菊池聡先生の「なぜ疑似科学を信じるのか~思い込みが生みだすニセの科学」情動訴求型産業資本主義社会で賢く生きる知恵とは!?

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「なぜ疑似科学を信じるのか~思い込みが生みだすニセの科学~」

認知心理学者の菊池聡先生が、

ニセ科学が大流行する背景事情について、

心理学的観点から解説されている本です。

現代社会は、あらゆる点で、

「情動訴求型」社会だと、しばしば言及されています。

こうした人間心理を操作しながら回転していく

時代では、自己防衛意識がきわめて重要となってきます。

今回は、この本をご紹介します。

「なぜ疑似科学を信じるのか~思い込みが生みだすニセの科学~」(菊池聡著、化学同人選書、2012年第1版第1刷)

菊池聡先生(以下、著者)は、心理学者として、

疑似科学(以下、ニセ科学で統一)などに現れる人の思考の

特徴を明らかにし、それを実践的な批判的思考力(クリティカル・

シンキング)や情報表現力の向上につなげる研究を

されてこられた教育者であります。

ご専門は、認知心理学・文化情報論です。

後に本文で詳細にご紹介と分析考察させて頂きますが、

著者のセールスポイントは、

昨今の一部の臨床心理学業界や脳科学業界などに浸透している

怪しげな「通俗的見解」が、多くの人々に損害を与えかねないと

警告を発せられている点にあります。

著者の良心は、ご自身が、心理学研究者としての一面を

持ちながらも、批判的視点でもって、ご自身が取り組んでおられる

学問研究の具体的中身にまで至る反省的考察を加えておられることです。

こうした<批判的思考力>、

言い換えると、<社会的メディアリテラシー(情報分析的取捨選択)能力>は、

いまや、現代人にとっては、必須的知識であります。

にもかかわらず、未だに日本の義務教育段階ですら、

量と質を兼ねた<批判的思考力>を養成する教育的配慮が

軽視されているといいます。

それどころか、本書でも紹介されているような、

根拠の希薄な『水からの伝言』などの教材が、

道徳教育で扱われたり、最新の脳科学も「俗説」を

そのまま鵜呑みにしたような低水準の教育が蔓延っているとも

指摘されています。(本書28頁などご参照)

