マイケル・コーバリス氏の「意識と無意識のあいだ」「ぼんやり」した空想的夢見が、明日を生きる糧に!?
『意識と無意識のあいだ~「ぼんやり」したとき脳で起きていること』
ニュージーランドの心理学者であるマイケル・コーバリス氏が、
心理学的見地から、「彷徨う心(マインドワンダリング)」を
考察したエッセー風読み物です。
「有限」な人間が可能な唯一の希望・・・
それは、「ぼんやり」と空想的夢見を通して、
時空を超越し、「無限」へと思いを馳せることが
叶うことです。
今回は、この本をご紹介します。
『意識と無意識のあいだ~「ぼんやり」したとき脳で起きていること』(マイケル・コーバリス著、鍛原多惠子訳、講談社ブルーバックス、2015年)
マイケル・コーバリス氏(以下、著者)は、
ニュージーランドのオークランド大学心理学部名誉教授。
主な研究分野は、認知神経科学と言語の進化といいます。
邦訳著書には、『言葉は身振りから進化した』(勁草書房、2008年)や
『左と右の心理学』(紀伊國屋書店、1978年)があります。
「脳は一瞬たりとも休まない」
この言葉は、本書の帯に書かれた標語ですが、
「本当のところ、どうなのでしょうか??」
上記の問いは、他でもない管理人の疑問点ですが、
今たまたま、この文章を書き綴っている際に、
数分間、パソコンがフリーズしてしまったので、
この問いが、「突如」思い浮かんだのです。
そう、「突如」です。
本書でも、「突如」降って湧き出てくる「ひらめき」が
一つのテーマともなります。
その「ひらめき」は、いかなる脳内反応で突然「発火」するのか?
その鍵を握るのも、『意識と無意識のあいだ』であります。
人間の脳とパソコンの内蔵システムにおける動きを
そのまま対比させることに、無理があることは、
十二分に承知していますが、
人間もフリーズ(頭の中が、一瞬空白状態=思考停止状態??)に
陥ることが、ままあります。
もっとも、本書で結論づけられる「脳は一瞬たりとも休まない」は、
管理人の疑問点に発する問題意識とは、
微妙なズレもありますが、
何はともあれ、本書におけるこの標語の趣旨は、
人間が「生きている」限りは、
生理的に欠かせない脳の働きだと言うことであるようです。
このように書き綴っているうちに、
管理人も頭が「ぼんやり」してきましたが、
今回は、そんな脳内で起きている不思議について、
特に、『意識と無意識のあいだ』をテーマに、
本書をご紹介しながら、考察していきたいと思います。
ということで、皆さんも、本書を読み進められていくうちに、
「ぼんやり」することや、意識が「飛ぶ」現象も、
決して、悪いことばかりではないということも
徐々に判明していくことでしょう。
今回は、そんな日頃の常識から、しばし抜け出て、
ご一緒に、脳内メンタルタイムトラベルを
楽しみながら、ともに探索してみようということで、
この本を取り上げさせて頂きました。
お題は、『真夏の「夢」』です。
「創造的進化」(ベルクソン)の鍵は、「心(意識と無意識の<あいだ>)」にある!?
