佐藤清郎さんの「トルストイ 心の旅路」を読むと、トルストイの謎に包まれた人生行路もすっきりします!!

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「トルストイ 心の旅路」

佐藤清郎さんのこの本を読むと

トルストイの謎に満ちた人生も

理解出来る!?

トルストイ文学は、なにせ名作だけど「長編もの」が多くて

読みこなすのが大変!!

時間のない方にとっては、あらすじだけでも確認したい・・・

「長編」のトルストイ文学に挑戦するにあたって、適宜

背景事情や心理描写について整理したい方にもお薦めです。

この本でトルストイの「心の旅路」を確認されると、

読み進めやすいことでしょう。

今回は、この本をご紹介します。

「トルストイ 心の旅路」(佐藤清郎著、春秋社、2001年)

佐藤清郎さん(以下、著者)は、チェーホフを中心とする「ロシア文学」を

研究されてこられた方です。

この本では、トルストイの心の旅路を探ることで

トルストイ文学の裏面史を学ぶことが出来ます。

トルストイの「長編小説」を読みたいんだけど、

なかなか時間が取れなくてお困りの方・・・

すでに挑戦中あるいは読破したけど、あらためて

作品を通じてトルストイが本当に伝えたかったものって

何だったのか?

その確認をされたい方にもお薦めです。

「トルストイ文学の入門書」としても最適です。

トルストイ文学は、トルストイの人生における心理変化そのものが

全身全霊を込めて「大河長編小説」のように描写されています。

トルストイを知るためには、キリスト自身の教えや

当時の(現在もですが・・・)キリスト教会事情、さらに

特殊「ロシア正教」に関する知識が最低限ないと

理解が難しいかもしれません。

特に、キリスト教文化に馴染みのない一般の日本人であれば

なおさらのことでしょう。

でも、そんな方でも大丈夫です。

難しい「キリスト教神学論争」など知らなくても、

この本を読めば、すっきりします。

著者も「あとがき」で説明されていますが、この本は

日本で初めてトルストイ全集を企画出版された春秋社から

出されています。

春秋社と言えば、数々の仏教書や哲学書でも有名な出版社ですが、

前にも当ブログでご紹介させて頂きましたように、

神田豊穂氏と植村宗一氏(後の直木三十五)との協力で設立された

出版社でもあります。

専門書を多く取り扱う出版社ですが、管理人もたびたび春秋社から

出版される良書に多大な恩恵を受けています。

トルストイを始め、ロシア文学の「長編小説」は

困難に満ちた現代だからこそ、読み返したいものです。

トルストイには、現代の経済感覚では決して推し量れない

豊かな世界観があり、今なお世界史に燦然と輝く星となり

世界中の多くの人びとに「夢と希望」を与え続けています。

「非暴力・非戦論者」で「ミニマリスト(最小生活主義者)」としても、

近年再評価されています。

今回は、「トルストイの心の旅路」を皆さんとともに辿るとともに、

今後とも「持続可能な社会」として次世代につなげていく知恵も

同時に学んでいこうということで、この本を取り上げさせて頂きました。

心に「十字架」を掲げて生きるトルストイ

トルストイは、裕福な貴族の家庭で生まれ育ちました。

それなのに、最期は

淋しい無人駅で行き倒れになって息を引き取ることになりました。

ここに至るまでの、トルストイの心境の変化に何があったのか?

誰しも興味を抱かざるを得ません。

トルストイは、幼少時からロシア正教徒として祈り続けてきましたが、

どうしても「信心」に疑念を抱き続けていたようです。

聖書を読み、キリストの教えに親しみを感じる中で、

現実のキリスト教会やロシア正教を背景とする帝政ロシア政府に対して、

「なぜ、こんなにもキリストの教えから遠く隔たっているのだろうか?」と、

自問自答を繰り返しながらの一生でした。

クリミア戦争の従軍体験や、ロシア政府の「農奴解放令」を

待つ前に独自の「農奴解放」に取り組んできたこともあり、

早くから「ロシア正教と帝政ロシア政府の一体化路線」の前途に

不安も感じていたようです。

トルストイは、終生「理知の人」だったと、著者は語ります。

信仰も納得のうえで受け入れる性格だったそうです。

それはまた、「盲目的な信仰」や「盲目的な理性崇拝」との闘いの

一生でもありました。

近現代社会は、近代以前の「盲目的な信仰」の代わりに

「盲目的な理性崇拝」が拡張されてきた歴史だったようです。

そのためか、人類はバランスを失ってしまったかのようです。

トルストイは、己の心に忠実でした。

いつも懐疑しつつ、感情も高ぶる一面もあったようですが、

総じて、真剣に人生に取り組んでいたようです。

そのことが、かえって世間との不調和を生じさせ、

悩み悶え苦しむことになった原因でもありました。

「誠実に生きようとすればするほど、世間から白眼視されてしまう!!」

ここに、現代社会にも通じるトルストイの問題意識がありました。

トルストイは、裕福な家庭に生まれ育ったこともあり、「良心の呵責」を

感じていたのでしょうか?

