加島祥造先生の「わたしが人生について語るなら」「求めない」生き方を探る柔らかな人生論!!

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「人生は長いようで短い」

「人生は一回限り」

日々懸命に生きていると、意外に

この「真実」を忘れてしまいますよね。

そこで、皆さんにご提案です。

疲れたら、重荷をおろして一服してみましょう。

人生の「来し方行く末」を振り返りながら、

じっくりと見つめ直すのはいかがですか?

「求めない」「柔らかな」人生論に、少し耳を

傾けてみませんか?

今回は、この本を皆さんにお届けします。

「わたしが人生について語るなら」             (加島祥造著、ポプラ新書、2013年)

※ 児童向けの「未来のおとなへ語る わたしが人生について語るなら」

(ポプラ社、2010年)を再編集「新書化」したものです。

加島祥造先生(以下、著者)は、有名な英米文学者です。

米国作家のウィリアム・フォークナーやマーク・トウェインなど、

数々の翻訳で優れた文学作品を世に送り出して来られました。

管理人と加島祥造先生との出会いというか、「私淑」を

始めたのは、高校に入学して間もない頃でした。

英語が得意だったので、なにか「名言集」でもないかなぁと

書店をうろついていた時です。

それが、『英語名言集』(岩波ジュニア新書、1993年)との出会いでした。

当時、簡単な英語のことわざなどに凝っていましたので、興味関心

があって購入したのです。

この時に暗唱した名文は、残念ながらほとんど忘れてしまいましたが

英語のリズムに触れて、ここから「洋楽」を聞くきっかけにもなりました。

<Where there is a way, there is a will!!>

(意志有るところに、道は拓ける)

この言葉が、今の自分を作っているのかと思うと感慨深いものがあります。

子どもの頃の感覚を思い出してみる

著者は、「△(とんがらず)、□(角ばらず)、○(転がっていく)」

のが人生の流れのようだ、と有名な「おでんの形」を解釈されています。

20代前半までは、「教育」で「とんがった」上昇志向を植え付けられ、

社会に出てからは、絶えず「社会での評価」にさらされて「固く」なり、

ある程度の年齢で「自己に目覚める」と、「まろやかな」石のように

転がり遊ぶ人生を送っていくというイメージです。

つまり、人生の前半から後半にかけて、段々と「角が取れていく」という

ことですね。

考えてみれば、当たり前のようですが・・・

吉田松陰先生ではないですが、人それぞれ「人生には四季」があります。

だから、このような「人生の法則」に無理に自分を当てはめて生きる

必要もないはずです。

生まれ落ちる時も、死ぬときも「本来無一物」なのですから・・・

にもかかわらず、社会で生きる人間は「役に立つ」ことを大前提に

教育されていきます。

人間本来の「意志」が強制的にゆがめられていくのです。

いうまでもなく、現代社会では「貨幣経済」を前提に「生計をたてる」

社会が主流ですので、普通の発想では、なかなか「おりる」ことが

困難です。

「生きること=稼ぐ」ことが、本来の人生の目的ではないはずです。

よほどの覚悟をもって意識して人生設計しない限り、

「稼ぐことだけに集中して人生は終わってしまいます!!」

だからこそ、皆さんに立ち止まって考えて頂きたいのです。

「人生は思っているほど長くはない」

「ある日、突然お迎えが来る」ということを・・・

管理人も含め、すべての方に固有の人生があるはずです。

「何のために仕事があり、取り組むのか?」

それは、「相互扶助」が目的のはずで、

「出世争いや肩書き競争」では決してないはずです。

「短い人生なんだから、お互いに楽しく暮らしたい」ものです。

そこで、暇で落ち着いた時で構いませんので皆さんに

もう一度「子どもの頃の感覚」を思い出して頂きたいのです。

好きなことが、生きる糧となる!!

ここで、あらためて人類史を振り返ってみましょう。

大昔、人類はまだ「集団生活」をしていませんでした。

基本的に「小さな群れ」で「自給自足生活」が長く続いていたようです。

ある時代を境にして、「農業」が発達し始めます。

そこから水利権などを巡って「なわばり争い」に発展していきます。

現代に至る「規模の経済拡大路線」です。

「鉄などの武器」により、「大きな」集団や組織に馴染まない者は

容赦なく支配服従を迫られていきます。

そして、現在「集団組織に所属」することが「常識」になりました。

やがて、「技術革新」が極度にまで進んだ結果でしょうか?

