田坂広志先生の『人は、誰もが「多重人格」~誰も語らなかった「才能開花の技法」』言葉が、自己限定する恐怖を克服するコツ!?
『人は、誰もが「多重人格」~誰も語らなかった「才能開花の技法」』
昨日に引き続き、田坂広志先生から
「才能開花の技法」を学びます。
本日は、「閉ざされた心」を解きほぐすことで、
『眠っていた「多重人格」を呼び覚まそう』が
主題であります。
誰しも複数の人格があるそうですが、
普段は、潜在意識下で休んでいます。
「心との対話」に意識を向けることで、
思わぬ才能が!?
今回は、この本をご紹介します。
『人は、誰もが「多重人格」~誰も語らなかった「才能開花の技法」』(田坂広志著、光文社新書、2015年)
昨日に引き続き、第2回目のテーマは
「多重人格」との適切な付き合い方を学びながら、
あなたの「才能開花」を実現させようとの趣旨で、
田坂広志先生(以下、著者)の
この本を取り上げさせて頂きました。
それでは、早速、本文に入りましょう。
「不器用さ」も精神的体力の欠如が原因!?
誰しも、「多重人格」を有している!?
21世紀の情報産業社会時代とも親和性があってか、
一般にも取り上げられやすくなったテーマですが、
まだまだ「多重人格(者)」には誤解も付きまとっています。
もちろん、自分なりの「統合」が出来ずに社会生活との齟齬を
来してしまっている状態ならば、「精神病理」であります。
本書内でも、「精神病理」としての「多重人格」と
本書が主張する「才能開花」の呼び水としての「多重人格」との
違いについては、きちんと解説されています。
(本書30~32頁ご参照)
直近のブログ記事でも「適応障害」を取り上げさせて頂きましたが、
これも大多数の症例は、
実のところ「精神病理」ではないのかもしれません。
あくまで、本書でも強調されているように、
自分と周りとの環境に適切な距離感を保ちながら、
「才能」を十二分に発揮させられる状況にあればですが・・・
生物なら、誰もが有するある種の「防御反応」だとすれば、
そうした「心の動き」に対する接し方を変えるだけで、
周りの社会環境との関係も、より円やかになるのかもしれません。
本書でもそうした「心の動き」に着目しながら、
無理のない「才能開花の技法」について、わかりやすく解説されています。
著者は、「不器用さ」を極端に気にしすぎることも良くないと
言います。
それは、「生真面目さ」や「繊細な神経質気質」にも当てはまるようです。
あくまで、こうした「繊細」な性格も精神的体力が欠如しているからだと。
管理人の体験では、「欠如」とまで言い切ってしまうと、
相当どぎつい表現だとも感じられますが、
「足りていない」といったところでしょう。
「心の栄養補給が足りていない!!」という点では、
問題意識を共有することが出来ます。
ところで、著者によると、人格は無理に「変える」ものではなく、
「育てる」ことが大切だと指摘されています。
私たちは、誰しも「多重人格」でありながらも、
日常的な感覚では、「性格」に偏りがあるため、
いかにも、「自分はこんな性格(人格)だから・・・」と
「自己限定」してしまうクセ付けが出来上がっているようです。
そうした「自己限定」の根本的な原因も、
「言葉」が「世界」を「分節化」することで、
「わたし」の「心」が「自己限定」の方向へと
束縛されていくからではないかとの仮説を下に、
著者は心理学者などの知見から「才能開花」を抑制している
「心の動き」に注意を呼びかけられています。
その処方箋として、「ただ静かに(心の動き)を見つめる・・・」ことを
推奨されています。
このことを習慣化していくことで、「エゴ」そのものとの付き合い方も上手になると。
著者は、次のようにも指摘されています。
「エゴ」そのものを滅却することは出来ない。
しかし、このように「ただ静かに見つめる」ことを通じて、
「エゴ」と適切に付き合うことが叶えば、
もっと柔軟な姿勢で処世することもでき、
「才能開花」の道もどんどん拓けていくのだと。
著者は、このような観点から「自己限定」へと導かれやすい
「性格診断」や「職業適性検査」などの扱い方にも注意を呼びかけられています。
それは、あくまで、「表の顔(仮面=ペルソナ)」を反映しているに過ぎないと。
そのことで、自分の「才能」を「自己限定」してしまい、