このように、義務教育現場ですら、無防備な現状ですから、

自ら学ぼうとの意欲がなければ、将来、社会的被害に遭うなど、

文字通りの<死活問題>ともなりかねません。

ということで、皆さんとともに

現代教育と社会の「闇=盲点」に触れながら、

良質な<批判的分析考察力>を養成して頂く教材として、

ご活用願いたく、この本を取り上げさせて頂きました。

なお、本書巻末にも、

『疑似科学を考える時に、ぜひ読んでおきたい参考図書リスト』

(本書248~254頁ご参照)が掲載されていますので、

本書からさらなる知的好奇心が触発された読者の皆さんには、

併読されることをお薦めさせて頂きます。

管理人も、「科学と神秘の接点」を分析考察しながら、

現代社会に、より良き統合的視点を提供していこうとの

問題意識を持ちながら、当ブログを始めとするライフワーク活動を

展開させて頂いていますが、そうした社会活動において、

一番重要な視点が、「社会倫理」であります。

管理人も、「この世」には、「わからないことだらけ」だからこそ、

学問に勤しみながら、未知の世界への飛翔を志向していますが、

「わからないこと」は、とりあえず「断言(定)せずに保留しておく」という

姿勢は大切にしたいと考えています。

とはいえ、「学問」なら、功名心に逸り立たない良心的研究者なら

言わずもがなのことではありますが、

現代の学界状況は、世俗の経済欲とも連動した状況に

あるため、個人的なスタンドプレーも多々見受けられ、

また、テレビなどのマスメディアを通じた「情動訴求型」の

俗受けする「わかりやすい情報バラエティ志向」も要求されています。

そのため、よくわからない知見が、あたかも「真実」であるかのように

取り上げられ、批判的検討もされることなく、

社会に幅広く浸透し、多大な社会的損害も生じているのが現状であります。

そうした憂慮すべき事態から、いかに我が身を含めて、

社会を防衛していくかが、良識ある社会人にとっては、

重要課題ともなってきます。

そこで、このような現状の中で、

「一抹の光明をどこに見出すか」が学問的課題とも重なってきます。

それでは、本書を紐解きながら、皆さんとともに、

検討して参りましょう。

人間心理から批判的検証を加える「ニセ科学」論

それでは、本書の内容構成について要約しておきましょう。

『第1章 まずは身近なところから考えよう』

※本書では、ニセ科学入門として、

身近に存在するニセ科学的商法に目を向けながら、

真面目に<ニセ科学>を科学する批評的視点が大切だと

強調されています。

なぜなら、ニセ科学的見解を鵜呑みにすることで、

きわめて危険な状況へと誘導されてしまうからです。

その具体的危険性として、著者は下記の4点を挙げられています。

①「消費者」にとっての危険

②健康にとっての危険

③社会にとっての危険

④合理的な思考にもたらされる危険

であります。

特に、現代経済社会では、情動訴求型広告に満ち溢れた

生活環境にありますので、

「ニセ科学」と「科学」の境界線も曖昧模糊としており、

一見して、真偽を見分けることは難しい状況にあります。

そうした環境下で、いかにして情報の真偽判定を踏まえた

取捨選択を行っていくかが、現代消費者の重要課題であります。

「人生における貴重な財産(お金や時間、はたまた人間関係など)を

剥奪されないためにも・・・」

ともに学んでいきましょうと呼びかけられるのが、

本書での提言であります。

『第2章 疑似科学とはいったいなんだろうか』

『第3章 疑似科学を特徴づけるもの』

第2章と第3章が、本書のメインですが、

「ニセ科学」と「科学」の根本的違いを

詳細に解説されています。

著者は、よく「ニセ科学」研究者として著名な

同姓である大阪大学の物理学研究者である菊池誠先生と

よく混同されると言及されていらっしゃいますが、

菊池誠先生による「ニセ科学」論については、

すでに当ブログでもご紹介済みですので、

「ニセ科学」と「科学」との分水嶺に関する

評価軸については、そちらの記事もご一読下さると

幸いであります。

いずれにせよ、科学哲学者として著名なカール・ポパーなどが

提示している「反証可能性」を無視もしくは軽視するなど

「教条的姿勢」こそが、「ニセ科学」には特徴的だとされています。

とはいえ、現実的には、上記の菊池誠先生も強調されていたように、

その境界線上には、グレーゾーンも存在していることは

確かなので、一般的に「ニセ科学」だから、「即、追放!!」とは

いかない点にも難しさが含まれています。

『第4章 科学的という「錯覚」』

『第5章 心理学がとらえた疑似科学』

※第4章と第5章では、「物理学者」菊池誠先生の視点に加えて、

著者の「認知心理学者」としての視点から、

『<ニセ科学>に、人間は、なぜ、かくも簡単に騙されやすいのか?』

について、最新の心理学的知見の紹介を兼ねながら、

分析考察されています。

それによると、昨今、何かと話題にされるようになった

行動(心理・神経)経済学分野でも明確にされてきましたが、

人間には、「確証バイアス(つまり、自分にとって都合のよい

情報を選択するといった心理的偏りのこと。)」や、

「自己正当化する信念(専門用語では、<認知的不協和理論(仮説)>と

いいます。)」など、人間の世界に対する情報不足などに由来する

性質があることから、陥りやすい現象だとされています。

つまり、現代の学問の最前線における人間観では、

「人間は、決して<合理的生物>ではない!!」、

もしくは、

「限定合理的な生物」ダニエル・カーネマン

だということが、共通了解になってきているということです。

とはいえ、人間が、<合理的生物>ではないからといって、

悲観的になることもないようです。

もともと、世界の中に存在する人間ですから、

いわば、「無限(世界)の中における有限(人間)」とも捉えられるわけで、

すべての世界構造を把握しきることは不可能だからです。

そのため、人間が、世界を対象として捉える「思考のショートカット」として、

「ある程度の割り切り推論」によって、生きる知恵を授かっています。

このことが、人間に、感情といった「心」が組み込まれている要因でも

ありましょう。

昨今は、「人間」と「人工知能」の相違点などが、

重要テーマとされていますが、

この角度からの検証は、後日また、別著のご紹介とともに

分析考察していきたいと予定していますので、

楽しみにお待ち下さいませ。

『第6章 血液型性格学という疑似科学』

『第7章 宏観異常現象による大地震の直前予知』

※第6章と第7章は、具体的な話題を紹介する過程で、

