谷口愛さんの「どん底からでも人生は逆転できる。」人生回り道でも学ぶ意欲あれば、自信とチャンスはやってくる!!
「どん底からでも人生は逆転できる。」
幼少期から多難な道を歩まれてこられた
関西出身の女性起業家の谷口愛さん。
現在、中東ビジネスを手がけるなど
メディアでも注目されている方です。
いかにして、数多くの逆境を乗り越えて
自らの信じる道を切り拓いていかれたのか?
そこには、「教育」を通じて得られた
「人との縁」があったそうです。
「持たざる者、人生回り道だからこそ、
普通では味わえない体験がある!!」
今回は、この本をご紹介します。
「どん底からでも人生は逆転できる。」 (谷口愛著、世界文化社、2015年)
谷口愛さん(以下、著者)は、幼少期からの数多くの逆境を
乗り越えながら、独自の道を歩まれてこられた女性起業家です。
昨今は、日本でも珍しい中東ビジネスに携わる起業家として
各種メディアでも注目を集めています。
ちなみに、管理人が著者を知ったのは、産経新聞夕刊(大阪版だけ?)に
連載されていた「関西笑談」というコラムでした。
本書が出版される数年前のことですが、微かに記憶していたこともあり、
たまたま書店で「どん底から這い上がるための生存関連本」を探していた
ところ、発掘したのでした。
後で、著者のホームページ(株式会社エー・アイ・クリエーション様)を
確認させて頂いたところ、2010年6/28~7/2の連載だった
ことも判明しました。
「月日が経つのも速いなぁ~」と、誠に感慨深い思いを味わいました。
連載コラムでも少しばかりは語られていましたが、もっと具体的な
どん底から這い上がっていった過程や思考法を知りたいと思いました。
数多くの苦難な道のりの中で、いかに自信や希望を取り戻していったのでしょう。
その原動力には、やはり教育がありました。
教育を通じて得られた数多くの人との縁や積極的な思考法が、
再びチャンスをもたらしてくれたのです。
人間不信に陥るような様々な経験の中、唯一忘れなかったこと。
それは、「何としても学びたい!!独り立ち出来る自信を身につけたい!!」
との一心だったといいます。
本文でも触れますが、その原型こそ「学歴コンプレックス」でした。
でも、その「学歴コンプレックス」こそが、「他人とは違う自分」を
見出し、自信と希望あふれる人生への導き手となっていったといいます。
著者は、本書でも触れられていますように、普通であれば
社会の第一線で活躍されている人間なら、わざわざ自らを不利にするような
他人には決して打ち明けられないような実体験も赤裸々に告白されています。
本書を読みながら、行間から感じたのも著者のそうした「ためらい」でした。
しかし、その「ためらい」を打破し、勇気ある告白に踏み切れたのも、
教育や事業を通じて得た自信や数多くの恩師や人々との縁から得た教えが
あったればこそ・・・
「逆境の中で一人佇みながらも、必死になって這い上がろうとする後進のためにも」
今ここで、打ち明けておく必要もあるのではないか・・・
そのような著者の愛情と自信に満ちあふれた声なき声が、聞こえてきました。
ところで、先進国は、モノで溢れかえり豊かな社会になる一方、その陰には
数多くの自信や希望を喪失した人々がいる「超格差社会」になってきました。
日本でもアメリカでも。
その両国の厳しい現状を踏まえながら、「持たざる者」は
いかにしてハングリー精神を維持しながら、社会で生き生きと
活躍するための「スタートライン」に立つことが、かなうのか?
