横尾忠則さんの「言葉を離れる」言葉以前の想念の世界を全身全霊でつかみとる芸術的人生論!?

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「言葉を離れる」

美術家の横尾忠則さんが、

自らの人生を振り返って

綴られた体感的エッセーです。

言葉に依存しながら生きざるを得ない

人間ですが、言葉以前に思い浮かんでくる

想念の世界こそ、人間の本質!?

「言葉を真に受けるな!!」

「言葉に魂が宿っている!!」

一見、言葉に対する正反対の考えですが、

いずれにせよ、人間は言葉のみで

生かされている存在でもありません。

今回は、この本をご紹介します。

「言葉を離れる」(横尾忠則著、青土社、2015年)

※本書は、『ユリイカ』で、<夢遊する読書>と題して、

2011年~2014年に掲載されたエッセーに加筆・修正されたものです。

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横尾忠則さん(以下、著者)は、兵庫県西脇市出身の美術家です。

著者は、最初から現在のような「画家志望」ではなかったといいます。

ただ、幼少期より模写することには興味関心があったそうで、

将来は、普通のサラリーマン人生で気長に趣味として

余暇に美術を楽しもうと考えられていたようです。

その後、運命に導かれるようにして、紆余曲折はありながらも、

人生の本街道では、グラフィックデザイナーから画家へと

「美術道」を邁進されてこられました。

一方で、幼少期より、ほとんど読書生活とは無縁だったともいいます。

例外が、江戸川乱歩南洋一郎の少年向け小説を3、4冊程度

読んだくらいで、30歳になるまで読書とは無縁だったといいます。

その後、本文で触れさせて頂きますが、

ある本のきっかけで、次々と人との出会いにも恵まれ、

まるで「運命の神様」に導かれるかのように、

今日の著者を形作っていったといいます。

本書は、「普段読書しない人」の味方でもあります。

正直、「文筆業」を生業とする管理人にとっては、

イメージしにくい世界ではありますが、

必ずしも、読書しなくても、別のルートを介して

人間的成長に結びつけることは十分可能であることは

伝わってきました。

本書を読み進めていく過程で、

言葉に偏りすぎた「知識人=現代人」としての生き方も

「程度の問題」だと深刻に反省もさせられました。

また、「世界観」が大きく広がっていく不思議な書物であります。

そうした意味でも、本書は、「魂を揺さぶる書」であります。

また、本書を通じて、著者のこれまでの芸術的人生の一端に

触れることもでき、数々の作品に込められた想いを

感じ取ることも出来るような「体感的」エッセーに仕上げられています。

ということで、著者の「芸術的人生」から

どのような言葉が紡ぎ出されていくのかを

肉体面から体感していくことも、

「言葉」を駆使しながら生きていかざるを得ない人間にとっては、

大いに学びがいがあるというものです。

そこで、皆さんにも著者とともに遊びながら、あらたな角度から「人生の時々」を

深く味わいながら堪能して頂こうと、この本を取り上げさせて頂きました。

素顔の「横尾忠則論」が赤裸々に綴られていく「自伝的哲学書」

著者は、「商業広告用」のグラフィックデザイナーから画家へと

転身していかれた芸術家であります。

直接のきっかけは、ニューヨーク近代美術館における

ピカソ展だったといいます。

管理人は、著者の独特なデザインや奇抜な発想から

「面白い人やなぁ~」と思ってきましたが、

特にこれまで、著者の作品に触れたこともありませんでした。

ですが、どこか気になっていた有名芸術家でもあったようで、

いつも頭の片隅に眠っている存在でした。

個人的に敬愛する山田風太郎氏の自伝的エッセー『半身棺桶』にも

似た世界観を共有されている方かもしれないと・・・

勝手に推測もしてしまいそうになる飄々とした独特の風貌に

魅せられたのでしょうか?

どこか、惹きつけられるものがあったようです。

「美術家」に関する管理人のような素人からすると、

そもそも「感性」や「霊性」の方向性も異なるようで、

畏れ多くも、現代美術は多少「商業的要素」があるのではないかと

感じてしまう悪いクセがあるようですが、著者はさすが「芸術家」です。

そうした一般人の見方とは、

大きく異なる「敏感にして繊細な目」をお持ちであります。

著者は、グラフィックデザイナーの世界でも、

それなりの業績をお持ちであったようですが、

30代後半から40代中頃にかけて、「商業用芸術」に違和感を感じられ、

一足遅い「自分探しの旅」に出かけることになったそうです。

そして、45歳あたりから「画家」へと転身されていきます。

そんな著者は、幼少期から読書とは無縁な生活を過ごされてきたといいます。

ところで、そうした著者でしたが、20代の新婚ほやほやの時分に、

奥様が偶然に会社の図書室から借り出してきた1冊の本が、

著者の人生をその後大きく変えていく原点となったようです。

その本こそが、三島由紀夫氏の『金閣寺』でした。

この本とともに、冒頭でも触れさせて頂きました江戸川乱歩や

南洋一郎の小説から「推理」「冒険」といった物語の世界観を学び取り、

今ではよく知られるような著者独特の「芸術的世界観」を

構築していく源流になったといいます。

多分に、人間の「無意識領域」を描き出す表現形態に

魂が引き寄せられていったといいます。

とはいえ、何度も本書で強調されておられますが、

「読書は、大の苦手」とされ、

その「理知的思索」に耽る姿勢に、どこか違和感があり、

著者にとっては、「別世界」だったようです。

そんな著者は、皮肉な思いを込められていますが、

なぜか、小説を書くはめになり、文学賞をもらうなど、

まったく「想定外」の世界を経験するはめになったとも

ユーモラスに語っておられます。

普段は、「言葉」を極限まで排除した芸術である「絵画」を描くことで

自分なりの表現形態に親しんでこられた著者ですので、

本書の「文体」からも、独特の「肉体感覚」が立ち上がってくるようです。

「理知的」(当然ながら、文章自体は十分<理知(論理)的>!!ですが・・・)

