アンディ・アンドルーズさんの「希望をはこぶ人」この「希望の書」が、あなたの魂に勇気と生きた知恵を授けてくれます!!

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「希望をはこぶ人」

アンディ・アンドルーズさんの「自伝」を基に、

物語風にブレンドされた転ばぬ先の「老賢者の書」です。

現代社会の厳しい生存環境の中で、絶望的な状況で

過ごされている方も多いことと思われます。

完全な自信喪失状態に陥り、世界の中での自分自身の

「人間的価値」を見失いつつあるすべての人びとへ・・・

お届けしたい1冊の「光の書」があります。

今回は、この本をご紹介します。

「希望をはこぶ人」(アンディ・アンドルーズ著、弓場隆訳、ダイヤモンド社、2011年第2刷)

アンディ・アンドルーズさん(以下、著者)は、アメリカの作家で

アラバマ州生まれ。

高校卒業後、若くしてご両親を亡くされ、ホームレス生活という

裸一貫のどん底を経験され、自信喪失してしまっていたところ、

ある老人との出会いが縁になり、「心機一転」あらたな人生の

再出発の旅を開始されました。

その後、この縁を皮切りにコメディアンとしても人気を博した後に、

現在の作家業に転身された方です。

全米各地での講演活動でも、評判になり、ニューヨーク・タイムズ紙では

「アメリカで最も影響力のある人物の一人」とされているようです。

前にもご紹介させて頂いた『バタフライ・エフェクト 世界を変える力』で

お世話になった著者でもあります。

今回お届けさせて頂く本書『希望をはこぶ人』は、そんな著者自身の

「自伝」を基にした物語であります。

「一度どん底を見た者のうち、再び甦った者は、語り継ぐ義務がある」

それが、「より良き種」を蒔く人の義務であります。

絶望状況から立ち直るためには、自らの力で立ち上がるための「自力」と

他者との出会いから得られる生き抜くための活力といった「他力」の

双方が不可欠だといいます。

同じ「どん底」でも、再び「表舞台」で活躍し直すことが出来る人と、

そのまま「裏舞台」へと、くすんでしぼんでしまう人とに分かれていくようですが、

その「分岐点」には、何か大きく違うものがあるのでしょうか?

