河野哲也先生の「道徳を問いなおす~リベラリズムと教育のゆくえ」道徳教育の実践的指導で悩まれている方の必読書です!!

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「道徳を問いなおす~リベラリズムと教育のゆくえ~」

新しい心理学的哲学の最前線である「心の哲学」の

観点から倫理学研究をされてきた河野哲也先生が、

従来の道徳教育の方法論に関する問題点を提起されています。

まもなく、終戦の日を迎えますが、

戦後日本では、価値観の多様化とともに、

混乱がもたらされてきたことも事実です。

ために、道徳の必修化も難しい現状にあります。

今回は、この本をご紹介します。

「道徳を問いなおす~リベラリズムと教育のゆくえ~」    (河野哲也著、ちくま新書、2011年)

河野哲也先生(以下、著者)のご専門は、哲学・倫理学です。

主に、新しい心理的哲学を志向した環境によって「心」も

身体とともに「拡張する」との「心の哲学」研究から、

現状の倫理学の問題点などについて、

積極的な問題提起をされてこられました。

ところで、戦後日本の道徳教育の現場では、

価値観の多様化とともに、一義的な規範を決定して

教えるような道徳教育には懐疑的な社会風潮が主流で、

絶えず、政治問題とも化してきており、

なかなか道徳教育の必修化は困難な状況にありました。

とはいえ、本年の参議院議員選挙でとりわけ注目された

18歳への選挙権引き下げ論とともに急浮上してきた

いわゆる「主権者教育」も始まったばかりで、

この「主権者教育」と従来からの「道徳教育」との

関連をいかに結合させていくかにも課題がありそうです。

(ちなみに、文部科学省(政府)が考える「主権者教育」に

関する資料については、こちらのサイトをご参照下さいませ。)

このような現状ですが、従来の道徳教育のあり方には、

数多くの人びとが心理的アレルギーを引き起こしてきたようで、

一方で、公共でのマナーやルール遵守などの社会的関心度が

薄れてきた社会風潮もあって、

道徳教育の潜在的必要性自体は、

多くの人びとによって、暗黙裏に支持されてきました。

そのような中で、道徳教育にも新しい側面が求められ、

従来の道徳観を乗り越えるための素材が模索されています。

さらに、「道徳教育」には、

「より良き社会」をともに創り上げていく

「公共的実践教育」ということで、「政治教育」の側面もあります。

とはいえ、従来のような「上から与えられた」一義的な規範的道徳観では、

いつまでも左右問わずの「政治介入」が続けられ、

混乱と対立が続くばかりであります。

そこで、著者は、現代「民主主義」の到達点を

様々な観点から紹介されながら、

「哲学」の原点である「対話」重視型の安易に結論を出さない

道徳教育の実践的工夫などを提出されています。

ということで、これからの道徳教育を実践指導していくうえで、

悩まれている指導者の方や従来の「上から与えられた」規範教育としての

道徳教育に対する不満感や不安感を抱いておられる方にも

何らかの指針になるのではないかと思い、

この本を取り上げさせて頂きました。

従来の特殊日本的道徳観の問題点とリベラリズム的道徳論の限界を乗り越える視点とは!?

さて、本書のご紹介と諸考察に触れる前に、

上記のような観点から、

「道徳論=政治教育論」の側面もありますので、

まずは、誤解なきように著者の立ち位置と

管理人が本書をご紹介させて頂くにあたっての

問題意識について、説明責任を果たしておきますね。

まずは、著者の立場から。

本書からの引用を踏まえてご紹介させて頂きます。

『現代社会における道徳教育とは、リベラルな民主主義社会を維持し、

発展させる働きを担う主権者を育成することに他ならない』(本書13頁)

