メアリアン・ウルフ氏の「プルーストとイカ~読書は脳をどのように変えるのか?」読字障害に対する新発見に学ぶ!!

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「プルーストとイカ~読書は脳をどのように変えるのか?」

アメリカの小児発達学の専門家メアリアン・ウルフ氏が、

文字を読む(読書)という行為が、

人間にいかなる進化をもたらしたのか探究する書です。

人類の有する最大の道具が、「言語」であります。

「言語」を獲得する能力は、先天的な遺伝子に

組み込まれていなかったそうで、それ故、

読字障害も異常ではないといいます。

今回は、この本をご紹介します。

「プルーストとイカ~読書は脳をどのように変えるのか?」  (メアリアン・ウルフ著、小松淳子訳、インターシフト、2008年)

メアリアン・ウルフ氏(以下、著者)は、

アメリカはタフツ大学のエリオット・ピアソン小児発達学部教授、

読字・言語研究センター所長であります。

ご専門は、認知神経科学・発達心理学・

ディスレクシア(学習障害の一種で、主に<読字障害>のこと)研究です。

著者は、ことに幼児のディスレクシア研究に関する優れた業績から

数々の賞も受賞されてこられた斯界の第一人者だそうです。

本書も、読字障害に関する最良図書として、マーゴット・マレク賞を

授与された作品であります。

そのような優れた人物ですので、読字障害に悩まされている

子どもさんから大人に至るまで幅広い読者層の方に

是非とも知って頂きたい書籍として、取り上げさせて頂きました。

文字の読み書き、話すことや

聴くこと(注意深く聞いて、意味を精確に理解すること)は、

誰しも難しいものです。

管理人も日常生活で、日々苦労しています。

とはいえ、人間が生き抜いていくためには、

欠かせない技能でありますから、軽視することが出来ません。

今回ご紹介させて頂く本書では、特に対象を幼少期の児童を中心に

据えながら、<読字障害=ディスレクシア>について分析考察されています。

本書は、このような性格から、<学習障害者>の方に特化したテーマかと

イメージされそうですが、実際には、「言語」を獲得してしまった

すべての人類が対象であります。

本書では、そもそも論として、人類が、文字言語(音声言語・書字言語が

ありますが、特に後者に焦点を当てています。)を獲得していく過程の

言語発達史とともに、人類の脳がどのように発達していったのかを探究していく

ことで、言語獲得能力が、決して「自明の理」でも「先天的」でもなかった事実を

解明していく過程で、<読字障害>に対する新発見を提起されています。

「読書が苦手なのは、あなた自身のせいではないかもしれない!!」

「文字を解読することが苦手である代償として、他の優越能力が隠されている!?」

「とはいえ、<読字障害>を放置しておくと、

現代社会では、圧倒的に不利な立場に追い込まれるだろう!!」との問題意識から、

ほどよくバランスの取れた改善法も提案されていきます。

ということで、読書が苦手な方も、得意(大好き)な方にも、

一度は考えて頂きたいテーマが、<読字障害論=言語獲得・発達能力理論>で

あるということから、この本を取り上げさせて頂きました。

「書字言語(読み書き言葉)」よりも「音声言語(語り聴く言葉)」を重視したソクラテス

まずは、本書の内容構成の要約をしておきましょう。

<PARTⅠ 脳はどのようにして読み方を学んだか?>

「第1章 プルーストとイカに学ぶ」

※著者は、読字が脳の発達と進化を促していく2つの次元から

プルースト(個人的・知的次元)とイカ(科学的・生物学的次元)の

たとえを借用しながら、脳の柔軟な思考回路(コンピュータ科学者の

専門用語では、<オープン・アーキテクチャ>に匹敵)が形成されていく

過程を分析考察するところから、本書での問題提起が開幕します。

『読書の神髄は、孤独のただなかにあってもコミュニケーションを

実らせることのできる奇跡にあると思う。』(マルセル・プルースト

本書16頁冒頭から引用)