自らの精神的成長の機会を閉ざしてしまうことにもなるとも警告されています。
そのうえさらに、「才能」が「萎縮」し、精神的体力も衰えていくのだと
言います。
ですから、「不器用」だと思い込んでいることも、
ただ「体験の場数が少なすぎる!!」ことから、そのように思い込んでいるに
過ぎないのではないかとも示唆されています。
それは、あまりにも「もったいなさ過ぎる!!」と・・・
未だ知られざる「潜在意識」に目覚めることで、
自分でも思ってもみなかった別の「人格」が、
表に現れ出てくるかもしれないからです。(良い意味で)
もし、その「人格」が、あなたの「表の顔(仮面=ペルソナ)」を
取り替えることにつながり、今よりも「生きやすく」なれば
幸福感すら高まり、人生に張り合いも出てくることでしょう。
そうした、あなたを応援したいとの思いの一心から、
本書では、様々な角度から「才能開花の技法」が公開されています。
何はともあれ「精神的体力」を身につけるところから始めないと・・・
このように、「才能開花の技法」が次々に展開されています。
その中心軸にあるのが、著者の定義に従うと、
①「表層人格」
『ある状況では隠れていますが、他の状況では、
すでに表に出ている人格』
②「深層人格」
『現在は隠れており、表に出てきていない人格ですが、
置かれている立場や状況が変わったり、意識的な努力を
することによって、自分の中に育ち、表に出てくる人格』
③「抑圧人格」
『何かの理由で、強く抑圧されており、心の奥深くに
押さえ込まれ、なかなか表に出てこない人格』
(本書131~132頁ご参照)
この3つの「隠れた人格」のそれぞれのレベルによって、
「才能開花の技法」も変化していくのだと、詳細に解説されています。
このようにそれぞれのレベルに合った処方箋で対処していかないと、
「才能開花」の道のりも遠のくばかりです。
この視点が、他の類書にはない本書の特徴であります。
最終的には、日常生活上における実践体験の場を通じて、
「精神的体力」を身につけながら、「才能開花」の道へと
一歩一歩着実な歩みを積み重ねていくことになるのですが、
管理人の表現になりますが、いきなりの「路上教習」では、
誰しも恐怖感を抱くものです。
その点は、著者も考慮されています。
ならば、この情報産業社会時代。
まずは、「ネット人格」で「多重人格」の疑似体験の練習から始めようと。
もっとも、著者も注意を呼びかけられていますが、
「ネット人格」は、「匿名性」の強い仮想世界でのこと。
適切な「ネチケット(ネット上のエチケット)」や
現実社会でも守るべきルールに従うことを大前提に、
こうした練習法を提案されているわけですが、
これによって、注意深く「隠された人格」を厳しく見つめ直すことで、
「もう一人の自分の目」から「深層人格」を「観察」する訓練になるのだと
言います。
「解放」ではなく、「観察」だというところがポイントだそうです。
実際に、管理人も日々ブログ創作に関与させて頂いていますが、
日常でのコミュニケーションでも当然ですが、
自分を客観的に見つめる視点が、いかに大切なことかを教えてくれます。
日常の現実社会でも「隠れた人格」によって、
全面的な「自己」をさらけ出すことなど出来ませんが、
こうした「解放」しやすい仮想社会だからこそ、
より思慮深く物事を考えながら、「観察」する視点を持たないと、
信憑性にも欠けてしまいます。
現代社会は、現実社会も仮想(ネット)社会も複雑に入り組んだ
複層社会であります。
管理人個人としては、仮想(ネット)社会も
現実世界とは「非連続的」ではなく、「連続性」があることを
念頭に綴らせて頂いています。
なぜなら、言論こそ一番責任が問われるものですし、
顔が見えないからこそ、より慎重な姿勢が問われるからです。
なるほど、そうした日々の管理人の個人的体験からも、
著者の提案には、説得力があります。
この分野にご興味関心がおありの方は、本書187~199頁あたりを
参考に「才能開花の技法」を試されるのも勉強になることでしょう。
読んで損することはありません。
もっとも、著者が何度も強調されるように、
本だけ読んで「わかったつもり」で終わってはいけませんが・・・
必ず「練習」を通じた「体験学習」をしてみて下さい。
