津田一郎先生の「心はすべて数学である」「有限」な人間が「無限」の世界へと挑む視点を獲得するには??

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「心はすべて数学である」

複雑系科学の観点から人間の「心」を

数理的に探究してこられた津田一郎先生の

挑戦書です。

その「カオス的脳観」には、

「有限」な存在である人間が、

「無限」の世界を獲得する視点があります。

「人間は、なぜ、頻繁に間違いを犯すのか?」

その原因も、この「有限」と「無限」のあいだで

彷徨う「心」の錯覚にあるようです。

その錯覚を超越したい・・・

今回は、この本をご紹介します。

「心はすべて数学である」                (津田一郎著、文藝春秋、2015年)

津田一郎先生(以下、著者)は、

生物理学と数学をつなぐ数理科学者です。

北海道大学大学院の理学研究院数学部門教授を

務めておられます。

本書でも紹介されています

前にもご紹介させて頂いた

粘菌研究の第一人者である中垣俊之先生も

同大学の研究員でいらっしゃいますが、

その「心」には、共通項もあるようですね。

(本書206~207頁ご参照)

ご専門は、応用数学・計算論的神経科学・複雑系科学で

あります。

著書には、『カオス的脳観~脳の新しいモデルをめざして~』

(サイエンス社、1990年)などがあります。

「科学する精神」と「近代を超えること」の実践場として

最適の学問領域だということで、

脳解析を選択された異色の「数学者」だといいます。

本書のテーマは、そのものズバリ、

『心はすべて数学である』でありますが、

本書では、その難解な数学理論を一般向けに

「心」との接点を通じたわかりやすいエッセー集として

これまでの研究成果を発表されています。

ですので、現代数学の抽象的な世界観に馴染みがない方でも、

比較的読みやすい部類の数理学書だと思われます。

さて、管理人も、「科学(物質)と哲学(精神)」の

接点を探究しながら、世界の究極的実相に触れたい一心から、

「心」の「内実」を解析する多種多様な書籍を通じて

思索している過程にありますが、

その原点には、

「複雑な人間心理を、より良い方向へと進化させるには、

どのような視点獲得が必要か?」という問題意識があります。

「より良い方向」とは、

言い換えますと、「美意識」ということになりますが、

古来からの数学者の姿勢にも、

この飽くなき「美的探求心」が含まれていたといいます。

つまり、通常の世間的イメージとは異なり、

ロマンチストの一面も有していたのが、

数学者の姿だったということです。

個別具体的な現象事実は、複雑きわまりなく、

離散的(つまりは、流動的で捕捉しがたいところがあるということです。)で

あるところから、多様な解釈が生み出され、

それが、人間の複雑な心理感情と相まって、

この世界に創出してきます。

このような人間の心理感情における

現実世界に映し出される像には、

様々な濃淡があります。

<不調和>の「醜」から、<調和>の「美」まで・・・

このような「美意識」における濃淡も、

ただ、文脈に応じた言語的解釈だけに

依存し過ぎると、すぐにも「言語的錯覚」の罠に陥りがちで、

人びとのあいだで、末永く共有し得る揺るぎない世界観の構築にまで

至ることは、絶望的に困難な道のりであります。

その絶望的に困難な道のりを、

一歩ずつ無理せずに歩き続けることの叶う処方箋こそが、

数学を学ぶ醍醐味であります。

「有限」で「未完」の存在である「人間」が、

「無限」の「調和」に満ちた世界で遊ぶ

「神(仏・サムシンググレイトなど)」につながる視点を

獲得する学問こそ、数学の第一義的役目であります。

ということで、「人間」は生きながらにしては、

なかなか「調和」の世界で遊び暮らすことは難しいですが、

ともに、そんな「楽園」に少しでも近づいていくための

「知恵の書」を皆さんにお届けしようと、

この本を取り上げさせて頂きました。

現代主流の「脳科学(身心二元論的世界観)」では至り得ない <調和の霊感>

さて、本書における問題意識の主題は、

昨今の脳科学におけるミラーニューロン仮説などの

知見から得られてきた人間の「心」の多義性を

いかにすれば、人類の「共通の心」として、

「統一普遍的」に解釈し得るのかへ向けられた

「数学的処理法」の確立であります。

前回の記事とも重なりますが、

人間の「心」は、周囲の環境によって、

多種多様に変化し、「私」というアイデンティティーの

形成過程も、決して一様に決定されるわけではないと

いうことも判明してきたようです。

こうした研究成果から、

最近では、「唯一」のアイデンティティー(人格的統一性)と

いった旧来型の見方も根本的に変革されようとしています。

「心」が生み出されてくる過程は、

「脳」が先天的(生まれながらにという意味です。)に

決定してくるわけでもないとも示唆されています。

著者の表現によると、

『私の心はどこから来るのだろうか、という問いを

発する契機になる・・・』

『もともと私に備わっているのか、それとも・・・・・・?』

(本書8頁)

