甘利俊一先生の「脳・心・人工知能~数理で脳を解き明かす」数理科学の最前線から<人工知能VS人間らしさ>を考えよう!!

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「脳・心・人工知能~数理で脳を解き明かす~」

数理情報幾何学の創始者として、

人工知能研究の<暗黒期>を経験してこられた

甘利俊一先生による一般向け科学啓蒙書です。

「人工知能と人間脳の働き方の相違点とは?」

「新しい研究分野や産業分野を開拓していく

モチベーションの高め方とは?」

人工知能の性能が高まることで、

<人間らしさ>に

より注目度が集まることは確実です。

今回は、この本をご紹介します。

「脳・心・人工知能~数理で脳を解き明かす~」       (甘利俊一著、講談社ブルーバックス、2016年)

甘利俊一先生(以下、著者)は、

(数理)情報幾何学の創始者として

新たな研究分野を開拓されてこられた気骨ある数理工学研究者です。

ご専門は、計算論的神経科学から飛翔進化していった

「数理」脳科学だといいます。

著書には、『情報理論』(ちくま学芸文庫、2011年)などが

あります。

この分野では、脳の神経回路(いわゆるニューロン細胞間の結節点を

媒介する情報伝達回路網のこと)における

情報伝達過程の解明に特化した研究が進められているようです。

とはいえ、従来型の「認知科学」など人間研究に主な志向性を持つ

脳科学とも異なった「数理脳」科学だとのことで、

まだまだ開拓途上の「これからの科学」(本書<はじめに>4頁)だと

いいます。

このように、もともとは、<人間脳>の複雑な情報解析過程を分析することが、

主眼にあった脳科学の一分野でしたが、

現在では、斯界研究の成果が、

人工知能研究の最前線にも応用活用されていることが、

広く一般にも知られるようになってきました。

このように、人工知能研究が、

日々、目覚ましい勢いで、

飛躍的発展を遂げてきたことは、

皆さんもご存じのことと思われますが、

この人工知能研究にも、

<暗黒期=停滞期>があったことは、

現在の驚異的な発展の陰に隠れてしまって、

あまり一般的には知られていないようですね。

本書の特色は、この<陰>に光を当てたところにあります。

なぜなら、いかなる成長にとっても、

この<暗黒期=停滞期>にこそ、

将来を飛躍させる原動力が秘められている点に

注目することが、「次なる一手」につながるからです。

このような秘められた「潜龍期(易経)」に対する魅力からか、

現在の<移行期>的混乱期から何とか抜け出そうと試行錯誤されている

多くの方々の間では、

この<暗黒期=停滞期>を賢明に過ぎ越す心理的姿勢に

興味関心が集まることも、

必然の流れだとも言えましょう。

著者は、そんな<暗黒期=停滞期>にも、

周囲の研究状況から疑心暗鬼になるなど、

自ら立てた研究計画を捨てられずに、

今日まで懸命な研究努力を積み重ねてこられました。

本書では、そんな著者の研究姿勢から、

皆さんにとっても、日々の仕事や生き方全般に渡った

モチベーション(行動意欲動機)の高め方のヒントや、

新規分野を開拓していくうえでのヒントなど、

大変有益かつ示唆に満ちた提言が、

人工知能研究史や人間脳の解析研究成果から得られた知見の

紹介とともになされています。

ということで、今回は、本書を通じて、

<人工知能VS人間らしさ>の探究をテーマに、

皆さんとともに考えてみようとの趣旨で、

この本を取り上げさせて頂きました。

<人工知能研究>も<人間脳研究>もまだまだ始まったばかりで、これからが「正念場」です!!