を飛び越えた体感的立体画像と言えばよいのか、

文章が今にも眼前に浮き出てくるかのような躍動感で満ち溢れた

軽妙にして高密度な「文体」に仕上がっています。

管理人にとっても、勉強になります。

著者の絵画観には、素人目では「現代アート」の要素も多分に感じられますが、

著者自身は、「商業用芸術」に嫌悪感を抱いたことが、現代の「画業」に入る

きっかけともなっただけに、あまり「現代アート」とは親しくなれないそうです。

本書では、そうした「横尾忠則論」が綴られた「自伝的哲学書」であります。

「運命愛」とともに、「今ここに唯生きる」芸術的人生観に学ぶ

今回は、著者の本業が「文筆家」でないだけに、

管理人も、ただただ書きあぐねているのが正直なところです。

本書でも、「美術批評家」による鑑賞法を揶揄されていましたが、

「文学者」などの「言語依存型人間」には、

「ただ見る」という視点がないのかと、お叱りを受けるようで

正直申し訳なく思います。

「手強い・・・」

管理人の批評スタイルは、出来るだけ愛情を込めながら、

管理人の独自視点から哲学的エッセー風にざっくばらんに

語らせて頂いていますが、

この方の場合には、本業が「画家」ということもあり、

文字どおりの「言語批評」を拒絶されているかのようです。

「つべこべ言わず、素直に観賞したらええんや・・・」

著者の<関西弁>が画面の向こう側から飛び出してくるようです。

「いやはや、何とも・・・」

著者が、人生をかけて世間に語りかけたかったことも、

「無心(無私)」になって、「この世」を眺める姿勢の大切さだったと、

要約することも出来ます。

著者も、三島由紀夫氏に導かれるかのように、「理知的世界観」とは

別の角度から、「唯識無境」の世界へと没入しつつあるようです。

人生の「終局」は、これに尽きるだろう・・・と。

「全身全霊で、すべてを出し切って死に切れ!!」

「唯識」的表現では、

「何もかも吐き出し、阿頼耶識(アラヤシキ)の蔵に

たまった種子を空っぽにして死に切る」ということです。

つまりは、「輪廻転生の輪」から「完全脱出」して

「涅槃(永遠の悟り=死の世界!?)」で安らかに生きる自由を

得たいという思いが強いようです。

(「唯識論」については、こちらの記事もご一読下さると幸いです。)

著者の「死生観」や「世界観」は、

本書の『鍵の在処』『運命を手なずける』『少年文学の生と死』の

各エッセーに詳しいです。

そんな強く熱いメッセージが、本書から伝わってきます。

「知(理)性=理解力」と「感性(感覚力)」を結ぶ「悟性(判断力)」こそ

磨き上げながら、「霊性(直感的ひらめき=天啓)」に導かれていくような

「運命愛」を受け容れていく・・・

そんな「運命愛」とともに、「今ここに唯生きる」ことが、

万物の「霊長」たる人間の究極的本質ではないかとも考えられているようです。

「生=頭脳型肉体(思い)に偏った欲望(執着)の世界」とすれば、

「死=心(想い)だけの完全手放しの世界」とでも言えましょうか。

このように著者のエッセーは、大変面白く、「文筆業」に携わる人間にとっても、

示唆に富む内容で綴られています。

ですので、「言葉」をあまり重要視されない著者の願いを汲み取るとともに、

読者の楽しみを半減させることも、管理人の本意とは相容れませんので、

今回は、このあたりで筆を擱かせて頂きます。

最後に、著者の言葉を引用させて頂きます。

『死というのは間口は狭いんだけども、中はものすごく広い世界だと

思うんですよね。だからわれわれは今生きていて死への関門の狭い

ちっちゃい穴みたいなところに向かって仕事をして生きていっていると

思うんですが、その穴に上手くスコンと入ってワァーって広がった時に

驚かないような生き方というのが実は必要なんじゃないですかね。』

(本書234頁より)

ということで、皆さんにも「横尾忠則ワールド」にご興味関心がある方には、

是非ご一読されることをお薦めさせて頂きます。

なお、神戸市灘区にある「横尾忠則現代美術館」のサイトはこちら

また、香川県の豊島にある「豊島横尾館」のサイトはこちら

前回の2013年の瀬戸内国際芸術祭の際に、開館された個人美術館です。

今年は3年ぶりの開催だそうです。

瀬戸内国際芸術祭2016は、こちらのサイトご参照のこと。)

こちら方面に行かれるご予定の方には、管理人一押しの

「小豆島観光」を是非お勧めさせて頂きます。

ご参考までに、「小豆島旅ナビ」サイトは、こちらから。

個人的に「小豆島応援大使」をさせて頂いています。(非公認ですが・・・)

2016年春の甲子園高校選抜野球でも話題となった「小豆島」。

関西方面の方であれば、週末の1泊2日型保養地としても有望ですので、

是非「島」の活性化にご協力のほど、宜しくお願い申し上げます。

<追伸>

本書は、2016年度の第32回講談社エッセー賞受賞作品として

選定されました。(産経ニュース 7月27日付/青土社ホームページ

受賞おめでとうございます。

横尾忠則さんの「感応(官能??)させる芸術」から、

最近ことさら触発されることも多い管理人ですが、

聖なる横尾パワーにあやかって、

管理人も今後とも精進していく所存です。

これからも応援しています。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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