M・B・グリーンの「ロビンソン・クルーソー物語」を読む!!冒険物語に潜む影の世界にも触れてみよう!!

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「ロビンソン・クルーソー物語」

いつの時代も、子どもを含めて

「冒険物語」には人気があるようです。

ところで、「冒険物語」には「隠された暗号」も

あるようですね。

デフォーの「ロビンソン・クルーソー」は、

近現代人の「理想的個人像」だともされ、

強い憧れが持たれています。

その「独立独歩」で進む姿勢には共感も寄せられる一方で、

「押しつけがましく欲深い」暗い影もありそうです。

今回はこの本をご紹介します。

「ロビンソン・クルーソー物語」               (M・B・グリーン著、岩尾龍太郎訳、みすず書房、1993年)

M・B・グリーン氏(以下、著者)は、日本では全く無名の英文学者です。

訳者解説によりますと、文化史的な近代英文学史、

20世紀前半のドイツ思想史、トルストイやガンジーにも視野が

広い学者だそうです。

近代「冒険小説」の巨頭であるデフォーの「ロビンソン・クルーソー」は

子どもにも人気があり、ほとんど知らない人がいないと思われるほどの

有名文学作品です。

著者は、このデフォーの「ロビンソン・クルーソー」を「原型」とした

「改作型ロビンソン・クルーソー物語」として、

この「元祖ロビンソン・クルーソー」を除いて、全部で12作品を

文化史的・世界史的な視点で分析考察しています。

子ども向けの「冒険物語」が、近現代人の「人間像」に決定的な影響を

与えたようです。

経済学でよく話題にされる「近代合理的経済人」も

「ロビンソン・クルーソー」を典型的な人物として教えています。

「知られざるイギリス冒険物語ロビンソン・クルーソー」には、

隠された問題点もあるようです。

元々、近代的冒険物語は「国家の発展物語」としての側面も

内に秘められていたようですね。

さて、「ロビンソン・クルーソー」ですが、皆さんもご存知のように

航海中に船が難破したことで、「絶海の孤島」に漂流されて、その場所で

「孤独」な生活を創意工夫により切り拓きつつ、生き抜くという

「サバイバル物語」です。

著者は、この「物語の構造」を分析しながら読み直し作業を行います。

この本では、デフォーの元祖「ロビンソン・クルーソー」(1719年)を

原型に据えて以下の12作品をそれぞれ解読していきます。

①「エミール」(フランスの啓蒙思想家:ルソー著、1762年)

②「新ロビンソン」

(ドイツのルソー=エミール主義者:ヨアヒム・ハインリヒ・カンペ著、1779年)

③「スイスのロビンソン」(スイスのヨハン・ダヴィド・ウィース著、1812年)

④「熟練水夫レディ」(イギリスのマリアット著、1841年)

⑤「火口島」(アメリカのジェイムズ・フェニモア・クーパー著、1847年)

⑥「珊瑚島」(スコットランドのバランタイン著、1858年)

⑦「神秘の島」(イギリスのヴェルヌ著、1874年)

⑧「宝島」(スコットランドのロバート・ルイス・スティーヴンスン著、1883年)

⑨「ピーター・パン」(イギリスのバリー著、1904年)

⑩「太平洋の孤独」(フランスのジャン・プシカリ著、1922年)

⑪「蠅の王」(イギリスのウィリアム・ゴールディング著、1954年)

⑫「金曜日、あるいは太平洋の冥界」(フランスのトゥルニエ著、1967年)