まずは、本書の内容構成の要約から始めますね。

①『第1章 脳を宇宙誌からみよう』

※本章では、宇宙誌から見た生命の誕生の瞬間と

そこから「心」を持った多細胞生物である人類へと

進化していくまでの素描から、

本書における論旨展開が始まります。

「心」の起原に関しては、諸説あるも、

著者は、『我々は心を持ち、心の命ずるままに行動する。

「意識」といってもよい。これはもちろん脳が生み出すものである。

人類は、肉体的にはライオンや象に劣る。でも社会生活を送り、

生き延びるのに人々の協力を活用した。共同で仕事をするには、

自分の意図を人に伝えなければならない。このためには、

自分で自分の意図を知る必要がある。こうして意識が生まれ・・・』

(本書21頁)というように、「言語」の発明とともに触れられています。

今では、そんな「言語」の起原も当たり前だと思われていますが、

人類史にとっては、きわめて驚異的な瞬間だったことは間違いないところです。

この「言語」は、以後、高度化していくことになりますが、

人類を取り巻く生態環境と完全「同化」するような次元には

とうてい達しているとは思われない現状にあります。

そのことは、著者も、『現代の文明は、民主主義社会と独裁制社会を持ち、

資本主義とその弊害といえる飽くことなき格差の拡大を抱えている。

科学と技術は国家の中枢に組み込まれ、富と覇権を求めて激烈な競争を

繰り返している。こうした文明は、どこへ行くのであろうか。』

憂慮されるとともに、今後の人類精神史を占ううえでも、

『物質の法則、進化の法則に加えて、心と文明の法則を

考えなければならない。』(本書23頁)とされています。

この問題意識を常に踏まえることが、

人工知能を始めとした機械技術と人類の行く末にとっては、

重要な課題だと強調されています。

こうした人類文明に多大な影響を与えることから、

脳科学は、<総合的な人間の科学>であり、

その成果が、人類を含めた生態系に与える影響を

十二分に考慮した研究が要請されることは論を待ちません。

②『第2章 脳とはなんだろう』

※本章では、従来の脳科学研究で解明されてきた

主に、脳のメカニズム(有機的構造の成り立ち)についての

知見が、最前線における研究成果とともに紹介されています。

特に、「心(意識)」が生起してくる<発火点>を解明するためには、

記憶と想起過程のメカニズムが中心テーマとなってきます。

その重要な役割を果たす脳領域が、「海馬」であります。

この記憶と想起に関係すると注目される「海馬」についての

具体的詳細については、本書をお読み頂くとして、

著者は、人工知能と人間脳の決定的分岐点を考察する過程では、

単に「理解する」段階に踏みとどまることなく、

「予測する」段階にまで立ち入った検証が重要になってくる

いいます。

すなわち、『脳の動作原理を理論的に解明する必要がある。』

(本書66頁)だと。

ここから、脳の<情報>を読み解く様々な技術による

実験・観察とともに、「理論」を組み立てながら、

さらなる検証を加える作業が必要だとされています。

(なお、「海馬」については、前にもご紹介させて頂いた

『意識と無意識のあいだ』などでも面白く学ぶことができますので、

是非ご一読されることをお薦めさせて頂きます。)

③『第3章 「理論」で脳はどう考えられてきたのか』

※そこで、いよいよ、脳科学の「理論」研究の

最前線知見の紹介がなされていくことになります。

本章では、脳の仕組みを「理論」分析しながら

進展していった脳科学「史」が、解説されています。

後ほど触れます第6章の「人工知能」史の流れとともに

この「人間脳」解読史を比較しながら、

お読み頂くと、この両者が、

並行研究されてきたことの様子が、

より理解されやすくなるのではないかと思います。

具体的には、

・「第1次ニューロブーム-万能機械パーセプトロンの勃興」

(本書69~79頁)

・「第2次ニューロブーム-ニューロコンピュータへの夢」

(本書80~82頁)

・「第3次ニューロブーム-ニューラルネットワークの逆襲」

(本書84~87頁)

