マイケル・コーバリス氏の「意識と無意識のあいだ」「ぼんやり」した空想的夢見が、明日を生きる糧に!?

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『意識と無意識のあいだ~「ぼんやり」したとき脳で起きていること』

ニュージーランドの心理学者であるマイケル・コーバリス氏が、

心理学的見地から、「彷徨う心(マインドワンダリング)」を

考察したエッセー風読み物です。

「有限」な人間が可能な唯一の希望・・・

それは、「ぼんやり」と空想的夢見を通して、

時空を超越し、「無限」へと思いを馳せることが

叶うことです。

今回は、この本をご紹介します。

『意識と無意識のあいだ~「ぼんやり」したとき脳で起きていること』(マイケル・コーバリス著、鍛原多惠子訳、講談社ブルーバックス、2015年)

マイケル・コーバリス氏(以下、著者)は、

ニュージーランドのオークランド大学心理学部名誉教授。

主な研究分野は、認知神経科学と言語の進化といいます。

邦訳著書には『言葉は身振りから進化した』(勁草書房、2008年)や

『左と右の心理学』(紀伊國屋書店、1978年)があります。

「脳は一瞬たりとも休まない」

この言葉は、本書の帯に書かれた標語ですが、

「本当のところ、どうなのでしょうか??」

上記の問いは、他でもない管理人の疑問点ですが、

今たまたま、この文章を書き綴っている際に、

数分間、パソコンがフリーズしてしまったので、

この問いが、「突如」思い浮かんだのです。

そう、「突如」です。

本書でも、「突如」降って湧き出てくる「ひらめき」が

一つのテーマともなります。

その「ひらめき」は、いかなる脳内反応で突然「発火」するのか?

その鍵を握るのも、『意識と無意識のあいだ』であります。

人間の脳とパソコンの内蔵システムにおける動きを

そのまま対比させることに、無理があることは、

十二分に承知していますが、

人間もフリーズ(頭の中が、一瞬空白状態=思考停止状態??)に

陥ることが、ままあります。

もっとも、本書で結論づけられる「脳は一瞬たりとも休まない」は、

管理人の疑問点に発する問題意識とは、

微妙なズレもありますが、

何はともあれ、本書におけるこの標語の趣旨は、

人間が「生きている」限りは、

生理的に欠かせない脳の働きだと言うことであるようです。

このように書き綴っているうちに、

管理人も頭が「ぼんやり」してきましたが、

今回は、そんな脳内で起きている不思議について、

特に、『意識と無意識のあいだ』をテーマに、

本書をご紹介しながら、考察していきたいと思います。

ということで、皆さんも、本書を読み進められていくうちに、

「ぼんやり」することや、意識が「飛ぶ」現象も、

決して、悪いことばかりではないということも

徐々に判明していくことでしょう。

今回は、そんな日頃の常識から、しばし抜け出て、

ご一緒に、脳内メンタルタイムトラベルを

楽しみながら、ともに探索してみようということで、

この本を取り上げさせて頂きました。

お題は、『真夏の「夢」』です。

「創造的進化」(ベルクソン)の鍵は、「心(意識と無意識の<あいだ>)」にある!?

