佐々木俊尚さんの『21世紀の自由論~「優しいリアリズム」の時代へ』溶解していく世界での調和的生き方を探るヒントの書!?

Pocket

『21世紀の自由論~「優しいリアリズム」の時代へ~』

IT系独立ジャーナリストの佐々木俊尚さんが、

ますます極端な価値観に引き裂かれていく世界での

調和的生き方を考察されています。

現代日本も、世界の経済グローバル化の影響を受け、

国内における価値観が絶えず極端に揺れ動いています。

著者によると、大多数の「中間層」の声を

汲み上げる安全装置が、政治の現場には少ないとのこと。

今回は、この本をご紹介します。

『21世紀の自由論~「優しいリアリズム」の時代へ~』   (佐々木俊尚著、NHK出版新書、2015年)

佐々木俊尚さん(以下、著者)は、作家兼IT系独立ジャーナリストです。

「全身当事者主義」をモットーに、IT社会(バーチャル文化)と

現実社会(リアル文化)の相互関係について、

様々な角度から、分析考察されてこられた方であります。

そのバランスの取れた複眼思考には、定評があります。

さて、21世紀現在の日本を取り巻く生活環境は、

ますます激しい変動と動揺に日々晒されています。

そうした中、人びとの不安やおそれを反映した

極端な「政治的」言説も飛び交っています。

政治的立場を問わず、なかなか「調和点」が見出されないような

混迷状態にある政治情勢が、多くの「心ある」人びとに

大いなる不信感や絶望感を抱かせています。

著者によると、こうした日本政治の現状には、

世界的視野や未来志向に欠けた姿勢も多々見受けられる

指摘されています。

世界的なグローバリズムと日本のナショナリズム。

この双方の激しいせめぎ合いの下で、

現代社会(日本も世界も)は、「日々溶解中」だと、

正しく現実的な認識をされています。

そうした過程での「社会再建」にも、かなり難しいものがあると。

一方で、国内外問わず、人間はそう簡単に、新しい社会環境に

馴染めるものでもありません。

どうしても、「集団的幻想」や「個人的認知バイアス」が

発生してくるからであります。

その心理的背景には、どのような事情が存在していたのでしょうか?

