「生物学から見た人生論」本川達雄先生の知見に学ぶ「人生の時間感覚はエネルギー消費量で決まる!?」
生物の時間は「体のサイズ」によって決まる?
大きい生物は、小さい生物よりも「時間はゆっくり流れている」
ならば、人間は「流れのはやい時間」を生きているということなのか?
日々「忙しすぎる時間」を過ごしている私たち。
どうすれば、「豊かな時間感覚」をもって楽しく人生が謳歌できるのでしょうか?
今回は、「生物学から見た人生論」をテーマにこの本をご紹介します。
「生物学的文明論」(本川達雄著、新潮新書、2011年)
著者は、高校の現代評論文の素材でもよく取り上げられる
「ゾウの時間 ネズミの時間」(中公新書)でおなじみの
生物学者です。
私たちの「現代文明」は行き着くところまで行き着いたようです。
自ら創造してきた社会から「しっぺ返し」を受けているのが
現状でもあります。
「時間の流れの速さとエネルギー消費量」は比例すると、
著者は言います。
体のサイズが小さい人間が、それよりも大きな社会を創造したために
四苦八苦しているようです。
大きな社会を維持するコストが膨大になる一方で、莫大なエネルギー消費量が
かかるという信じられない「非効率さ」
そのため、「時間管理」も困難になってしまいました。
現代は、手に負えなくなった人間の労力をロボットに代替してもらおうと
いう時代です。
まさに、本末転倒です。
「エネルギー消費量が大きくなればなるほど、寿命も短くなる」と
著者は言います。
その割には、先進国の「寿命」は長期化する傾向にあるという矛盾した
環境にあります。
そうした「矛盾した厳しい環境」の下、人生を楽しく謳歌していくために
今後どのような発想が必要なのか?
その「発想のヒント」を学ぼうと、この本を取り上げてみました。
生物のサイズが時間の長さを決める??
人類が「文明を進化」させていくためには、時間感覚を「直線化」しなければ
なりませんでした。
そのため、生物が本来持つ「再生」という側面が無視されてきたようです。
一方、個々の人間の時間はあまりにも短すぎます。
しかも、「循環」する時間を生きてきたのが人間の特徴でもあります。
こうした矛盾の中でひたすら「膨張する社会」を創造してきたのが
人類の歴史でありました。
サイズの小さな人間がサイズの大きな社会の中で生きていくためには、
莫大なエネルギー消費量を必要とします。
そのため、人間が持つ本来の「許容量」を超えてしまい
「人生の時間がますます味気ない」ものへと変化してしまいました。
こうした「社会時間と生物時間のズレ」を今後どのように克服していけば
「過ごしやすい時空間」にできるのか?
将来は、「生物としての人間のサイズ」をふまえた社会設計を考えて
いかなくてはなりません。
多様な生物環境を創造していくために・・・
このままの「経済環境」を推し進めていけば、早晩人類だけでなく
他の生態系も破壊して「自滅」していくことは間違いありません。
現代文明観は、主体と客体を分離させて観察する科学によって
成り立ってきました。
すなわち、「人間と他の世界」を対立させて見る「世界観」です。
そのため、他の生態系に多大な損害を与えてきました。
また、人間自身にとっても「自分の首を自分の手で絞める」ような
矛盾を平気で犯してきました。
人間が人間を道具(手段)として利用する殺伐とした環境をもたらしました。
このような「世界観」では、力の強いものの方が優位に立ってしまいます。
そうした過程が容認されていくと、「多様なものの見方」が失われていきます。
科学や物理学は、「いかにして?」を問うことにより発展してきました。
つまり、「意味を問わなくてもいい」ということでもあります。
一方、生物学は「なぜ?」を探求することにより発展してきました。
唯一、「存在の根拠、不思議さや神秘の驚異」を問うことにより
「意味」を大切にすることが出来る学問だと、著者は言います。
この互いの学問による「世界観」はまったく異なります。
「地球は生命(いのち)の星」
にもかかわらず、「機械論」で長いこと「世界を処理」してきました。
人間本来の性質を自ら忘却した振る舞いが今日の荒廃をもたらしたのです。
このような反省をふまえて「未来を再生・再創造」していくためには、
「生命(いのち)」を中心とした「生物学的文明論」による「世界観」へと
転換していく必要があります。
「時間観は魂である!!」とも著者は言います。
個々の生命体のリズムを尊重していくことが、「生物の多様性」を守ることに
つながるのです。
思えば、現在の主流である「貨幣経済」も「人間機械論」が土台となっているようです。
「お金を稼げない人間は人間ではない?」
そんなことは、決してないはずです。
「人間は生きてるだけで丸儲け」(明石家さんま)
本当にそう思います。
「貨幣」を中心とする「経済社会」には元々無理がありすぎるのです。
今後は、「生命の本質」をきちんと取り入れた「経済体系」を構築して
いかなくてはなりません。
「正しく生きるとは、宇宙全体の幸福を視野に入れて生きること」
「全体が幸福にならないうちは、個人の幸福もありえない」
宮沢賢治も「生物学的文明論」を視野に入れて生きた人でした。
あるいは、「粘菌の研究」から「アメーバ的生物論」を構築し
あらたな「生物学的文明論」を世に問うた南方熊楠。
私たちも、このような天才の生き方に学んでいく時期が来たようです。
皆さんにもお願いします。
万類共尊の共存共栄の世の中を創造していくために各人が出来ること・・・
ともに考えながら生きていって頂ければ幸いであります。
なお、著者の考えをより詳しく知りたい方へ、
「ゾウの時間 ネズミの時間(サイズの生物学)」
(中公新書、1992年)
『「長生き」が地球を滅ぼす~現代人の時間とエネルギー』
(文芸社文庫、2012年)
「生物多様性~「私」から考える進化・遺伝・生態系」
(中公新書、2015年)
を、ご紹介しておきます。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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