野坂昭如さんの「終末の思想」今だからこそ、食料の大切さと生きる意味を問うエッセーに耳を傾けよう!!
「終末の思想」
昨年暮れにお亡くなりになられた
直木賞作家にして元参議院議員など
生前多彩な活動をされた野坂昭如さん。
その野坂さんの最晩年の遺稿集です。
『火垂るの墓』などでも知られるように、
ご自身は、「焼跡闇市派」を標榜されるなど、
価値観が激変していく中での人間の悲喜劇を
詳細に描いた作品を提供されています。
今もっとも大切なテーマは、食(職)と死生観です。
今回は、この本をご紹介します。
「終末の思想」(野坂昭如著、NHK出版新書、2013年)
野坂昭如さん(以下、著者)といえば、
サングラス姿とダンディーなおしゃれスタイルが、
茶の間では、お馴染みのイメージでしたが、
硬軟織り交ぜた鋭い社会批評家としても知られています。
ことに、前にもご紹介させて頂いた直木三十五氏の名を冠した
「直木賞」作家として、『火垂るの墓』や『アメリカひじき』といった
名作品を生み出された人物として、若い世代の方にも馴染みがあるかと
思われます。
あの作品を表面だけで鑑賞していると、
安直な「反戦平和ヒューマニズム」作品とも評されるようですが、
実際は、そんな甘いイメージ像を提起されたわけではないようです。
なぜなら、ヒューマニズム(人間中心史観??)は、
楽観論だけで論じきれるテーマではないからです。
戦争や災害といった人間の物質的・精神的危機に至った時の
阿鼻叫喚の地獄図こそ、読み解き、記憶し続ける必要があります。
そんなことから、政治的立場を問わずに、通俗的イデオロギーを
厳しく批判し続けてこられました。
現在、参議院議員選挙中ですが、野坂昭如さんご自身も
今でいうところのタレント候補??として、
田中角栄氏への金権政治批判を問いかける立候補者として
参議院議員としての活動をされたことがあります。
そのテーマには、「金で命(人生)を売り買いする愚かさ」への
問いかけや「食料自給率問題」、「災害対策問題」などがあり、
今でこそ最重要問題ですが、
作家としての敏感な皮膚感覚から
現実の政治の場で取り上げられた先駆者でもあったようです。
昨今、田中角栄氏を巡っては、石原慎太郎氏『天才』など、
様々な「再評価」の動きもあり、かつてのような単純な「金権政治批判」も
薄れつつあるようですが、やはり「今太閤(田中角栄氏の<あだ名>」には
戦後の表裏一体の社会現象の悪い側面を促進させた罪もあると思われます。
若き日の石原慎太郎氏も自民党内に、今は亡き浜田幸一氏(ハマコーさんの
愛称で知られる<ご意見番>)などとともに、「青嵐会」を立ち上げるなど、
「体制内刷新(革新)」を目指されていたようですが、
当時は、三島由紀夫氏などから「筋違い」などとして、
政治的方法論を巡って微妙なズレもあったようです。
本書では、著者の三島由紀夫氏への思い入れを
『都知事としての三島由紀夫』というエッセー(本書120~126頁)で
語られていますが、こうしたエッセーを読み進めていると、
管理人が20代の頃に描いていた著者への「一方的」イメージ像も
一変させられました。
とにかく、単純な政治的「左右」の「枠」から飛び抜けておられるところが
著者の魅力でもあるのです。
管理人自身も、社会経験を年を追って、積み重ねていく過程で、
人間に対する単純な一面的見方を更新しようと、
日々成長させて頂いている段階にありますが、
著者の語りに耳を傾けていると、
戦争や災害などの最悪な状況でさえ、
「人間は、まだまだ見下げ果てた存在ではない!!」と再認識できます。
ということで、社会が豊かになる反面、人間の生き生き感も
年々歳々薄れていく現代だからこそ、皆さんにも著者の遺言メッセージから、
より一層の「人間らしさ」を再考し直して頂くヒントとして、
この本を取り上げさせて頂きました。
食(職)とともに滅びつつある人間
まずは、本書の内容構成について要約しておきますね。