本書で、著者は、世界と日本の現状認識と未来へ向けた積極的提言を

歴史的観点を踏まえ、「当事者」として、

良識ある調和的生き方をともに模索していこうと呼びかけられています。

「長期低迷・雇用流動化」が、今後とも予想される社会で、

いかに冷静かつ絶望に陥ることなく、各人各様の「想いに沿った」生き方を

実現させていくのか、そのヒントが解説されています。

ということで、著者とともに「これからの積極的人生」を考察しながら、

実際に行動していこうと、この本を取り上げさせて頂きました。

溶解していく世界と日本の思想的背景事情

著者は、本書で、日本国内外の「現代政治思想」の立ち位置について

分析考察されています。

ことに、日本と世界との間における「思想的認識のズレ」には、

相当な隔たりが見出されるものだと強調されています。

世界が、「普遍的理念」から「個別的現実」に向かって、

静かに舵を切り換えようとしている間にも、

日本社会では、長らく続いた「20世紀的特殊空間言説」が

未だに、政治的立場を問わず蔓延っているといいます。

それも、「極端から極端へと・・・」

「中間的立場」にある「サイレントマジョリティー(物言わぬ大多数)」の

声なき声を、日本政治はうまく汲み上げてこなかったともいいます。

その思想的原因を、本書では、わかりやすく整理されています。

福島第一原発事故にせよ、所沢ダイオキシン騒動、

そして最近の安全保障論議にせよ、いずれも「リスクマネジメント思考」が

欠けていると厳しく追及されています。

「0か1か」

「イエスかノーか」

このような「ゼロサム思考法」では、「対立点」しか見出されません。

現実世界における人間の思考法には、「グレーゾーン」も当然あるはず・・・

その「グレーゾーン」があるからこそ、相互に実りある議論を積み重ねながら、

「調和点」に到達するはず・・・

そんな「良識」から、著者はバランスよく分析考察されていきます。

先程も触れましたように、肝心な「公式的」な政治議論の場からして、

「極端から極端へ・・・」

「政局がらみの、些末な個人的批難中傷合戦・・・」

政治的立ち位置も、明確に定まっている訳でもなく、絶えず右往左往してきました。

それが、本来の「中間的立場」にある「物言わぬ大多数」に相互不信感や絶望感を

与え、極端な「排外感情」や「政治的バッシング」の原因を

生み出していったのではないかと指摘されています。

特に、戦後「リベラル左派」といわれた知識人にも定見がなかった様子も

本書では、うまく描き出されています。

「反権威・反権力」であれば、何でもいいのだと・・・

そのため、「思想そのものがなく、鮮明な論争点も見えてこない」現状に、

多くの国民が将来への不安を感じています。

それは、「外部」の安全地帯に立った「マイノリティー憑依」体質に

あったからではないかとも、著者は強調されています。

『「当事者」の時代』、光文社新書、2012年ご参照のこと)

一方で、「内部(同じ価値観を共有した仲間内)」から、

「外部」への「幻想」や「空想」による

根拠なき非生産的な攻撃排他的言説も、

しばしば生み出されてきたとも強調されています。

このことは、「保守」についても当てはまります。

では、なぜ、政治的立場を問わずに

このような「内外」ともに、悲惨な「わかりやすい」言論パターンだけが

世の中を漂うことになったのでしょうか?