この点で、昔、上司がいつも言っていた口癖をご紹介しておきます。
「本番は練習のように、練習は本番のように!!」
「大胆かつ繊細に!!」
この言葉を反芻しながら、日々の仕事に取り組むだけでも、
少しは「社会不安」を軽減することが出来たことを覚えています。
「社会人慣れ」されていない方には、お役に立つかどうかは
心許ないですが、是非このエピソードをご活用して頂くと、
多少は、心が楽になって日々の仕事にも集中出来るかと思われます。
「仕事への取り組み方や能力」もさることながら、
「人間関係の把握」こそ、
社会人としては大切な要素となってきますので、
新入社員の方にとっては、多種多様な人間模様から
「人情の機微」に触れられ、複眼的な関係性を理解することが叶えば、
仕事にも深みが出てくることでしょう。
ここが、一番難しいことですが・・・
とはいえ、管理人も「人間」であり、「未熟者」であります。
どうしても、「多重人格」(著者)や「分人」(平野啓一郎氏)、
「アバター」などのような「器用なキャラクター(人格)」の
使い分けも出来ませんし、人一倍「神経症・不安症」のようです。
だからこそ、「才能開花の技法」に心が惹かれて、
著者の本との巡り合わせも叶ったわけですが・・・
こうした管理人のような気質を「HSP(敏感すぎる人)」というそうですが、
この分野についても、機会があれば続々とご紹介していく予定でいますので、
乞うご期待でございます。
何はともあれ、「言葉」には敏感であった方がよいのでしょう。
何度も強調しますように、
「言葉」は「世界」を「分節化」し、「自己限定(思い込み・固定観念)」に
由来する恐怖にも直結していきますので、「使い方の練習」も必要です。
本書は、そんな「言葉と人格の関係性」についても考えさせてくれます。
結局は、「小我」を「大我」、「大我」を「真我=無我??」へと
飛翔させていくのが、人間の進化だということです。
とはいえ、人間一代限りで完成することなどありません。
昨日のテーマとも重なりますが、
「知能=一代限り」でも、「知性=永遠のバトンタッチ」であります。
そのことを、著者は「志=使命感」とも定義されています。
「文化的遺伝子(ミーム)」(リチャード・ドーキンス)であります。
最近の遺伝子学では、環境によって遺伝子情報も切り換えするとの
俗っぽい表現ですが、「スイッチオン・オフ仮説」も知られるようになりました。
これと関連させながら考察するなら、
「人格」も環境に適応しようと必死に努力しているだけということなのでしょうか?
人によって、上手い下手があるだけとするなら、
「適応」か「不適応」かという難問も、
練習次第で何とか克服することが出来るのかもしれませんね。
まとめますと、「多重人格」についても、
無理に「抑圧」し過ぎることが「才能開花」の妨げとなるようです。
「押さえ込むのではなく、共生しながら対話する」姿勢が重要だということです。
まだまだ、「意識」「無意識」「心」といった難問は解明されていませんが、
まずは、「理屈」ではなく、自らの身体を使った「体験」で実感していく方法しか、
他に適切な「才能開花」の確認方法はないのかもしれませんね。
「天才論」については、前にもご紹介させて頂きましたが、
最後に、著者の「天才論」について触れておきます。
『人類の歴史において「天才」と呼ばれた人々。
それは、何かの突然変異の人間の姿ではない。
それは、人間という存在の誰もが持っている「可能性」を
教えてくれた人々であろう。』
(前著『知性を磨く』197頁より)
ということで、本書は、「対話形式」の非常に読みやすい本ですので、
皆さんにも是非ご一読されることをお薦めさせて頂きます。
なお、近刊に本書のテーマの続編
『人間を磨く~人間関係が好転する「こころの技法」』も
刊行される予定(今月19日)との情報も公式サイトに
アップされていましたので、この分野にご興味関心がおありの方には、
本書での問題意識とともに手にとって頂ければ、
視野もより一層広がるのではないかと思われます。
こちらもご紹介しておきます。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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