そうした問題意識を常に抱えながら、行動されてきたのも著者でした。
「失われた20年」・・・
確かに、それは多くの若者から希望とチャンスを奪っていきました。
一方で、そうした厳しい現実の中にありながらも、必死に自らの人生を
立て直して、社会に積極的に貢献していこうとする青少年も数多くいます。
世の中や他人のせいにするのは「楽」ですが、
精神的にはあまり気持ちいいものではないですよね。
だからこそ、次世代の青少年が今以上に夢や希望を喪失して、
生きる意欲すら奪われないためにも、管理人のようなロスジェネ世代は
踏ん張らなくてはなりません。
「持たざる者でも、敗者復活出来るような社会を守り育てるためにも」
今回は、そんな意欲的な先輩の力を借りながら、皆さんとともに
「どん底」から這い上がり、「再チャレンジ」するためのヒントを学び取ろう
ということで、この本を取り上げさせて頂きました。
「超希望格差社会」から脱出するために・・・
さて、現在、中東では比較的豊かなドバイなどを拠点に
中東ビジネス他、数多くの事業を手がけておられるイメージから、
さぞやリッチなセレブリティーなご婦人かと思われるかもしれませんが、
本書によれば「さにあらず!!」のようです。
著者にも、幼少期から「お金の苦労」が絶えず付きまとっていたと
いいます。
ご両親は、比較的裕福な家庭に生まれ育ち、父君は事業もされて
おられたようです。
ところが、ある日、父君の事業が立ちゆかなくなり、多額の借財を
背負い、失踪したといいます。
もっとも、本書でも触れられていますが、父君も幼い著者たちに
負い目を感じていたのか、不定期に著者たちとの接触もあったそうですが、
幼い子どもであった著者に深い心の傷を与えたことは否めないようです。
父君も、後に家に戻られたそうですが、
家庭にある財産が差し押さえられるという事態に陥りました。
母君も、裕福な生活が常態化していたためか、突然降って湧いたような
青天の霹靂に、精神的パニックに陥って、一時的に幼い著者たちを
残して、家出していったといいます。
そうした父母不在の中に取り残された著者は、妹を必死で守ろうとします。
母君も、その後、家に戻り、慣れないながらも著者たちを守るために
個人事業を始めるのですが、こちらの方も多額の借財に追われて
常にお金に不自由し、惨めな思いを抱えていたといいます。
学校の友人知人と比較しても、ますます周りの人間とは違うのだ。
これからは、自力で道を切り拓いていかなくてはとの決意を固めるのでした。
そんなお金に絶えず苦労する生活が、著者の「人生の原点」にはあったと
いいます。
では、経済的に厳しく追いつめられた精神状況にある環境で、
著者は、どのようにして踏ん張れたのでしょうか?
著者のお言葉をお借りすると、
『守るべきものの存在が、もしかしたら人を、ぎりぎりの崖っぷちから
逆に守ってくれるのかもしれません。』(本書29頁)とのことです。
その後、家庭にある財産は根こそぎ差押えされるのですが、何と、
著者は父母代理で、「自己破産」せずに「自力更生」の大変険しい道を
選択し、義務教育終了と同時に、「お水(水商売)の世界」に入り、
家計を支えていくことになりました。
こうして著者は、「夜の世界」に入るのですが、
同期の不良仲間の悪影響にも戦慄を覚え、著者自身も
必死に身を落とさないように踏ん張っていたといいます。
そんなこんなで、もちろん、ご両親を恨むことになるのですが、
その後、著者によれば、
『道を切り拓いて自信を一つひとつ身につけていくにつれて、
親のことも少しずつ赦せるようになっていった』(本書51頁)ようです。
そうして「普通の道」を歩むはずであった「幻の高校時代」を、
必死の思いで働きながら、ついに18歳で「全額完済」して、
「水商売」からは足を抜いたといいます。
その後、生計のため「昼間の仕事」につくのですが、
ここでも人一倍負けん気の強さで駆け抜けます。
そうして、無我夢中に懸命に働く最中、病気の疑いが発覚。
やがて、病気の疑いは無事に晴れたのですが、今度は
それまでの「頑張りすぎ」が精神面を不安定にさせたのか、
不定期にパニック障害を引き起こすことになりました。
そうした時に、次のように感じたといいます。
「ただ、生き抜くためだけにがむしゃらに働くだけでは
味気ない人生だ。」と。
著者自身の幼い頃からの「本心」は、「学びたい」という
一途な教育への想いでした。
そんな人一倍熱い想いを秘めながら、妹の結婚を機に
高校進学を人よりも後れて、10数年ぶりに果たします。
昼間仕事を抱えながらの勉学でしたので、「通信制高校」に
入学、優れた恩師や素敵な旦那様など「良き縁」に恵まれます。
そして、大学進学を決意。
そのためには、高校の全科目を履修しなければならないのですが、
科目によっては「面接授業」もあったそうで、仕事を抱えながらの身では
とても大変です。
そこで、恩師の薦めもあり、「一部科目」については、
「大検(高卒資格認定試験)」との併用で、高校卒業へ向けて
チャレンジするのですが・・・
世の中には、無神経な一言があるものです。
受験資料を受け取りに行った際に、嫌な一言を受けたといいます。
それも、教育委員会・・・
『その歳まで何をしていたんだ、いい加減な』(本書94頁)
こうした発言をした本人にとっては、何事もない発言でしょうが、
こうした大人がいるから、多くの若者の「再チャレンジ」が
阻まれてしまっているのではないでしょうか?
