バタイユから日常に潜む裂け目に意識を向ける視線を学ぼう!! 言葉にならない世界を感受するコツ!?

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湯浅博雄先生の「バタイユ~消尽~」

私たちの身の回りには、言葉だけでは

表現しきれない豊饒な世界があります。

日常生活には、外面的な「生産」活動だけでは

満たされない領域が、心の内面にも拡がっています。

昨今、近現代を支配してきた「経済観」に大きな変化が

求められている中、フランスの哲学思想家

バタイユの「消尽(蕩尽)」「純粋な贈与」「祝祭」などの

キーワードが話題になっているようです。

今回は、この本をご紹介します。

「バタイユ~消尽~」                   (湯浅博雄著、講談社学術文庫、2006年)

湯浅博雄先生(以下、著者)は、フランス思想・文学・言語態研究を

ご専門とされている学者です。

この本は、「バタイユ哲学の入門書」です。

著者は、独自の工夫をされています。

難しいバタイユ哲学の「主要キーワード」を軸に据えて

まず、詳細な「序章」で著者なりに咀嚼された解説にて

ナビゲートしてくれています。

その後、各章にて本格的な解説が展開されます。

巻末には、「バタイユ略年譜」「主要著作解題」

「キーワード解説」「読書案内」と「至れり尽くせり!!」と

大変親切な内容構成となっています。

さて、21世紀に入り、現代経済社会の「高度情報資本主義化」が

進展するにつれて、これまでの「(近現代)経済活動」

について、総括点検する議論がなされています。

現代資本主義社会では、日常と非日常の区別がない

「生産消費活動」が推進されてきました。

金融情報経済が、産業実体経済を上回る経済構造になっています。

そうした環境の下、日本を含め先進諸国では、

物資が豊富に有り余る状態も続いており

経済の良質な「循環構造」に支障をきたしているようです。

そこで、今注目されているフランスの哲学思想家がいます。

今回ご紹介させて頂くジョルジュ・バタイユです。

「消尽(蕩尽)」「純粋な贈与」「濫費」「祝祭」・・・

こうしたキーワードにより、近現代経済社会における

「経済価値観」を乗り越えようとする思想を提供しています。

また、バタイユの哲学は

私たちの「日常生活」における「常識(盲点)」に

揺さぶりをかけてきます。

そんなところにも、魅力があるのでしょうか?

日本では、作家の三島由紀夫氏などにも影響を与えていたようです。

「言葉にならない日常の裂け目」に焦点を当てることにより、

言葉とイメージ像の一致という感覚に反省を促します。

バタイユは、シュールレアリストとも一線を画した

独特な「世界観」を提出しています。

ファシズムの起源を考察する中で、「聖なるもの」への経験から

「神」という観念へと昇華されていく過程を描写しながら、

近現代社会における「共同性(共同体観)」の組み直しを

私たちに迫っています。

ここには、前にもご紹介させて頂いたレヴィナスと同じような

問題意識があるようです。

「人間の道具化(あらゆる主客二元論化)を予防する知恵」

「事物が要請する世界観からの脱出」などなど・・・

こうした視点は、今後ますます重要になってくるでしょう。

「言葉は、イメージそのものと必ずしも一致する訳ではない!!」

にもかかわらず、私たちは「文脈」を離れて「一般化」する傾向に

あります。

そのことが、本来は豊饒であるはずの世界に「亀裂」を生じさせています。

こうした、人類が「言葉と道具」を発明したことから発生してきた

「差別化・同質化」についても考察されています。

では、今後私たちはどのような視点を獲得すれば「明るい未来展望」を

開くことができるのでしょうか?

そうしたコツも皆さんとともに学びたいと考え、

今回はこの本を取り上げさせて頂きました。

太陽と死は直視できない!?