「ニセ科学」と「科学」の境界事例を検証されています。

『第8章 心理学って疑似科学じゃないの?』

『第9章 身近にある「心理学」-通俗心理学』

※第8章と第9章は、次のタイトル本文内で、

再度まとめさせて頂きますが、

ユングなどが提唱する、いわゆる「偶然の一致(シンクロニシティ現象)」や

「集合的無意識」といった理論も、あくまで「仮説」ということで、

「科学」のフレームワークでは捕捉しきれないテーマであることが

解説されています。

また、最先端の量子力学的世界観などの「複雑系科学」分野では、

「確率(統計)論的科学」が導入されてきましたが、

こうした流れの中にも、「ニセ科学」が紛れ込みやすい状況が

あるようです。

こうなってくると、世界観の「多次元的<解釈>」などと、

「解釈」による好みによる「取捨選択」次第となっていき、

人間原理(ちなみに、<人間原理>については、こちらの記事

ご参照下されば幸いです。)の罠(制約)に視野が阻まれてしまいます。

ということもあり、現代科学は、根本のところで、

「科学的方法論」を巡る先鋭な論争も続発中であります。

このように、プロの専門家ですら、百家争鳴の時代ですので、

ましてや、私たちのような門外漢にとっては、

用心深い「科学リテラシー(分析考察批評能力)」を獲得する

姿勢が困難でもあります。

『第10章 疑似科学とはなんだったのか』

※本書を最後まで読み進められますと、

現実的には、「ニセ科学」と「科学」との境界事例が

非常に数多いことに気付かされます。

「合理」と「非合理」の境界線も、

簡単に引けるわけでもないようです。

明らかな「詐欺」を消費者側で立証することも難しく、

素人目では、その「真偽」をにわかに判じがたい点も

あるため、現代社会での情動訴求型広告にも

注意を払う必要があります。

そのヒントとして、本書をご活用下さればと思います。

まとめますと、一見するだけでは「真偽判定」もしにくいため、

とりあえずは、断定的判断を留保しながら、

「仮説」扱いする科学的姿勢が望まれます。

とはいえ、人間誰しも、「100%完璧人間」ではありませんので、

間違えることも多々あります。

ですので、「ニセ科学」との付き合いも、

ほどほどの距離感を保ちながら、反面教師の学習素材として、

科学的姿勢を学び取る社会教材として扱う必要があります。

具体的な生活上の知恵としては、

前にもご紹介させて頂いた日本有数の「超心理学者」石川幹人先生も

解説して下さっていますので、本書の補助教材として、

そちらの啓発書もご活用されることをお薦めさせて頂きます。

臨床心理学や脳科学の一部に浸透する「ニセ科学」を斬る!!

本書での、もう一つの売りが、現代心理学や精神医学、

脳科学など、人間の「心」に関連する学問や職業に携わる

専門家の不透明さを炙り出しているところにあります。

「心」ほど、どの学問分野を尋ねてみても、

よくわからないテーマはありません。

そのことは、「意識」や「無意識」、「魂」といった

概念についても当てはまります。

良心的研究者なら、「汲めども汲めども尽きぬ」研究課題ですが、

広く世の中を眺め回して見ますと、

実際には、よくわからない知見が、

あたかも「真実」であるかのように罷り通っています。

特に、上記のような人間の「心理」が関わる分野では、

頻繁に観察されます。

テレビ番組を始めとしたタレント研究者の「わかりやすい」知見の

紹介など、その典型例でありましょう。

もっとも、本書でも検証されていますが、

その先生方が、「ウソつき」というわけではありません。

本来の研究成果が適用される対象を押し広げて、

あまりにも「一般化」した解説がなされており、

その漠然さに、多くの視聴者も混同誤認されていくという

悪循環な傾向が問題なのです。

まとめますと、そのような「わかりやすい」解説に出くわした際には、

「そもそも論」として、

その知見が、どの程度の範囲で適用されるものなのかは、

最低限、確認検証していきたいものです。

現代マスメディアにも、現代教育にも、良質な教育情報的配慮が

期待できない現状では、誠に憂慮に堪えませんが、

是非ともご自分で検討されるクセづけを

生活上の習慣にしてみて下さい。

それでも、限界はありますが、

その積み重ねが、良質な人生を責任をもって生き抜くことに

つながります。

現代では、「確実さ」が、常に揺らいでいるために、

何が「真理(真実)」なのか確定させることは、

管理人も難しい課題ではありますが、

まずは、何事も「仮説(物語)」であると想定しながら、

距離を置いて、批判的思考力を養いたいものです。

その意味では、ある程度の「割り切り(見切り)」に

徹するしかないようです。

どこまで問い続けても、「真相」に近づくには、

「大いなる壁」があります。

そこで、「近似値」や「期待値」といった考えが重要となるのですが、

そのあたりは、本文内でも予告させて頂きましたが、

また近日中に、ということにしておきますね。

このような観点から、現代の臨床心理学や脳科学などの

「心」に関連する職業界の一部に対しても、

「ニセ科学」が深く浸透しているのではないかと、

警戒心をもって接していくことも大切な姿勢となります。

その具体的詳細については、今回の記事では、

さらに突っ込んだ検討を加えることは出来ませんが、

本書内でも検討されているテーマですので、

是非、著者による現状分析から知って頂きたいと願います。

本書188~201頁は、必読箇所であります。)

いずれにせよ、人間の「心」と「脳」をテーマとした

身心相関論については、未知の分野だということです。

現在、様々な論者が、プロ・アマ問わずに論じられていますが、

あくまでも、「仮説」として提示されていることを、

お忘れなきようにご注意頂きたいと思います。

もちろん、当ブログでの検討考察事項も、

学問(科学)的方法論を尊重する姿勢から、

「仮説」でしかないことは言うまでもありません。

何が、もっとも「真相」に近似的な「仮説」かは、

さらに世の多くの方々による「ふるい」にかけられなければ

信用度も高まりませんが、読者の皆さんにおかれましても、

今後とも、ともにご考察頂ければと思います。

ということで、現代の情動訴求型産業資本主義社会に

飲み込まれない処世上の知恵として、

本書をご一読されることをお薦めさせて頂きます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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