教育委員会だけでなく、今の弛緩し切った社会の反映だと感じられます。
「回り道」であれ、、一生懸命「どん底(泥沼)」から前を向いて必死に
なって這い上がろうとする姿勢を愚弄することなど、許されることではありません。
著者も、そんな社会の理不尽を感じていたからこそ、事業家になった
現在でも、「教育への熱き想い」は変わらないようです。
そうした中で、幼い時から感じてきたことがあります。
「裕福な人間ほど勉強せず、絶えず余計な介入をしてくるのでは・・・」
著者は、やがて神戸の「お嬢様大学」に進学したのですが、そこでも
そうした思いにとらわれたといいます。
著者によると、相当な「学歴コンプレックス」もあったようですが、
こうした現況でしたので、旦那様のアメリカへの転勤に伴い、
思い切って中途退学して、アメリカでの大学生活を目指します。
そこで、一番苦労したのが、「語学」でした。
それでも、アメリカは至れり尽くせりなのか、
大学には留学生など様々な学習困難者向けのチューター制度が充実。
アメリカでも良き恩師や人脈に恵まれて、勉学に励まれた様子です。
それでも、著者が見たアメリカ社会の現実。
日本以上の「超格差社会」であり、就職も「コネ」でもない限り
難しいようです。
著者の入学した「名門」大学ですらそうなのですから、一般の
「無産者」は大変惨めな思いをするそうです。
このあたりは、将来アメリカ留学される方にとっても、
ご参考になるかと思われますので、是非本書をご一読下さいませ。
それでも、一応アメリカは「努力する者には、公平なチャンス」を
与えているそうです。
現実的には、厳しい面もありそうですが、少なくとも日本社会の現状に
比較すれば、その「間口」は若干広いようです。
このあたりも今後の日本のあり方を考えていくうえで、
重要な視点となってきます。
このまま、さらなる「失われた・・・」が続けば、優秀な若者の居場所は
さらに少なくなってしまいます。
「頭脳流出」にもつながるでしょう。
本書を読めば、日米の教育感覚や社会文化の差異も
かいま見られて勉強になります。
やがて、大学卒業後の進路を考える時期になりますが、日本へ帰国。
日本での「再就職」にチャレンジするのですが、年齢制限などの限界も
あってか、大変厳しい「就職難」に遭遇したといいます。
そうして悩んでいた時に、アメリカの恩師を始めとする人脈力によって、
企業訪問をするのですが、ここでも「資格制限」が待ち受けていたと
いいます。
せめて、大学院で「経営学修士」が必要とのこと。
こうなると、「実力主義」なのか「コネ」なのか、
「はたまた何なのか??」理解に苦しみます。
再チャレンジする「持たざる者」にとって、「社会の壁」は
厚すぎます。
そこで、著者は、日本の大学院で学びながら、ここでも優れた
恩師に出会うと同時に、「事業再生ビジネス」を経験されます。
さらなる飛躍を目指していた時に、アメリカの大学時代の伝手で
現在のドバイなどの「中東関連ビジネス」に導かれていったようです。
「人脈と日々の努力」が、不運な中でも好運(幸運)な巡り合わせを
つかむチャンスにつながったようです。
こうして読み進めてくると、「絵に描いたようなサクセスストーリー」の
ように思いますが、人生の比較的早い時期から「苦難の連続」だったことには
変わりありません。
「選択肢が限られている中での、必死な想いと努力と行動」が積み重なり、
ある「キーパーソン」を介して、一定の「臨界点(ティッピングポイント)」を
乗り切る条件が一致した時に、「狭き門」は開かれるようです。
「超希望格差社会」と、上記タイトルでも書きましたが、
本人の努力でも乗り越えられないような「分厚い壁」で日本社会を
塗り固めてしまうことだけは、避けたいものです。
昔は、「正直者は報われる」と言われ続けてきましたが、
社会に閉塞感が高まれば高まるほど、「溜め」も喪失していきます。
「貧しくとも勤勉な人間が報われる社会」こそ、望まれるところです。
皆さんにも、本書の教育に対する問題提起を真摯に受け止め、ともに
「より良き社会とは、どんな社会なのか?」について考察しつつ、
日に日に荒廃しつつある日本社会の現状を改善していく「道開き」の
行動に参加して頂くことを願ってやみません。
「持たざる者」の強みを積極的に活かすには・・・
現代日本は、表層的には豊かに見えても、内実は精神的にも物質的にも
非常に貧しい社会環境にあります。
真面目さや誠実さが失われ、自己アピール力や極端な結果本位主義が
横行する社会は、大変「生きづらい」社会になります。
現代資本主義社会で、生き抜くためには「稼ぐ力」も確かに必要です。
そのことは、認めつつも、「生きた稼ぎ」と「死んだ稼ぎ」の2種類
あるように感じられてなりません。
哲学めいて恐縮ですが、私たちは、普段この2種類について
あまり深く考えずに生きているように思われます。
それは、「投資行為」にも言えます。
「生きた投資」「死んだ投資」
「生きた仕事」「死んだ仕事」・・・
他、何でも構いませんが、現代経済は、
そうした一番大切な「こころ」を
見失っているのではありますまいか。
著者も、そうした思いが強いようです。
若い時期に、死をも覚悟する経験があっただけに、
その思いは、より一層強まるそうです。
「死んだ後にも残る仕事をしたい!!」
人は誰しも、一度はそんな強烈な感情に襲われるのでは
ないでしょうか?
