高橋昌一郎先生の第三講義「感性の限界」人間は、己の存在に打ち勝つことが出来るのだろうか!?
高橋昌一郎先生の最終講義を始めます。
第三弾「感性の限界」
これまで「知性の限界」「理性の限界」と
読み進めてきました。
その「限界の最果ては、想像力(感性)で埋めるしかない!!」
とも語ってきました。
しかし、ここにきて感性にも限界があるとか?
こうなってくると、何だか絶望的な気分になってしまいますが
「果たして人類には希望が残っているのでしょうか?」
今回は、この本をご紹介しながら考えていきます。
「感性の限界~不合理性・不自由性・不条理性~」 (高橋昌一郎著、講談社現代新書、2012年)
では、早速入っていきましょう。
これまで、「知性の限界」「理性の限界」と
読み進めて参りました。
まとめは、最後の拠り所は「想像力(感性)」でした。
ところが、どっこい!!
今回ご紹介する「感性の限界」を読んでいくと
どうもそんな楽観的な見方も出来なくなってきました。
もっとも、最後には
「何でもかんでも理詰めで考えるから人生行き詰まるんじゃぃ!!」
と思いっきり突っ込んでしまったのですが・・・
それでは、私たちには「何が残されているのでしょうか?」
皆さんとともに考えて参りましょう。
愛なんて幻想??
この「感性の限界」では、
「行為の限界」「意志の限界」「存在の限界」と
いうように3部構成になっています。
この「感性の限界」の論争会場は、
「結婚披露宴会場」に舞台設定されています。
著者も面白く読んでもらうために、なかなか「営業努力」していますなぁ~
そんなこともあって冒頭のタイトル「愛なんて幻想??」を掲げさせて
頂きました。
「恋愛も結婚もみんな打算??」
議論を詳細に聴いていくと、そのように「刷り込まれそう!!」です。
特に、生理学者や行動学者、進化論者の話を聴いていると「もっとも」
と思いこまされそうです。
「意志の限界」では「自由意志」が中心テーマとなっています。
私たちの「自由意志などほとんど無きに等しい!!」
進化学者が持ち出す「利己的な遺伝子」で有名なリチャード・ドーキンスの
理論を見ればそのように思ってしまいます。
「遺伝子と個体(生身の私たち自身!!)のどちらに主導権があるのか?」
途中から、SF小説のような世界像が展開されていきます。
「遺伝子に、私たちは操られているだけ??」
それとも、
「個体(私たち)が遺伝子というエンジンを操作している!?」
のかを巡っては、古くから論争されてきました。
ダーウィンの進化論は、このところ分が悪いようですが、
それでも未だに現実社会では「社会ダーウィニズム」が
根強くはびこっているようです。
この論争は、「宇宙創生=生命起源論」とも相まって
なかなか決着がつきそうにありません。
人間存在の不条理にどう立ち向かうのか?
「人間も宇宙の一部分」
「神は細部に宿る」
とも、考えられてきました。
ですから、もし「宇宙そのもの」に心(意志)があるのだとすれば、
当然私たち個々の人間にも「意志」があってしかるべきでしょう。
「宇宙は今現在も進化の途上にあって膨張中」
だと、宇宙物理学者は語っています。
「盲目的意志」(ショーペンハウアー)
人間は「生きようとする盲目的(本能的無意識)意志によって生きる」
だからこそ、「不条理」が人間そのものにセッティングされているのも
仕方がないという「厭世!!哲学」を打ち立てました。
確かに、人間も生物ですから生存競争はあるでしょう。
でも、世の中には「それを言っちゃお終いよ~」という
暗黙知という「叡智」もあるはず・・・
だと、管理人は「すがりつき」ます。
これに対抗したのが、あの「生の哲学」を提唱したニーチェでした。
「永劫回帰思想」
「どんな絶望的な状況でも、いや絶望的だからこそ誇り高く生きる!!」
と言われても、そうなんでしょうけど、
人間って案外か弱い生き物ですからね。
案の定、ニーチェさんも無理が祟ったようですね。
ということで、これまで3回に分けて考察してきましたが
「自由意志があろうがなかろうが、生きていることには変わりがない」
んだから、
「せいぜい生きている間くらいは細かなこと気にせんと愉しもうじゃ
ありませんか!!」
と、ロマンチストなリアリストでありたいものです。
この世に生きている間は、誰しも「肉体という殻」を身にまとっています。
そのような物理的な「限界」を抱えているだけに、あれやこれや「言語闘争」
をしても実益があるのかどうか??
少なくとも、楽観的な管理人には分かりません。
もっとも、私たち人類が鋭意「頭を働かせて」努力してきたからこそ、
現在のような高度な社会を持てるようになったことには、素直に感謝したい
と思います。
それでも、「無理が通れば道理が引っ込む!!」という
叡智も知っておいた方がよいでしょう。
この本でも、近未来はSF小説のような世界像が提示されていました。
しかし、このような「味気なさそうな世界観」に人類は耐えられるのだろうか?
やはり、文化創造(芸術=一見して役に立たない=別になくたってかまわない)が
あった方が生きる歓びを味わえて「地球に優しい」んじゃないかなぁ~と
思いました。
著者は、論理学・哲学がご専門なので「芸術の世界」にまでは足を踏み込むことが
出来なかったようですが、是非皆さんもこの本をご一読のうえで、
各々の「芸術の哲学」を想い描いてみませんか?
そんなことを「考える」のも「想像の一形態」
「人生とは、生きる芸術!!」と表現された方もいらっしゃいます。
案外楽しいものですよ。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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