人類は、言語を獲得してから、この宇宙史の中では、

まだそんなに時間が経ていないこともあって、

言語操作思考法について、先天的に長けているわけではない

意外史の側面から、人間なら生後生まれた直後から、

あらためて言語獲得能力を身につけていかなくてはならない点に

注意を向けさせています。

ことに、読字という観点からは、あまりにも早期からの英才教育には

その効果があるか否かは疑問があるものの、子どもの生まれ育った

生育環境(生後5年間)によって、将来の(学習的)発達能力も

左右されるだろうと仮説を立てられています。

幼稚園期(4~5歳)頃の読字環境の重要性も説かれています。

読字の前段階に関する知識が、難しい言語に対するイメージ像も

形成していき、人生全般にわたる後天的学習脳にも大きな影響を

与えるとも考えられているだけに、いわゆる<読み聞かせ>にも

優れた効果があるようです。

こうした幼児の言語獲得能力形成過程を詳細に分析考察することで、

読字障害(ディスレクシア)や情報イリテラシー(情報リテラシーの

獲得に失敗するという意味)から多くの人々を救済するための

手段について再発見していきます。

「第2章 古代の文字はどのように脳を変えたのか?」

「第3章 アルファベットの誕生とソクラテスの主張」

いわゆる<書字=書かれた文字言語>が発明される前には、

音声言語(表音文字)や象形文字(楔形文字などが典型例)などの表意文字から

イメージ知覚に関するニューロン(脳内神経細胞ネットワーク)が様々な角度から

相互形成されていくことで、今日の複雑な言語操作脳が完成していった様子が

推論されています。

現代社会は、インターネットを始めとしたデジタル言語時代が

すでに開幕しています。

この過渡期の時代における次世代向け言語教育として、

どのような言語教育法が適切なのか手探り状態ではありますが、

こうした先行知見に学びながら、

積極的に知的活用していくことも重要だろうと強調されています。

本章から次章にかけては、文字の発達史とともに、

効率性という点では、アルファベットの特異性についても

触れられています。

さらに、世界各地における多種多様な言語獲得史から

文化を中心とした価値観(世界イメージ像)にまで

多大な影響を及ぼしていることも判明してきました。

よって、読字障害改善法についても、

世界一律の改善法など困難であるにせよ、

「書字言語」の危うさをテーマに、ソクラテスが憂慮した

理由などを解析することで、現代的課題(上記のような

コンピュータ言語世界との親和性から新たに生み出される

言語観)への取り組みに活用させようとの視点も

提案されています。

ソクラテスは、「書字言語」に警戒感を抱いていたようですが、

今日の最先端言語研究では、「書字言語」を獲得し得たからこそ、

新たな思考脳も拡張されていった長所も活かした立場から、

バランスよい言語学習論を著者は提唱されます。

とはいえ、著者もソクラテスの憂慮した問題意識は

共有しています。

ちなみにソクラテスの「書字言語」に対する憂慮理由とは、

下記のとおりです。

①「書き言葉は柔軟性に欠ける」

②「記憶を破壊する」

③「知識を使いこなす能力を失わせる」など、

本書109~122頁は、必読箇所であります。

<PARTⅡ 脳は成長につれてどのように読み方を学ぶか?>

「第4章 読字の発達の始まり-それとも、始まらない?」

※子どもにとって、読字から広がる言語的世界観の

最初期が、世の中の森羅万象には、「名前」があるとの

気づきであります。

こうした「名前」を手がかりに、

子どもたちは、物語の世界へと興味関心が移行していくようです。

このような物語を読むという<読字行為>の効果には、

驚異的な能力が開花されていく原動力になるといいます。

「物語は他人を理解する能力を養う」(本書130~142頁ご参照)と。

読字行為ひとつを詳細に観察してみても、

「活字の視覚的な細部まで敏感に認識する能力を発達させ始める」とも

語られています。

このような「名前」の命名行為と読字の初期の発達過程について、

著者は、ドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミンの知見を

取り上げながら、詳細な分析考察をされています。

(本書141~142頁ご参照)

(ちなみに、ヴァルター・ベンヤミンについては、

こちらの記事もご一読下さると幸いです。)