さて、今回のテーマは、前回の続編的考察を伴う内容とも

重なり合う論点ですが、本書でもまた、

<あいだ>が最重要キーワードとなってきます。

本書で、著者は、

「マインドワンダリング(彷徨う=ぼんやりした心)」

「メンタルタイムトラベル(頭の中での自由自在な

時空操作の旅が可能なこと)」

といったキーワードを主軸に、

「心(意識と無意識の<あいだ>)」について、

現代の脳科学や心理学の知見を紹介しながら、

ソフトなエッセー調の語りで、わかりやすく語られていきます。

難しい学者風の<専門用語>は、極力最小限に抑えられながら、

あくまで、一般の読者が楽しめる工夫が随所に施されています。

どちらかと言えば、文学風の文体とリズムになっています。

本書では、随所に、文学作品における一節が、

本書のテーマを考察する際の手がかりとして、

引用されています。

本書の流れは、『意識と無意識のあいだ』で一貫していますが、

どの章から読み始められても理解できるように

それぞれ独立した章立てになっています。

皆さんにとって、ご興味関心のあるテーマから読み始められると

より本書に対する没入度も増すのではないかと思われます。

ところで、本記事冒頭における管理人自身の問題意識で

意味するところの疑問点である

「脳は一瞬たりとも休まない!?」とは、

「顕在的」な意識や無意識に対する疑問点ですが、

それは後ほど、考察してみることにしまして、

「潜在的」な意識や無意識は、本書によると、

睡眠中も休まずに活動を続けるといいます。

例えば、「夢」がその最たる例ですね。

その「夢」とは、一体全体、人間にとって、

どんな意味があるのでしょうか?

一説によると、思考の整理整頓だとか、

本書では、フィンランドの心理学者である

アンティ・レヴォンスオ氏の

「夢=脅威のシミュレーション」説が

取り上げられています。

と、ここまで書き続けているうちに、

読者の皆さんには誠に申し訳ないですが、

眠気が出てきて参りました・・・

「泣く子と地頭ならぬ<眠気>には勝てぬ!!」

であります。

すでに夜も遅く、翌日の仕事にも差し支えがありますので、

中途ですが、一旦、ここで、

管理人も眠らせて頂きましょうというオチなのですが、

思考の整理整頓のためにも、

「疲れたら、あまり根を詰めすぎずに、眠るに尽きる!!

(もう、10代や20代のように若くはないんだから・・・)」と

いうことで、ここで、いったん中断させて頂きます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<翌日>

さて、昨晩の続きですが、

やはり、一旦、「眠り」を挟んで、

時の「間(あいだ)」を置くと、

心機一転、文章も進むというものです。

試験や仕事で重要なプレゼンテーション提案などを

翌日に控えられている皆さんにも、

「煮詰まったら、一旦、眠りましょう!!」ということを

強くお勧めさせて頂きます。

ここで、本書の内容構成の要約をご紹介しておきますね。

①「第1章 さすらう脳、さまよう心」

※本章では、ドイツの精神科医ハンス・ベルガー

「テレパシー」仮説や

脳内活動の画期的解析手法技術の考案者である

スウェーデンの生理学者ダーヴィド・H・イングヴァルと

デンマークの科学者ニルス・A・ラッセンの観察から

脳の「前部」が特に活動的な様子を見て取り、

『目的が不明で、自発的で、意識ある作用を示す』(本書17頁)

ことなどを紹介しながら、この「さまよう心」の動きを

「マインドワンダリング」として、著者は提示します。

著者は、<心理学者>であることから、

脳科学的知見の詳細については、

本章や第4章「海馬」のテーマなどで

最低限度の解説で抑えられていますが、

とりわけ、「安静時」の脳活動の様子に注目されながら、

考察領域を絞っていきます。

何かの『作業中より作業中でないときのほうが脳内では

より広い領域が活性化している』

この『安静時に活動する神経網は「デフォルトモードネットワーク」

として知られるように』なった(本書18頁)。

どうやら、私たちの脳内活動は、

「常に何かを待ち受けている待機(スリープ)モード」が

「潜在」意識下に存在しているようです。

今、「潜在」と書きましたが、何も「無意識」に限られず、

著者によると、『「マインドワンダリング」は、

「意識」に支配されている場合がある』(本書19頁)