さて、今回のテーマは、前回の続編的考察を伴う内容とも
重なり合う論点ですが、本書でもまた、
<あいだ>が最重要キーワードとなってきます。
本書で、著者は、
「マインドワンダリング(彷徨う=ぼんやりした心)」
「メンタルタイムトラベル(頭の中での自由自在な
時空操作の旅が可能なこと)」
といったキーワードを主軸に、
「心(意識と無意識の<あいだ>)」について、
現代の脳科学や心理学の知見を紹介しながら、
ソフトなエッセー調の語りで、わかりやすく語られていきます。
難しい学者風の<専門用語>は、極力最小限に抑えられながら、
あくまで、一般の読者が楽しめる工夫が随所に施されています。
どちらかと言えば、文学風の文体とリズムになっています。
本書では、随所に、文学作品における一節が、
本書のテーマを考察する際の手がかりとして、
引用されています。
本書の流れは、『意識と無意識のあいだ』で一貫していますが、
どの章から読み始められても理解できるように
それぞれ独立した章立てになっています。
皆さんにとって、ご興味関心のあるテーマから読み始められると
より本書に対する没入度も増すのではないかと思われます。
ところで、本記事冒頭における管理人自身の問題意識で
意味するところの疑問点である
「脳は一瞬たりとも休まない!?」とは、
「顕在的」な意識や無意識に対する疑問点ですが、
それは後ほど、考察してみることにしまして、
「潜在的」な意識や無意識は、本書によると、
睡眠中も休まずに活動を続けるといいます。
例えば、「夢」がその最たる例ですね。
その「夢」とは、一体全体、人間にとって、
どんな意味があるのでしょうか?
一説によると、思考の整理整頓だとか、
本書では、フィンランドの心理学者である
アンティ・レヴォンスオ氏の
「夢=脅威のシミュレーション」説が
取り上げられています。
と、ここまで書き続けているうちに、
読者の皆さんには誠に申し訳ないですが、
眠気が出てきて参りました・・・
「泣く子と地頭ならぬ<眠気>には勝てぬ!!」
であります。
すでに夜も遅く、翌日の仕事にも差し支えがありますので、
中途ですが、一旦、ここで、
管理人も眠らせて頂きましょうというオチなのですが、
思考の整理整頓のためにも、
「疲れたら、あまり根を詰めすぎずに、眠るに尽きる!!
(もう、10代や20代のように若くはないんだから・・・)」と
いうことで、ここで、いったん中断させて頂きます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<翌日>
さて、昨晩の続きですが、
やはり、一旦、「眠り」を挟んで、
時の「間(あいだ)」を置くと、
心機一転、文章も進むというものです。
試験や仕事で重要なプレゼンテーション提案などを
翌日に控えられている皆さんにも、
「煮詰まったら、一旦、眠りましょう!!」ということを
強くお勧めさせて頂きます。
ここで、本書の内容構成の要約をご紹介しておきますね。
①「第1章 さすらう脳、さまよう心」
※本章では、ドイツの精神科医ハンス・ベルガーの
「テレパシー」仮説や
脳内活動の画期的解析手法技術の考案者である
スウェーデンの生理学者ダーヴィド・H・イングヴァルと
デンマークの科学者ニルス・A・ラッセンの観察から
脳の「前部」が特に活動的な様子を見て取り、
『目的が不明で、自発的で、意識ある作用を示す』(本書17頁)
ことなどを紹介しながら、この「さまよう心」の動きを
「マインドワンダリング」として、著者は提示します。
著者は、<心理学者>であることから、
脳科学的知見の詳細については、
本章や第4章「海馬」のテーマなどで
最低限度の解説で抑えられていますが、
とりわけ、「安静時」の脳活動の様子に注目されながら、
考察領域を絞っていきます。
何かの『作業中より作業中でないときのほうが脳内では
より広い領域が活性化している』
この『安静時に活動する神経網は「デフォルトモードネットワーク」
として知られるように』なった(本書18頁)。
どうやら、私たちの脳内活動は、