自然な「人口調整」が始まったようです。

「インターネット時代」になり、「組織のあり方」が21世紀に

入ってから「急激に」変化していっているようです。

私たちは、このような「歴史的過程」の真っ只中にいます。

再び人類が「個別の小さな集団」にかえってそれぞれの「創造的生活」

に回帰していくのか、それとも・・・

さらなる「規模の拡大」を追求して「個性を圧殺」するところまで

突き進んでいくのか?

今が、まさにその「正念場」です。

「時代は、人類の想念によって決まる」といいます。

良い方向に変わるか、悪い方向に変わるかは、一人一人の「想念(エネルギー)」

の方向性にかかっています。

次世代へ「明るい未来」を約束するために・・・

今を生きるすべての人間が、「余生を充実」させるためにも・・・

是非、子どもの頃の童心を思い出して「好きなこと」

楽しくともに生きて参りましょう。

必ずしもすぐに「役に立つ」必要はありません。

他者を危害しない限り、

「お互い様」

「おかげさま」の慈悲の心で

ともに生きていこうではありませんか?

「人生は芸術のような創造的作品」

お互いに、「力を抜いて柔らかな人生」を歩いていきましょう。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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One Response to “加島祥造先生の「わたしが人生について語るなら」「求めない」生き方を探る柔らかな人生論!!”

  1. 1729 akayama より:

     ≪「△(とんがらず)、□(角ばらず)、○(転がっていく)」≫との事は、【数そのモノ】の[受け容れる空間]が
     ≪「荘子 ヒア・ナウ」加島祥造著の ≪[受け容れる空間]― そこに入りこむものは、自分の形を失って溶け混ざり、すべての意識もその中に溶けこむんだ。これがふしぎなパワーであり、[偉大なる調和]と呼ばれるんだよ。≫ 
    で観る。
     【数そのモノ】が、≪両刃の剣≫を内在し万人を傷つけないのは、【数そのモノ】が傷ついて生まれて来ているのは『自然比矩形』に観てきた。
    【数そのモノ】の[基数]と[序数]の[両義性]に触れてきたが、もうひとつ重要な感覚は、[動的]性である。 
     「天空の文学史 雪・風・雨」の「天狗と風―怪異観をめぐる一考察―」門脇大著に、 
      ≪辻風≫に触れて、≪風を操る天狗という認識≫を≪自然現象を操る妖魔へという怪異観≫で観る。
     6つのシェーマ(符号)の【e ⅰ π ∞ 0 1】を『(わけのわからん ちゃん)(かど ちゃん)(ぐるぐる ちゃん)(つながり ちゃん)(まとめ ちゃん)(わけのわかる ちゃん)』の[妖怪キャラクター]とし【数そのモノ】にじかに顔を出さない『(かど ちゃん)(つながり ちゃん)』を≪自然現象を操る妖魔へという怪異観≫で観る。
     『自然比矩形』の[辺の総和(2e)]を円化する≪辻風≫が、≪両刃の剣≫の先端での≪風を操る天狗という認識≫を、『(つながり ちゃん)(まとめ ちゃん)』の≪辻風≫による[動的行為]が『(かど ちゃん)』に[運動]を与え続け[円]と生す。
     その≪怪異観≫として、『(わけのわからん ちゃん)と(ぐるぐる ちゃん)』の行為の結果として[e/π]を観る。
     他方『自然比矩形』からの[ましかく]の『(わけのわかる ちゃん)(かど ちゃん)』で[円]を舐め(なぞりき)ると[2π]と生る。 
     
     『(まとめ ちゃん)』は、『(わけのわかる ちゃん)』が『(わけのわからん ちゃん)と(ぐるぐる ちゃん)』で≪妖魔≫していると言う。 
       1=(e/π)(π/e)  との
         自然現象を操れる[1]への≪怪異観≫で観る。 