いずれにせよ、子どもにとって、幼稚園就学期頃における

文字とのふれあい環境の豊かさこそが、

人生そのものを大きく質的に変えていくことだけに

重要な言語能力獲得時期だと強調されています。

その意味で、著者は、「幼稚園は読字の前段階を統合する場所」(本書

153~154頁ご参照)として重要視されています。

「第5章 子どもの読み方の発達史-脳領域の新たな接続」

※このような幼少期からの豊かな文字とのふれあいから

行間を読み取る力や感情面からの読解能力など、

「与えられた情報を踏み越え、考える時間が始まる」(本書198~

201頁ご参照)のです。

この読字を通じた思考回路形成は、その後、

人間が成長するにつれて、ますます複雑に発達していきます。

昨今、「語彙力」ブーム(明治大学教授の齋藤孝先生など)が

大人向けの啓蒙書でも話題になっていますが、

確かに貧弱な語彙力だと、人とのコミュニケーションにも

齟齬を来すため、苦労することになりかねません。

管理人自身も<文筆業>を生業の一つにしているだけに、

深刻な問題意識を持って、常に国語辞典類などを脇に置きながら

文章を綴っています。

「日本語は、奥深くて、難しすぎる!!」とも

日々痛感させられていますが、

それだけ、豊かな世界が広がっている証左でもあります。

ことに、日本語は、「情緒」といった感覚(情)言語表現に

秀でた言語ともされるだけに、学べば学ぶほど、

人情の機微の奥深さにも誘われ、より人間らしい言語生活を

営むことも可能となります。

その意味で、「読書=読字行為」は特殊な学習行動となります。

また、読字だけで完結させることなく、

「書くこと」によっても、人間の理解力に圧倒的な差が

現れ出るために、知的能力の成熟度には難しさが伴います。

管理人もこのような形で、一般向けの書籍紹介を

兼ねたエッセーを綴らせて頂いていますが、

「要約=コメント力」がいかに難しい作業であるかも、

プロを目指す過程でこそ、見えてきますので

いわゆる作家さんの苦労に共感することになりました。

その意味で、読解力の養成は、日々是修業(行)であります。

「第6章 熟達した読み手の脳」

※こうして読字について、熟達していくにつれて、

脳の思考回路も豊かに発達していくことになるのですが、

ただ単に文字を目でなぞるだけの次元から、

さらなる飛躍が始まっていきます。

そうした飛躍された世界観の拡張にも、

読字行為は寄与しています。

<PARTⅢ 脳が読み方を学習できない場合>

「第7章 ディスレクシア(読字障害)のジグソーパズル」

「第8章 遺伝子と才能とディスレクシア」

この2章では、ディスレクシア(読字障害)の原因について、

最近の脳科学の知見なども参照しながら、

多角的に検証していきます。

その結果、判明してきたことは、

文字を読む(今回は、主として<読字行為>に焦点を合わせますが・・・)

ことは、決して「楽」でも「生やさしい」ものでもないという

厳しい現実でした。

「遺伝子」も、もともと、「読字行為」に最適化された

情報プログラムでなかったことも解析されていく中、

あらためて、後天的な「読字」学習習慣の差異によって、

「読字障害」の克服へ向けた結果も変化していくともいいます。

「読字障害」などと表現すれば、学習<障害者>がイメージされてしまいがちですが、

こうした見方自体、こと「読字」行為に関しては不適切であるようです。

「読字」行為に苦手意識があったからこそ、代償として、

その他の豊かな才能も生み出されていった人間も数多くいます。

著者は、狭義の<障害者>という枠で、この「読字障害」問題を

考察されてこられたわけではありません。

本書最末尾の解説(本書375頁ご参照)によると、

著者自身の子どもが、ディスクレシア(読字障害)を有しておられるとも

語られているだけに、本書から著者自身の熱意と愛情を込めた

「読字障害」で悩むすべての方に対する共感意識が伝わってきます。

管理人も、これまで当ブログで、たびたび「障害者」問題を

取り扱った書籍紹介もさせて頂いてきましたが、

すべては、程度問題(スペクトラム=虹の光彩のような差異現象)だと

捉えています。

そもそも、「普通(ノーマル)」とは、どのような性質なのでしょうか?