①「第1章 この世はもうすぐお終いだ」
※「焼跡闇市派」の立場や、神戸育ちとしての
ご経験から、戦争や地震などの人災・天災を
まるで他人事のように語る昨今の社会風潮を
厳しく観察した批評眼から、最後のメッセージが
届けられています。
自然環境から離れすぎてしまった「人工人間」の
末路は恐ろしいほど暗いものがあるとの本書の主題
「終末の思想」の開幕であります。
「飽食の時代」、「万事が金次第の世の中」といった
戦後思潮(近現代的世界観)が、
人間が死すべき存在であるとの危機意識を喪失させたのではないかと、
「我々は、自滅への近道を歩んでいる」と警鐘乱打されています。
人間は、やがて必ず死すべき時期がやってくるとの自然感覚を
忘れ、終末期医療などの過剰な「延命措置」による生存術が、
死生観をも歪め、人間の「尊厳」を軽くしてしまったのではないかとも
逆説論理から問題提起され始めます。
②「第2章 食とともに人間は滅びる」
※「飽食・金満・弛緩時代」の元凶は、
日本の敗戦意識と祖国再建を
過度に「戦勝国」に依存する姿勢にもありました。
「食料調達」手段を他国に依存し過ぎた国家・民族の
末路は厳しいとの認識で、現在の食料安全保障政策に
対する批判をされています。
食べ物を粗末に扱う人間は、自然から最大限のしっぺ返しを
受けるとの警告であります。
③「第3章 これから起きるのは、農の復讐である」
※著者は、『火垂るの墓』などでも優れた人間描写でもって、
「戦争を知らない世代」に訴求されていましたが、
「本当に飢えたとき、人は人でなくなる」(本書50~54頁)の
論考は、深く考えさせられるテーマであります。
人間の明るく美しい一面だけで判断してはいけないとの、
人間の「負の側面」についても目を向ける視点を持つことを
教えられます。
ここに、著者の人間観があります。
俗流の「ラブ&ピース」などと叫び狂った「戦争を知らない世代」の
戦後的軽佻浮薄さをも、激しく斬り捨てられています。
こうした著者の視点を共有すると、
著者が、生涯を通じた「焼跡闇市派」の立場から、
政治的な左右を問わずに、安直な似非ヒューマニズム論争に
嫌悪感を抱かれてきた理由も理解出来ます。
著者は、「憂国の士」の一面をお持ちだったことにも気付かされます。
戦後の「農業政策」(農地改革の悲喜劇事情や減反政策の愚など)や
昨今のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)などに見られる
ビジネス化した「農業政策」にも厳しい視線を向けられていました。
「食(農)は、文化伝統にも直結する!!」だけに、
「農」の大切さを忘れた人間には、あらゆる視点が狂うことにも
直結していきます。
それが、「農の復讐」であります。
「食が途絶えた時ほど、金が命を繋ぐのに、
何ほどの役にも立たない!!」ことが思い知らされると強調されています。
このあたりは、管理人も「大正世代」と「昭和一桁世代」の
祖父母から語り聞かされてきたこともあって、地方と都会での
「食」に対する意識の差が、あまりにも大きかった現実とも符号するようです。
九州生まれ育ちの母方の祖父は、「百姓育ち」でもあり、
祖母の実家では、砂糖などの「甘物」を扱う商いをしていたそうですが、
戦争中の配給事情の厳しさや戦後の糊口のしのぎ方など、
随分とたくさんの実体験談を聞かされました。
敗戦直後の九州の地方都市では、職も厳しい現状にあったようで、
それが、「都会」大阪に出るきっかけになったともいいます。
ここにも、戦後の「都会と地方の格差事情」があります。
④「第4章 すべての物に別れを告げよ」
※「農工一体の生活」とは、かの石原莞爾将軍の思想とも
共通しますが、
著者も『農を離れた日本で、工の衰退はある意味当然』(本書76頁)だと
断言されています。
「貧しい生活環境が人間を精神的に鍛える」とは、
もちろん言い切れませんが、「飽食の時代」が、