「常に何かを待ち受けている待機(スリープ)モード」が
「潜在」意識下に存在しているようです。
今、「潜在」と書きましたが、何も「無意識」に限られず、
著者によると、『「マインドワンダリング」は、
「意識」に支配されている場合がある』(本書19頁)と
指摘されています。
本書を読む限りでの管理人自身の読後感では、
「心」と「意識」や「無意識」の
定義づけや相関関係について、さらに突っ込んだ考察が展開
されていない点が、管理人の疑問点解消のうえでも、
やや物足りない嫌いもありましたが、
まずは、「意識(無意識)も含めた<心>」が空間内に拡張している
いわば「場」の提示でもって、その考察の端緒が開けていく点には、
面白みがあります。
それは、従来の身心二元論に終始する狭い「心」といったイメージを
革新させる一面があります。
「心の理論」(本書92~96頁あたり)の解説も含めた
現代の拡張された広い範囲での(つまりは、従来の個人中心的な
身心「内」に限定されないということです。)関係性によって
影響を受けながら、伸張していく「心」といったイメージ像の
提示とも重なり合います。
つまりは、<あいだ>によって、「心」は生成されていくと
いうことです。
もっとも、この「場」には、第5章(本書88~92頁)や
最終章の第9章の「ランダム性」(本書183頁)などでの
量子物理学の知見とともに考察されていますが、
『もつれた粒子が人の心と何らかのかかわりがあるとは
思えないのだ。』(本書90頁)や、
『この能力(管理人注:「心の理論」のこと)が、
もつれた粒子のような非唯物的な現象の影響であると
信じる強力な理由はない。』(本書92頁)などとして、
著者自身は、量子物理学的な側面からの「心」の意味づけには
懐疑的であるようですね。
『物語をとおして心的世界を共有する。』(同頁)として、
やはり<心理学者>の立場から、
「言語」を通じた他者との感覚共有の側面から、
「心」を意味づけようとされているようです。
いずれにせよ、ここから、著者の問題考察が始まります。
「マインドワンダリング(つまり、心が彷徨うこと)は悪いことか??」
それを、「彷徨った」心を落ち着かせることに評価軸を置く
昨今大流行の「マインドフルネス(ある種の瞑想法のこと)」との対比で、
「否、決して、悪くはないんだよ・・・」というところを
強調されながら、以下の章で、その裏付け検証考察が
展開されていきます。
②「第2章 記憶」
※本章では、「記憶」をテーマに、
「記憶には、過誤が多々付きまとう」事例などを
紹介しながら、人間の「エピソード記憶」に対する
新しい見方が提示されます。
すべての「エピソード記憶」を、完全かつ正確に記憶しておくことも
人間にとっては、「精神衛生上あまり宜しくない!!」ということから、
人間が、「物語」を紡ぎ出す生物であることに注意が向けられます。
③「第3章 時間とメンタルタイムトラベル」
※本章では、そんな記憶(ことに、想起行為)が、過去や未来の
<あいだ>を呼び覚ます営みであることから、
時間を伴ったメンタルタイムトラベルとして、描写されています。
本章が、著者の中心論点でありますが、
この「メンタルタイムトラベル」は、人類が、進化の途上で
生存環境に「適応」するために不可欠な役目を果たしてきたと
いいます。
特に、「メンタルタイムトラベル(言い換えれば、
マインドワンダリングは、ヒトに固有のものである!!」との
主張が、「言葉をもった生物である人間」との絡みで
強調されています。
④「第4章 海馬-脳のなかのカバ」
※本章では、前章の「マインドワンダリングは、ヒト固有」説を
さらに検証するために、他の生物であるラットの動きを
実験観察しながら、「マインドワンダリング」らしき行動は
見受けられるが・・・、
そのことが、人類と(ラットを含めた)他の生物との
進化の原点では、何らかの「共通項」があるのではないかと、
『メンタルタイムトラベルはもっとも初期に進化した心的能力
かもしれない』(本書81頁)と推察されています。
