「風姿花伝~秘すれば花~」観世流宗家「観世清河寿さん」が語る!!
「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」
「初心を忘るべからず」
能楽に親しみのない方でも一度は、耳にしたことのある
言葉ではないでしょうか?
「人生を生きるとは?」
その意味を考えさせてくれる一冊。
今回は、数ある「風姿花伝」の中でも読みやすく、現役の
観世流宗家「観世清河寿さん」の編訳された本をご紹介します。
「新訳 風姿花伝~600年の歳月を超えて伝えられる極上の芸術論・人生論~」(世阿弥著、観世清和(現:清河寿)編訳、PHP、2013年)
2013年は、「観阿弥生誕680年、世阿弥生誕650年記念」ということで、
「能楽界」ではちょっとしたブームになっていました。
そんな折、現役の観世流宗家「観世清和(現:清河寿)さん」が「風姿花伝」を
独自の視点で編訳されました。
この「風姿花伝」は、時代を超えて心ある人々の間で読まれ語り続けられてきた
すぐれた「古典」です。
本当は、もっと「学校教育や社員教育」に取り上げてもらい比較的若い時分から
読み込んでいきたいそんな本です。
「秘すれば花、秘せずば花ならず」
この言葉は、よく知られた名言です。
「なんでもかでも外に出さずに、内に秘めたるものこそ花」
今ならさしずめ、自分から語り出す悪い意味でのいわゆる「サトラレ系」は、
あまり美しくないということでしょうか?
私たちは、普段「言葉」を中心にして生活しています。
「話し言葉・書き言葉など・・・」
現代社会は、過剰なほど「言葉」が至る所にあふれています。
教育も「言葉」中心。
社会でのコミュニケーションも「言葉」中心。
「ほんま(本当に)、しんどいなぁ~。」
本音では、そう感じておられる方も多いと思うのです。
「以心伝心」
今の日本では「死語」のようですね。
「もっと落ち着いてまったり生きたいなぁ。」
そんな時は、この「秘すれば花、秘せずば花ならず」を
思い出したいものです。
「うつ」治療に最適の「複式夢幻能」
そんな「過剰な現代社会」。
年々歳々、肉体的・精神的病になる人が増えているようです。
「現代社会」は、「もはや自分の時間を持てない!!」
「人生を誰かにコントロールされている!!」
こんな強迫観念に取り憑かれても全くおかしくない世相です。
筆者も社会人になってようやく仕事を覚え始めた頃。
「激務とコミュニケーション不足」で「うつ」になってしまいました。
今もその後遺症はありますし、いつ重い症状に戻るのかと思えば、
せつなくなることもあります。
そんな時に、先輩に勧められて始めて「能楽堂」に通うようになりました。
この時点では、全く「病院通い」はしていませんでした。
その時に「複式夢幻能」に出会っていなければ・・・と思うと、ぞっとします。
「よかった~。無意味に時間とお金を費やすことがなくて。」
「複式夢幻能」とは、「この世とあの世の境」で苦しむ亡霊(シテ=能で主人公のことを
こう呼びます。)
の語りを、いわゆる心理カウンセラーのような旅のお坊さんなど(ワキ=能で聞き手のこと
をこう呼びます。)に聞いてもらうことで鎮魂してもらい心を落ち着かせていくと
いう仕組みです。
これをじっくり鑑賞して、「うつ」の自分と同化させていくと、相当落ち着きが
取り戻せたようです。
皆さんの中で、「うつ」を始め何らかの病に苦しんでおられる方がいれば、
是非「能楽堂」に足を運んで下さい。
これからの時代、病は「病院で治すもの」という「常識」は次第になくなっていくでしょう。
「高い治療費と副作用」に苦しむくらいなら、「芸能」にもっと親しみましょう。
「ただかへすがへす、初心を忘るべからず」
この言葉は、巷では単に「ういういしさ」を忘れないこと、
という程度に受け取られているようですね。
しかし、観世流宗家によると「常に自分の未熟さを忘れないようにすること」
とされています。
人間誰しも経験を重ねるほどに慢心して「自信過剰」に陥っていきます。
「順境」の時ほど、「転落する危険性が高く気を引き締める必要あり!!」
そんな人生で一番大切なことを、この言葉は思い出させてくれます。
世の中は常に変化しています。
人の心も常に変化しています。
固定されたものなどこの世にないのです。
人は、ともすれば視点を固定してしまい迷ってしまいます。
そのため、心を通い合わせることが困難になってしまいます。
少しでも油断しているとこの罠にすぐひっかかってしまいます。
折に触れて、そんな慢心した「自分の心を見つめ直したい」と
いう時には、是非「風姿花伝」をお読み頂きたいと思います。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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