人間精神を退化させたことは間違いないようです。
一番の「人間的価値観」を激変させた出来事こそ、
「生活の<始末>」を真剣に学び取らなくとも
生きていける「思考停止社会」の到来でした。
私たちが生きる「飽食の時代」と言っても、
天災や戦災、国外の食料供給事情の激変で、
いとも容易く、国内生活事情が急変することを
忘れるわけにはいきません。
まさに、現在の日本以外の「すべての世界」で
起きてきている諸現象が、そのことを暗示しています。
日本国憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」も
このような人類の現状を厳しく見据えると、かえって危険であるようです。
なぜなら、これこそ、「他国(他者)依存型精神」であり、
人間らしさを剥奪させる「思考停止言語」のように思われるからです。
もっとも、この憲法とて、20世紀の凄惨な歴史的体験を踏まえているだけに、
その理念は十二分に尊重しなければなりません。
管理人も、当世憲法の理念は尊重していますが、
「改憲論」にも一理あることも尊重しています。
何が、「普通の国」なのかは一律な決めつけなど出来ませんが、
稚拙で歴史感覚を見失った「護憲論」「改憲論」には反対の立場であります。
信ずるところ・赴くところは、
常に「中間場(中庸精神=精神的・物理的均衡点)」に
ありますが、管理人にとっては、
「戦を始めとする人間同士の諍いは、最大限回避すべき」との
「赤心」に共感・共鳴しています。
「平和を望むなら、人災・天災に備えよ」とは、
古来からの大切な「教え」ですが、
この「飽食の時代」を生きてきた私たち現代人は、
軽く見てきたようです。
ということを本書を読みながら、つらつら思索していると、
著者の『日本の現状を嘆くことも必要だ、
これから先を考えた時、ぼくらは枝葉末節にこだわらず、
視点を高く上げなければならない。そこを見据えてさえいれば、
少しくらい政治がガタつこうが構わない。
というより、もはや政治をアテにしない方がいい。』(本書79頁)
という語りが、心により一層強く刻まれます。
いずれにせよ、「依頼心の克服」こそ、
人間らしさの回復への第一歩だと強調されています。
⑤「第5章 また原発事故は起こる」
※ここでは、食料自給率問題とともに
わが国の脆弱点であり続ける「資源エネルギー問題」を
語られています。
著者の『日本だけ。原発増設政策の怪!』(本書98~101頁)での
主張には、管理人も勉強不足のため、「反論」を即座に提出することなど
出来ませんが、日本列島が「地震多発地帯」であり、
「使用済み核燃料」の再生処理も困難なため、
エネルギーの多角分散化の観点から、
「即時<脱>原発」などと叫ぶことは、無責任きわまりないことと思いますが、
中長期的には、原子力エネルギー(当ブログでも強調させて頂いた点ですが、
あくまで「現時点」での原子力エネルギー技術のことを指します。)依存構造を
何とか「改善」していかなければならない点は、
賛否両論問わず、数多くの心ある識者も提起されているところです。
日本は、「資源過少国」であり、国内外の未曾有の危機に直面した時には、
この脆さが、強く表れてきます。
ですから、可能な限り安全面には配慮しなければなりませんが、
自前での「資源調達システム」をいかに堅固に構築していくかが、
将来の安全保障政策にも直結するために、
真剣に模索しておかなくてはなりません。
⑥「第6章 滅びの予兆はあった」
※ここでは、著者から見た当世の「戦争を知らない世代」へ
向けた遺言が語られています。
『今も昔も、戦争を知らない、人間を御存じない手合いが、
昔天皇、今は憲法の袖にかくれて、市民のことなどいっさい考えず、
なわ張り争いをやっている。若者諸君、前の戦争について、
少し知識をお持ち下さい、されば今が少しは判る、
現在の、日本の危なっかしさが理解できる。』(本書112~113頁)