という流れで、進展していったことが解説されています。

いずれにせよ、この「人間脳」研究の知見を

「人工知能」開発にも転用していこうとの強い動機から

その歴史は展開していったわけですが、

やはり、「人間脳」と「人工知能」とでは、

機能や生態環境上の制約条件の違いなどで、

そっくりそのまま、生の状態で、

「人間脳」の仕組みを「人工知能」へと転用させることは

困難なようですね。

とはいえ、「現実的」な「人間脳」の仕組みを王道的に活用していく

研究手法が、主流の脳科学「理論」の方法論だとすると、

著者の「数理脳」科学の研究手法は、

「原理」を求める

より「理論性」が強い志向性にあるものだと

ご自身の研究の一端をご紹介されています。

そのことが、<数学で脳を考えるということ>(本書87~91頁)などの

個別テーマで触れられています。

なお、この「人間脳」研究史の流れにおいて、

著者の研究進行状況も、「暗黒期=停滞期」を迎えた時期もあった

いいます。

そのあたりの事情は、本章全般を通じたコラムなどで

詳細に描写されていますので、

読者の中で、仕事上のモチベーションの高め方など、

それぞれの興味関心の用途に合わせてお読み頂くと、

何かしらのヒントになるのではないでしょうか?

④『第4章 数理で脳を紐解く(1)

~神経興奮の力学と情報処理の仕組み~』

⑤『第5章 数理で脳を紐解く(2)

~「神経学習」の理論とは~』

※第4章と第5章は、

そんな著者の「数理脳」研究が詳細に紹介された章ですが、

正直言って、文系読者の方にとっては、

内容把握に難しさが伴うものと予想されます。

理数系読者の方にとっては、興味関心度の高いテーマだと思いますが、

著者も触れられていますが、

『数理にそれほど興味のない読者は、本章(注:第4章のこと)と

次章(注:第5章のこと)を飛ばしてもよいし、

ざっと眺めるだけで先に進んでもかまわない。』(本書96頁)と

読者別案内をされておられます。

いずれにせよ、脳内の情報伝達過程を、

有機的生命体である「人間脳」に親和的だとされる

カオス理論などに基礎づけられた「統計神経力学」や

「自己組織化」の過程におけるパターン認識のメカニズム分析などを

「数理的」に解明していこうとの趣旨で、解説されています。

⑥『第6章 人工知能の歴史とこれから』

※本章では、「人工知能」史を、

下記のような流れで解説されています。

・「人工知能の誕生と第1次ブーム」

(本書172~175頁)

・「役に立つ人工知能を目指して-第2次ブーム」

(本書175~178頁)

・「人々を驚かせたIBMワトソンの能力-第3次ブーム」

(本書178~196頁)

