小林道憲先生の「歴史哲学への招待~生命パラダイムから考える」歴史とは、複雑な網目にある結節点から生起してくる事象!?

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「歴史哲学への招待~生命パラダイムから考える~」

小林道憲先生が、「複雑系仮説」のアイディアの下、

有機的生命体になぞらえた「あらたな歴史哲学」に

挑戦されています。

歴史は、単線的・直線的、機械的・目的的にも

進歩発展するような現象ではない。

複雑な網目模様の中に多数存在する結節点において、

各事象の相互関連作用により生起するのが、現実の歴史である。

今回は、この本をご紹介します。

「歴史哲学への招待~生命パラダイムから考える~」     (小林道憲著、ミネルヴァ書房、2013年)

小林道憲先生(以下、著者)は、「複雑系の哲学」の考えを

基礎に据えた「生命の哲学」や「文明論」を研究されてこられた

学者です。

今回、この本を取り上げさせて頂いたのは、

前にも当ブログにてご紹介させて頂いた、

志村史夫先生の著書である

「こわくない物理学~物質・宇宙・生命~」の

巻末参考文献リストからの触発によるものです。

志村史夫先生の前掲書は、物理学者ならではの「理系的視点」からの

世界に継起する諸現象へのアプローチ でした。

一方で、「文系的視点」から「この世のあり方」にアプローチすれば、

一体どのような「視点」が得られるのだろうか?

その問題意識が、随分と昔から管理人の「問題意識」にあったからです。

その中でも、「生命と歴史との相関関係」には、並々ならぬ興味関心が

ありました。

20世紀までの、「近現代歴史認識論」では

「決定論」か「非決定論」かを問わず、単純な「進歩史観」

せめぎ合って対立闘争してきました。

その「後遺症」は、21世紀現在においても

今なお各分野にて尾を引いているようです。

「歴史」は、私たち人類の生存そのものが直接関係してくる

「壮大な叙事詩」であるだけに、政治的にも様々な難題を

抱えてきました。

また、人生は「限られた時空」を生きるにせよ、常に未来は

予測不可能で、不条理・理不尽な要素が否応なしに押し迫ってきます。

瞬間瞬間の人生選択の際にも、過去の経験を判断基準に行動決定するに

せよ、その「選択決定」が真に安心して確定できるものか、不安やおそれを

抱えながらも「最終確定」せざるを得ないのが、人間の「悲しい性」でも

あります。

つまり、未来だけでなく過去すら確実とは断定できない「もやもや感」が

どうしても残ってしまう訳です。

その感覚があるからこそ、人間は太古から「必然か偶然か」を巡って

悩まされてきたのでしょう。

「運命や宿命はあるようでない!?」

「決定も未決定もない!?」

どうやら、世界と人生の関係は謎に包まれているようです。

しかし、そのように究極的なところ「不可知」だからこそ、

逆説的に感じられるかもしれないが、「自由が存在する」のだと

著者は、語ります。

本書は、現在大流行の「複雑系」の見方を取り入れながら、

著者独自の「歴史哲学への招待」です。

「歴史認識は、自己認識でもある」

人間は、誰しもいかなる時代の制約からも逃れられない存在だと

思われてきました。

が、果たして真実は??

そんな「一抹の可能性」に賭けてみたいのが、「人間の真実の姿」では

ないでしょうか?

それでは、皆さんとともに著者のナビゲートにより、各自の「歴史哲学」

の探究をしていきましょう。

「歴史認識=自己認識の解釈は、人それぞれ唯一の正解などありません」

歴史は、偶然の出会いから創発的に生起する事象!?