指摘されています。

本書を読む限りでの管理人自身の読後感では、

「心」と「意識」や「無意識」の

定義づけや相関関係について、さらに突っ込んだ考察が展開

されていない点が、管理人の疑問点解消のうえでも、

やや物足りない嫌いもありましたが、

まずは、「意識(無意識)も含めた<心>」が空間内に拡張している

いわば「場」の提示でもって、その考察の端緒が開けていく点には、

面白みがあります。

それは、従来の身心二元論に終始する狭い「心」といったイメージを

革新させる一面があります。

心の理論」(本書92~96頁あたり)の解説も含めた

現代の拡張された広い範囲での(つまりは、従来の個人中心的な

身心「内」に限定されないということです。)関係性によって

影響を受けながら、伸張していく「心」といったイメージ像の

提示とも重なり合います。

つまりは、<あいだ>によって、「心」は生成されていく

いうことです。

もっとも、この「場」には、第5章(本書88~92頁)や

最終章の第9章の「ランダム性」(本書183頁)などでの

量子物理学の知見とともに考察されていますが、

『もつれた粒子が人の心と何らかのかかわりがあるとは

思えないのだ。』(本書90頁)や、

『この能力(管理人注:「心の理論」のこと)が、

もつれた粒子のような非唯物的な現象の影響であると

信じる強力な理由はない。』(本書92頁)などとして、

著者自身は、量子物理学的な側面からの「心」の意味づけには

懐疑的であるようですね。

『物語をとおして心的世界を共有する。』(同頁)として、

やはり<心理学者>の立場から、

「言語」を通じた他者との感覚共有の側面から、

「心」を意味づけようとされているようです。

いずれにせよ、ここから、著者の問題考察が始まります。

「マインドワンダリング(つまり、心が彷徨うこと)は悪いことか??」

それを、「彷徨った」心を落ち着かせることに評価軸を置く

昨今大流行の「マインドフルネス(ある種の瞑想法のこと)」との対比で、

「否、決して、悪くはないんだよ・・・」というところを

強調されながら、以下の章で、その裏付け検証考察が

展開されていきます。

②「第2章 記憶」

※本章では、「記憶」をテーマに、

「記憶には、過誤が多々付きまとう」事例などを

紹介しながら、人間の「エピソード記憶」に対する

新しい見方が提示されます。

すべての「エピソード記憶」を、完全かつ正確に記憶しておくことも

人間にとっては、「精神衛生上あまり宜しくない!!」ということから、

人間が、「物語」を紡ぎ出す生物であることに注意が向けられます。

③「第3章 時間とメンタルタイムトラベル」

※本章では、そんな記憶(ことに、想起行為)が、過去や未来の

<あいだ>を呼び覚ます営みであることから、

時間を伴ったメンタルタイムトラベルとして、描写されています。

本章が、著者の中心論点でありますが、

この「メンタルタイムトラベル」は、人類が、進化の途上で

生存環境に「適応」するために不可欠な役目を果たしてきた

いいます。

特に、「メンタルタイムトラベル(言い換えれば、

マインドワンダリングは、ヒトに固有のものである!!」との

主張が、「言葉をもった生物である人間」との絡みで

強調されています。

④「第4章 海馬-脳のなかのカバ」

※本章では、前章の「マインドワンダリングは、ヒト固有」説を

さらに検証するために、他の生物であるラットの動きを

実験観察しながら、「マインドワンダリング」らしき行動は

見受けられるが・・・、

そのことが、人類と(ラットを含めた)他の生物との

進化の原点では、何らかの「共通項」があるのではないかと、

『メンタルタイムトラベルはもっとも初期に進化した心的能力

かもしれない』(本書81頁)と推察されています。

ここで、ダーウィンの言葉である

『人間と高等動物の精神の違いは、それがいかに大きいとはいえ、

程度の問題であって性質の問題ではない』

(本書85頁『人間の進化と性淘汰』からの引用)