キリストの教えに忠実に生きようとすれば、頭だけの「理性信仰」だけでも

ダメだし、後にロシア正教からも破門される原因になる「盲目的な信仰」に

も疑問を感じつつ、生きなければなりません。

「実践こそ、生きるということ!!」

トルストイの人生は、まるで「十字架を背負ったキリスト」そのままの

あり方(生き様)を、この世に刻印していった一生でした。

トルストイの魂は、根源へと還っていった!?

トルストイは、キリストの教えに触れつつも

視野は「東洋の方向に開かれていた」ようです。

仏教や道教(老子・荘子思想)を始めとする

「根元的な世界に還る教え」に

心惹かれていたといいます。

それでも、「自我の計らい」に苦しめられたそうです。

西洋では、一般に「自我」を拡大させる一生に導かれ、

東洋では、「自我」を縮小させていく一生を理想とするようです。

これは、トルストイの「心の旅路」を理解するうえでも、

現代心理学の問題点を考えるうえでも見逃せないテーマであります。

また、東洋においても近年では、

近現代人の理想像として「自我」を拡大させる方向で

社会は発展してきました。

このことが、「降りる人生」を難しくしているようです。

おそらく私たち日本人を含め東洋人だけでなく、西洋人にとっても

本当は苦しいのではないでしょうか?

「自我とのつきあい方」は、理性による善意を土台としているだけに、

なかなか難しいようです。

「身を捨ててこそ、立つ瀬もあれ!!」

トルストイの人生には、東洋人の心を惹きつけるものがありました。

かえって、日本でこそ、トルストイ文学が幅広く受け入れられていったのも

そんなところにあるのではないでしょうか?

「ロシア文学には、英米文学にない不思議な魅力があるのはなぜ??」と、

管理人も考えてきましたが、この「自我」のとらえ方についても

一概に「西洋人」と一括り出来ないようなものが、「ロシア文学」には

ありそうですね。

ロシア人は、大地に根ざした生き方を好むようですが、この感覚は

西洋人というよりも東洋人に近いように思えます。

西洋人とか東洋人とか乱雑にひとまとめに出来ないことは、

重々承知しているつもりですが、ロシア文学に登場してくる「人間像」

を理解する一つの視点として参考になるかもしれません。

前にも当ブログで語りましたが、西洋の世界観では「ゼロ」という概念は

受容し難いようですね。

「ゼロ」を受容する過程には、「自我(有る・無し)という分別」を

必ず乗り越えなければならないだけに、これからも時間がかかりそうです。

なぜなら、「近現代世界観(人間観)」は「ゼロ」を拒絶してきたように

見受けられるからです。

そのことにより、「科学技術」を発展させて「経済成長」が出来たのですから、

その「欲」から逃れる生き方には、心理的に拒絶反応もあるのでしょう。

トルストイは、ガンディーとも交流があったようですが、現代インド事情では、

「ガンディーの精神」も次第に廃れつつあるそうです。

こうして、トルストイの「心の旅路」を辿ってきた訳ですが、トルストイの

生き様は、現代人に挑戦状を突き付けているようです。

もちろん、生き方には各人各様の「価値観」がありますので、強制は出来ませんが、

考えさせるものがあるのも確かなことです。

皆さんも、この本をきっかけにトルストイ文学を読みたくなりませんか?

「ロシア文学は、壮大な哲学交響曲」のようですね。

著者は「あとがき」で、トルストイの妻であるソフィヤ夫人は、

トルストイのことを「ベートーベンに似ている」との評に対して、

バッハの曲を連想されるようです。

管理人は、トルストイに「ブラームス」を感じました。

ブラームスもトルストイ同様、複雑な心理を抱えていたようですね。

こんなあたりにも、親しみを感じます。

トルストイは、根源の根源(ゼロ=空)にたどり着けたのかしらん・・・

きっと、たどり着いて「神々とともに」私たちに微笑みながら、

祝福して下さっていることでしょう。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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