このような流れで、

現在の「第4次産業革命(人工知能を積極導入した産業革命のこと)」に

至るまでの「人工知能」史の展望図が描写されています。

21世紀現在、こうした「人工知能」の進化のなれの果てが、

人類に「希望」をもたらすとする楽観論と

「絶望(否定的な意味での「人類最後の発明」)」とみなす悲観論とが

せめぎ合っている状況にありますが、

まずは、「楽観論」であれ、「悲観論」であれ、

こうした研究史の流れを公平に分析検討することで、

人類にとっても、人類以外の生態系にとっても、

より望ましい生態環境を構築していくための

建設的な議論が喚起されていくことを期待します。

そこで、究極的結論は、

やはり、「心」にあります。

その「心」の向かう先こそが、

私たちの未来を握る鍵となります。

⑦『第7章 心に迫ろう』

※本章では、脳科学研究が最終目標とする

「心」の謎に迫るをテーマに、

『今後、果たして、「人工知能」から

「心」が生み出されることはあるのだろうか?』の

問いに対する著者の現時点における持論でもって

本書をまとめられています。

それによると、いずれにせよ、

現段階での脳科学における「人間脳」研究から

得られた知見でさえ、まだまだ表層部分にしか

迫り切れていないようで、「謎だらけ!!」であることに

変わりはないようです。

脳の各部位に関する「構造」や「役割分担」については、

少しずつ、医療分野での実際的知見とともに解明されてきたことは

確かですが、「心」や「意識」、「無意識」といった実態像の解明には

至っていないのが正直なところのようです。

「心」と言っても、その定義は、各論者によってまちまちですし、

あえて、唯物的な客観的表現で定義すれば、

「情報の流れ(情報受信媒体??)」としか言いようがないのも

難点なところでしょう。

もともと、「心」自体が、各人各様の「主観的」な受け取り方次第で

いかようにも変容するために、「客観的」な定義など不可能なのかも

しれません。

とはいえ、人間である限り、誰しも「心」のあり方については、

一刹那一刹那ごとの変化・変容に興味関心があることでしょう。

著者も、そうした一見して捉えがたい「心」こそが、

現時点における「人工知能」と「人間」の分岐点だと

考えておられます。

そのことを、人間とロボットとの対比から

下記のようにまとめられています。

『でも、ロボットが喜びや悲しみを表現しても、

これだけではロボット自身が喜び、また悲しんだとはいえない。

喜びや悲しみの状況の認識は、喜ぶこと、悲しむこと自体とは違う。

これはクオリア(質感、しみじみとした感覚)の問題といってもよく、

個人の長い経験の蓄積の末に生じる。ロボット自身は一回限りの人生を

いとおしみながら終えていくということはないのだから、すべての経験が

そのまま役に立ち、クオリアのようなものが生ずる必要がない。

人間が作るロボットは、あくまで人と協調し、人を助けるものに

留まるだろう。』(本書228頁)と・・・

このような著者の見解ですが、

脳科学研究者の見方でも、現時点では、「人工知能(ロボット)」に

「心」が芽生えるとの考え方は、時期尚早だとの見方が

大半を占めているようです。

それは、「心」とはテーマが異なりますが、

「いのち(生命)」のあり方についても同様なことが言えましょう。

「人工生命」にせよ、「人工知能」にせよ、

「人間」が生み出す限りでは、

「人間」の考え方やイメージ像といった見方に

制約されてしまいます。

いわゆる製造段階におけるプログラミングの「初期設定問題」です。

第6章における<「フレーム問題」をどう克服するか>(本書173~

175頁)とも重なり合う難問の存在であります。

「人工知能」にあらゆる状況場面に対処し得る<万能情報>を

予め付与することも、およそ、「人間」自身に、

世界に散在するすべての情報へと

アクセスし得る能力に「限界」が存在するために、

文字通り、すべての情報を書き込むことなど不可能なことは

容易に予想出来ましょう。

ただ、そうした「ビッグデータ(大量情報)」の組み入れについては、

今後の技術革新次第で、いくらでも、容量を増加させることが可能であり、

そうした「限界」もいずれ克服し得るとの見方もあります。

とはいえ、その「ビッグデータ」こそが、大問題です。

もし、その「ビッグデータ」に極端な偏りが生じていたとすれば、

どうでしょうか?

そのことは、こと「人間」に関しても、

すでに現時点で、同じような問題点が生み出されてきています。

皆が皆、同じ情報操作で満足してしまうような均質社会に移行していくことが、

もしも、「ビッグデータ」社会によって

もたらされる未来完成図だとするならば、

人間の「個性(心)」なども軽視されてしまう世の中が、

実現されてしまうことにもなりかねません。

それこそ、

「ビッグブラザー・イズ・ウォッチング・ミー

(巨大な監視機関が、私(たち)を見張っている!!)」

ジョージ・オーウェル)の世界です。

そんな多種多様な個性(心)のない社会に人類が耐えられるとは

とても思われません。

このような状況を想定すれば、

人類が、今後とも、「心」さえ喪失することがなければ、

おのずと、「人工知能」との共存共生のあり方も

うまく編み出していくものと個人的には、信じています。

このように管理人自身は、

現時点における人類の知性が、

知的「限界」を弁えつつ、謙虚な未来志向を抱くことが叶えば、

「楽観的」な結論に至ることも可能ですが、

もちろん、「悲観的」な側面も

十二分に考慮しておかなくてはならないのは言うまでもありません。

まとめますと、本書は、従来の脳科学とは異なった

「数理脳」モデル研究から探究していった「人工知能」論ということに

なりましょうか?

そこに、本書の特色があります。

<人間らしさ>と<人工知能>の分水嶺は、感情(心)の受容分析過程の違いにある!?

