鄭雄一先生の「東大理系教授が考える道徳のメカニズム」外圧的同調に屈しない自己規範の可能性を考える!!

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「東大理系教授が考える道徳のメカニズム」

「骨博士」として世界的に著名な鄭雄一先生が、

子どもからの質問に応答する形で

道徳について探究された一試論です。

現代社会は、価値観が絶えず揺れ動く

多様な世界が大前提です。

一方で、社会共通の外部規範がなくては

大混乱が生じるのも真実。

また、自ら問い考え、学び続ける

自前の内部規範としての倫理にも注目が集まっています。

今回は、この本をご紹介します。

「東大理系教授が考える道徳のメカニズム」         (鄭雄一著、ベスト新書、2013年)

鄭雄一先生(以下、著者)は、東大理系教授として、

骨研究を通じた人体の再生医療研究に従事されてこられた

通称「骨博士」として著名な研究者です。

ご専門は、発生・進化生物学、

再生医学及びバイオマテリアル工学とのことで、

本書プロフィール欄によると、

『骨軟骨の発生、進化、再生に関する分子細胞生物学的研究と、

バイオマテリアルの材料工学的研究を融合して、組織再生を

実現する人工デバイスの開発に取り組んでいる。』とされています。

著書には、『骨博士が教える「老いない体」のつくり方』

(WAC、2010年)など専門的知見を活かした

一般的啓蒙書も多数あります。

そんな典型的な理系人である博士が、

今回は、一般向けに「道徳探究論」を語っています。

本書を書くきっかけは、著者の双子のお子様による

人間なら誰しも一度は問いかけるだろう初歩的質問からだったと

いいます。

もう何年も前になりますが、

一時期わが国での「道徳論」の分野で、

「なぜ、人を殺してはいけないの?」という質問が

テーマとなって大論争に発展したことがありました。

それに対して、大人が子どもたちの素朴な疑問に

答えることが出来ないといった深刻な事例も

浮き彫りにされました。

こうした重大結果も、生存権の尊重といった

一般論から一歩も踏み越えることなく、「当然のこと」として、

常日頃から「対話」される話題にもならなかった時代が

長く続いてきたツケとも言えるでしょう。

こうした本質的議論を回避する傾向が、

社会の「思考停止」を助長させ、

いざ生存権に関わる問題が起きてから、

後手後手に対応することとなる

「集団パニック」社会を容認してきたとも思われるのです。

そのような「思考停止」になる大きな原因の一つに、

近代「普遍的価値観」という「理念の壁」があります。

この「普遍的(あるいは、絶対的)」という言葉が曲者でもあり、

知識人の間でも「思考停止状態の罠」から抜け出せない状況が

続いてきたようです。

とはいえ、人類史を子細に観察してみれば、

厳しい生存競争の現実が数多く現れ出てきました。

そうした個別例外的異常事態に遭遇した場合に、

上記のような本質的質問は、いとも容易く形骸化し、

雲散霧消してしまうのでした。

そのような場面に立ち至った場合には、

「殺してはいけない」は、人間として「当たり前」だとして

「一般化」した回答をするだけでは、

この問いに対する本質的回答ともなり得ません。

一時的な「休戦回答」とはなり得ても、

時間が経つにつれ、同じような場面が、

幾度となく繰り返されることになります。

現代のような多様な価値観が大前提とされる世の中では、

意外にも、有無を言わせない理性的回答では、

「袋小路」に落ち込んでしまう場面も多々見受けられるところです。

そうした現代的価値観の前では、「道徳(外部的規範)」による

拘束力も脆弱かつ無力となってしまいがちであります。

皮肉なことですが、そうした一般的回答の隙を突いて起きるのが、

反社会的事件の数々でもあります。

そのような社会風潮が頻繁に生起してくると、

大人による子どもへの有無を言わせぬ道徳教育もうまく機能しないでしょう。

古典的な「目には目を、歯には歯を」(ハンムラビ法典)のような

応報刑罰理論も、今日のような、あまたの「正義論」を巡る深刻な利害対立が

ある中では、正当化しにくい現状があります。