     加島祥造らの関連ある『綴り方』の『ボロ』を、[志]として二編…

       志
     「志布志」は、「志」と「志」が「布」で共感することが出来た事に由来すると伺った。
     私の「志」は、「論理を貫くこと」で、実社会の実践するところを「布」とするなら、この「布」でお互いの言葉のコミュニケーションの論理が共通であってこそ共感する事が出来ると一生懸命に努めたかったのだ。だが逆に、この「布」は、私に「情念」を起こさせたのである。
     それは、私の論文に討議された事が、この論理の現象の捉え方に、西田幾多郎の『善の研究』の言葉を拠り所にすると。
    『思惟、想像、意志、の作用よりの統一せる活動』から
    『如何に考え、如何に想像し、如何に為すべきかを論ずるのが、第一の問題である。ここにおいて論理、審美、倫理、の研究が起って来る。』を実践しょうと努めたのである。
     この論理の命題は、ちょっと専門的になるが、街づくりにおいて区画整理をする時の換地を定める(交付する)のを数式(権利価格式)でもって説明するのだが。数式を方程式とした時の命題の捉え方が、私と「布」とで「志」が違っていたのである。
     この命題そのものが全称量化であるのと、他に存在量化の命題とがあるのだったが、他(布)の『志』は、後者を置き去りにし、量化という概念に触れることなく、前者も、後者をも説明したからであった。
    言葉のコミュニケーションの全称量化と存在量化との規範モデルからの数式を方程式とした時の意識(認知)する認識のズレが、私の「志」と他の『志』が「布」の場において説明の競合(私の「志」の信念からでは、競合ではない)となり、その葛藤から何時しか「情念」が生まれていったのである。
     帯津良一先生、加島祥造先生、との談論風発で『苦痛の解放』『情念の解放』『利己主義の解放』が、健康であることとおっしゃっておられる。   
     エリクソンのライフサイクルの最終期である私には、この『統合性 VS 絶望』の心理的課題から、今、健康でありたいと『「情念」の解放』を欲しているのである。  
     この「布」の理性が、如何にかならないかと「論理を捨てず貫く」をまとめたが、認知されていないのである。
     デイヴィッド・ヒュームの言葉の『理性は、情念の奴隷である。』の対偶の命題となる「情念(共通の志を持たない情念)の解放は、理性(解放された情念に基づく理性)でない。」が真でないならば、何か別の「理性」を見出すことを実践して行きたいのである。何故なら、「布」において志が共通であるなら別々の情念は、起こりえないからである。
     この「布」に新たな論理的な理性が、自然(タオ)的に生まれているのだが・・・。
     「志」、如何に・・・?  

     森田真生氏は、「数学の演奏会」などでライブ活動もされ、平成28年10月に「数学する身体」を上梓されている。数学のライブと銘打って話をするとしてもその人自身の持ち味だけでは、食することなしで、なかなか話しその物だけで饗しきれないが・・・。
    そこには宇宙(地球)に人類が登場して以来の数学というものが、多川俊映興福寺貫首の「心の中こそあざむかないで」のコラムで『菜根譚』より「暗中で欺瞞しない」と引用されている、その事と共鳴してある意味、数学の話が「心の豊かさ」を体験できるからだ。貫首の「・・・社会的ないかなる評価もおよばない世界、それこそ、まがい物でない心の豊かさです。」これがライブで実感できるのだ。
    私が学校での数式の出会いとその後の道具としての数式の出会いがスッキリしないで、ズーット靄が漂っていた。氏のライブと心通わすにつれ、ゲーテの「あらゆるものは、隠喩(メタファー)だ」の大げささは無いにしても、数式と向き合う自分自身の心が何か、氏の敬愛する岡潔の『感情がする数学』と共感したのだ。
    私の靄の彼方に、次々と現れた言葉・・・全称量化数式、存在量化数式、二階述語論理、有限な離散有理数集合の多変数関数論、対称性、ガロア群、アーベル群、ラグランズ対応、圏、層、保型表現、数学の状態方程式・・・これらを朧げにも掴んだ・・・。
     子供の時に抱いた志は、大人に成るにつれこの活用動詞は、大概、その人それぞれの精進などにより変容する。「もっと大人に成れよ」この一言が、志を消滅させている一因でもあるのだが・・・。
     しかし、私の「大人に成れない」案件(志)は、人類が獲得してきた数覚にそぐわないことは、断固として受け入れられないという事だ。したがって、不幸にして、「心の豊かさ」を保ちつづけることはできない。
     氏の数学ブックトークからの『数覚とは何か?心が数を創り、操る仕組み』や『身体化された心』などの散見する教えから、数学というものは、「身体化された心」から生み出されたものだとの事、つねづねライブで滲み出てくる。
    『数覚とは何か?心が数を創り、操る仕組み』の気に留めた抜粋を記させて頂く。
     「数学が、なぜこうまで情熱や憎悪の対象となるのかを理解しようとするなら、合理的計算と同じくらい、感情の法則にも注意を向けなければならないのである。」
     「抽象的な群論が、すべての知識をずっと短く、厳密な形で要約しているというのに。」
     「私たちの心の構造が、世界を不連続の物に切り分けるのだ。これこそが、私たちの数や集合という直感的概念なのである。」
    カントの言葉として、
    「数学が究極的に真実であるかどうかは、その概念が、人間の心が構築したものである可能性の中にある。」
    ガロアの言葉として、
    「この科学は人間の心の働きであり、それは、知るというよりは研究し、真実を発見するというよりは、探索するように運命づけられているのだ。」
     氏にこの志の何たるかをライブする機会のあることを願っている。  
                       合掌

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