著者によると、それは「紙一重の差」だということのようです。

「人生を変えるには、ほんのちょっとした物の見方を変えるだけでいい!!」

「自らの懺悔と許しによる<気づき>が、再生の切り札となる!!」

「再生の<決意>だけでは駄目だ!!<行動>こそが、本当の意味で

自分自身を変える原動力となるのだ!!」

「人生を変えるためには、<言葉と思い>こそが大切なのだ!!」

その他、諸々の「成幸哲学」風の書籍に共通するテーゼですが、

「シンプルこそベスト」だと実感させてくれるのも、本書であります。

本書にも、前著『バタフライ・エフェクト 世界を変える力』と重なる

内容の文章が綴られていますが、

そこで強調される視点も「人と人とをつなげる<いのちのバトンリレー>」だ

という「言葉と思いの力」です。

春は、「再出発」に相応しい季節だと言われますが、一方では、

「出会いと別れ」の淋しく切ない季節でもあります。

そんな「寒さと暖かさの季節の変わり目」にこそ、ご一読願いたい1冊です。

ということで、皆さんとともに本書を読み進めることで、

単なる「あらたな決意」にとどまらず、勇気ある第一歩を踏み出す「行動」を

ともにしていこうとの趣旨で、この本を取り上げさせて頂きました。

「絶望と希望は隣り合わせ」だからこそ、一喜一憂しない・・・

さて、物語は、かつてのアンディさんを思わせる

「アンディ」という青年とスーツケースを持ち運ぶ

「老賢者」ジョーンズさんとの「出会い」から始まります。

「スーツケース」は、物語の象徴である「希望の種の詰まった小箱」を

暗示させます。

「老賢者」ジョーンズさんとの最後の「別れ」に至るまでの物語展開の

過程は、皆さんの「お楽しみ」としておきますね。

このジョーンズさんは、「年齢不詳」とのこと。

物語中盤で、『40歳の誕生日の50周年を祝ったのを最後に、

自分の年を数えるのをやめたんですよ』(本書124頁)と

これまた、「意味深い」暗示的表現が出てきます。

「この方を、いかなる御方と心得る!?」・・・

と、ご印籠を差し出される訳でもなく、周りにお供の者が

いる訳でもありませんが、皆さんが本書読了後にどのような人物を

イメージされるかは、宿題とさせて頂きましょう。

「40+50=90歳」

「40×50=2000歳!?」

としたら、・・・

アメリカという「西欧文化圏」での物語ですので、

きっと、「神さま」のことなのでしょうか?

