渡辺利夫先生の「放哉と山頭火~死を生きる」を読み、人生の無常観を見つめよう!!

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「咳をしても一人」(尾崎放哉)

「分け入っても分け入っても青い山」(種田山頭火)

私たち日本人を惹きつけてやまない二人・・・

彼らに共通するのは「降りてゆく生き方」です。

現代人に特有の「自我意識」と最期まで向き合って

生き抜きました。

現代社会は、人類のこれまでの「生き方」に対して

否応なしに厳しく問いかけてくるようです。

「もう苦しむのはやめにして、手放さそう!!」

今回は、この本をご紹介します。

「放哉と山頭火~死を生きる~」             (渡辺利夫著、ちくま文庫、2015年)

渡辺利夫先生(以下、著者)は、拓殖大学総長にして

「開発経済学」「アジア経済」がご専門の先生です。

不定期に、産経新聞のコラム「正論」欄にも寄稿されておられます。

著者も「放哉を生きている。山頭火を抱えもっている。」と語っておられます。

「現実からの逃避、過去への執着からの解放」というように、

人は誰しも生きている限り多かれ少なかれ「人生への厭世観・絶望感」を

時に抱えてしまうようです。

これは、「楽観的な」人間でもそうです。

いや、日常生活ではなるたけ平静を装い、何事もなく人生をやり過ごそうと

するからこそ、ある日「突然の反動恐慌」に襲われるようです。

管理人とて同じです。

日々、必死に生きようと、もがけばもがくほど

どうにもならない己の不甲斐なさに苦しめられます。

管理人も「躁鬱状態」の激しい性格のようなので、この苦しみは

十分に理解出来ます。

そんな時には、著者と同じく「放哉と山頭火」の自由律俳句や

前にご紹介した若山牧水の歌を詠むことにしています。

特に、ある日突然「青天の霹靂」の出来事が起きた時には

前もって心の準備を積み重ねてきた者でないと、パニックを起こしてしまいます。

現代社会は、何かと「しがらみ」の多い時代です。

「個人の時代」と言われても、人間社会の中で生きている限りは

「しがらみ」が一定程度ついて回ります。

それは、遁世生活を送ろうとしてもです。

人生とは、最初から不条理が組み込まれているようだからです。

今回は、二人の人生と自由律俳句を読みながら皆さんとともに

「不条理に満ちた人生」をいかに生き抜くかを考えてみたく、

この本を取り上げさせて頂きました。

手放すことの大切さを学ぼう!!

尾崎放哉については、前にも当ブログで取り上げさせて頂きました。

小豆島に最期の「安住地」を見つけた放哉は、かつてはエリート路線を

歩んでいました。

一方、種田山頭火にしても同じような生活を送ろうと考えていた時期も

あるようです。

二人に共通するのは、幼少時から両親との間で「喪失感」を味わわされた

ことでした。

そんな二人の心を和ませてくれたのが、自由律俳句の師匠「萩原井泉水」でした。

二人はやがて彼の創始した俳諧雑誌「層雲」に寄稿する門人となって

結びつきます。

彼らが生きた明治から昭和初期にかけては、日本もひたすら「成長路線」を

歩んでいきましたが、やがて破綻します。

それは、「近代日本」を主導していくべきエリート層の心にも深い傷を

与えたようです。

エリート層だけではなく、一般大衆とて同じでした。

「分不相応な生き方(往き方)は、国家も個人をも苦しませる!!」のです。

現代日本でも、2020年の東京オリンピックを目指して「成長路線」を

回復させようと「分不相応な頑張り」をしています。

でも、頑張れば頑張るほど皆が苦しむような環境になっていくようです。

「皮相、上滑りな文明開化路線(成長戦略路線)」(夏目漱石)は、

21世紀の日本でも同じようです。

そろそろ、「本音に従った分相応な生き方」をしたいと

真面目に考えようとする方も増えてきているようです。

ドキュメンタリー映画『降りてゆく生き方』は、

そんな「新たな生き方」のイメージ像を提供してくれています。

ともかく、一旦「しがらみ」を手放してみる!!

そうした姿勢も自分のいのちを守るためには必要だと思います。

「疲れたら休もう!!それも心の状態が悪化する前に・・・」

無常観に満ちた人生をいかに楽しく過ごすか?

誰しも人には言えない「深い悩み」が心の奥底にあるものです。

無理に表に出す必要もないですし、内に隠し続けることもないでしょう。

いかに精神のバランスを保つかは、変化の速い現代社会では

特に大切になってきます。

人間は、理詰めで生き抜こうとしてもいずれ「がたが来ます!!」

そんな時に、頼れる友人知人や趣味が存在してくれると、

どんなに有り難いことでしょうか・・・

放哉や山頭火は、己の弱さを最終的には包み隠さず「自由律俳句」で

表現しました。

本当の「心の内」は、散文(説明型コミュニケーション法)では

伝えきれないようです。

だからこそ、短歌や俳句といった「短い表現形式」の中に

ぎっしりと「己の魂を凝縮」させる表現法も必要になってくるようです。

「詩心がわかると、人生の奥行きが拡がり心の空虚が満たされます!!」

私たちも、短い人生だからこそ一日一日大切な時間を生きたいものですね。

管理人の「自由律ではない?戯れ歌」で締めくくらせて頂きます。

~ぬかるみに 深くはまりて 上の空で四苦八苦!?~

皆さんも、心に虚無感が表れたときには「自由律俳句」というユーモアに

学んでみましょう。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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