ここで、ダーウィンの言葉である
『人間と高等動物の精神の違いは、それがいかに大きいとはいえ、
程度の問題であって性質の問題ではない』
(本書85頁『人間の進化と性淘汰』からの引用)で
もう少し慎重かつ謙虚に考察していく必要性も示唆されています。
とはいえ、「人間の固有のマインドワンダリングの特徴とは何か??」
これを、さらに深く探るのが、次章以下のテーマであります。
⑤「第5章 他者の心を読む」
※本章については、
すでに、「第1章」の要約内で触れておきましたので、
簡潔に記しておきます。
先程の「テレパシー」仮説に対する考察には、
さらなる慎重な実験観察が要求されることや、
現代の通俗的な脳科学的知見の恣意的濫(悪)用に
ついての批判については、問題意識を共有しますが、
量子物理学の観点である「場」から考察する視点を
軽視するような見方は、いかがなものかと思われます。
確かに、「心」は、単なる「粒子」でも
「<物理(無機)的>エネルギー」でもないことは確かでありましょうが、
量子物理学者でも、良心的な研究者なら、
「生きている」ということを加味しながら
「生命(有機)体」にまで拡張させた「生命エネルギー」にまで
一歩踏み込んだ研究に取り組んでおられる方もいます。
この領域は、今後の「分子」生物学などの進展とも
重なり合いながら、徐々に「全体像」も解明されていくのでしょうが、
著者は、<心理学者>なので、
<心理>にどうしても束縛されてしまうのでしょう。
ここにも、ある種の「人間原理」が働いているようですが、
管理人としては、常に文理双方の視点から、
<あいだ>をより詳細に探究していきたいと思っています。
つまり、物理学的な観点からの「心(意識・無意識)」の意味づけと
心理学的な観点からの、いわゆる個々の「質感(クオリア)」も加味した
時空へと「無限」に拡張していこうとする(つまり、<創造的意志>の
ことです。)「場」に散在する浮遊的「生命」波及エネルギーとしての
「心(意識・無意識)」ということです。
このあたりは、まだまだ「素案」の段階ですが、今後の学習研究を経て、
より細部にまで踏み込んだ具体的な「仮説」として考案していきたいと
試行錯誤中であります。
⑥「第6章 物語を語る」
※本章では、人間と物語の関係性を、
「創造性」を手がかりにして、著者独自の言語起原論とともに
以下の第7・8章と併せて考察されています。
その言語起原論については、冒頭でもご紹介させて頂いた
著者の『言葉は身振りから進化した』(勁草書房、2008年)に
より詳細な考察の軌跡がありますので、
ご興味関心のある方は、そちらもご併読頂くと、
より一層の理解も促進されることと思われます。
⑦「第7章 眠りと夢-闇夜にひそむトラ」
⑧「第8章 幻覚」
⑨「第9章 さまよう心の創造性」
※第7~9章は、「創造性」の源泉に直結した考察が
展開されていますが、
結局のところ、本書における最大の強調点は、
『マインドワンダリング=「ぼんやり」夢想に耽ることが、
人生に豊かな彩りを添えるのだ!!』ということに
尽きるようです。
まとめますと、本書は、あくまでも、一般向けのエッセー風読み物で
ありますので、「講談社ブルーバックスシリーズ」に
普段から親しんでおられるような
より専門志向の読者さんにとっては、
管理人も感じたような物足りなさを覚えられるかもしれませんが、
そのことを差し引いても、さらなる『意識と無意識のあいだ』を
テーマに探究したい方向けの「入門書」としては好著だと思います。
ただ、著者が、<心理学者>の観点から、
考察しておられるという限界面につきましては、
読み始められる前に、予めご了承願います。
「意識」と「無意識」の<あいだ>は、「明確に区別不能」仮説と「アイデンティティー問題」序説
さて、このように、毎度のことですが、
手を動かしながら、考察していますと、
理性(知性)といった「顕在意識」とともに、
感性(霊性=ひらめき)といった「潜在意識」が
ともに働きながら、リズムに乗りながら、
論旨展開することになります。