まず、最初にお断りしておきますが、「歴史哲学」は

必ずしも「歴史認識(解釈)」とは完全一致しないということです。

著者の言葉をお借りすれば、「歴史の動態幾何学」を考察探究する

「学問」であるようです。

それは、「歴史そのもの」でもありません。

自然や科学をも「歴史的」に理解する視野を獲得するための「道具」です。

つまり、「時間軸」を考慮に入れたうえでの

「人間と世界の間に横たわる関係性の解明」とでも言い換えることが出来ます。

著者は、E・H・カー氏の古典的名著「歴史とは何か」で主張された

「歴史とは、過去と現在との対話」という視点を、現代物理学の「不確定性理論」

を踏まえつつ、未来へ向けて「時空」を引き延ばそうとする構想を打ち立てています。

「歴史は、過去・現在・未来の映し合いである」と・・・

さらに、そこに「生命(いのち)のリズム」を吹き込みます。

ベルクソンの『創造的進化』で有名な「生命は躍動する!!」という

アイディアも組み込みながら、

「歴史とは、偶然ながら複雑多様な網目模様の結節点から生まれる創発的現象」

だとの見方を提起されていきます。

ちなみに、先程も語りましたように、「歴史認識(解釈)」とは異なりますので、

「価値判断」はひとまず脇に置いて「歴史継起現象の来歴」について、

この本では解説していきます。

一応、著者も「歴史認識(解釈)方法論」などについても、この本で解説されていますが、

「歴史そのもの(純然たる事実)」と「その意味づけ(解釈)」は、混同しやすいので、

「歴史哲学」を考察していくに当たっては、注意を促しておられます。

17世紀以来の「(古典的)近代科学」の影響を受けた

19世紀の「客観主義的」実証主義歴史学の手法も、現代では単なる「仮説」でしか

ないものとして扱われています。

20世紀初頭の「(量子相対論的)現代科学」の考え方では、

「観測者と観測対象は独立して存在出来ない」ことも、

現代では「暗黙の了解事項」となっています。

ところが、「自然科学」の学問分野では、

そのような「大転換」を成し遂げてきた訳ですが、「社会科学(人文科学)」の

世界では未だに「認識不一致」のようで、各自バラバラの「個別解釈」が

世界に混乱の種を蒔いています。

もちろん、実験観察による「再現」が不可能な学問分野では、多様な解釈像が

あっても一向に構わないのですが、「歴史認識(解釈)」とは別に

「一応の暗黙のルール設定」はしておいた方が、議論しやすくなるとともに、

世界に無用な対立混乱が生じるのを予防することにもなる利点があるので、

「歴史哲学」として整理整頓しておく必要性もあるようですね。

「価値判断」を抜きにして、読者の皆さんがイメージしやすいように

解説させて頂きますと、直線を引いて「現在」を中軸(回転軸)として

「未来=左」「過去=右」とすると、双方とも「現在」軸の中に

「畳み込まれている状態」が、実際の「歴史的継起現象」だと捉えられます。

この時空イメージ像は、すでに20世紀初頭には、物理学の世界や生命哲学の世界では

出来上がりつつあったのですが、「歴史の世界」では混乱対立したままで、

「政治経済の世界」の中にまで持ち込まれ、「凄惨な歴史的事実」が

現実に生起してしまったことは、誠に残念なことでした。

このことは、21世紀現在でさえ、未だに決着していないように見えます。

だからこそ、「歴史哲学」の堅固な構築が要請されてきたのです。

フランシス・フクヤマ氏のように「歴史の終わり」で「ハイ、終了!!」でもありません。

彼の場合は、20世紀の冷戦を基礎付けていたような

「(思想としての)大きな物語」は一応終結したとの見立てだったようですが、

「歴史とは、常に進行中の白昼劇」ですので、そのように「断定(言)」する

ような見方は、かえって危険ではないかと思われます。

著者も語っていますが、単純粗雑な「進歩(革命)史観(極端な未来重視)」も

「尚古(復古)史観(極端な過去重視)」も、あたかも「メビウスの輪」のようで、

表裏一体の「進歩史観」にすぎないからです。

21世紀現在では、極端な「尚古(復古)史観」は減少しつつあるとはいえ、

「技術主義的楽観史観」という形態での「進歩(革命)史観」が

なくなった訳ではありません。

それどころか、近年ますます強まっているとの見方もあるようです。

その意味で、この「複雑系」の見方を取り入れた、

ある種の「循環型創発現象」として歴史を再構成する見方は、

なかなか面白く考えさせられる視点であるようです。

「相対主義的歴史観」を乗り越える「あらたな歴史哲学」

もっとも、「歴史認識(解釈)の自由」は、相互尊重しなければなりません。

とはいえ、そのレベルだけに止まっていれば問題解決になるかと問われると、

やはり何かと問題も残るようですね。

「価値相対主義」は、歴史的にも自然から見ても「うまくいった事例」は

あまりないようです。

「自然科学」はなおのこと、「社会科学(人文科学)」の分野でも、

「価値相対主義」のレベルで自足していれば、単なる「懐疑主義」に

陥ってしまうだけですから・・・

著者もこの点を、強調されておられますが、「むしろ、それぞれの

歴史解釈が、均等に相対的な自由度が許容されるからこそ、矛盾しつつも

誤解やズレを認識理解することにもつながり、深刻な対立を未然に防ぐような

自由な見方が可能になる」のだということです。

「相対性の自覚こそ、人々を自由にします。」と・・・

ところで、著者によると、この時点で「一人たたずむ」だけでも

「まだ足りない!!」そうです。

なぜなら、観測者である人間が歴史の外に立った一種の「傍観者的見方」にしか

過ぎませんし、「世界(歴史)内存在」(ハイデガー)である「生身の人間」は

その「限定条件」からは、誰も逃れ去ることは出来ないからです。

そこで、最終的には「歴史的状況に参加し、未来へ向けて積極的に自らを投げ出す

行為(関与)決定が重要」になってきます。

数十年前に大ヒットした、映画「戦国自衛隊」の中の有名なセリフ。

(戦国時代へタイムスリップする直前のセリフ)

まさに、「この世に価値はごまんとある!!」

「しかし、どれか一つしか選択出来ないし、選択せざるを得ないのだ!!」

「選択後は、その行動(価値判断)に自ら責任を持たざるを得ないのが、

この世の道理だからさ・・・」(管理人の意訳)

このような内容だったか、相当「物忘れの激しい」今日この頃ですが、

たぶん「おおよそのところ」は間違っていないでしょう(不安だけど)