管理人自身は、重度の障害を有しているわけでもなく、

かなりの重度障害を有しておられる方々の心を忖度することも

想像の域でしか推察申し上げることしか叶いませんが、

管理人も、一人の<社会人>として苦労もしてきただけに

日々「障害」とは何だろうかと問い続けています。

「障害=個性」といった単純な決めつけには、語弊もありますが、

本書のような優れた研究書を読み進めていくと、

「障害(者)」に対するイメージ像も根本から変化していきます。

最近では、「遺伝子優位仮説」に基づく興味本位の解説書が

巷に満ち溢れ、多くの方々の偏見を助長しているような気がして

なりませんが、本書では、「遺伝子(先天的才能)優位仮説」をも

乗り越えていく勇気が満ち溢れてくる激励書でもあります。

「読字障害」の克服も、著者自身も強調されるように、

なるだけ早期対応が望ましいとのことですが、

私たち自身の「自覚」次第で、後天的能力の獲得も

十分間に合うようです。

本書は、そんな安易な楽観論にも悲観論にも偏らない

良質な一般向け啓蒙書であります。

「第9章 結論-文字を読む脳から”来るべきもの”へ」

※この最終章こそが、本書の主題『読書は脳をどのように変えるのか?』

の極北地点を志向したテーマですが、

時空を「超越」した知的思考が、人間の特徴であります。

人類は、万物の「霊長」とも指摘されていますが、

この「霊的」という世界観は、圧倒的に「現代」学問からは

追放されています。

未だに「身心二元論」に拘束された狭い見方もある一方で、

その「統合化」を志向したあらたな知見にも理解が得られつつありますが、

いずれも、「肉体(身)」と「精神(心)」の二大枠内に

閉じ込められているのが現状です。

著者の主張される”来るべきもの”は、

管理人が提起させて頂いたような、必ずしも「霊的次元」を目指したもの

ではありませんが、脳科学も今後深められていく過程で、

「身心」二元的世界観すら飛び越えなくてはならない時期も到来するものと

期待もし、確信もしています。

次世代は、デジタル人間に近似していくとも、

生物進化論の角度から推測されている研究者もいますが、

だからこそ、「人間らしさ」とは何かが、

今もっともホットな話題になっています。

”来るべきもの”は、読字行為によって触発された多様なイメージ像への

転換や想起(記憶・連想など)も含まれています。

昔、管理人の敬愛する大学時代の恩師が、

「脳は使えば使うほど、進化する!!」とおっしゃっていましたが、

まさしく、「読書」は、「スルメイカを噛めば噛むほど、

深い味わいが滲み出てくる」ようなものです。

「プルーストとイカ」から思いついた連想でもありますが、

「失われた時を求めて」こそ、人生の本質でもあるような気がします。

まとめますと、人類が言語を獲得し、とりわけ「読字」することが

出来るようにまで進化していったことは、驚異的なことだったのです。

皆さんも、そんな人類の祖先に感謝しながら、

当たり前の「読字行為」の非凡さに思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

本書では、「具体的」な読字障害者(広義での学習障害者含む)に対する

対策などに特化されているわけではありませんが、

このテーマに興味関心ある読者には、是非ご一読して頂きたい1冊であります。

※注・参考文献も充実していますので、本文で疑問を持たれた箇所や

興味関心の惹かれたテーマについては、各自でご参考にして頂くと、

本書のテーマがより一層理解しやすくなるかと思われます。

オンライン時代における新たな「言語獲得能力」と「言語観」をいかに養成していくべきか??

さて、本書第9章の結論では、今後ますます進展することが

予想されるオンライン時代における新たな「言語獲得能力」や

「言語観」の変容に向けた懸念を提出されていますが、

最後に、このあたりを考察しておきましょう。

著者は、「”より多く、より速い”はよいことか?」との問いかけから、

「オンライン・リテラシーの進展によって何が失われるのか?」、

また、現在のデジタル生活環境が、「知的潜在能力を伸ばせているか?」と

分析考察されています。

むしろ、このような「情報洪水」社会で、

「人間らしく」生き抜くためには、

立ち止まってじっくりと観察する訓練こそ必須ではないかとも

強調されています。

著者は、デジタル社会における恩恵を否定されているわけでは

ありません。

ただ、「情報洪水」の中で、表層的な「わかりやすい」言語表現に

拘束されたり、自らの好む狭い世界観だけに自足する傾向にある

現代っ子の風潮に警鐘乱打されています。

管理人が、「書評ブログ」を展開させて頂いている趣旨も、

「読書」を通じた豊かな文化振興と文化教養人がもっと世の中に

増えて欲しいとの熱い思いがあるからです。

「読み方」は、人ぞれぞれですし、

本書の紹介文や要約も細かいところでは外しているかもしれません。

しかし、そうした「読み外し」行為も、

「個性的な読み」でありましょう。

読者各人各様の「読み」が許容されるのも、

読書の醍醐味であります。

「ただ単に文字の表層を目で追って読み続ける」だけでは、

退屈さがすぐに訪れてしまいます。

「読書」というからには、

その書籍を始めて手に取ってみた際には、

何らかの問題意識があったからでしょう。

そのあなたなりの「問題意識」こそ、

他ならぬ個性ですので、

大切に守り育てていって頂きたいと思います。

そこから、価値観の異なる者同士の連携プレーも

可能になってきます。

決して、世の中の大勢に流されることなく、

あえて、世の中の主流に棹を差すことの出来る

勇気ある前途有望の若者こそ、

これからの未来社会へ向けた挑戦者であります。

当ブログでは、そんな志高い若者を応援したい一心から

日々、徒然とそこはかとなく綴らせて頂いています。

ということで、今回はここまでとさせて頂きますが、

皆さんにも、「プルースト」のような記憶の奥底に

残るような余韻ある読書を楽しんで頂きたく思い、

本書をご一読されることをお薦めさせて頂きます。

最後に、管理人の敬愛するリルケの言葉を

本書から引用させて頂きます。

『世界が心なく移ろいゆくたびに、

今ここにあるものも、来るべきものも手にできぬ、

世に認められぬ、かような子どもたちが生まれる。

来るべきものは人類にとって遠大に過ぎるからだ。』

(本書311頁冒頭より)

(ちなみに、リルケについては、こちらの記事

ご一読下さると幸いです。)

管理人にも、2~4歳の姪っ子がいますが、

本書を読むきっかけも、豊かな世界観を提供していくのが、

次世代を守り育てていく現役世代の義務だと実感しているからで

あります。

どんな些細なきっかけでも構いません。

子どもたちとの対話に積極的に関わってみませんか?

その「恐るべき子どもたち」(ジャン・コクトー)こそ、

大人たちが、とうの昔にどこかへ置き忘れて来てしまった

「失われた時」を再発見することにも貢献してくれるでしょう。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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