もう少し慎重かつ謙虚に考察していく必要性も示唆されています。

とはいえ、「人間の固有のマインドワンダリングの特徴とは何か??」

これを、さらに深く探るのが、次章以下のテーマであります。

⑤「第5章 他者の心を読む」

※本章については、

すでに、「第1章」の要約内で触れておきましたので、

簡潔に記しておきます。

先程の「テレパシー」仮説に対する考察には、

さらなる慎重な実験観察が要求されることや、

現代の通俗的な脳科学的知見の恣意的濫(悪)用に

ついての批判については、問題意識を共有しますが、

量子物理学の観点である「場」から考察する視点を

軽視するような見方は、いかがなものかと思われます。

確かに、「心」は、単なる「粒子」でも

「<物理(無機)的>エネルギー」でもないことは確かでありましょうが、

量子物理学者でも、良心的な研究者なら、

「生きている」ということを加味しながら

「生命(有機)体」にまで拡張させた「生命エネルギー」にまで

一歩踏み込んだ研究に取り組んでおられる方もいます。

この領域は、今後の「分子」生物学などの進展とも

重なり合いながら、徐々に「全体像」も解明されていくのでしょうが、

著者は、<心理学者>なので、

<心理>にどうしても束縛されてしまうのでしょう。

ここにも、ある種の「人間原理」が働いているようですが、

管理人としては、常に文理双方の視点から、

<あいだ>をより詳細に探究していきたいと思っています。

つまり、物理学的な観点からの「心(意識・無意識)」の意味づけと

心理学的な観点からの、いわゆる個々の「質感(クオリア)」も加味した

時空へと「無限」に拡張していこうとする(つまり、<創造的意志>の

ことです。)「場」に散在する浮遊的「生命」波及エネルギーとしての

「心(意識・無意識)」ということです。

このあたりは、まだまだ「素案」の段階ですが、今後の学習研究を経て、

より細部にまで踏み込んだ具体的な「仮説」として考案していきたいと

試行錯誤中であります。

⑥「第6章 物語を語る」

※本章では、人間と物語の関係性を、

「創造性」を手がかりにして、著者独自の言語起原論とともに

以下の第7・8章と併せて考察されています。

その言語起原論については、冒頭でもご紹介させて頂いた

著者の『言葉は身振りから進化した』(勁草書房、2008年)に

より詳細な考察の軌跡がありますので、

ご興味関心のある方は、そちらもご併読頂くと、

より一層の理解も促進されることと思われます。

⑦「第7章 眠りと夢-闇夜にひそむトラ」

⑧「第8章 幻覚」

⑨「第9章 さまよう心の創造性」

※第7~9章は、「創造性」の源泉に直結した考察が

展開されていますが、

結局のところ、本書における最大の強調点は、

『マインドワンダリング=「ぼんやり」夢想に耽ることが、

人生に豊かな彩りを添えるのだ!!』ということに

尽きるようです。

まとめますと、本書は、あくまでも、一般向けのエッセー風読み物で

ありますので、「講談社ブルーバックスシリーズ」に

普段から親しんでおられるような

より専門志向の読者さんにとっては、

管理人も感じたような物足りなさを覚えられるかもしれませんが、

そのことを差し引いても、さらなる『意識と無意識のあいだ』を

テーマに探究したい方向けの「入門書」としては好著だと思います。

ただ、著者が、<心理学者>の観点から、

考察しておられるという限界面につきましては、

読み始められる前に、予めご了承願います。

「意識」と「無意識」の<あいだ>は、「明確に区別不能」仮説と「アイデンティティー問題」序説

さて、このように、毎度のことですが、

手を動かしながら、考察していますと、

理性(知性)といった「顕在意識」とともに、

感性(霊性=ひらめき)といった「潜在意識」が

ともに働きながら、リズムに乗りながら、

論旨展開することになります。

ところで、今回のテーマは、

以前から、個人的には、比較的、興味関心度の高いテーマでは

あったのですが、こうしたテーマを常に追跡していると、

普段の「自分(自意識)」の境界線がどこにあるのかが

ぼやけてきます。

たまたま、当ブログのある読者さんの大変ユニークな問題意識からも

触発されたのですが、

「自分(自意識)って、一体全体、<唯一>の意識体なのだろうか??」と

いう難題について、あらためて再考してみれば、

実は、「自明ではないかもしれないなぁ~」という不思議な

感覚に襲われることになりました。

そのことをさらに突き詰めていくと、

「アイデンティティー問題」や「障害者と健常者の<あいだ>問題」など

次々と、難問が押し寄せてくることになるのですが、

今回は、紙数の関係上、これ以上は、深く嵌り込まないようにしましょう。

いつもながら、「ゆっくり進む者は、確実に進む!!」という格言を