そのために、子育てなどの「社会(人間)化教育」の過程で

どのように道徳教育を進めていけばよいのかと、

悩み苦しんでおられる親御さんや教育者の方が大多数だと

思われます。

他ならぬ管理人も、日々、こうした子どもからの

「そもそも論」から問いかけられた質問攻勢に悩んでいます。

しかし、その度に、難題中の幸いというのか、

普段の「思考停止」状態からの脱却へと促されていきます。

その意味では、子どもたちこそ、私たち大人にとっても、

よき教師役を果たしてくれています。

まるで、ソクラテスメソッド(古代ギリシアの哲学者ソクラテスによる

問答形式での教育訓練法のこと)で試されているかのようです。

今回の「そもそも論」から分析考察していく道徳論からは、

現代のあらゆる価値観を見直す姿勢が学べるとともに、

新鮮な気持ちで、社会常識を問い直す「頭の体操」にもなります。

しかも、ここが肝心なことですが、

単なる「当たり前」だから守るべきルールという視点を

問い直す過程で、逆説的に道徳に対する信頼度も高まり、

自分で納得できる道徳的姿勢も身に付くことになります。

ということで、つい最近も命が軽視される悲惨な事件があった中、

皆さんとともに、社会道徳の再生と人倫の復興へ向けた試論を

著者とともに分析考察していこうとの趣旨で、

この本を取り上げさせて頂きました。

子どもからの唐突な疑問点に、あなたは答えられますか??

著者の問題意識もここから始まったといいます。

管理人が、今回、本書を取り上げさせて頂いたのも、

日々の姪っ子たちからの質問攻勢に真摯に応えようとする

過程で、あらためて難問だと感じさせられたからでもありました。

道徳教育は、ヒト(生存本能に突き動かされて生きざるを得ない生物)から

「社会」的生物として脱皮していく過程で、

社会的生存競争下で、他者に危害を加えることなく、

共存共栄を図りながら、「人間」へと成長していくために

必要な「社会化」教育であります。

とはいえ、現代教育事情では、多様な価値観を大前提として

共存共生を理念とした社会教育を進めなくてはならないため、

現場の教育者も、こと道徳教育に関しては、大混乱必至といいます。

ひと昔のような儒教的規範が暗黙裏に秘められた道徳教育では、

現代日本では、すぐに行き詰まってしまいます。

現代人は、理屈による根拠付けを必要とする社会で

生きているからです。

著者も子どもたちの質問と真摯に対話していく中、

道徳教育の内容を検討する必要があって、

日頃の教育者としての立場もあってか、

文部科学省の学習指導要領に触れられるのですが、

一般的な曖昧表現にしか出会えなかったようです。

重要なことは、優等生が書いたような抽象的な回答でなくて、

現場の難題を解決に至らせるための具体的な処方箋と、

実社会で働く実践的道徳メカニズムの解明であります。

ここから、著者は、理系らしく「そもそも論」から仮説を

立てながら、様々な対立する社会の諸現象を相互検証する過程で、

理想的な道徳的解決案の「モデル化」を試みられていきます。

論理的に考えていく道徳試論であります。

その結果として見えてきた世界観や人間観は、

一般(抽象)的ルールにおける道徳の本音では、

「仲間らしくしなさい」という掟が暗黙裏に組み込まれ、

その掟にも2つの要素に分けられるという分析的結論でありました。

それが、

①「仲間に危害を加えない」(絶対的)と

②「仲間と同じように考え、行動する」(相対的)といった

二大価値観の対立状況の浮き彫りでした。

(本書115頁<道徳の基本原理>図表参照)

人間社会では、圧倒的に後者のような「外圧的同調」が

強く働きます。

つまり、「強者(大多数)が弱者(少数)をいじめる」構図であります。

しかも、このような厳然とある構図に、

一般(抽象)的道徳ルールを適用しようとしても、

もともとが、社会の大多数によって形成されてきた「強者のルール」で

あるため、かえって少数派にとっては、救われる余地も狭まってしまいます。

ここに、「外部規範」としての道徳の絶望的難しさが含まれています。

それでは、このような一般的回答に安易に依存かつ満足しない

強靱な道徳規範を創出していくことは、果たして可能なのか?