上記のように「私」を取り巻く様々な周辺環境に適応しながら、

「私=心」が生成化育されていく過程を分析考察する中で、

著者は、

『他者の心によって構築された私の心は、また異なる他者によって

構築された別の人の心と無関係であると考える方が蓋然性が高いように

見えますが、しかし何か共通普遍項があるようにも見えます。

そこで、共通普遍項として”抽象的な普遍的な心”というものを仮定し、

それが個々の脳を通して表現されたものが個々の心だと考えてみる

ことにしたのです。』

『私はこの抽象化された普遍心こそ、数学者が求めているもので、

数学という学問体系そのものではないかと考えるに至りました。』

(本書8~9頁における著者の問題提起から引用)

という仮説設定から、

著者のご専門である前にもご紹介させて頂いた

複雑系科学などの知見を活用しながら、

「数学は心だ」という命題証明をされています。

この「証明」過程も、私たち一般人が、

義務教育課程で学んできた「証明法(論)」ともイメージが

大きく異なりますが、著者は、「純粋数学」といった

この宇宙の「美的構造」を探究する一つの試論として、

この難問に果敢に挑戦されています。

「数学とは、全身全霊で解く学問!?」

これも前にご紹介させて頂いた『数学する身体』の著者である

森田真生さんの問題意識とも重なりますが、

「数学という学問には、こんなに奥の深い世界もあったんだ!?」という

驚きと感動を<数理嫌い>の文系人の方にも、

是非とも味わって頂きたいと思います。

こうした問題設定の下、

本書は、以下のような内容構成で論旨展開されています。

以下は、典型的な文系人である管理人の理解し得た範囲で

数理的な解釈を踏まえた要約をさせて頂きますが、

具体的な「証明」過程の詳細は、

本書をご一読されることをお願いします。

とはいえ、難しい「数式」は、ほとんど出てきませんので、

ご安心下さいませ。

管理人のような典型的な文系人にも親しみやすいエッセーに

なっていますので、読みやすくなっています。

文系の方なら、

『「心」を「科学する」視点とは、いかなるものか?』という

視点から、本書を読み進めて頂くと、

面白くなり、理解も促進されやすくなることでしょう。

それでは、要約に入りますね。

「第1章 数学は心である」

※本章では、「感覚は具体的なもの」であるのに対して、

「感性は抽象的なもの」であるとの著者の定義設定から、

<感性>面における「心」が創出されてくる時空<感覚>を

解析する手法として、数学が古来より活用されてきた実態に

迫ります。

「数学は情緒である」(岡潔

(ちなみに、岡潔先生の著作については、

こちらの記事もご一読下さると幸いです。)や、

本書では触れられていませんが、

「空間を味方につける<愛の方程式>」を

敬愛するアインシュタイン博士と同様の美意識で、

「理論」物理学の観点から解析されて

世界的にも名を高められた保江邦夫先生

(ちなみに、保江邦夫先生の著作については、

こちらの記事もご一読下さると幸いです。)など、

「空間」構造を把握するのに最適な道具が

「数学」だということを解説されています。

その「空間」に遍く漂っている「情報の束」が、

「心」とも言えますが、

著者も強調されていますように、

「心」は、人によって、千差万別であることから、

その「心」を整理整頓する術を人類が獲得しなくては、

冒頭でも触れさせて頂きましたように、

「不調和」の戦慄すべき諸現象が表出してくることに

なります。

とはいえ、「数学」が提示する「普遍的な心」自体には、

「美」や「醜」といった色づけは入りにくく、

その「定理化」は、一応は、価値中立的だとも申せましょう。

あくまで、「結論」についてですが・・・

ですが、その「結論」に至る過程には、

各人各様の様々な「証明模様(つまりは、心の揺れ動く心理過程

ということです。)」があり、その「証明模様」を分析することで、

『人の心の動き方について、何かヒントが得られるのではないか-

これが「数学は心である」という発想の源なのです。』(本書27頁)

語られています。

それでは、一見すれば、抽象化・普遍化志向が要請される

数学的思考ですが、

そこには、「盲点」など、まったく存在しないと言えるのでしょうか??

そうした疑問から、「心」を数学的に解読していく過程で欠かせない

「有限」な人間の「無限」へと至り得る道は、

果たして存在し得るのか?