その思想的背後には、世界と日本における「普遍的理念」の喪失状況が

あったようです。

21世紀現在、世界各国で、「近現代国民国家の理念」が激しく揺れ動いています。

「自由・平等・友愛(博愛)」

これは、「フランス革命」の標語ですが、ここに最初から「矛盾」が

孕まれていたのだと指摘されています。

「自由と平等はトレードオフ」

「トレードオフ」とは、

「あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず!!」と

いうことですが、もともと「二兎を追う者は一兔をも得ず」の状態にあります。

その相互に矛盾する理念を調和させようと考えれば、

「友愛(博愛)」といった「公平の原理」を介在させなければなりませんが、

この観点を考慮に入れたとしても、「限界」はあります。

結局は、バランスの問題ということになりますが、このような「近現代的理念」が

日々崩れ往く中では、「普遍的理念」もあったものではありません。

この「普遍的理念」の間隙を縫って現れ出たのが、「個別的錯乱」でした。

まとめますと、日本政治には、「政治哲学」が驚くほど欠如しているということです。

そのために、日々目まぐるしく変容していく世界情勢に積極対応しにくい姿勢が

もたらされてきたのではないかと、冷静に筆を進められています。

本書では、そのようなバランスの取れた視点から「脱(低)経済成長論の盲点」や

「歴史修正主義をめぐる矛盾」などについても、冷静に分析考察されています。

とはいえ、世界の経済的グローバル化の過程で、国家社会も溶解していく一方です。

現時点では、今後とも長く続くだろう「国民国家VSグローバル企業」との

一進一退の激しい攻防戦が予測されていますが、こうした「新しい中世」または

「新しい帝国時代」とも呼ばれる近未来社会に、

私たちはどのような姿勢で生き抜いていくのが望ましい道なのかを、

次に考察します。

「全身当事者」として「漂泊人生」を明るく前向きに生きる

ところで、このようにグローバルな状況で「普遍的理念」が失われていく中で、

ナショナリズムでもって生き残りを目指す「国民国家」も、

もはや「大きな物語」を持つことが難しくなってきています。

それぞれの国民国家における「歴史・伝統・言語・民族・・・」などと

言っても、もともとが、近代ヨーロッパで複雑な事情から創出されてきた

「大変無理のある普遍的理念」でありました。

一方、日本では、そのような歴史的試練を大きく経験してきたことも

なかったので、この点でも、西洋社会とは齟齬を来す要因にもなっています。

著者によると、今後は「垂直(上下直線的平面像)から垂直(縦横的立体空間像)へ」と

人生における視点移動を柔軟にしていく努力をしないと、

今以上に「しんどい時代」を生きることになるとも指摘されています。

そこで、著者のご専門でもある「ネットワーク共同体づくりのススメ」とも

結びついていくのですが、著者自らも強調されていますように、

こうした「生存技術」も誰しも出来るわけではありません。

著者の優れている点は、あくまで大多数の「ごくごく普通」の一般人に

生きやすいアイディアを提言されていることです。

著者は、「左派リベラリズム」も、「右派リバタリアン」でも、

従来型の排除や息苦しさをもたらす

「保守中道的コミュニタリアリズム(共同体主義)」にも

それぞれ難点や限界が含まれていると指摘されています。

前二者の「自由主義」による「自由がもたらす困難さ」にも、

およそ「ごくごく普通」の一般人には耐えることのきわめて難しい

考えであります。

「才能あるエリート層」には、親和性があっても、

大多数の「持たざる人間」(管理人もですが・・・)にとっては、

非常にきつく、しんどい生き方が強いられるからです。

そこで、こうした「冷たい<論理的な>リアリズム(現実主義)」の

生き方ではなく、「優しい<情も取り入れた>リアリズム」の生き方を

提案されています。

今後ますます進展する情報通信技術や各種テクノロジーを有効活用した

「自前の安全網づくり」です。

こうした時代になると、社会集団も「離合集散」が頻繁に起き、

個人も、絶えず人生における見直しを迫られます。

そこで、こうした時代を生き抜く知恵の一つとして、

「ネットワーク共同体」を通じた

「新しいコミュニタリアリズム(緩い共同体主義)」が提唱されています。

唯一の問題は、その「ネットワーク共同体づくり」を

どのように進めていくのかですが、それこそ、個人の「人生観」が

全身当事者的に問われてくるということです。

まとめますと、「<不自由>から<非自由>へ」という

「共同体の連続性(水平移動可能性)」を取り入れた「漂泊的な生き方のススメ」と

いったところです。

つまり、各人各様の「等身大」の生き方を目指していけばよいということです。

確かに、本書読了後も、まったく「不安感」や「徒労感」は消えそうにありませんが、

このように最初から「完全な<選択の自由!?>などない!!」のだと割り切って

生きることが叶えば、少しは楽になるのかもしれませんね。

少なくとも、「絶望感」だけは少しずつ解消出来そうです。

「無理せずに、淡々と黙々と・・・」

「各人各様の<個性的1回限りの人生>」をともに歩んでいきましょう。

最後に、「外部」でも「内部」でもなく、「全身当事者」として

生き抜くという視点もともに忘れないでおきましょう。

著者によると、「ネット社会」では、

誰しも「傍観者にはなれない世界のはずだ」とも強調されています。

「ネット世界」も玉石混淆ですが、「リアル社会」とて同様です。

ただ、「ネット社会」では、必然的に顔が見えにくくなるために

「リアル社会」以上に、真摯かつ誠実な姿勢が問われるということです。

管理人も「未熟者」ではありますが、今後とも肝に銘じつつ、

皆さんとともに、あらたな「ネットワーク共同体づくり」をしていく所存です。

顔は見えませんが、どこかで意外につながっているようです。

前にも、「ネットワーク科学の最前線」に関する記事でご紹介させて頂きましたが、

それぞれが、かけがえのない「結節点」となっていることに気を配りながら、

ともに成長し続けることを願いつつ、筆を擱かせて頂きます。

なお、著者の別著として、

「自分でつくるセーフティネット~生存戦略としてのIT入門~」

(大和書房、2014年)

※この本は、管理人の日々の仕事や時代認識を形成するうえでの、

「良き伴侶」となってくれています。

皆さんにも、お薦めの1冊です。

「レイヤー化する世界~テクノロジーとの共犯関係が始まる~」

(NHK出版新書、2013年)

をご紹介しておきます。

※「レイヤー(層・次元)」という考え方も、この「ネットワーク時代」には

しばしば耳にする言葉になってきたようですが、面白い見方ですね。

皆さんも、「多様・多元・多層」な世界観を構築されていかれると

あらたな人生における展望が拓かれるものと確信しています。

最後までお読み頂きありがとうございました。

sponsored link




 

コメントを残す

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

サブコンテンツ

このページの先頭へ

Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.