また、「道徳教育の過剰」という批評からは、

現代日本における道徳教育の現場では、

これまでの人類の知的成果である「正義」と「善」の区別について

無頓着だったのではないか・・・

というご指摘もなされています。

このあたりは、政治哲学を含め「法哲学」や「社会(公共)哲学」に

日頃から興味関心ある方なら、今や「世界的常識」だとご存じの方も

おられるでしょう。

昨今の人気番組となったNHKの『ハーバード白熱教室』などでも

よく話題になるテーマでもあったことから、

一般の方にも、こうした「世界的常識」も少しずつ浸透しつつあるようですね。

著者は、この視点から、「正義(共通善??=公共での暗黙ルール)」と

「善(個人的な美意識??=私的な価値観)」における厳格な峻別から、

「道徳学事始め」をしましょうと呼びかけられています。

また、これまでの道徳哲学(道徳だけに限りませんが・・・)では、

「普遍的な合理化」を志向する傾向がありましたが、

この「普遍的な合理化」路線が、近代啓蒙主義哲学思想から派生していった

現代リベラリズムの「限界」でもあると強調されています。

なぜなら、リベラリズムが尊重してきた個人主義的価値観そのものが、

かえって、公共領域における規範意識の欠如・無関心を

招き寄せてしまったからだといいます。

つまり、「自律性の喪失」問題の発生です。

とはいえ、この近代リベラリズムの原点には、

近代社会そのものがもたらした同質性・画一性を抑止する処方箋も

含まれていましたので、リベラリズムの長所自体を

軽視することはできません。

著者は、これまでの人類が共存共生の知恵として発達させてきた

リベラリズムの長所と短所を十分踏まえたうえで、

現代社会でもっとも尊重に値する「多様性」と「寛容性」を

いかに相互尊重していくかに向けた

公民的共和主義(日本では、<保守>に該当??)」とは

異なるアプローチで、新たな「公共哲学(道徳・倫理)」を

提案されています。

細かい思想対立は、本書の詳細な解説をご一読されることを

願いますが、カントの「普遍的理性」志向の道徳哲学や

ジョン・S・ミルを始めとした功利主義哲学の立場を採用する

「他者危害原則(つまり、私的領域に<閉じ込められた>公共道徳)」志向の

計量的利害調整システムに基づく道徳哲学を乗り越える道を

探究されています。

そこで、著者の問題意識を要約しますと、

『本書が提起する新しい道徳教育とは、善き社会を構築するための

基本的態度と方法論、スキルを獲得するための教育である。

これによって、道徳教育という言葉の大きな意味変更が

求められるだろう。それは、善き社会を構築する権利と義務を持つ

主権者を育成する教育のことなのである。』(本書26頁)という

ことに尽きるようです。

つまり、「道徳教育=民主主義的ルールの絶えざる構築と維持・発展を

学ぶ政治的公共教育の<実践の場>」ということになります。

「討議(対話)」を重視して、従来の「理性」に偏重した

「普遍志向(つまりは、静的志向)」だけに特化していかない

「生きた動態的個別対応型思考」を志向された道徳観を

「哲学」的批判思考法などを通じて、日々の「人間的成長」の

発達過程に応じて、養成していこうとの姿勢を提示されています。

総じて、「リベラリズム」の長所を重視した道徳教育の実践的手法を

提案されています。

ところで、管理人が本書を取り上げさせて頂いた問題意識にも、

著者と重なる従来の道徳的世界観に「限界」を感じていたからです。

ことに、管理人の場合には、

著者とは思想的価値観を異にする

「保守(著者によると、<公民的共和主義>の立場??)」に

より近い立場ということになるようですが、

日本の「保守」的道徳論者の視点に、

「儒教的価値観(もっとも、儒教といえども様々な立場がありますが、

ここでは<一般論>として)」に狭く偏っているような違和感を

抱いてきたからであります。

そうした違和感も、「儒教的価値観」から免れがたい