という視点から、

著者は、現代数学でも、まだまだ未解明分野だとされる「集合論」を

ヒントに、『「有限」から「無限」をつくる』をテーマに、

少しずつ歩を進められていきます。

『基本的には我々の思考は、離散的(つまりバラバラ)で有限なものしか

扱うことができません。でも、そこに本当は連続体があると考えてみる。

また、はるか彼方の一点に向かってどこまでも伸びてゆく線があると

考える-それが無限です。もちろん、有限なものから連続体に近づくことが

できると考えるのは、仮定でしかない。

しかし有限からどうやって連続体という無限に想像力を近づけていくことが

できるのか、その思考がまさに人間の脳の思考の典型だと思っているのです。』

(本書28~29頁)という考えから、

最新の脳科学の知見とも重ね合わせながら、

「心」が生み出されていく過程について、以下の章から

具体的に分析考察されていきます。

「第2章 心が脳を表現する」

※本章では、「数理物理学者(哲学者)」である著者と

昨今の「主流」派「脳科学者」との問題意識(見方)の

違いを解説されながら、

伝統的な「身心二元論」に依拠してきた「心脳問題」について

解きほぐしていきます。

もっとも、「心脳問題」にも、「二元論」だけではなく、

「一元論」など様々な立場の論者はいますが、

著者は、「心」を初発地点とした「心」から「脳」へと

接近していく手法で研究をされています。

現代の脳科学者は、「唯脳論」に代表される

「脳」から「心」を取り出す志向性をもった研究者が

「主流」ですが、そのような「脳」内の「物理構造」だけに

特化した方法論だけでは、「心」の解明にとって、

「不十分」ではないかと挑戦されるのが、

著者の問題提起であります。

そこで、「心と脳の関係」を、

先にもご紹介しました「集合論」から

複雑系科学における「カオス的離散数学論」を道具として活用していく

過程で現れ出てきたアイディアが、

ゲーデルの「不完全性定理」というヒントでありました。

(ちなみに、ゲーデルについては、

こちらの記事もご一読下さると幸いです。)

つまりは、「心」と「脳」の「1対1対応=写像理論」の活用であります。

ここから、いよいよ、「心」をメインに据えた「心脳問題」の

解読作業が、以下の

「第3章 複雑系としての脳」

「第4章 カオスの超越性と心」

にて、論旨展開されていきます。

この第3章・第4章が、

特に論証過程のメインストリートであり、

その詳細な数理的解説につきましては、

管理人の手には負えませんので、

ご一読される読者の皆さんの「お力」に

委ねさせて頂くことをご了承願います。

「第5章 心は数式で書けるのか」

※本章では、『思考・推論とは具体的なものである』という

問題設定から、現代数理論理学の成果を活用しながら、

「<心>の数式化」に挑戦されています。

そこでは、「有限」な身体(ここでは、<脳>がメインですが)を

持った人間が、いかに「無限」に近づいていくことができるのかという

観点から、「集合論」のうち、

現代の「無限」集合を考える際には、欠かせない道具である

カントール集合(本書161~166頁)や、

空間幾何学の一種である位相幾何学フラクタル図形を集合論に類推適用)

する視点(本書166~173頁)を取り入れながら、

「<心>の数式化」を試みられています。

その<心>の方程式化の意味は、

「心」の「創造化(想像化)」の過程を

一般的に表現する一形式ということになります。

文系人にとって、方程式を完全理解するためのコツは、

「数式」ではなく、その「意味」に着目することであります。

幸いなことに、本書では、一般人向けのエッセー集でありますので、

「数式」ではなく、「言語化」して下さっています。

ですので、「心おきなく」読み進められるように、

工夫が凝らされています。

「第6章 記憶と時間と推論」

※いよいよ、最終章ですが、

この「有限(脳)」から「無限(心)」が生み出されていく

飛躍力こそが、「想起力」とともに継起してくる「推論力」

あります。

ここに、「時間の<不思議>」が、「論理(推論過程)」に

持ち込まれます。

今回は、紙数の関係上、「時間論」には触れられませんが、

時間にも、『クロノスの時間とカイロスの時間』

(本書176~180頁)があるようですが、

『瞬間、瞬間が連続するのは人間の精神構造にとっては

あまり健康的ではない』(本書204頁)との生理的理由から

私たちの「記憶構造」は成り立っているようです。

それが、飛び飛びの「離散的記憶」とも称される「忘却」の

存在理由でもあるようです。

さて、本書では、「心」に関する明確な定義付けや、

「意識」や「無意識」との関連づけにまでは、

さらなる深みへと踏み切れていないような物足りなさも

個人的関心からは、感じられもしましたが、

この論点については、

次回の挑戦的意欲作に期待すると致しましょう。

管理人も、近日中に、この論点について

ご紹介させて頂く予定でいますので、

そちらで、考察することにさせて頂きましょう。

まとめますと、『調和の霊感』(アントニオ・ヴィヴァルディ)の

響きを、「心」で実感するには、

現代「主流」の脳科学だけでは、

感動に浸りきることはできないということです。

なぜなら、「数学」や「理論」物理学ではない

一般的な「科学」的「実証」手法に頼るだけでは、

価値観にまで立ち入った「美意識」の「時空構造」にまでは

接近し切れない思いもするからです。

どうも「俗流」の「脳科学」には、「胡散臭い!!」ものが

あると感じられる真の科学者探究「魂」を有しておられる方には、

数理的解釈から見た「心脳問題」をともに考察して頂くと、

「調和」の世界へと導かれる扉が開かれることでしょう。

学問し続ける心も、「自由な創造的世界」を求める生命の躍動感から生み出される!!