ところで、今回のテーマは、
以前から、個人的には、比較的、興味関心度の高いテーマでは
あったのですが、こうしたテーマを常に追跡していると、
普段の「自分(自意識)」の境界線がどこにあるのかが
ぼやけてきます。
たまたま、当ブログのある読者さんの大変ユニークな問題意識からも
触発されたのですが、
「自分(自意識)って、一体全体、<唯一>の意識体なのだろうか??」と
いう難題について、あらためて再考してみれば、
実は、「自明ではないかもしれないなぁ~」という不思議な
感覚に襲われることになりました。
そのことをさらに突き詰めていくと、
「アイデンティティー問題」や「障害者と健常者の<あいだ>問題」など
次々と、難問が押し寄せてくることになるのですが、
今回は、紙数の関係上、これ以上は、深く嵌り込まないようにしましょう。
いつもながら、「ゆっくり進む者は、確実に進む!!」という格言を
信じながら、今後とも、少しずつ、多種多様な書籍を読み解きながら、
皆さんとともに探究していくことにしましょう。
ところで、「意識」と「無意識」は、<あいだ=場>の
時空領域を通じて、広がっているらしいとの仮説設定は、
近年、様々な研究者も真摯に取り組み始めているようですが、
その具体的なメカニズムは、もちろん、未解明であります。
つまり、論者によって、様々な見解があるということです。
但し、人間の「心」に関するテーマですので、
先にも触れましたように、当然、「生命的有機体」の観点を
加味した「物理学」的考察でないと、すぐにも行き詰まってしまいます。
かてて加えて、これまでの「心理学」的考察に偏りすぎた研究の
進め方でも行き詰まりが生じてしまいます。
本書でも、その嫌いがあることは、先に触れさせて頂いたとおりです。
このテーマ(も含めて、<科学と神秘の接点>という観点からの
当ブログ書評のメインストリート)を考察する際には、
常々、敬愛する南方熊楠先生の「御霊」に触れる感覚で
勇気づけられながら、論旨展開することになるのですが、
やはり、「<生命>は、奥深い謎に満ちた存在」であります。
(ちなみに、南方熊楠については、
こちらの記事もご一読下さると幸いです。)
「変幻自在」といったら、一番適切な比喩表現になるのかもしれませんが、
「意識」と「無意識」も、このようなアメーバ状の<生命体>で
あります。
先の「人間」と「動物」の<精神の違い>は、「程度の問題」とする
ダーウィンの言葉をご紹介させて頂きましたが、
「人間」の場合には、
特に、「言葉」という特異な道具を発見してしまいましたので、
とりわけ、その「言葉」が、「意識」や「無意識」に与える
影響は軽視するわけには参りません。
そのことは、<考える>という他の生物には見受けられない(と、
「人間」がそのように思い込んでいるだけかもしれませんが・・・)特徴を
有していると考えられるために、「純粋」意識(無意識)を妨げる余地も
多分に含まれていると言えます。
そのことが、様々な「雑念」をもたらし、
「純粋」な意識(無意識)「場」を歪めることにもなるのですが・・・
このあたり、「思考(つまりは、言葉を介した雑念)」が、
「意識」と「無意識」を複雑に歪曲させているようです。
つまり、理性(知性)といった「意識」でもって、
「無意識」を抑えきることは不可能ではないかといった
悲しい結末であります。
それが、本タイトルの『「意識」と「無意識」の<あいだ>は、
「明確に区別不能」』仮説であります。
ところで、最後まで取り残しておいた
冒頭の疑問「脳は一瞬たりとも休まない!?」ですが、
管理人の私見では、「顕在的」な意識や無意識は、
もちろん「眠りについている時間帯もあるのでは??」という
疑問点から発せられました。
その「顕在」面が眠っている間に、「潜在」下へと落とし込まれ、
「潜在」下で整理整頓され、
徐々に次なる「顕在」化への道に入っていく
準備状態にあるのではないか・・・などとも考えるわけです。
ただ、このステップ過程において、混同誤認が生じる「余地」がある!?