古典的「心理主義(著者の表現ですが・・・)」の弊害から

「指導者的価値観(つまりは、エリート対象型思考法!?)」に

あまりにも偏りすぎ、多くの国民にとっては、

かえって、健全な道徳観の修得から身を遠ざけてしまうのも

「もっともなことではないか??」と思われて仕方がなかったことに

理由があります。

そのことは、前にもご紹介させて頂いた鄭雄一先生の

「理系思考」に則った道徳メカニズムをあらためて研究していた際にも、

強く感じられたところです。

この「心理主義」は、著者のこれまでの研究成果によると、

現代社会ではあらゆる分野に浸透しているようですが、

「社会問題」を「個人問題」へと容易にすり替えられてしまう

難点が含まれていると強調されています。

著者は、これが、青少年を含め大人の「引きこもり・ニート現象」の

一要因にもなってきたのではないかと、

現代の「自己中心(偏重)型心理学(主義)=ミーイズム」の限界だとも

たびたび指摘されています。

ちなみに、著者は、「引きこもり・ニート」一般を

バッシングする目的で論じておられるわけではありません。

(本書『欠けてしまった政治』24~25頁、

『徳育の問題点』218~221頁、

前回記事末のご参考文献にも挙げさせて頂いた

『暴走する脳科学~哲学・倫理学からの批判的検討~』

所収の『心理主義の危険』199~202頁、

『脳科学は心理主義に陥ってはならない』203~208頁など

ご参照のこと。)

まとめますと、現代リベラリズムの私的領域と

公民的共和主義の公的領域の綱引きの境目で、

「心理的」に身動きが取れなくなってしまっている状態を

現代日本の道徳教育が招き寄せてしまったのではないか

推測されています。

こうした「心理現象」こそが、社会への相互不信感を招き寄せ、

「無関心」へとさらに引き寄せられていったのではないかと。

以上は、著者の直接的な表現ではありませんが、

現代道徳教育がもたらした従来型道徳観の限界の一端のように

思われます。

つまりは、「理性」を信頼し過ぎた「普遍的道徳観」だけでは、

現代の価値観の多様性に応えきれないということです。

そこで、著者は、「心の拡張理論」などの

新たな「心の哲学」などの知見から、

『普遍的な合理性ではなく、「拡大していく共感」という

感情的な基盤』(本書37頁)に立って再構築された

21世紀版「道徳感情論」に根ざした道徳教育の実践的方法論を

提案されています。

このような著者の問題意識と

以前から、管理人もまた感じてきた従来の道徳的価値観を

いかにして乗り越えていくべきか、

その優れた道徳実践的方法論を探索している過程で

本書と心が響き合ったということになります。

さて、「対話」型の道徳教育といえば、

現代コミュニケーション理論の著名な思想家である

ユルゲン・ハーバーマスによる

「理性」的コミュニケーション理論などが代表例として、

取り上げられることが多いようですが、

こうした「理性」だけに頼り切ったコミュニケーション理論にも

限界があるようです。

今回は、主題から外れますので、

これ以上の考察は進めませんが、

「非」言語的コミュニケーション(つまり、感情も含めた)

「対話」型相互教育が、

これからの道徳教育には不可欠だとだけ指摘おきましょう。

著者によると、世界では、すでに「常識」になりつつあると

いうのですが、日本の教育現場では、

道徳だけに限らず、あらゆる分野で早急な学習環境の見直しに

着手しなくてはならないようです。

それでは、本書の内容構成を要約しておきますね。

①『序章 これまでの「道徳」』

※本章については、

本書における著者の問題意識として

すでに触れさせて頂きましたので、

省略させて頂きます。

ただ、少しだけ補強しておきますと、

「道徳学習=生涯学習」だということ。

それから、管理人のような「保守」的立場から

道徳的価値観を養成してこられた方に、

特に注意を払ってご一読願いたいテーマが、

『愛国心の教育は必要か』(本書30~34頁)