それは、分かりませんが、

物語の結末は、早朝の駐車場に「スーツケース」だけが、

ポツンと取り残されていた・・・

という、まるで「昇天」を暗示させるかのような表現で

「希望という名の贈り物」が、私たち読者に届けられました。

それが、先程も触れました「希望の種」でありました。

この「希望の種」も、一粒ひとつぶが「違う」のでした。

本書における登場人物も、一人ひとり「個性」を持った

「かけがえのない」主人公であります。

本書の主人公は、著者アンディさんを思わせる

ホームレス青年でありますが、この青年とともに

周囲の登場人物も精神的に成長していく物語であります。

完全に自信喪失状態にあったホームレス青年が、自立していくまでには、

多くの時間がかかり、また、多くの人びととの「出会いと別れ」が

ありました。

このホームレス青年も、「老賢者」から手渡された数々の「偉人伝」に

よって「自己救済の道」という「復活」へと誘われていきました。

最後は、「自分で図書館に返却しなさい」との「導きの手」によって、

「自学自習」という「独学による自己救済」を身につけていきます。

「老賢者」は、青年に語りかけます。

「視野を大きく広げて物事の見方を状況に合わせて変えながら見つめなさい」と。

そのような多面的な物の見方を提示します。

本書は、著者自身の「ホームレス生活」をモデルにした「自伝的小説」であります。

冒頭の著者のプロフィールでもご紹介させて頂いたように、

実際に「ある老人」との出会いによって、人生が変わったとのことです。

本書も、よくある「成幸(管理人は<功>ではなく<幸>と意図的に使用)哲学書」と

共通の視点もあるようですが、あくまで、「功利」ではなく「幸利」に力点が

置かれています。

本書では、「欠乏感覚」の方向ではなく、「今・ここの満足」に目を向けることの

重要性が静かに語りかけられていきます。

結局、自分と世界との距離感も、自らの「心次第」ではありますが、

一度「どん底」に突入すると、並大抵のことでは立ち直ることも難しくなります。

それでも、「いついかなる時」でも、「復活」の機会だけは、

万人に平等に与えられています。

確かに、「経済力」だとか「人脈」だとかの肩書きという「属性」は

多種多様の「差異」があります。

普通の精神状態では、この「属性」にとらわれてしまうのが「落ち」で

あるようです。

現代社会は、そんな「属性」に執着させるような「欲望装置」で

満ち溢れていますし、現代教育も、「何のために生きるのか」

という視点よりも、「いかに生きるのか」という視点でなされているようです。

つまり、一見「当たり前」のようですが、現代社会で生き抜くためには、

自らの知恵で「何のために生きるのか」を絶えず問い続けるとともに、

人生街道における試行錯誤の過程で、才覚といった「いかに生きるのか」を

自己再教育を繰り返しながら、学んでいく必要があるのです。

この当たり前と思われることが、公的な「現代教育」では軽視されがちで、

皮肉にも、一応「まともな」部類に入る「成功哲学(自己啓発書)」でもって、

現代青少年が、「再教育」されていくというのが、現代社会の特徴でもあります。

現代日本人は、教育を「人任せ」にする傾向も強まる一方で、

「豊かさの中での精神的衰退」を良かれとしてきた風潮にあったようです。

では、学校教育が駄目なら、「社会人教育」として企業研修教育に期待を

持つべきかというと、それは「甘すぎる!!」ということになります。

つまり、いついかなる時代でも、「自学自習」しながら、「日々更新」

し続ける「自己教育」の出来る「人財」こそ、生き抜くことが出来る

「大人」だということです。

本書は、厳しい表現になり恐縮ですが、そんな現代の甘えた青少年にこそ、

「社会人教育(としての生き方)の重要性」を教えてくれる好著です。

年を取れば取るほど、「耳の痛いこと」を指摘してくれる人も

少なくなるからです。

本書でも、『第5章  恋愛と結婚』相談のテーマで、示唆されていた知恵ですが、

一見「厳しいこと」を指摘してくれそうな身近な人間ほど、

遠慮してしまうこともあるからです。

ましてや、一般社会では、「利害関係中心」に移ろいやすい社会ですので、

「教育効果」よりも、「排他的効果」の方が強まる傾向もあるからです。

もっとも、すべての人間に、「愛がない」などと言っている訳ではないですよ。

著者は、本書で次のように語りかけます。

『まず、どんなにつらいときでも、人生に浮き沈みは付き物だと

割り切ることが大切です。人生は山あり谷ありと言うでしょう。

つらい時期を経験するのは当然のことですから、何も恐れることは

ありません。結局のところ、私たちはみんな、危機のさなかにあるか、

危機から抜け出しつつあるか、危機に向かいつつあるか、

そのいずれかの状態にあります。危機というのは、しょせん、人生の

一部にしかすぎないのですよ』(本書128頁)

シンプルな教えといえば、「シンプル」ですが、私たちの幸福の源泉も

この「時間感覚」にあるようです。

ことわざにも、「人間万事、塞翁が馬」

「禍福はあざなえる縄のごとし」

ともあります。

その意味で、この世は「陰陽の法則(作用・反作用の法則)」で

入り交じった「並行世界」であります。

昨今、大流行??の「引き寄せの法則」とやらも、

このあたりにヒントがありそうです。

このことをいつも、念頭に置きながら生きていると、

「絶望と希望は、隣り合わせ」だということも、実感が湧き出てくるとともに、

無用な精神的パニックに陥らずに済むようです。

管理人もそうですが、難しく思われるのは、現代社会の「欲望拡張型」にも

原因がありますが、結局は、自分との勝負であり、他人との勝負ではないと

いうことは、肝に銘じておきたいところであります。

「あなた」も「わたし」も「希望をはこぶ人」の仲間です!!