著者は、特に「持たざる者」への共感を強くお持ちです。
と同時に、表層的な富貴を求める者には、容赦なく手厳しい
感情もお持ちのようです。
常に、自分が思い描いているイメージ像が、そのまま実現することなど
滅多にありませんが、「回り道」になりながらも、その「志の原点」さえ、
見失わなければ、早晩何らかの形で実現するといいます。
私たち現代人の「悪いクセ」は、「最短期」で結果を出そうとすることです。
「持たざる者」の強みとは?
著者によると、
他に『失うものは何もない。Nothing to lose.』(本書185頁)
ということです。
つまり、「通常人」とは異なる「脇街道」からの「抜け道」を
必死で駆け抜けざるを得ないということです。
ですから、「常識」に従うと「自滅」してしまいます。
とはいえ、社会の一定の流儀も無視することは出来ません。
事業でも何でもそうですが、新奇なものは最初の頃は
相当に強い妨害に出会います。
また、本街道から抜け落ちる訳ですから、人脈づくりなども
困難を極め、偏りも生じやすくなりがちです。
また、今日のような「乱世」になればなるほど「分散戦術・戦略」も
練る必要があります。
新旧攻防戦の「表社会」と、静観しながらも打って出るべき頃合いを
見計らう「裏社会」・・・
※誤解を解いておきますが、「反社会のすすめ」ではないですよ。
念のため。
まるで、現在放映中のNHK大河ドラマ『真田丸』の
徳川と真田の駆け引きのようですが、ここにも「新しい時代」への
身の処し方がありそうです。
彼らが生きた時代も、武芸だけに長けるだけでは生き抜くことは
難しく、学問(教育)が「命綱」でありました。
そこで、生きる原点は、教育です。
過度な教育信仰に対する批判もありますが、そのことは
ここでは論じません。
「人間は、学習する生き物」です。
何度失敗しても、新たな視点で再チャレンジして、転んでは立ち上がり、
立ち上がっては転ぶの連続が、人生の定めです。
著者は、<まえがき>で芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を引き合いに、
自らを主人公であるカンダタになぞらえておられる点にも、
共感出来るところでした。
管理人も、自らを戒めるうえで、この本を「座右の書」の1冊にしている
だけに、感性面でも共感を覚えたからです。
「先行世代は、決して次世代の足を引っ張り邪魔をしてはならない!!」
「梯子を外さず、人生の先行者として次世代のサポート役に徹するべし!!」
最近の社会風潮を見るにつけ、この「徹する」をなかなか貫き通せない
厳しい現実があるだけに、余計にそのように思われるのです。
「教育の本旨は、知性だけでなく感性をも磨くことにあり!!」
この点についても、著者は、次のように語っておられます。
『教育を受けたことで、私が身につけた一番のものは
知識よりも何よりも、まず「品性」』(本書191頁)であると。
「企業利益(価値)」を常に考えていかなくてはならない事業家にとって、
そのような「倫理的感性」が、最終的に「資本主義の暴走」を
食い止めることになるのではないでしょうか?
現代社会では、私企業といえども、立派な「公益事業体」であることも
忘れてはならないところです。
著者は、アメリカ留学で、そのような良質なリベラルアーツ(一般教養)も
身につけられたようです。
さらに、昨今の日本の大学における「就職予備校化・即戦力要請教育」にも、
懐疑的なようです。
「すぐ役立つものは、すぐ役立たなくなる」
昔からの、この<黄金律>を、見失いたくないものです。
「大学(教育)の本来的な使命とは??」
このあたりも、厳しい財政事情から国公立大学の「文系学部」が
廃止されていこうとする風潮を見るにつけ、考えさせられるところであります。
家計の事情で、貧しくても向学意欲に燃える青少年の「青雲の志」を
奪ってはなりません。
今後、「大貧困社会」になっていくことも予想されるだけに、
「子どもの貧困」についても、真剣な取り組みが待たれるところです。
著者も、自らの体験談からそのように強く感じておられるようです。
最後に、著者のお言葉で締めくくらせて頂きます。
『人生は勝ち負けなどでは決してない』(本書201頁)
『人間の「価値」も「運命」も、今の段階で決まるものでは
ありません。』(本書202頁)
他にも、本書には「貴重な格言」が満ち溢れています。
「人まねはしなくてもいい!!」
「他にない自分にしかない独自性という鉱脈を見つけ、宝石を磨こう!!」
そう自分にも念じ聞かせながら、皆さんも是非本書を紐解きながら、
「飛翔への道」、「再チャレンジの一歩」を踏み出すきっかけや
積極的思考のヒントとして、お読み頂ければ幸いです。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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