バタイユの哲学思想の紹介については、管理人の手に余るので

この本をご一読下さいませ。

ただでさえ、管理人にとっては苦手な「フランス哲学思想」ですので・・・

「構造主義」がどうのこうの、というような話は

ここではしませんのでご安心下さいね。

ところで、管理人にとって苦手なフランス哲学ですが、

このバタイユはひと味違った面白みと独特な「嗅覚」をお持ちのようです。

上記のタイトルに掲げさせて頂いたのは、

辛辣な風刺家で有名なラ・ロシュフコーの名言ですが、

バタイユが考察したテーマにも当てはまるようですね。

人生を真剣に生きていると、日常生活には「裂け目」が至る所に

あることに気付かされますよね。

特に、言葉とイメージのズレには皆さんも日々悩まされるかと思います。

また、不安やおそれ(心の影の側面)は、死を連想させるのか

思わず目をそらしてしまいます。

理性(言葉)だけでは、どうしても漏れ落ちてしまう領域もあります。

こうした「日常生活の裂け目」に注目したのが、バタイユでした。

私たちが、当たり前だと思っている「社会常識」にも厳しく分析していきます。

「わたしとあなたは、同じ世界観を本当に共有しているの??」

バタイユは、この問いに「共約可能性」という言葉を当てていますが、

現実には困難ですよね。

ただ、私たちが日常生活を「うまくやり過ごす」うえで、言葉の限界が

あることを知りながらも、何とかして無理を承知で「つじつま合わせ」を

しているのが現状です。

お互いに時間と空間は限られていますしね・・・

そんなこんなで、原理的には「自他の意識(イメージ)のズレ」を可能な限り

摺り合わせていくには、「無限の対話」が必要になりますが、

言わずもがなですが、現実的には不可能なことです。

そこで、私たちは日常生活では「えいやっ!!」ということで、

「異質性(違い)」を無理に「同質化」させてしまう「暗黙の了解」に

よって解決していきます。

このことは、「意識的ズレ」を無理に隠蔽してしまうことになります。

まずは、その点に「自覚的」になることをバタイユは指摘しています。

分かり合えないからこそ、諦めずに関係を持とう!!

バタイユは、簡単に「同化」することに厳しい目を向けて生きました。

そのことは、彼の「ファシズム論」にも現れています。

ところで、第一次世界大戦後に、世界の現実に幻滅を覚えた層が、

ダダイズムシュールレアリズム運動を始めました。

有名な「ダダは何も意味しない!!」

管理人が、大学の一般教養で初めてこの言葉を知った時、

「なんと、虚無的で絶望的なことなんだろう!!」

「きっと、この人たちは無力感に苛まれた人生を過ごしていたんだなぁ~」

というあまり芳しくない感想を持ちました。

バタイユもそう感じたのかどうかは、分かりませんが、

一時期この運動に関わっていたようですが、やがて離れていきます。

また、共産主義運動にも参加していたようですが、その「共同体のあり方」に

疑問を感じたのか、このグループとも離れていきます。

バタイユの面白いところは、このように「徹底的に共同体原理」について

問い続けたことです。

そういう姿勢もあってか、政治的な立場に関係なく

幅広い層に影響を与えているのだと思います。

バタイユも、トルストイ同様にキリスト教に傾倒していましたが、

やがてキリスト教と決別し、「無神論」的信仰を探究していったようですね。

トルストイもバタイユも「生身の十字架上のキリスト」像を大切にしていました。

「観念的な人工(理性)神としての父なる神」像には、違和感があったようです。

キリスト教は、プラトンの「イデア(観念)論」にも影響を受けたようですが、

バタイユは、このあらゆる「イデア(観念)論」こそ「諸悪の根源」と

考えていたようです。

また、私たちは根本的なところで無意識にも「自己同一性」を

前提として生きてしまっているがために、

かえって「イデア信仰」が、「信念や自我」を強化して

人間関係や世界への関与の仕方に問題を生じさせているのではないか?

との問題提起もされています。

「主体も対象もなく、いかに関係するのが望ましいか?」について、

生涯考え続けたのがバタイユでした。

「分かり合えないなら分かり合えないなりに、そのまま」

「無理に同化共約化せずに、ともに愛の関係をもって無限の彼方へ飛翔しよう!!」

そのような、現実の「国家(宗教)共同体」を乗り越えた

「愛(魂?)の共同体」を想定していたようですね。

バタイユは、ヘーゲルコジェーヴからも影響を受けていますが、

その「共同体理論」には「自由の相互承認」に代表される「承認欲求」とも

異なるヒントを提示しているようです。

このあたりは、現代社会でも見落としがちな論点のようなので、

今後もっと注目されてもいいかもしれませんね。

また、ニーチェからの影響として「あらゆる事物を一度は疑ってみよう!!」との

姿勢も受け継いでいます。

最後に前にもご紹介させて頂いた三島由紀夫氏の「美しい星」のテーマでも

ありましたが、「事物への関心、人間への関心、神への関心」に共通する

人類の「理性偏重思考」が、

逆説的にも「人類共同体に亀裂を生じさせるのではないか?」という

問題提起にもつながっているようです。

三島由紀夫氏のこの問題意識にも、バタイユと共通の認識がありそうです。

もちろん、「感性」によって何とか人類を救おうとするのですが・・・

その意味で、日本人にとっても現代社会の行き詰まりを打開するヒント

として、バタイユの哲学思想が何らかの役に立つのではないか、との

視点でご紹介させて頂きました。

「日常の裂け目から生じる世界の最果てには何があるのか?」

現代社会における「生産概念」では「役に立つか、立たないか」が

重視されていますが、それだけでは「淋しい!!」ですよね。

「この世には自明なことなど本来無く、常に絶対的な解答は留保されている」

それを、「日々更新していくあらたな生産作業が、文学・芸術の役割」だと

バタイユは、期待を込めているようです。

「そう、書くこと=読むことによって、人間は日々成長していく!!」のです。

皆さんも「あらたな労働観の更新作業(生産概念の組み直し)」に参加しませんか?

これからも、皆さんとともに飛翔していきましょう。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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2 Responses to “バタイユから日常に潜む裂け目に意識を向ける視線を学ぼう!! 言葉にならない世界を感受するコツ!?”

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