さて、主人公アンディさんほどではないですが、管理人もまた

日々、数々の「難題」を抱えながら「宿題」が山積みとなっています。

これまでの人生も「山あり谷あり」でした。

しかし、誠に「有り難いこと」に、その都度その都度

数多くの人びとによって助けられてきました。

当ブログ開設から、はや半年が経とうとしていますが、

当ブログ開設の動機も、ブログ冒頭画面上部の「プロフィール」略記欄で

ご紹介させて頂きましたように、

「真実、管理人のいのちも、読書によって救われてきた」ことにありました。

決して、「誇張」ではありません。

ことに、古今東西の賢者による「古典的良書」からは、

「死につつあった魂」に「息を吹き込んで」もらいました。

そのような「特殊」個人的な事情もあって、

ちょうど本書のご紹介は、「原点回帰」ということになりました。

人間にとって、心弱さに打ち勝つためには、折に触れて、

「己の弱き心に、むち打つ覚悟」が必要となってきます。

だからこそ、「初心忘るるべからず」(世阿弥)という一点に集中して

いかなければ、堕落していくばかりです。

最初の頃の『徒然草』(吉田兼好法師)のテーマともつながりますが、

(その時点では、書き漏らした点ですが・・・)、

あの有名な「弓道練習のテーマ(第92段)」にもありますように、

「一度の弓矢に、渾身の一魂を込めることこそ、肝要」だということです。

人生は、その都度その都度、場面が切り替わる「一回限りのドラマ」であります。

ただ、漫然と月日が経つのを待てば良いという訳にはいきません。

その意味で、「人生とは、決して、暇つぶしではない!!」のです。

「待てば、いつも小春日和」ということもないからです。

「小春日和」とは、「寒さ(陰)が出始めた頃の暖かさ(陽=春)」の

たとえとして使用させて頂いていますが、

「いいことばかりが続くとは限らないのも人生」であります。

「準備万端整えて、いざ出発と言っても、それに応えてくれる

恵まれた環境にでも出会わない限り、夢物語の続き・・・」でもあります。

ですので、管理人は、当ブログ創作に「渾身の一打」を込めながら、

自他ともに、少しでも「精神的糧」や、世の中の諸現象に興味関心を

持って頂こうと、日々研究考察を続けています。

それが、「仕事人の倫理」だと、自らに誓約を立てているからです。

昨日の茂木健一郎先生の本のテーマでもありましたが、

「趣味(個人)と実益(仕事=普遍)を兼ねる」ということも、

この『希望をはこぶ人』は教えてくれています。

つまり、「個別を掘り続けることが、普遍へとつながっていく」と

いうことです。

まさしく、「より良き希望のための種蒔き」です。

これまでに、ご紹介させて頂いたどの本1冊手にとっても、

「興味関心を持ち続けること=気付くことの重要性」という点では、

共通しています。

本書『希望をはこぶ人』の英語版の原書のタイトルでは、

『The  Noticer(気付く人)』という意味も込められています。

ブログの各記事も、当初は「一回限りの読み切り連載もの」にしようかなど

試行錯誤しながら模索してきましたが、「哲学的考察の軌跡(つまり、人間的要素)」が

読者の方にも見えた方が良いのではないかと、「覚悟」を決めたあたりからは、

各記事のつながりを重視しながら、「一記事一記事<気づき>の要素」を

取り込んできました。

「仕事」として自分のブログ記事作成に愛着を込めていますので、

「責任重大」ですし、力も入ります。

サラリーマン時代にも、自ら「課題を立てる重要性」には気を配っていた

つもりですが、やはり、「組織的仕事」では「管理されることが先」にありますので、

自由な企画立案をすることも難しくなります。

そんな「歯がゆい思い」も積み重なり、「実験の機会が欲しかった」ことや、

「本心に忠実でありたかった」ことなどが、「独立」に踏み出すきっかけと

なっていきました。

管理人の場合は、

「士業関係(弁護士などの、いわゆる<サムライ業>のことです)」の業界にいましたので、

周りには、「独立事業主」の方も数多くおられ、顧客の中にも、「独立事業主」さんが

多かったのです。

そのため、早くから「独立の苦労」とともに、「仕事の真剣さや楽しみ」についても

深く味わう機会を得ることが叶いました。

ここで、すべての方々に感謝申し上げます。

このあたりで、個人的事情の話も中断させて頂きますが、

読者の皆さんの中にも、様々な業界で、懸命な働きをなされているものと

確信しています。

本書は、そうした素晴らしきすべての方々に向けられた、「人間としての原点」を

あらためて気付かせてくれる好著であります。

管理人は、本書を最初から最後まできちんと読み切るまでに3時間ほど

かかりましたが、(言うまでもなく、管理人は、いつも1冊ずつ丁寧に

拝読させて頂いています。なぜなら、著者を深く敬愛しなければ