あります。

この点は、「保守」的な立場の識者の中でも、

比較的「リベラル」な視点を考慮した論者であれば、

例えば「愛郷心」などの表現で代替される方も

おられるようですが、

総じて、「哲学的批判視点」に欠けていたように

思われます。

そこが、どうも管理人のような「保守」的人間にすら

「逃げ論法」のような気がしてなりませんでした。

「<共感的対話>の積み重ねなくして、共通善の育成なし!!」

強く思われてきたからです。

②『第1章 道徳を語る準備-リベラリズムと教育』

※本章では、道徳を教育現場で語る前に、

現代の民主主義的価値観に沿った学習環境が

整えられていなければならないことや、

教育が福祉と連動しながら、

子どもや保護者を含めた社会の幅広いニーズに

応えていく義務があるのではないかと強調されています。

③『第2章 共に生きるための「道徳」』

※本章が、現代の道徳教育の主目的ということになりますが、

いわゆる「主権者(シチズンシップ=公民)教育」の必要性に

十分配慮すべきことや、

共同体への帰属意識に固執することなく、

各人各様の「抑圧されていた私的ニーズ」を

公的領域へと汲み上げることによって、

個人の内部心理に止まる地点から

公的な政治意識にまで飛躍させる意識を、

新たな道徳教育では重視すべきことなどが

主張されています。

④『第3章 他者を知り、共感するために-

エコロジカル・ケイパビリティ・アプローチ』

※本章では、「道徳とは何か?」や「道徳の発達とは何か?」に

ついて、アマルティア・センマーサ・ヌスバウム

提唱した福祉理論であるケイパビリティ・アプローチ

生態学的心理学アフォーダンス理論を統合的に発展させた

「倫理的個別主義」の立場から、

従来の道徳が有していたイメージである「固定的」規範意識から

「生きている動態的」規範意識へと転換していく視点を

提供されています。

言い換えるなら、

「より良き」社会システム「変革」へと向けられた視点から見る

常に更新し続ける「力学」的道徳観の提唱であります。

⑤『第4章 道徳には哲学が効く』

※本章では、このような「力学」的道徳観を

具体的な「対話」などの身体コミュニケーションを

伴った「理性」から「感情」に寄り添った姿勢から

学んでいく「哲学」活用型道徳教育の提案がなされています。

まとめますと、道徳教育とは、

「終わり(正解)なき生涯学習」ということです。

新しい道徳観は、新しい人間観とともに創造されていく!?

さて、このような観点から、

本書において、現行の道徳教育改善案が、

提示されていくわけですが、

新しい道徳観の形成が急がれるのも、

人工知能を含めたテクノロジーの「人間化」、

もしくは、

人間の「テクノロジー化」が現実的な話題に

なってきているからでもあります。

そうした時代変化の流れにあっては、

従来型の「静的固定規範」のイメージ像では、

道徳教育の根拠づけも、

脆弱になってしまいかねません。

本書で想定されてきた中心的主人公は、

「人間」でしたが、著者も指摘されるように、

他の生命体や非生命体などの環境にも配慮した

道徳倫理が要請されることも忘れてはならない点です。

この点についても、今後とも類書のご紹介を兼ねて

分析考察していきたいと考えていますが、

何はともあれ、本書を読み進められることで、

従来型の道徳(公民)教育の問題点に気付かされることは

間違いありません。

ということで、道徳という言葉を聞いただけで拒絶反応を

引き起こされる方もおられるかもしれませんが、

「すべては、自他ともに生き心地のよい社会づくりのため!!」

ありますので、本書をご一読されることを通じて、

「一人ひとり」にとって、末永く共有化し得る道徳の将来像を

ともに考察して頂ければ幸いであります。

「倫理的個別主義」に可能な限り、

「持続可能性(普遍性=絶対的硬直化ではない)」をもたせるには、

数学的発想(例えば、「集合論」におけるベン図的重ね合わせ発想など)も

必要でありましょう。

最後に再び、

「道徳(倫理)とは、専門家が立案していく法律以前に、

私たち身近な<生活者>同士が、

ともに日々生成更新させていくルール」だということを

著者とともに強調させて頂きながら、

本書をお薦めさせて頂きます。

なお、本書では、「法律と道徳の違い」についても

丁寧に解説されています。

本書184~186頁ご参照のこと。)

なお、「哲学」を通じた道徳(倫理)学習の素材として、

「哲学ディベート~<倫理>を<論理>する」

(高橋昌一郎著、NHKブックス、2007年)

もご紹介しておきます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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