などとも考えられ、なかなか、記憶を精確に定着させることも困難であり、
また、個人にとって、生存面において「危険」な記憶を忘却させる処理を
脳が人工的に施すなど、記憶の「振り分け作業」をしているからこそ、
その混同誤認もまた、決して、「悪い」ことばかりではないのではないかとも
思われるのです。
と、このように本書に触発されながら、あらためて再考してみると、
結局は、「まだまだわからないことだらけ!!」であることが
判明することになり、
まさしく、「意識」と「無意識」の<あいだ>という危険な領域に
突入していくことになってしまいますが、
これまでのところ、この<あいだ>をきちんと考察した論者も
少ないようなので、もとより、未踏の領域ではありますが、
今後とも、粘り強く、思索を続けていく予定です。
読者の皆さんにも、何か有益なご意見・ご感想などがあれば、
大歓迎でありますので、もし、お時間があるようでしたら、
その研究の方向性に関するヒントだけでもご教示願えればと
楽しみにお待ちしております。
ということで、頭も混乱してきましたので(笑)、
本日はここまでとして、お開きにさせて頂きますが、
本書は、そんな「マインドワンダリング(さまよう心)の謎」を
考察していくうえでのポイントが示されていますので、
この分野にご興味関心がおありの方には、
是非「入門書」として、ご一読されることをお薦めさせて頂きます。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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[…] (なお、「海馬」については、前にもご紹介させて頂いた […]
いきなりですが、〘大人になる:「大学教員のつぶやき」〙に、
大人になるの【バロメーター】の〔針〕が〔振れてないか〕・〔振り切れてるか〕を<彷徨いて>[いた]、否、[いる]者のライフプロセスの風景からの止観を・・・。
≪エルヴィン・シュレーディンガーの「精神と物質~意識と科学的世界像をめぐる考察」≫の
≪…[梵我一如](主体と客体の邂逅的一致)…≫ から、
言葉(言語)と【数そのモノ】の包摂の吟味に迫る。
鷲田清一先生の「折々のことば」から、
詩人 長田弘の、
≪けっしてことばにできない思いが、ここにあると指さすのが、ことばだ。≫
これは、言葉の言葉たる所以である、
【数そのモノ】に置き換えると、
『けっして【数そのモノ】の[シェーマ(符号)]にできない思いが、ここにあると指さすのが、[数論(数学)]だ。』
この[センテンス]を吟味すると[ことばにできない思い]を[ことば]で語ることの[包摂]は、必ず「隙間(遊びしろ)」がありこれが[文学]でありこの変換の[あわい]そのものと言ってもよい。
【数そのモノ】の[シェーマ(符号)にできない思い]は、『数理哲学としての観(vision[作用素(1 0 ∞)])』と『数理哲学としての観(vision[作用素(1)])』と観る。
前者は、≪西洋科学の構造≫として【(超越数[e π])と虚数(i『動的作用を持つ』)とオイラーの等式】を生み出すし、
後者は、[圏論]を[離散数学](【数そのモノ】)に[パースペクティブ]すると[作用素(1)]が[ここにあると指さす]ことが観得る。
前者と後者の『数理哲学としての観(vision)』を
≪…西洋科学の構造に東洋の同一化の教理を同化させることによって解き明かされるだろう…≫
この事を、≪ライプニッツの「モナド論=予定調和説」を超え、
≪高橋昌一郎先生に「ゲーデルの哲学~不完全性定理と神の存在論~」を学ぶ!!≫の、
≪「矛盾のない一つの公理体系の中では、当該公理体系そのものについて矛盾がないことを証明することは不可能!!」(自己言及のパラドックス)≫
からも抜け出し、
≪南方曼荼羅≫の鶴見和子の≪悴点≫の思想(思考)で探る前段で、
[一本締め]に思いを馳せ、
「天地明察」冲方丁著に、