良きご紹介にもつながらないと確信しているからです。)、

本書は、それほど時間もかからず、日々の生活でお忙しい方にも、

気楽に読んで頂けるものと感じています。

とはいえ、決して「軽い本」ではありません。

ここで、管理人の原点にも戻りますが、

なかなか人が味わえない特異な経験をしてきただけに、

管理人も「希望をはこぶ人」の仲間に参加させて頂いています。

「より良き種蒔きをともにしよう!!」

これが、本書の最大メッセージでありますが、

「世の塩、地の光」として、学生時代に学ばせて頂いたからこそ、

ご恩返しを今後ともしていきたいと願っています。

本書は、アメリカのような「キリスト教文化圏」での出版物ですので、

「自己啓発書(成功哲学書)」を読むにしても、こうした文化圏の

特異性も理解していなくては、十二分な理解も得られないようです。

管理人は、常々、こうした良質な翻訳本ではなく、

現代日本における「自己啓発書」の

「胡散臭さ、耐えられない軽さ(自己宣伝本??)」には

あまり見向きもしてきませんでしたが、

それは、「古典的良書に勝る自己啓発書も他にはない」と実感しながら、

体認・体得してきたことや、西洋の「古典的自己啓発書」には、

少なくとも(もちろん例外もありますが・・・)、

大抵は、「倫理的伝道」の要素も含まれていたからだと思います。

「慈善(寄付)文化圏」ということもあるのでしょうか?

細部は知るよしもありませんが、そんな「倫理的歯止め」が、

単なる「自己宣伝」を最小限に食い止めてきたように感じられるのです。

本書もまた、そうした「かつてのホームレスから現在の成幸者の檜舞台」へと

跳躍していった、いかにも「アメリカンドリーム」をつかんだ方の

物語ですが、こうした「物語風」の知恵と工夫が

アメリカ出版界の面白いところでもあるようです。

小説風エッセーをご紹介させて頂く際には、内容(あらすじ)のご紹介は

「最小限」にしておきたいと思います。

最後に、本書から「希望の歌」を引用して筆を擱かせて頂きます。

『人生の宝物の多くは、眠ったままになっています。

なぜって、人はそれを探そうとしませんからね。

目の前に試練が立ちはだかっているとき、それを乗り越えるための

正しい問いを投げかける人はほとんどいません。

恐怖と後悔にとらわれると、希望を持つことがばかばかしく

思えてくるのです。

しかし、私たちはいつだって希望を持つことができます。

それだけではありませんよ。

このことは宇宙の法則ですらあるのです。-見過ごされがちでは

ありますがね』(本書127~128頁)

まとめますと、「希望の歌」とは、「物の見方という種」を

ともに蒔き、育てながら、ともに「希望という名の収穫」を

分かち合う歓喜の歌だということです。

本日は、ブログ開設半期の「中間決算??」のような「報告書」も

兼ねさせて頂きましたが、皆さんにとっても「初心」について、

思い出して頂けるような好著になっているものと思われます。

ということで、皆さんにもご一読されることをお薦めさせて頂きます。

なお、「成功法則」について、

「いつもうまくいく人の成功法則」

(ジェフ・ケラー著、弓場隆訳、ソフトバンク文庫、2008年)

※本書もまた、弓場隆さんの邦訳書であります。

「成功法則」は、「精神的次元」から読むべき本だということを

実感させてくれます。

「物質的次元におけるエネルギーの物質化??」とは、

「幻影」ではなく、すべては「物の見方」に関わるという視点が

大切なようです。

また、敬愛するドリアン助川さんの

「ピンザの島」

(ドリアン助川著、ポプラ社、2014年)

もご紹介しておきます。

本書もまた、「希望の書」であります。

管理人は、いつもドリアン助川さんの著書に励まされてきました。

「道化師(ピエロ)」として、自認されながら大変ユニークな

批評的創作活動をされてこられた方でもあります。

「道化師」と言えば、「西洋騎士道」のドンキホーテを思い浮かべますが、

昨今、このような真の意味での「開拓者」が少なくなる中で、

その生き様にも共感させられることしきりです。

ことに、『敗北からの創作』という視点は、「建設的な批評とは何か?」を

問い続けるうえでの、「原点の書」ともなっています。

また、昨日の茂木健一郎先生の「記憶の森を育てる」とも接点のある

「言葉の森を育てよう」との視点から、「想像力や創造力の難しさや豊かさ」を

学ばせて頂いています。

「人間的表現とは、かくも幅のあるものなのか・・・」と

あらためて気付かせて頂いた好著であります。

ともに、ご一読下されば幸いであります。

ここに日頃の感謝を込めて厚く御礼申し上げます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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