さて、このように「数理脳」モデル分析から

<人間らしさ>と<人工知能>の相違点に迫った

本書ですが、ここからは、

その「心」の受容分析過程に注目しながら、

個人的な考察を進めていくことにします。

「心(意識・無意識)」の起原については、

先にも触れさせて頂きましたが、

諸説あり、まだまだ十二分に解明されたとは言えません。

皆さんも、普段の自分自身の「心」のあり方(感情の起伏=揺れ動き状態)や

多種多様な人「間」関係から日々新たに生成されゆく「心」との

付き合い方で戸惑っていらっしゃることだろうと思います。

ところで、「人工知能」は、現時点では、

「心」を持つことは難しいと語らせて頂きましたが、

それは、「人工知能」における「心」が、

「人間」とは異なり、<感情>ではなく、

単なる<情報>と捉えられているからだと思われます。

人間の「心」は、生態系に合わせて、

柔軟に対処し得る拡張・縮小機能が、

進化の過程で、相当な時間をかけて生み出されてきたといいます。

現人類もまた、その進化途上にあります。

生態環境との競合関係の中で、自ずから、

発明・発見されていった「心」ですから、

そこには、厳しい生態環境を生き残るのに

不可欠な「情報選別機能」が組み込まれていたことは

容易に想像がつくところです。

誤った「情報」を選択すると、

「いのち(生命)」を宿した「人間」であれば、

それこそ「死活問題」にもなりかねません。

だからこそ、自滅しないための情報選別を

慎重に押し進めていく性格である<人格>へと成長していった

と考えられるのです。

ですから、「人間」の「心」に、もともと揺らぎがあるのは、

むしろ、自然現象の一環だと捉えることの方が、

より「自然」に即したあり方なのでしょう。

それが、一回限りの「生命」を宿した「生物」である

「人間」の宿命であります。

このように、

高度な「心」を発達させてきた「人間」ですが、

著者も強調されてこられましたように、

未だ、人類は、自然との共存共生のあり方に

多大な課題を抱え込んでいます。

現代文明とは、いわば、そんな人類の不安定な「心」が

寄り集まって出来上がってきた縮図とも言い換えることが出来ます。

こうした不安定な「心」の総体から生み出されてきた

現代文明生活を少しでも改善させようとの志向性から

「人工知能(ロボットも含めて)」が生み出されることにもなりました。

ところが、そうした人類の当初の願い(意図)とは異なり、

予想に反した展開を見せてきたのが、

技術文明であったようです。

すでに、現代文明を形成する揺籃期にも、

機械文明との協働生活のあり方を巡っては、

様々な悲喜劇が生み出されてきたことは、

これまでの記事でも触れさせて頂いたところであります。

そのように不安定な「人間」の「心」に明快な「枠(線引き)」を

設定することで、「人間」にとって最適かつ安定した生態環境形成を

機械に担わせてきたわけですが、その極端な安定志向が、

今度は、「0」か「1」かという極端な思考をもたらし、

「人間」以上に明確な判断基準を下せているとは

とうてい思われないところに、「悲劇」もあります。

つまり、「堂々巡り」の連続であります。

とはいえ、「人工知能」研究でも、

これまでの人類が得てきた教訓を踏まえて、

「ファジー(あいまい)」理論に基づく

「0」か「1」といった二元的思考に代わる

モデルでもって、コンピュータプログラム設計も

なされてきたことは、

本書にて、詳細に解説されてきたところです。

それが、現在の「人工知能」における

ディープラーニング(深層学習)などにも、

応用活用されているといいます。

このような進化途上にある「人工知能」ですが、

やはり、「人間」とは、

どこまでも違う「設計構造」となっているようです。

『「心」とは何であるか??』

『なぜ、「心」は生まれ、存在しているのだろうか?』を

語り出すと、本日の記事内だけでは収まりきれなくなりますし、

すぐに解決し得るような「問い」でもありません。

ですから、この「問い」に関しては、

他書のご紹介とともに、

今後とも、少しずつ、皆さんとともに考えて参りましょう。

その皆さんとの協働「意識」こそが、

「心」であり、

なかんずく、その中心部に存在する「愛」であります。

「愛」・・・

これこそが、

人類が、厳しい生態環境の中で、

創造してきた「心」の「本体」だと考えられますが、

まだまだ「開発途上」にあるのが、

世界の現状であります。

ところで、「愛」とは、もし、「類」としての

人「間」という存在概念がなければ、

発達してこなかった感情なのでしょうか??