そこに、子どもの唐突な疑問点に触発されながら、

考えていく著者自身の道徳「試論」があります。

このように、著者も強調されていますように、

「試論」でありますから、唯一の道徳的「価値観」を

読者に強要するものでも、「一般化」するものでもありません。

結論として、著者は、現代社会が、ますますバーチャル化し、

価値観も多様になっていく中で、身近な「隣人愛」の実践から

豊かな皮膚感覚に裏付けられた「想像力」を働かせることの叶う

具体的現実の場に比重を置いた道徳「試論」を提案されています。

あまりにも遠く離れすぎて、現場感覚から過度に遊離した

バーチャルな一般的道徳像からは、できるだけ距離を置きなさい・・・

もし、バーチャル(一般的ルール)の押しつけがましさ(とまでは、

言及されていませんが・・・)から「生きづらさ」を感じるようであれば、

自ら体感できる生活場を拠り所に、バーチャルな方を修正して、

自分自身の<良心>を信じながら、

あなた自身の道徳力を磨いていきなさい・・・

こうした努力を続けながら生き抜いていくと、

「きっと君たちは立派な人間になれると思うよ。」

(本書209~214頁)と優しく子どもたちに語りかけられています。

生きた道徳力を獲得するための「自前道徳モデル」を開発するヒント

このような一般的道徳ルールが、

「仲間」の範囲によって、恣意的に変容することとも相まって、

一律の道徳ルールに信用を置きすぎることは危険であります。

特に、道徳(外部規範)は、先に触れましたように、

社会の圧倒的大多数の「価値観」によって強制されやすいのです。

また、時代の空気によって、絶えず「価値観」も揺れ動きます。

そうした性格がありますから、

道徳を「普遍化」することも難しいのです。

そこで、外部から強制的に与えられた道徳に盲目になって従う前に、

まずは、自前で試行錯誤しながら、道徳「モデル」を構築し、

「内部規範化(つまりは、倫理化)」を探究しようとの提案

されています。

その「自前道徳モデル」を開発するヒントが、

本書では語られています。

遅ればせながら、ここで、本書の内容構成を列挙しておきますね。

「第1章 [問題提起]道徳の現状を分析する」

「第2章 [先行研究]過去の道徳思想を解析する」

「第3章 [モデル構築]道徳の基本原理をモデル化する」

「第4章 [応用展開Ⅰ]道徳は動物にもあるのか」

「第5章 [応用展開Ⅱ]道徳とことばの関係性」

「第6章 [シミュレーションと予測]私たちはどう生きるべきか」

本書は、子どもとの対話に触発されながら、

著者が提案された道徳に関する「一試論」でありますので、

文体も比較的軽くてコンパクトにまとめられています。

特に、第2章では、これまでの道徳思想が、

「個人原理中心」志向と「社会原理中心」志向の2つに

大きく分離してきた歴史的状況を説明されています。

その過程で、古今東西の哲学思想家の見解が紹介されながら

道徳原理の構造解析に取り組まれています。

また、第4章では、「人類」の他の生物との相違点として、

言葉を介したコミュニケーションによる社会的動物としての

本質を浮かび上がらせています。

その言葉こそ、厄介な代物であることは、

前回の記事でも語らせて頂きましたが、

言葉の使い方次第で、道徳の形成力にも多大な影響力を

及ぼすため、注意を払わなくてはならない点を強調されています。

本書で、著者は、道徳の基本原理が、「仲間」の範囲次第で

変容するために、鵜呑みし過ぎない姿勢を身につけるべき点も

提案されています。

「仲間」の範囲は、自らの行動範囲や思考イメージ次第でも

容易く修正されていきます。

そのことに無自覚であることが、

現代社会からテロや戦争、社会的差別といった「暴力」が

減らない要因でもあります。

管理人が考えるに、「価値観」の社会浸透の過程では、

人間の「支配欲」といった「生物的欲望」も組み込まれてきただけに、

なかなか共存共生を目指した「文化的棲み分け」も難しいと感じられる

ところがあります。

ここで誤解なきように注意を促しておきますが、

これまでも触れさせて頂いた「棲み分け」仮説も差別や偏見を

助長することが目的ではありません。

人間一人ひとりの「疎外感」をどのように解消させていくのが、

各人各様の最適対応策なのかも確答は出来ませんが、

少なくとも万人の「安息感」が得られる社会環境を願う者であります。

その「疎外感」の解消へ向けた著者からのヒントも

本書では語られています。(本書195~202頁ご参照)