信じながら、今後とも、少しずつ、多種多様な書籍を読み解きながら、

皆さんとともに探究していくことにしましょう。

ところで、「意識」と「無意識」は、<あいだ=場>の

時空領域を通じて、広がっているらしいとの仮説設定は、

近年、様々な研究者も真摯に取り組み始めているようですが、

その具体的なメカニズムは、もちろん、未解明であります。

つまり、論者によって、様々な見解があるということです。

但し、人間の「心」に関するテーマですので、

先にも触れましたように、当然、「生命的有機体」の観点を

加味した「物理学」的考察でないと、すぐにも行き詰まってしまいます。

かてて加えて、これまでの「心理学」的考察に偏りすぎた研究の

進め方でも行き詰まりが生じてしまいます。

本書でも、その嫌いがあることは、先に触れさせて頂いたとおりです。

このテーマ(も含めて、<科学と神秘の接点>という観点からの

当ブログ書評のメインストリート)を考察する際には、

常々、敬愛する南方熊楠先生の「御霊」に触れる感覚で

勇気づけられながら、論旨展開することになるのですが、

やはり、「<生命>は、奥深い謎に満ちた存在」であります。

(ちなみに、南方熊楠については、

こちらの記事もご一読下さると幸いです。)

「変幻自在」といったら、一番適切な比喩表現になるのかもしれませんが、

「意識」と「無意識」も、このようなアメーバ状の<生命体>

あります。

先の「人間」と「動物」の<精神の違い>は、「程度の問題」とする

ダーウィンの言葉をご紹介させて頂きましたが、

「人間」の場合には、

特に、「言葉」という特異な道具を発見してしまいましたので、

とりわけ、その「言葉」が、「意識」や「無意識」に与える

影響は軽視するわけには参りません。

そのことは、<考える>という他の生物には見受けられない(と、

「人間」がそのように思い込んでいるだけかもしれませんが・・・)特徴を

有していると考えられるために、「純粋」意識(無意識)を妨げる余地も

多分に含まれている言えます。

そのことが、様々な「雑念」をもたらし、

「純粋」な意識(無意識)「場」を歪めることにもなるのですが・・・

このあたり、「思考(つまりは、言葉を介した雑念)」が、

「意識」と「無意識」を複雑に歪曲させているようです。

つまり、理性(知性)といった「意識」でもって、

「無意識」を抑えきることは不可能ではないかといった

悲しい結末であります。

それが、本タイトルの『「意識」と「無意識」の<あいだ>は、

「明確に区別不能」』仮説であります。

ところで、最後まで取り残しておいた

冒頭の疑問「脳は一瞬たりとも休まない!?」ですが、

管理人の私見では、「顕在的」な意識や無意識は、

もちろん「眠りについている時間帯もあるのでは??」という

疑問点から発せられました。

その「顕在」面が眠っている間に、「潜在」下へと落とし込まれ、

「潜在」下で整理整頓され、

徐々に次なる「顕在」化への道に入っていく

準備状態にあるのではないか・・・などとも考えるわけです。

ただ、このステップ過程において、混同誤認が生じる「余地」がある!?

などとも考えられ、なかなか、記憶を精確に定着させることも困難であり、

また、個人にとって、生存面において「危険」な記憶を忘却させる処理を

脳が人工的に施すなど、記憶の「振り分け作業」をしているからこそ、

その混同誤認もまた、決して、「悪い」ことばかりではないのではないかとも

思われるのです。

と、このように本書に触発されながら、あらためて再考してみると、

結局は、「まだまだわからないことだらけ!!」であることが

判明することになり、

まさしく、「意識」と「無意識」の<あいだ>という危険な領域に

突入していくことになってしまいますが、

これまでのところ、この<あいだ>をきちんと考察した論者も

少ないようなので、もとより、未踏の領域ではありますが、

今後とも、粘り強く、思索を続けていく予定です。

読者の皆さんにも、何か有益なご意見・ご感想などがあれば、

大歓迎でありますので、もし、お時間があるようでしたら、

その研究の方向性に関するヒントだけでもご教示願えればと

楽しみにお待ちしております。

ということで、頭も混乱してきましたので(笑)、

本日はここまでとして、お開きにさせて頂きますが、

本書は、そんな「マインドワンダリング(さまよう心)の謎」を

考察していくうえでのポイントが示されていますので、

この分野にご興味関心がおありの方には、

是非「入門書」として、ご一読されることをお薦めさせて頂きます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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