ところで、本書の好著たる所以は、

「学問し続ける喜怒哀楽」を

そのまま感じ取らせてくれるところにもあります。

まさに、このタイトルのように、

「学問し続ける心こそ、<生命の躍動感>を

人間に叶えさせてくれるのだ!!」ということを

教えてくれています。

「有限」から「無限」への跳躍こそ、

「創造的進化」(ベルクソン)であります。

この「創造的進化論」も、

いずれ機会をあらためて触れさせて頂く予定でいますが、

人間は、「有限」かつ「微々たる存在」ではありますが、

決して、「無気力」な生物ではありません。

著者も、本書で強調されていたことですが、

重要なことは、『心を動かすことで脳が変わる』

(本書80~86頁)という可塑性を信じ抜くことにありますが、

問題は、「脳」というハードディスクに、

どのような「心」(ソフトウェア)をプログラミング(インプット)して、

この世界に表出(アウトプット)させるかにあります。

ここに、未来の人類存続の鍵があると確信しています。

人工知能と人間の最大の違いは、

推論過程の複雑さと豊かな想像力(創造力)の

「<幅>がある」ということにあるとも

一般的には、考えられています。

「計算する脳」ということで、

人類は、「有限」から「無限」へと知能指数を上げようと

努力する過程で、テクノロジーを進展させ、

人工知能開発に至りました。

とはいえ、その未来予想図が、

「吉と出るか、凶と出るか!?」も

いずれにせよ、「心」の働かせ方と、

何を組み入れるかによります。

近代「科学」は、「価値観」をあえて、

不問に付すことで、飛躍的な発展をもたらしたといいます。

しかし、そのことが、一方で、

人類の世界観を不安定にさせてしまったことも否めません。

そのことは、特に、20世紀の歴史的教訓が示唆してくれています。

21世紀現在では、「脳死問題」や「人工知能問題」、

あるいは、「生命操作問題」などのあらゆる分野で、

人間が守り育て、維持発展させていくべき「倫理(価値)観」が

厳しく問われています。

そのことも、本書を通じて、各自で考察して頂きたい点であります。

最後に、本書から『創作と学問のモチベーション』を

与えてくれる有り難いお言葉をご紹介させて頂きながら、

筆を擱かせて頂くことにします。

『でも大いに悩むこと、葛藤というのは、

深い研究や創作を生むことにつながると思います。

(中略:管理人注釈=夏目漱石アラン・チューリング

引き合いにして・・・)実存(管理人注釈:人生における

根本的生存実感のこと。)に迫るような深い苦悩、問い、

というものが大きな研究や創作のモチベーションになったの

でしょう。』(本書213~215頁)

ということで、皆さんにも、

「学問=生きる意欲を養い続ける生命の聖なる営み!!」ということを

共通普遍項の<抽象的な普遍的な心>として宿して頂くとともに、

人類の知的共有財産として、

本書の試論が、時代を超えて語り継がれるよう願いを込めて、

この本をご一読されることをお薦めさせて頂きます。

なお、本文中でもご紹介させて頂いた保江邦夫先生の

「ついに、愛の宇宙方程式が解けました:

神様に溺愛される人の法則」

(徳間書店、2015年)

「量子の道草-方程式のある風景」

(日本評論社、2009年)

もご紹介しておきます。

※特に後者は、「数式アレルギー」をもった方に

お薦めの1冊であります。

文理問わず、「方程式」の意味を通じて

世界を探索したい方向けの専門的エッセーです。

内容は、相当マニアックな世界ではありますが・・・

「数学」は、「数」を扱う学問ではありますが、

必ずしも、「数式」に拘る必要もないようですね。

「数式」は、あくまで「万国共通語」であるため、

使い勝手はよいのですが、

その「数式記号」の決まり事に通暁しないと、

理解不能になってしまうことが、難点であります。

文系人から理系人の方へのお願いですが、

出来れば、「数式を使わない普遍数学」の道を

いずれ指し示してくれる画期的な方法論を発見して頂けると

有り難いのですが・・・

困難は、百(以上も)承知ですが、

アイディアだけの道筋だけでも

ご教示願えれば幸いです。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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