現代日本教育の現場では、極端な二分的「価値観」で

揺れ動いてきたともいいます。

そのたびに、現場での混乱が生じています。

「道徳教育」には、特定の「価値観」の「刷り込み(洗脳)」といった

あまり芳しくないイメージも付きまとっているようです。

「人間」は「社会」的動物であるため、

どうしても「社会化」教育からは逃れ得ない側面があるとはいえ、

出来れば、一律に外部から押しつけられ刷り込まれるような

道徳教育の現状からは脱却していきたいものです。

特に、日本社会では、東洋文化圏にあるため、

儒教意識が根強く、薄れつつあるとはいえ、

極端な「社会的差別」意識が強いように感じられます。

そんな意識を抱いておられる方も若い世代になればなるほど

多いのではないでしょうか?

そんな時代環境の変化の中で、道徳力を獲得していくことは難しいですが、

社会の中の多様な「価値観」の相互乱立の中で、

賢く生き抜いていくためには、自らの「内部規範(倫理観)」の再構築が

今後ますます重要になってきます。

「刷り込み強制型教育(論者によっては、教育とは<洗脳>とまで

極言される方もおられますが・・・)」から、

「独立独歩自律意識型教育」への意識の転換であります。

自ら徹底的に考え抜く・・・

この繰り返しが、人生を豊かにもします。

人生には、苦悶も伴いますが、

その一場面一場面の心象風景が、

あなた固有の人生物語です。

本書を読み進められると、今までの道徳観が一変していくことに

なるでしょう。

自ら考えながら創出していく道徳・・・

その繰り返しの過程で、各人各様の納得し得る道徳力が

強固に形成されていくことでしょう。

「あらゆる支配(被支配)欲からの脱却」(尾崎豊みたいですが・・・)こそが、

本来の「人間らしさ」を取り戻す秘訣です。

そのような確固たる自信を持った人生を模索していかないと、

「人工知能」にすら負けてしまうでしょう。

その意味で、「道徳力」は、「人間らしさ」の尺度ともなり得ます。

さあ、あなた自らの「道徳力」を獲得していきましょう。

ということで、若い柔軟な皆さんには、本書をご一読されることで、

「自前道徳モデル」を形成して頂くヒントとしてご活用されることを

お薦めさせて頂きます。

あらためて強調させて頂きますが、哲学思想・宗教道徳などは、

あくまで「参考意見」としながら、あなた自身の人生体験の過程で

読み直ししながら、自前で調達していくことが学習目的であります。

著者も、本書末尾で強調されていますように、

決して、他者の意見を鵜呑みにされることなく、

直接の人生体験の中で獲得して頂くことをお願いします。

そうした人生における力強い歩みが、

「外圧的同調」に屈しない強力な自己規範を

内部に確立していく可能性にも直結しています。

ともに学び、ともに励み、励まし合いながら、

人間として成長していきましょうね。

「<道徳力形成>とは、全身全霊の人間的営み」であります。

なお、自前で考え抜いて行動する自主的倫理学を

確立する参考書として、

「自分の頭で考える倫理~カント・ヘーゲル・ニーチェ~」

(笹澤豊著、ちくま新書、2000年)

「倫理という力」

(前田英樹著、講談社現代新書、2001年)

をご紹介しておきます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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2 Responses to “鄭雄一先生の「東大理系教授が考える道徳のメカニズム」外圧的同調に屈しない自己規範の可能性を考える!!”

  1. 七四 より:

    最終的に自己規範を追求していくと、原始仏教的なものに行き着いてしまう気がする。教義的なものではなく生きるスタンスと言うか日々のリズム感のようなもの。

    関わらず心を揺らさず犀のように1人歩む。利己主義に限りなく近いが、自分のエゴも生命すら冷めた感覚で突き放す。

    コミュニティを根拠にした道徳はどれ程巧妙に創られたものでも必ず「外部」を必要とする。そこにおいて道徳は確実に挫折し、「外部」への不道徳は実は道徳であるという反転のロジックを使う。そこで停止だ。

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