反知性主義??それも「学問」の奴隷!!「無学問のすすめ」

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読書好きこそ、一度は考えてみたい。

そんな本があります。

「無学問のすすめ」

いうまでもなく、明治の啓蒙思想家にして慶應義塾の創設者。

福澤諭吉先生を意識?した渾身の1冊。

昨今、「反知性主義」というのがアカデミズムはじめ読書界で

ちょっとした話題になっています。

そんな時宜にかなった本をご紹介します。

「無学問のすすめ~自分の頭で考える思想入門~」     (伊東祐吏著、ちくま新書、2015年)

著者は、私と同じく1970年代生まれ。

今のアラサーからアラフォー世代の考え方を知る上でも

是非ご一読してほしい本です。

さて、冒頭でもお伝えしました「反知性主義」

なんやかやと話題になり「政治経済分野にも影響を与えているとか、ないとか?」

そんなことが、ちらほら聞こえてくるようです。

でも、その「反知性主義」というのも「高尚な学問」が原因?

著者は、世の通念をひっくり返します。

意外と「学問とは何か?」は知られていないのでは?

「批評(評論)との違いは?」など、わかりやすく紹介されています。

「言葉」と「身体」の関係性についても、最近の著名人を素材に考察されています。

「なるほど、ここんところ疑問に思っていたことが氷解したような。フムフム。」

と、思っていたら著者につっこまれますよ。

「自分の頭で考える」とはどういうことか?

「そんなことをじっくりと考えさせてくれるだけでは終わらない。」

そんな本です。

「学問」って何なの?

「学問は、一種の競技である。」と、著者は言い切ります。

「学問=学ぶこと、考えること」と思わない方がいい。

「学問」には、一定のルール・資格・作法があります。

この「一定のルール・資格・作法」は学校で身につけなければ

本来競技に出場はできない決まりになっているようです。

一方「批評(評論)」はそのような決まりもなく自由らしい。

そんな基本的なことが意外と知られていない。

それが、昨今の混乱になっていると。

「知性主義か、反知性主義か?」

というテーマも大前提が共有されていないために生じる喜劇か?

「分かりやすく伝える」

有名なジャーナリストは、テレビでもひっぱりだこです。

予備校の先生も「教養娯楽番組」で大活躍。

「雑学」あるいは「学問」は、もともと紋切型の「優等生の解答」

とも主張します。

「学問をすれば、・・になる!!」とも。

「学問」は、これまで積み重ねられてきた上に成り立つものです。

それを前提に新たな新発見を重ね合わせていく「競技」です。

確かに、「新発見」という点では「独創的」なようにも見えます。

しかし、そこにこそ落とし穴がある著者は語ります。

「言葉」だけを頼りにするのはやめよう!!

「言葉」は、単なる記号。

「ニセモノ」と。

物書きのはしくれとしては、痛烈な一打。

でも、著者も「学者」兼「評論家」

文筆業者です。

だから、文字通り「言葉」を全く信用するな。

とまでは言い切っていないと思います。

ただ、自分の頭で考えていくにあたっては

「言葉の限界」を常に意識しておく必要がある。

そのことを強調されたかったのだと、私は推察します。

「書を捨てよ、町に出よう。」(寺山修司)

「言葉」に頼り切るのではなく、「身体」でつかむこと。

「言葉以前の野生感覚」も大切にして、考えていくこと。

「身体」を、「言葉=唯脳論」に支配されないこと。

著者が、強調するのもここです。

「学問という名のビッグワード」に支配されて「興奮」しないこと。

そこが、良質な思想を社会で生きたものにする秘訣であるようですね。

「素人大歓迎!!」

「もの分かりの悪さ上等!!」

これは、何も皮肉ではなくて昨今の「興奮」を鎮める合い言葉です。

「秋は、読書の季節」

でも、「読書」に飲まれることなく「自分の頭でじっくりつっこんでいく」

そんな読書を習慣にしたいものです。

皆さんも、「学問」や「プロの専門家」に圧倒されそうな時。

この本を読んでみませんか。

難しい内容ではないので、お暇なら紐解いて下さい。

きっと、日頃の「インテリさん」への疑問が解けると思います。

もっとも、著者も私も「学問」自体を否定しているわけではございません。

あしからず。

最期までお読み頂きありがとうございました。

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