高橋昌一郎先生に「ゲーデルの哲学~不完全性定理と神の存在論~」を学ぶ!!人間の認識は不完全!?

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20世紀は、「不完全性定理発見の世紀!?」

今回ご紹介するゲーデルは、数学(哲学)の分野で

「不完全性定理」を発見しました。

すでに、何度か「物理学」における「不完全性定理」

に関する本はご紹介してきました。

私たちは、この2つの「不完全性定理」について

あまりにも知らなさすぎるようです。

このことが、現代社会において大損害を招いていると

いっても過言ではないと思われます。

そこで、今回はこの本をご紹介します。

「ゲーデルの哲学~不完全性定理と神の存在論~」      (高橋昌一郎著、講談社現代新書、1999年)

高橋昌一郎先生(以下、著者)は、哲学者・論理学者であります。

主に、ゲーデルの哲学を通じて「人間の各種認識の限界」について

研究されています。

これから、何回かに分けてご紹介していこうと予定している先生です。

「知性の限界」「理性の限界」「感性の限界」と3つのテーマを

予定しています。

20世紀以後は、物理学・数学・哲学の分野で「人間の認識の限界」に

ついて、夥しい研究結果から大変な知見が確認されてきました。

当初、些細なようで複雑な発見だったため一部の天才研究者を除いては、

世間一般に広まることはありませんでした。

しかし、この20世紀の大発見について、21世紀現在においては

もはや誰も逃れることは出来ません。

「不完全性定理は、世界を大激変させてしまったのです!!」

物理学の分野でも「不完全性定理の発見」がありましたが、アインシュタインも

驚愕したように、それまでの「安定した世界像(観)」が根本から覆されて

しまったのです。

つまり、「寝た子を起こしてしまった!!」ということです。

悲しいことに、21世紀に入っても「人間の世界像」は固定したもので

あるとして、相変わらず自己主張を譲らずに各界で争いが生じています。

それは、ひとえに「言葉=論理の限界」に対する無知から来る「錯覚・妄想」

が原因となっているようです。

どうやら、人間は自らの「安定した世界観」が他者により揺さぶられると

本能的に「排除」しようとする性質があるようです。

でも、賢明な読者の皆さんなら「もう大安心です!!」

こうした「不完全性定理」を知ることは、決して「個人の安定した世界観」を

侵害するものではないからです。

むしろ、「限界」を学ぶことによって「何が出来て、何が出来ないか?」

その都度、謙虚に反省することにより冷静になることが出来るからです。

そうした効用が「不完全性定理」にはありますので、今回は

数学・哲学分野における「ゲーデルの発見」についての

この本を取り上げさせて頂きました。

不完全性定理とは、世界観を揺さぶる定理だが・・・

さて、「不完全性定理」の内容解説に入っていくのですが

文系の管理人にとって物理学以上に「数学」という抽象的な分野を

解説する能力はないので、詳細は著者の解説に委ねたいと思います。

無理に解説を推し進めると、かえって読者の頭を混乱させることになって

しまいますので、この点はお許し下さいませ。

必要な所があれば、管理人の理解できる「最小限の範囲」で解説を

抑えたいと考えています。

「ゲーデルの不完全性定理」を管理人の理解した範囲で簡潔に解説させて

頂きますと、要するに

「矛盾のない一つの公理体系の中では、当該公理体系そのものについて

矛盾がないことを証明することは不可能!!」(自己言及のパラドックス)

ということのようです。

卑近な例えでイメージすると、

「自分で自分を正しく吟味することは絶望的に困難!!」

だと言い換えることが出来るかもしれません。

「(無意識にも)あらかじめ設定されている枠があるために、

自己の認識(認知)能力に基づいた判断力の真偽(当否)については、

前もって完璧に予想を立てることは不可能!!」(フレーム問題)

ということです。

つまり、現時点における自分の認識レベルを超えた「神の視点

(次元を超えた=メタ認知といいます)=もう一人の自分という視点」を

持つことなしには、正しいか正しくないかを証明することは不可能だと

いうことです。

著者も語っているように、「ゲーデルの哲学」を直感的に理解することは

難しいことです。

「不完全性定理の証明論文」自体が、何段階もの「階層構造」で文章化

されていますから(そりゃ、元々が一つの体系内で説明するのが困難

なものですから・・・)、「形容過多」となり一発で理解することは

天才でもない限り、理解できないからです。

でも、一般人に理解してもらえるように一生懸命説明しているところは、

人間的に共感出来ますね。

こうして、「不完全性定理」が証明されていくわけですが

問題はこの発見の効果です。

この証明から、普通の人間なら「絶望」してしまうはずですが、

ゲーデルの姿勢を見ていると、「認識の限界」が証明出来たことから

理性によって判断出来る範囲が確定されてきます。

このことは、かえって「楽観的」になれるということも意味しているようです。

つまり、彼自身は「論理自体よりも信念」を優先させたようですね。

「自分の安定した世界観を守るためなら、論理の飛躍も誤差の範囲内」と

割り切ったのかどうかは、管理人の拙い頭では分かりませんが・・・

ゲーデルとゲーデル周辺の人々との愛

天才はいつも孤独のようです。

人間の認識すれすれの所を彷徨っていれば、頭が変になりそうです。

実際、優れた哲学者はノイローゼや躁鬱病などで悩まされていました。

ニーチェや今日のコンピュータの基礎を築いたアラン・チューリングなど・・・

一方、同じ論理学(言葉=認識の限界)に取り組んだウィトゲンシュタイン

うまく精神を安定させる方法を見つけたようです。

アインシュタインもそうした一人でした。

こうした人間の極限状態まで努力してくれた人々がいるからこそ、

私たちは多大な恩恵を受けていることに感謝しなければいけません。

まさに、愛のなせる技です。

ゲーデルにしても、ブラームスにしても

天才は一般人に理解されないような結婚や交際をするようです。

でも、本人はいたって真面目・純粋なのです。

そのような世間一般の常識にとらわれず、己の信念に従って生き抜く姿勢は

きっと私たちにとっても「希望の光」となることでしょう。

ですから、「不完全性定理」や「神の存在証明」などを見ていくと

論理そのものよりも「信念の大切さ」の方が、人間にとっては重要だという

ようにも思えるのです。

もちろん、それは「合理的かつ理性的」なものでなくてはなりませんし、

人にも「自分の世界観」を強要してはいけませんが・・・

ここで、印象深かったエピソードがあります。

ゲーデルが、ナチスから逃れて米国の移民審査の面接を受けた時のこと。

判事「ドイツ、オーストリアいずれにしても独裁国でしたな。

しかし、米国では、そのようなことは起こりえませんからね。」

ゲーデル「それどころか、私は、いかにしてそのようなことが

起こりうるのかを証明できるのです」

これには、同席者のアインシュタインたちも思わずゲーデルの話を制した

ところです。

でも、管理人にとってはゲーデルの気持ち(信念)は分かるような気がします。

通常の場合、一般人なら「うまくはぐらかす」かして大人の知恵で通り抜けますが、

想像力豊かな人間なら「最悪の場面」を想定するでしょうから・・・

「ゲーデルさん、なかなかやるじゃないか」

こうして、決して世渡り上手ではなかったゲーデルも多くの方に支えられて

生き抜きました。

「愛は、何にもまして強い!!」

むしろ、その命題を証明したかのような一生でした。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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5 Responses to “高橋昌一郎先生に「ゲーデルの哲学~不完全性定理と神の存在論~」を学ぶ!!人間の認識は不完全!?”

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