というお言葉には、真摯に耳を傾ける必要があるでしょう。
このことは、まったく政治的立場とは無関係の
国民的共通意識にまで高めていく必要がありましょう。
管理人も、思想的に左右問わず、様々な著作に幼い頃から
触れてきましたが、学校やマスコミが伝える「通り一遍」の解説に
飽きたらず、多角的な観点から思索を自ら進めてきました。
「想像力の枯渇」と「現実認識への見通しの甘さ(暗さ)」が、
最悪な結末を迎えることも見えてきたようです。
歴史をよく分析考察していると、一方的な「価値観」の押しつけのみで
事が進展していくわけでもないことが理解できてきます。
一番の恐ろしさは、「太鼓持ち」の出現と「付和雷同者」の
共同行進から時局の悪化が始まることです。
それも、少しずつ少しずつです。
その時代の「空気」とも言える分岐点を厳しく見極める
精神的力量こそ、生き残る鍵を握っています。
常に、「今がその時、今がその時・・・」と
慎重な姿勢で、世の中の諸現象を観察する批評眼が大切であります。
時間が経ってから、徐々に「閉塞感」が表れてきます。
その過程では、いくつもの「分岐点」があるのですが、
外野の「大きな声」にかき消されて、冷静な人間的判断力も
曇っていくようです。
他人事ではなく、世間の大方の見方に反しても、
常に、「自分自身の<立ち位置>」を確保していく・・・
そこに、人間の「尊厳」も確立します。
その「勇気」と「見識」を学び育てていくことが、
生きることに他なりません。
本章では、冒頭で触れさせて頂きました『都知事としての三島由紀夫』という
エッセーも挿入されていますが、思想的立場は異なれども、
わが国の「良心」を体現されてきた作家の問題意識は共通しています。
ここに、「日本語」と「日本文化」を大切にしながら、
数々の作品を世に提供されてこられた著者の優れた「批評眼」があります。
1963年には、著者の処女作『エロ事師たち』が三島由紀夫氏らに
絶賛されたとプロフィール欄にも掲載されていますが、
この短編エッセーには、生前の三島由紀夫氏へのオマージュも
含まれているようですね。
いずれにせよ、危機意識を過剰に煽り立てたりする言動は
慎まなくてはなりませんが、危機意識をどこ吹く風とやらで、
完全に記憶の彼方へと忘却し去ってしまうことも「滅びの予兆」です。
⑦「第7章 上手に死ぬことを考える」
⑧「第8章 安楽死は最高の老人福祉である」
※この第7・8章に共通するテーマが、「死生観」です。
第7章では、著者独特の「日本列島原住民(被征服種族)=桜族」と
「新来の征服種族(外来系!?)=菊族」の支配・被支配関係から
『満開の桜には恨みがこめられている』(本書128~133頁)との
「桜観」が語られています。
また、終末医療の「赤裸々な真実」についても語られています。
たまたま昨日の産経新聞一面(6月30日付)に
『高齢者4人に1人超す』なる見出し記事がありましたが、
少子高齢化問題は、何も「老人福祉医療」だけに限定されるなど、
矮小化された議論で済む話ではありません。
管理人も何度も強調してきましたが、
若者だって、「いつ死ぬかわからない存在」です。
管理人は、30代(30代に限定されず、10~20代でも
<物心と深い思慮>があれば、常に考えておくべき最重要課題だと思いますが・・・)
も過ぎると、いつ死んでも悔いが残ることがないようにと、
生前から「心の準備(予行演習??)」をしておくべきではと、
静かに問いかけて参りました。
現実に若い時期に「生死の狭間」を体験してみると、
「死生観」は、その体験前後で激変し、元には戻ることもないようです。
そのことは、当ブログ記事内での管理人の個人的雑記も含めたエッセーで、
語らせて頂いてきたところです。
現代社会は、「生のみで、死に直接触れる機会も少なくなり、
身近に実感することもなくなった<無死社会??>」でもあります。
まるで、「人間」が「ロボット機械」のごとく軽く扱われていく風潮には、