これらの作品を通じて、著者はデフォーの元祖「ロビンソン・クルーソー」が

各作者によって、どのように読み直し「物語修正」されていったのかを分析していきます。

そこで、今回は元祖「ロビンソン・クルーソー」の人物像が

現代(経済)社会に与えた影響を考察するうえで、

特に有名な①「エミール」⑧「宝島」⑨「ピーター・パン」に

焦点を当てていきたいと思います。

とりわけ、この元祖「ロビンソン・クルーソー」の人間像が

現代(経済)社会に与えた影響には、決して見過ごすことの出来ない

「悪作用」が働いていることも考えられます。

現代社会の諸制度を基礎づけている思想も、ほとんどが

この「ロビンソン・クルーソー」に

代表される「啓蒙思想」にあると言えるでしょう。

これらの「冒険作品」は、児童文学としても

幼少期から広く読まれているだけに、これからの社会に与える影響を

考えていくうえでも、十二分に注意を払っていかなければならないようです。

という訳で、今回はこの本を取り上げさせて頂きました。

なお、以下の論考も毎度ながらすべて管理人の私見ですので、

皆さんも賛否両論それぞれの立場でご考察して頂ければ幸いです。

「ロビンソン・クルーソー的人間」

さて、前置きが長くなってしまいましたが、

詳細に語らせて頂いたのも、18世紀初頭から20世紀にかけての

「近現代冒険物語」の主人公である「ロビンソン・クルーソー的人間」に

注意を払って頂きたかったからに他なりません。

著者は、元々の「ロビンソン・クルーソー」には

両義的な要素(帝国主義的肯定要素=積極的拡張主義と

反帝国主義的否定要素=消極的独立独歩主義)が

物語の内容に込められていたと言います。

「ロビンソン・クルーソー」は、イギリスの

「積極的海洋覇権政策(自由市場拡大戦略)」の一貫として

好まれたようです。

私たち日本人を含め東洋人にとっては、

かなりの「問題作」でもあるようですが・・・。

子どもの時分には、まったくそんな難しい背景事情があるなどと

考えたこともなかったですし、高校生になって「世界史」を選択するも

あらためて「ロビンソン・クルーソー」などの「児童文学」を

読み返していた訳でもありませんので、大学生になるまで

「ロビンソン・クルーソーの負の側面」にまで気付くこともなく

過ごしてきたのです。

たまたま、「法学部」だったこともあり

上記の「エミール」(ルソー著)における「ロビンソン・クルーソー的人間像」

について、比較的考察する機会が多かったに過ぎません。

実は、この「ロビンソン・クルーソー」って「近現代人の理想像」として

私たちに幼少時から「無意識に刷り込まれてきた」ようですね。

「独立自尊的な人間像」

「積極的な冒険家的人間像」と言えば、

聞こえは良いですが「かなり野心的で欲深な人間像」でもあるのです。

これら一連の「ロビンソン・クルーソー物語」は、

原則的に「男性中心主義かつ人種差別的」な側面も多々あり、今日では

「文明批評」としても批判的に検討されています。

「合理的な経済的人間像」を推し進めてきた結果、今日の「大混乱」を

招いていることも確認しておく必要があるようです。

むしろ、21世紀現在の「再グローバル化」の厳しい時代だからこそ、

この「ロビンソン・クルーソー的人間」を厳しく問い直す必然性もあります。

「人間は利己的な遺伝子」(リチャード・ドーキンス)などという

「利己的な人間像」を含め、道徳的・倫理的にも「生きづらい世界観」

を擁護しかねないと不安を感じましたので、問題提起させて頂きました。

それを、これまでルソーを始め「社会改良型の進歩的啓蒙思想家」が

知的な粉飾を凝らして「秘密のベール」に包んできました。

ここに、現代社会の荒廃原因の大本があるとも考えられるので、

「ロビンソン・クルーソー的人間」を単純に礼賛するのも

由々しき事態を招きかねず、考えものでしょう。

「宝島」とピーター・パン症候群

ところで、ロバート・ルイス・スティーヴンスンについては、

前にも当ブログでご紹介させて頂きました。

「ジーキル博士とハイド氏」です。

この作品をご紹介させて頂いた時には、スティーヴンスンについて

管理人は好意的でした。

ですが、今回この「宝島」の分析を読んだ後では、この「好意的」な

認識も変わらざるを得ないようです。

その時にも語りましたが、晩年スティーヴンスンは

南洋の「サモア諸島」で暮らしているのですが、

この「宝島」にも当時の「帝国覇権主義的要素」がちりばめられていて

審美的に脚色されているために、一見して見抜けない

冒険物語になっているだけに厄介なようです。

ちなみに、「サモア」についてはスティーヴンスンなどの

当時の「大英帝国の立場」とは反対の視点で書かれた作品を

前にも当ブログでご紹介させて頂きましたので、そちらの作品も

ご一読して頂ければ、より一層この時代の特徴をご理解頂けるかと

思われます。

現に、第一次世界大戦になるとスティーヴンスンも批判にさらされます。

さて、最後に「ピーター・パン」から「ピーター・パン症候群」について

触れておきます。

皮肉にも、この「ピーター・パン」をもって「ロビンソン・クルーソー」は

完全に換骨奪胎されていったようです。

「永遠に大人にならず、子どもとして青春期を過ごし続ける」ことを

「ピーター・パン症候群」というのは、皆さんもお聞きになられたことも

あるかもしれません。

今回の著者の「ロビンソン・クルーソー物語」を読み進めてきて学んだのですが、

この作品こそ、「ロビンソン・クルーソー的人間」に対する最大の風刺のようです。

今回はここまでに留めておきますが、あの「ガリバー旅行記」(スウィフト著)も

「ロビンソン・クルーソー的人間」を揶揄したものらしいです。

「小人たちが、巨大な人間を取り囲む」

何だか今後の世の中の動きを暗示しているようですね。

以上、考察を進めてきましたが、「児童文学」の中でも「冒険物語」には

取り扱いが注意のようですね。

もちろん、「純粋な冒険談」として楽しまれるのは構わないと思います。

ですが、少し視点を変えて「近現代的人間像」の影の世界にも触れながら

子どもたちと話し合うのも「知的トレーニング」になって面白いのかなぁ~

など考えてみました。

皆さんも、良質な「児童文学」をあらためて読み直されることによって、

「自明となっている常識」を見直してみませんか?

きっと、あらたな視点も磨かれるのではないかと思います。

なお、「宝島」を含めて

「謎解き 少年少女世界の名作」

(長山靖生著、新潮新書、2003年)

もお薦めしておきます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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