と修羅」から)

さて、本題です。

冒頭でもご紹介した労働観について

考えて参りましょう。

「働かざる者食うべからず!!」

「新約聖書」の一節だとも、「社会主義者」レーニンの

言葉が由来だとも言われています。

19世紀後半から20世紀前半にかけて、

「不労所得(者)」に対しては、かくもすさまじいイメージが

作られていきました。

しかし、このことが後に地球上に「大きな災厄」をもたらしたのです。

21世紀現在もその「後遺症」は残っています。

昨今の「グローバル化」で、先進国では「格差問題」が

取りざたされています。

これを是正しようと、「無理な荒療治」をする方向

へと進みつつあります。

私は、次のように考えます。

「無理が通れば道理が引っ込む」

「嫉妬心は恐ろしい災難をもたらす」

「対立からは何も生まれない」

「慈悲の心と寛容の精神を互いに持ちたい」と・・・

宮沢賢治自身も実家が裕福だったために

「苦しめられた」ようです。

「農村改善運動」を実践していても、

所詮は「金持ちのボンボン」だと・・・

「バカ」にもされました。

それでも「耐える勇気」を持って生き抜きました。

~ああ杉を出て社殿をのぼり 絵馬や格子に囲まれた

うすくらがりの板の上に からだを投げておれは泣きたい

けれどもおれはそれをしてはならない 無畏 無畏

断じて進め~

(「春と修羅」詩稿補遺「境内」から)

「私はすべてに感謝して生きたい」

そのような思いが伝わってきました。

「誤解を恐れずにまっすぐ素直に前に進む!!」

そんな「強い気概」がです。

さて、「労働観」についてですが、

近代の労働観は

「対価としてお金をもらう=稼ぐこと」

という低級なイメージをもたらしました。

「労働=稼ぐこと」

それしか「生計を立てる手段がない!!」というのは、

本来「自然にはない」ことだと思うのです。

「労働ってそんなに卑しいもの?」

「断じて、否!!」

では、「仏教的生き方」ではどう考えているのか?

「一日作(な)さざれば一日食らわず」(百丈懐海禅師)

仏によって生かされている私は、自然の恵みに感謝することを

忘れることがあってはならない。もし、この感謝の気持ちを

忘れるような日があれば、私は食べない。」という意味です。

禅の教えでは、「労働」と呼ばず「勤労すること」を

「作務(さむ)」というそうです。

~われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう

求道すでに道である~

(「農民芸術概論綱要」の「序論」から)

~(前略)世界がぜんたい幸福にならないうちは

個人の幸福はあり得ない~

(同上)

このように私たちも、

「自分の真心=他人の真心を一致させていく生き方」

すなわち、「華厳的生き方」に努めたいものです。

「自分はみんなの一部、みんなも自分の一部」

そのような「アメーバ的思考」が、

「華厳経の教える生き方」です。

私も、童心にかえって「善財童子」のように生きていきたいと

願っています。

なお、「宮沢賢治の生き方のもとになった思想」について

深く知りたいという方には、

「宮沢賢治の菜食思想」(鶴田静著、晶文社、2013年)

「童貞としての宮沢賢治」(押野武志著、ちくま新書、2003年)

をご紹介しておきます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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