戦慄の思いを禁じ得ません。
この2章を読まれると、「高齢者」の方なら、複雑な思いも感じられると
思いますが、若者でも「死生観」を豊かに確立しようと、
真剣に人生を求道されている方にとっては、
貴重な論考だと実感されることでしょう。
「死を(ということは同時に生(性)もですが・・・)忘れた現代人」に
捧げる著者からの「遺言」であります。
⑨「第9章 日本にお悔やみを申し上げる」
※この最終章のタイトルだけを眺めても、
晩年の著者の「絶望感(無念・寂寥感)」を味わわされますが、
何も「ニヒリズム(虚無感)」に苛まれ、それでも「良し!!」と
されたわけではないでしょう。
最末期の文章に近づくにつれ、まるで三島由紀夫氏の「檄文」での
魂の叫び声のようにも感じられてきますが、
これだけは、作家として、「焼跡闇市派」の意地と信念から
残しておくべきだという熱き心が伝わってきます。
その文章こそ、
『言葉を失い、食いものを失った民族は滅びる。』(本書173頁)で
あります。
まとめますと、21世紀現在、「食」と「言葉」だけではなく、
私たちが生きる「精神的糧」としての「職」も衰退していくばかりのようです。
「一事が万事」や「蟻の一穴」という表現もありますが、
まさしく現状を的確に表しています。
つまるところ、私たちの「精神的意識の無限後退」こそが、
今日の世界の荒廃をもたらしたようです。
この先、どのような方向に世界は進展していくのか、
不安にもなるご時世ではありますが、
生き延びる姿勢には、「依頼心を捨て去る」ことが分岐点になるようです。
また、「欲望の節約」も不可欠となりましょう。
最後に、本書とともに考えてきた「未来経済」のあり方を
探究してみましょう。
人々の「お金」に対する価値観を激変させる現代経済の最前線から人類の未来を探る!!
さて、「終末!?」に向かっていきますが、
本書とも絡む視点が、「死生観=生活経済観」であります。
著者は、「万事モノを追求してきた<金銭主導型経済社会>」が、
人間の「ココロ」を歪めてきたと強調されてきましたが、
ここに来て、その「モノ=金銭主導型経済社会」も「終末期」を
迎えつつあるようです。
たまたま、昨日(6月30日付)の産経新聞『正論』欄にて、
再度、東京大学教授の坂村健先生の解説が掲載されていましたが、
御存じない方が大半だと思われますので、
ついでにご紹介しておきましょう。
論考のタイトルは、『社会の進化支えるフィンテック』です。
この「フィンテック(金融財務と情報技術の合体)」という
造語??も最近何かと触れられるようになってきました。
いわば、前にも当ブログでご紹介させて頂きました
ビットコインに代表されるような「仮想マネー」の
現実経済社会への進出現象を指していますが、
この「仮想マネー」が、実体経済の「世界観」をも
変革してしまうかもしれないとの提言がなされています。
私たちは、知らず知らずのうちに、
世の中の急激な流れの中で、「立ち往生」する事態へと
直面していっているようです。
「飽食の時代」の総仕上げは、「フィンテック」の
地球規模での拡大発展と「人工知能」などによる
テクノロジー進化による経済革命だと指摘される識者も
増加し続けています。
それに並行して、「社会生活環境」も柔軟に変更させていく
必要がありますが、政治の世界は、経済の世界よりも
後手の対応に追われています。
本書で、著者は、『もはや政治をアテにしない方がいい。』と
語られていましたが、そうは言っても、
個々人の力だけでは限界もあります。
そこで、再び「政治の季節」が到来する可能性も予想されますが、
「老・壮・青・少」といったような各層の総合的バランス感覚が、
これまで以上に要請される時期になってきています。
「すでに、日本も世界も、そのようなご時世であります!!」
だからこそ、特定の政党や候補者への投票を呼びかけるわけでは
ありませんが、18歳~20・30代の若者には、