管理人には、そうした問題にも興味関心がありますが、

その本質を探究していくと、

「心」にせよ「愛」にせよ、

「不完全」であるように

悲観的に捉えがちになってしまいますが、

それは、人「類」から隔絶した

孤立した「個我」のみで「完成」を仕遂げようとする

激しい欲求志向が、「心」を「不完全(欲求不満状態)」へと

向かわせるように思われます。

あえて、「心」や「愛」を「不完全」に

大自然が(人によっては、<神>が・・・)しておいたのは、

人「間」同士が、「愛」を通じて、きちんと向き合うことで、

相互協力しながら、少しでも、「完全形態(より良き完成志向)」へと

進化させようとの自然界からの意図が働いているからかもしれません。

決定的な「断言」は出来ません。

このような表現をしてしまうと、

何かと誤解も受けることは承知していますが、

管理人は、ここで、何も無理に、

<自然界の意図>なるインテリジェント・デザイン論

依拠した立論から表現しているわけではありません。

なぜなら、現在の知的状況では、

この「仮説」自体が、拡大解釈されすぎて、

「悪用」される事例も後を絶たないことを憂慮するからです。

漠然とした「仮説」で満足することなく、

徹底的に「問い」の根本へと向かっていく姿勢こそが、

「学問」だと信じていますので、

あくまでも一つの見方として

このような見解も、この世にはあるのだということには、

十二分にご留意頂きますようお願い申し上げます。

ただ、こうした人間の「心」の構造については、

物理科学的にどこまで解明していっても、

より抽象的になっていき、「人間らしさ」の本質から

遠く離れていくだけではなかろうかとの問題意識から

「問い」を立てかけているにすぎません。

ここに、「学問」の究極的意義があります。

なかんずく、生き方に関わる「心」に関する「問い」は、

「哲学」に親和的であります。

「すぐに安直な答えを出さない」

「たとえ、一時的に仮の方便を立てたとしても、

それは、<正解>や<絶対的真実>などではない!!」・・・

と、究極的謎解きへと「心」がおもむくところに

「学問」の醍醐味があります。

『あらためて、「心」って、何だっけ??』

『なかなか難しくて、わかりませんねぇ~』としか

答えようがありません。

このように、すぐに結論が出ない難問こそが、

「心」であり、「愛」の本質だからこそ、

このテーマは奥深く面白いわけです。

と、いつもながら、結論にはなかなか至りませんが、

こうした思考の流れをともに楽しみ、

学ぶ喜びを味わって頂くところに

「哲学」の魅力があります。

ということで、皆さんにも、「人工知能」と「人間らしさ」の

決定的相違点を学んで頂くことで、

あらためて、「心」の<ありか>や<あり方>について

探究して頂ける素材となっていますので、

本書をご一読されることをお薦めさせて頂きます。

なお、「人工知能」については、

前にもご紹介させて頂いた松尾豊先生による

『人工知能は人間を超えるか

~ディープラーニングの先にあるもの~』

(角川EpuB選書、2016年第13刷)

をご紹介しておきます。

この問題は、今後とも長々と続く

人類と機械との共存共生を考える超重要テーマですので、

追々、少しずつテーマを変えながら、

皆さんの知的好奇心に灯をともす書籍のご紹介を通じて

さらなる考察を、皆さんとともに深めていきたいと思っていますので、

乞うご期待でございます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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2 Responses to “甘利俊一先生の「脳・心・人工知能~数理で脳を解き明かす」数理科学の最前線から<人工知能VS人間らしさ>を考えよう!!”

  1. […] 人工知能史に関しましては、すでに当書評ブログ内(記事①・記事②・記事③など)でも […]

  2. 言葉の量化と数の言葉の量化 より:

     本文に≪…情報幾何…≫の用語があり、これで≪…意識に上がらない行動を司るものを「ゾンビシステム」という。…≫ とある。

     数の言葉(自然数)の「ゾンビシステム」を≪…情報幾何…≫として、
    『創発円筒体』と『創発直方体』が≪…司るもの…≫と『HHNI眺望』したい。 

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