高橋昌一郎先生の第二講義「理性の限界」私たちは、世界をどのように記述するのか?

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高橋昌一郎先生の講義を始めます。

第二弾「理性の限界」

私たちは、世界を完全に記述することが

果たして出来るのでしょうか?

私たちが「世界に限界」があるように見えるのは、

なぜか?

それは、自分と世界を切り離して認識する思考癖が

あるため??

第一弾では、「言語の限界」「予測の限界」「思考の限界」と

学び進めてきました。

今回は、より一歩踏み込んで「理性の限界」をテーマに

話題を進めていきましょう。

今回は、この本をご紹介します。

「理性の限界~不可能性・不確定性・不完全性~」      (高橋昌一郎著、講談社現代新書、2008年)

著者は、「認識の限界論」をテーマに

「世界観の形成過程と人間の生き方との関係」に焦点を

絞って、様々な論理学・哲学の研究をされているようです。

この本は、一般人でも理解しやすいように「対談形式での

パネルディスカッション」というアイディアを取り入れて

書かれた他に類書を見ない優れた書籍であります。

今回は、第一弾「知性の限界」の続編にあたります。

ですので、これからお読みになられる方は

「知性の限界」とこの「理性の限界」を一組として

読まれることを、お薦めします。

では、早速本題に入っていきたいと思います。

「選択の限界」に見舞われる社会

まず、この本のテーマ構成について説明しておきます。

「選択の限界」(アロウの不可能性定理)

「科学の限界」(ハイゼンベルクの不確定性定理)

「知識の限界」(ゲーデルの不完全性定理)

を、それぞれ中心に据えながら「学問の最前線」の知見が

紹介されています。

このうち、「科学の限界」と「知識の限界」は第一弾でも

すでに紹介してきました。

ですので、今回は「選択の限界」のテーマを中心に考えてみたいと

思います。

私たちは、昨今非常に厳しい経済環境の中で生きています。

現在の経済政策は、新自由主義新古典派経済)といって

原則的に「選択の自由」(ミルトン・フリードマン)という

スローガンの下で行われてきているようです。

「市場にすべて委ねよ!!」

というように、「金融政策」を重点的に置いて

規制撤廃政策を始め「あらゆる競争政策」が展開されてきました。

一方で、「財政政策(公共投資政策)」である一種の「社会政策」は

軽視されてきているようです。

少なくとも、効果的な規模にまではなっていないようです。

通常、「金融政策」を取るならば「格差」が拡大するおそれが

十二分にあるので、何らかの「格差是正政策」でもって

フォローするのが、責任ある「国民政治」だと

認識されているようです。

そのような昨今の情勢を鑑みていて考えていたことが

ズバリこの本の中で紹介されていました。

それが、冒頭でもご紹介した「アロウの不可能性定理」です。

残念ながら、現代の民主主義社会においては「完全な選挙制度」が

ないようなのです。

つまり、「適切な選択手段」がないということです。

ですので、現実社会において

「どのような耳触りのよい政策スローガン」

が叫ばれても、私たちは

余計な「幻想」を持つことは出来ないようです。

このことは、今後選挙における投票行動の際にも参考にすべき

知見であります。

また、「囚人のジレンマ」というゲーム理論の一形態が

分かりやすく紹介されていますが、

「個人にとって最適な行動でも、集団(全体)になるとともにドボンしてしまう!!」

という衝撃的な結論が導かれたようです。

もちろん、ゲーム理論は一種の思考実験ですから「常に最悪な結果」になるとは

限りませんが・・・

ただ、確率的には決して無視できない「高い数値」だそうです。

まとめますと、適切な選択肢が用意されていたとしても

「完全な選択の自由はない」ということです。

「不完全な社会」でも、無力にならずに生きていくには・・・

さて、そのような結論が導かれたとすると

私たちは無力感を味わわされてしまいそうです。

ここからが、大事なポイントとなってきますが

「個人的に正しいことをしても、集団(全体)になると押しつぶされる!!」

ということから「無力」になって社会に対して無関心になってしまうのか、

それとも、

「不完全な社会だからこそ、たとえ個人として微力としても

小さくても良き種まきをしよう!!」と

考えて行動するかによって、未来は大激変するということです。

不完全なら不完全なりに、高望みせずに淡々と生きるという

選択肢もあるということに気付いて頂きたいのです。

「世の中は、決して捨てたものではない」のです。

「世の中を捨てることは、自分をも捨てることになりかねません」

学問の進歩は、私たちの目の前に冷厳な事実を突きつけるかも

しれませんが、そこで得られた結論が「絶対正しい」という

訳ではないことにも気を付けなければなりません。

どうやら、私たちは手探りしながら「螺旋階段」のように

この世界を歩かされているようです。

「理性の限界」は、ある意味で希望も与えてくれます。

限界から先の「不完全な空白部分」を埋めるという

各人の自由もまた内包しているからです。

この本では、先にご紹介した「ゲーデルの哲学」

簡潔に効率よくまとめられていますので、前著よりも

理解しやすいかもしれません。

前著で理解できなくなったら、こちらの「コンパクト要約」で

おさらいしてみるという使い方もあるでしょう。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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