是非とも「投票所」へ足を運んで頂きたいのです。
管理人は、すでに「期日前(不在者)投票」を済ませました。
管理人は、「仕事上の理由(1号)」でしたが、
レジャーやクラブ(サークル)活動などで、
本投票日「当日」に足を運べない方でも気軽に投票出来ます。
始めての方だと、教科書のような投票所の風景に緊張するかも
しれませんが、周りの選挙管理委員会の方々などが
誘導してくれますので、特に心配する必要もありませんよ。
「より優れた民意は、一人ひとりの慎重な決断と熟慮によって
形成されていきます。」
残念ながら、現状は、「少子高齢化」の多大な影響もあって、
このような最先端の経済事情に通じた政策を訴える候補者も
少ないようですが、是非とも若い皆さんには、
社会と人間に興味関心を持って頂き、
各人各様の立場でも、個性豊かな「政策提言」を提案してみて下さい。
若い皆さんには、まだまだ柔軟な思考力や感性もお持ちだと信じておりますので、
未来を決して諦めないで下さいね。
私たち若者層は「少数派」ではありますが、
イギリスの国民投票などを調査分析しても、
若者の投票率が圧倒的に少なかっただけに、
投票結果の偏りが生じたこともあって、
今や「後悔」をする高齢者層もいると聞きます。
中には、
「みんなが、そうするから、同じような投票行動をした!!」などといった
とても「大人」とは思われない発言を恥ずかしげもなく、
テレビインタビューで回答していた方もいましたが、
そんな恥ずかしい「大人」を、若い皆さんは見習ってはいけませんよ。
管理人も、まだまだ「30代」ですが、
この「失われた20年」を見過ごすわけにはいきません。
なぜなら、それは、単なる「個人的感情」ではなく、
「次世代へより良き社会を受け渡す<大人としての公的義務>」が
あるからです。
このように、これからを生き抜いていかれる皆さんにこそ、
未来社会を開拓していく力強い役割があります。
がむしゃらに一生懸命生きていると、人生には思いもよらなかった
予想外の転機も訪れるものですが、
基本は、人間と言葉を愛し、大切にすることです。
ということで、本書『終末の思想』というタイトルだけから
判断されると、「何か怪しげな宗教書??」などともイメージされ、
読む前から暗くなってしまうかもしれません(確かに、内容には
シビアなテーマもあります)が、
貴重な先輩からの遺言であることには変わりませんので、
是非ともご一読されることをお薦めさせて頂きます。
ちなみに、この夏の「戦争と平和」を考える推薦図書として、
著者の
『火垂るの墓』や『アメリカひじき』。
三島由紀夫氏の『美しい星』。
(こちらの記事もご一読下さると幸いです。)
壺井栄氏の『二十四の瞳』、
井伏鱒二氏の『黒い雨』などなど、
政治的イデオロギーに比重が置かれた
狭い世界観を超え出た優れた「文学作品」から、
皆さんも人類と地球(宇宙)の未来を考察してみては
いかがでしょうか?
若い皆さん(若者に限定しませんが・・・)で、
管理人と同じような「書評ブログ」を
開設されている方のコメントなら「大歓迎!!」でありますので、
もし、貴重な時間をお割き頂ける奇特な方がおられれば、
楽しみにお待ちしておりますので、
宜しくお願い申し上げます。
皆さんとともに、成長していきましょう。
なお、著者の別著として、
最直近書として、
『男の詫び状』(文藝春秋、2016年)
をご紹介しておきます。
※本書は、著者と数多くの方々との「往復書簡集」で
あるようです。
管理人は、「未読状態」ですが、
本書との出会いから、著者も私淑させて頂く師匠と
させて頂くことになりましたので、
今後とも、著者から様々な「人生の機微」を
学ばせて頂く所存です。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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