つまり、当たり前ですが、映画のようなフィクション以外の「現実の世界」

では、なおさら「未決定(行動)」という選択肢はあり得ないということです。

ということで、人間はいつも「不十分な情報(条件)」の下、「いま・ここ」

の「間(場)」で、自分にとって「最善」の選択をしなければならない存在である。

このことを、再度確認する事態に落ち着いたようです。

まとめますと、

「必然と偶然が未明混沌としているからこそ、自由も成り立つらしい」

との「逆説的な結論」に導かれました。

どうも、私たちを取り巻く「歴史的時空構造」はこのようになっているらしいのです。

そんな「歴史哲学」ですが、その具体的中身の「物語設定」は、言うまでもなく

読者の皆さんにとって自由です。

結局、「人間の営む歴史とは、連続・非連続の循環構造の中での一瞬の

創造的飛躍からあらたな歴史が創発展開されていく」ということです。

この本では、「複雑系の哲学」を下敷きにしながら、「複雑系専門用語」を

織り交ぜながらも、同じ趣旨の内容を別の表現で繰り返し説明されています。

そこは、「論理(同義反復)というクセ」なので、お手柔らかに

お読み頂くと、管理人としてもありがたいです。

ですので、多少「回りくどいなぁ~」と思われる方もおありかと

思いますが、その際は「飛ばし読み」でも構いませんので、皆さんも

著者とともに真摯に「歴史哲学=自己哲学」を探究して頂ければ

幸いであります。

最後に「勇気を持って未来へ羽ばたこうとされる」創造者の皆さんへ

次の言葉をお届けさせて頂きます。

「ミネルヴァの梟は黄昏とともにようやく飛翔する」(ヘーゲル『法哲学』より)

なお、著者の別著として、

「生命の哲学~<生きる>とは何かということ~」

(人文書館、2008年)と、

この本の「文献紹介」のリストにもあります、

前にもご紹介(記事①記事②)させて頂いた

野田宣雄先生の著書である

「歴史をいかに学ぶか」(PHP新書、2000年)

をご紹介しておきます。

※ルネサンスという用語で有名なブルクハルト

「歴史観」を下に、現代人の「生きる指針」として

考えてみようではないかとの発想で語られた「歴史入門書」です。

前にご紹介させて頂いた本とともに、お読み頂くと

より一層親しみやすくなるのではないかと思います。

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<平成29(2017)年1月9日追記>

このたび、上記論考分を含めた小林道憲先生の

『<生命の哲学>コレクション』全10巻

ミネルヴァ書房より本年6月までに順次刊行される予定とのことです。

管理人自身は、すでに個人的に小林先生から

図書館ご推薦用の見本として上記論考分+独自の芸術論が

収録された1巻本をご献本賜りましたが、

たまたま管理人自身が産経新聞の読者でもあることから

上記新聞の書評欄『<手帖>注目の生命論的世界観』

題する記事にも目が触れましたので、

上記新聞読者以外の方にもご紹介させて頂こうと

本日追記させて頂きました。

あらためて当ブログの「場」をお借りして、

小林先生には篤く御礼申し上げますとともに、

是非皆さんにもお手に取って頂ければと願います。

いわゆる「京都学派」の息吹が感じられますし、

「京都学派」の得意とする一昨日(7日)ご紹介させて頂きました

<複雑系科学>の一端も垣間見られますので、

この分野にご興味関心がおありの方には「入門書」として

是非お薦めさせて頂きます。

ところで、昨日は個人的な趣味で京都観世会館に出かけ

「翁」舞と能楽数曲(『熊野(ゆや)』と『乱』など)を

久方ぶりに観賞することが叶いましたが、

能楽は本当に「心」を揺さぶってくれる日本が誇る素晴らしい

「総合」芸術だということを実感させられました。

能楽は、日本で独自に発展してきた歴史がありますが、

源流を辿ると雅楽など中国・朝鮮半島、はたまた天竺国(インド)や

西アジア(ペルシア・中東方面)、古代ギリシアなどから

その「原型」が伝来してきたとされる

非常に国際色豊かな色調を宿して発展してきた芸能文化です。

「平和」のためには、「学問」と「芸能」の<融合>文化が

不可欠であります。

そんな人間の原点に立ち返らせてくれる芸術なのです。

そこには<勧進>や<講・結(ゆい)>といった

現代経済思想が見失った「相互扶助の精神」が見受けられます。

今後の世界経済の方向性を占ううえでも

「人工知能」を中心とする機械技術文明の発達に極度に依存し過ぎることなく、

「人間」の「心」を相互に伝達し合えるような仕掛けが

より一層人類の未来経済の進化にとっては必要不可欠となるでしょう。

そうした面も含めた建設的な提案を皆さんにも考えて頂く素材として、

上記『<生命の哲学>コレクション』全10巻シリーズ

有意義な視点を提供くれると思われますので、

是非このコレクションシリーズにも目を通して頂ければ

紹介者としても幸いであります。

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最後までお読み頂きありがとうございました。

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