絶望からの出発!!坂口恭平さんの「現実脱出論」に学ぼう

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「現実という名の牢獄」

一度は、皆さんもつぶやいたことはありませんか?

そんな「現実」とのつきあい方をこの方に聴いてみよう。

『独立国家のつくりかた』でもおなじみの坂口恭平さん。

「現実」は、諸悪の根源ではない。

「一つの生命体」だと。

では、どのようなつきあい方をしたら「現実との折り合い」が

つくのか?

そこのところを、学んでいきましょう。

「現実脱出論」(坂口恭平著、講談社現代新書、2014年)

「現実こそが、仮想現実?」

普段、私たちが経験する「現実さん」

それは、あくまで「社会の視点」からこちらに差し迫ってきます。

そのため、私たちはしばしば圧迫感に襲われます。

そこで、視点を個人の内側にずらしてみよう。

立ち位置を逆転させて「現実さん」を再定義する試み。

「社会」と「個人」

私たちは、どうしても対立したものとして考えてしまいます。

でも、坂口恭平さんは語ります。

「個人の内側の現実」もまた「現実」だと。

現象としての「現実」は一つ。

でも、「現実」のとらえ方は多元的。

その多元的な「現実」を「社会的現実」も含めて複数ある、と考えてみたらどうか?

一種の「パラレルワールド」として再生させてみよう。

そんな試みでもあります。

決して、「社会(経済)生活中心の現実さん」を固定して生きないこと。

そのコツなどが書かれています。

語り得ないものをどう語りうるのか?

私たちは、言うまでもなく社会で生きています。

人々の間で意思疎通していくために「言葉」を使います。

しかし、社会の中で各人が解釈する世界を理解してもらうには、

どうしても「個人の内面の声」を一部捨てていく必要が出てきます。

このため、お互いの意思疎通のための「よそ行きの言葉=社会的言語」

からは漏れ落ちてしまう部分が多々出てきてしまいます。

これが、誤解の始まりです。

「社会的言語」は、「個人の内面の声」を正確に写実できない。

この「正確に語りたいが、語り得ない沈黙・感覚」をどう表現していくか?

そこに「創造」の出番があると、坂口恭平さんは語ります。

「現実」を固定的に見るクセをどう修正するか?

社会の側から補正されていく個人のもう一つの現実をどう表現していくか?

このあたりに焦点をあてていきます。

視点をずらすこと・複数の時間を持つことの大切さ

「人間は言葉より先に会話している」

人は、「言葉」以前に表情や振る舞いによっても会話します。

「語り得ないものは沈黙しなければならない」

哲学者のヴィトゲンシュタインも主張します。

ただし、それは「閉じた言語空間=うまく言語で表現できない文脈?」の

ことだと、私は理解しています。

「開かれた言語空間=言葉以前の振る舞いや表情による対話が成立する空間」

では、「言語以外の(言語を使ってもいいが・・・)豊穣な雄弁」が対話に

役立ちます。

「認知症の方」や「言語障害者の方」など。

「言葉」では、うまく伝達できなくとも「振る舞いや表情」によって

豊かな会話はできます。

もちろん「会話」を「対話」にまで高めるためには「心の声を聴く訓練」を

積み重ねなければいけません。

「健常者=普通の人?」でも、「対話」までするのは相当困難です。

現代人は、便利な「言葉」にあまりにも依存しすぎています。

むしろ、饒舌すぎて「言葉」の価値は下がっていくばかり。

そのため、お互いの「信用(信頼)度」が落ちていきます。

ますます誤解が増えていきます。

では、どうすればいいのか?

一人一人が、固有の時間・空間を持っているということ。

「ものがたり」を「創造」しているということ。

そのことを、「対話」を通じて深く体感していく努力を積み重ねていくこと。

それが、「絶望の現実」から「希望ある現実」へと変化していくのでしょう。

皆さんも、「もう一つの現実」を実感しませんか?

きっと、勇気づけられると思いますよ。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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One Response to “絶望からの出発!!坂口恭平さんの「現実脱出論」に学ぼう”

大岡敏昭さんの「清閑の暮らし」から探る「隠者」たちはどんな庵に住んでいたのか??昔のミニマリストの知恵に学ぼう!! | 双龍天翔 へ返信する

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