≪…手を鋭く打ち鳴らす音は、天地開闢の音霊、無に宇宙が生まれる音である。…≫
ナドナドの風景から、
[圏論]の[モナド]として[パースペクティブ]できる≪悴点≫(『自然比矩形』)からの『自己無撞着の非摂動方程式の解(パラメータ)』は、≪(自己言及のパラドックス)≫を超克していると観得る。
<何故って> <思うに>
[摂動方程式]の[非摂動方程式]への移行は、≪一つの公理体系≫を抜け出すというより、寧ろ『思考の上空移行』とする ― ≪…[梵我一如]…≫― と観得る。
このような【双対概念】は、
湯川秀樹の[中間子論]と朝永振一郎の[くりこみ理論]とに求めることができよう。
【数そのモノ】を、
「自己組織化する宇宙」エリッヒ・ヤンツ著 芹沢高志・内田美恵訳の拾いから、
≪…生態系は、光子が入ってからでていくまでの、すべてのエネルギー・プロセスを包含するシステムとしてとらえることができる。…≫
≪…レ・リジオ(relijio)とは、崩壊した対称性と統一性を復元させるものなのである。…≫
≪…科学も時間・空間結合を用いて、ホリスティックなパラダイムの自己組織化を引起こす精神システムなのである。…≫
≪…構造化のプロセスにおいて、進化は原則として開いている。しかし対称性の破れと時間・空間結合が組合わされることで、それは四次元時空連続体における循環プロセスとなるのである。…≫
≪…意識の瞑想状態や生命がもっとも強化される状態、つまり愛でそれ(ホリスティック進化)が可能となる。…≫
≪…意識とはシステムが周囲の環境との相互進化のなかで獲得する自治にほかならない。…≫
≪…<リゾーム>はあらゆる種類の生成を表象しそれゆえ、強度をとおした安心感を与えてくれる。…≫
≪…<ゆらぎをとおした秩序>…の「構造」―[機能]―[ゆらぎ]…≫の、
三つすくみが、
「数学のかんどころ35 圏論入門」前原和壽著の、
[圏]のスローガンに
≪対象に射と射の結合的合成規則の3点セットを決めれば圏である。≫
ナドナドの[センテンス]と、
「宇宙を支配する6つの数」マーティン・リース著 林一訳に、
≪…数の体系が異なる宇宙が、他にいくつもあるかもしれないと指摘します。…私たちは、数が「正しい」ただ1つの宇宙において、進化してこれたというのです。…[人間原理]―この宇宙は人間の生存に最適化されているというものであります。…≫
自然科学(物理)と【数そのモノ】(数学)の【双対概念】は、限りなく[包摂]していると観い得ることだ。
ここまで散々御託を並べてはほざかさせて頂いた展望は、
[十進法]の[符号]による[桁表示]の【0 1 2 3 4 5 6 7 8 9】は、
数理哲学として[シェーマ](符号)の【0 1 ∞】と西洋数学の成果の(超越数[e π])と虚数(i『動的作用を持つ』)である。
この6つの[シェーマ](符号)が、【数そのモノ】の「構造」・[機能]を顕現させ[ゆらぎ](∞)が[内在秩序]として隠れている…
これこそが、[愛]であると…
「数学の大統一に挑む」エドワード・フレンケル著 青木薫訳に、
≪…「愛の数式」が存在すると思っているわけではない。…[愛]のチャージ(荷)を担うことはできるのだ。…≫
≪南方曼荼羅≫の≪悴点≫(『自然比矩形』)が、
[愛]は、[≪ジャーゴン≫(数の核)]であり、[チャージ(荷)]なのだ。
そぅだ ≪今思いついた≫ 『一の水中花(カオス)』は、五木寛之ワールドを映し出す、
『愛はジャーゴン』
『これこそピタリ』
<そだね~>
と
≪…「ぼんやり」と空想的夢見を通して、
時空を超越し、「無限」へと思いを馳せる…≫
「アリになった数学者」森田真生文脇阪 克二 絵について作り人は、
≪子どもがこの本を読んで、1について考えるかはわからない≫
とのことだが、
『愛はジャーゴン』(1はジャーゴン)を含め
≪…「無限」へと思いを馳せる…≫ [カオス] [双対性](妖怪・[1])
などを盛り込んだ子どもから大人までカバーする
『絵本』が何処かにないかなぁー ・・・