石飛道子先生の『「空」の発見~ブッダと龍樹の仏教対話術を支える論理』コミュニケーションをしなやかにする技法を学ぼう!!

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『「空」の発見~ブッダと龍樹の仏教対話術を支える論理』

仏教哲学・龍樹思想の研究者である石飛道子先生が、

ブッダと龍樹の仏教対話術から、苦しい世を

しなやかに生き抜くための智慧を解読。

仏道修行の究極目標は、「悟り」のイメージを

掴むことだとされます。

ここから、「この世」は、実体のない「空」だと導かれますが、

「空」ほど、誤解されている言葉もありません。

今回は、この本をご紹介します。

『「空」の発見~ブッダと龍樹の仏教対話術を支える論理~』(石飛道子著、サンガ、2014年)

石飛道子先生(以下、著者)は、

今最も注目度の高い仏教哲学者であります。

ご専門は、インド哲学・龍樹思想など、

主に仏教哲理(仏教思想を支える論理学)研究であります。

『マニカナ・ホームページ』という個人サイトも主宰され、

わかりやすくインド哲学や仏教哲学が学べるように創意工夫されています。

さて、本書は、今静かに話題沸騰中の気軽に読める

仏教総合雑誌『サンガジャパン』(サンガ)に寄稿された文章を

手入れ整理された作品集とのことです。

もともとが、一般向けの仏教総合誌を原典とされていますので、

文体も軽いエッセー調から時に重厚な論考となっています。

ですので、難しい仏教哲学思想も、出来るだけわかりやすく

伝わる工夫はされています。

とはいえ、内容は高密度で、理解は一筋縄ではいきませんが・・・

本書は、仏教の創始者ブッダ(お釈迦様)と、

仏教中興の祖ともされる龍樹菩薩による思想の片鱗から、

「対話術(仏教型コミュニケーション技法)」を学んでいこうとの

主題で貫かれています。

その主目的は、「論争しないこと(争わないこと)」による

穏やかな人間関係・社会実現への道であります。

もともと、「宗教」は、「救済」を主目的とする「教え」だったはず・・・

ところが、世界情勢を観察していると、正反対の「対立と孤立」を

招き寄せてきたかのような現状があります。

「どこで、<宗教=救済思想>は、道を間違えたのか?」

その分岐点は、各宗教が持つ「論理構造(対話技法)」にあったようです。

言うまでもなく、現代世俗社会における各種制度論理も、

そのほとんどが、西洋由来のもので、基盤は「一神教的世界観」に

あります。

そこでは、「人工神」との対話が中心であり、「人間らしさの探究」が、

二の次のような感じもします。

そもそも、世界三大宗教の祖自体は、「人間らしさの探究」の視点も

持ち合わせていました。

その名残が、「偶像崇拝の禁止」です。

ある意味、「言葉=イメージ」の固定化防止の智慧でもあったようです。

しかし、現状は、その「言葉=イメージ」が一人歩きして、

相互対立を繰り返し、人々を拘束してしまっています。

その「拘束衣」を脱ぎ捨てて、再び、すべての生きとし生けるものに

「光(愛)」が降り注がれるためには、どのような視点(姿勢)が

要求されるのかを掴み取ることは、大いなる願いであります。

「仏法とは、円い心の教えなり」(薬師寺管長:山田法胤老師)との言葉もありますが、

仏教における言語戦略(コミュニケーション技法)の第一義は、

「論争しない(争わない)こと」にあります。

その論理を支えるのが、「空(からっぽ)」です。

「空(からっぽ)」は、「無(何もない)」とも誤解され、

なかなか一般人にとっては、理解困難な思想ですが、

「わかって(悟って)」しまえば、

これほど力強く勇気を与えてくれる「教え」もありません。

「わかる=悟る」道は、遠いですが、管理人も含めて皆さんの

日々の生活における「一歩一歩」が、その(悟り)の「証左の道」であります。

ともに、穏やかな世界を目指していきたいものです。

ということで、皆さんにも、「空」の発見とともに、しなやかで穏やかな

コミュニケーション技法を掴み取って頂くことで、「悟り」を一日でも早く

体感して頂きたいとの願いから、この本を取り上げさせて頂きました。

「仏道とは<自己>を忘るることを習う教え」(道元禅師)

ところで、本書の趣旨は、ブッダと龍樹菩薩の教えを

それぞれの立場から分析考察することで、仏教論理の

核心に迫りながら、「空」を発見する道のりを探究すること

あります。

そして、たどり着いた「論理構造」の果てには、

「論争しない(争わない)」ための智慧が

その「対話技法」の中に組み込まれていたという

「新発見」でした。

それを精緻に体系化したのが、龍樹菩薩が大成したとされる

「空」の思想であります。

詳細は、本書をお読み頂くとして、

「仏教」を身近に知ろうとされるならば、

手塚治虫氏の『ブッダ』が最適であります。

あるいは、アニメ『一休さん』なども優れた教材になります。

芥川龍之介氏の『蜘蛛の糸』や

三島由紀夫氏の『豊饒の海(全4巻)』などもお薦めです。

奇しくも、漫才師「笑い飯」の哲夫さんも、

産経新聞にて、只今「仏教」をテーマにしたコラムを連載中ですが、

「仏道を学ぶには、<遊びの心>をまず持つこと」が大切のようです。

コラムのタイトルは、『あちこち恢々』ですが、

なかなかどうして、これが、毎回奥深いのです。

また、みうらじゅんさんの「仏像ブーム」も

今、若者の間で人気があるようです。

「仏教」と言えば、これまでは、「辛気くさい、抹香臭い」などと

暗く陰鬱な雰囲気で語られてきましたが、

あくまで、お釈迦様のもともとの教えは、

「明るく幸せになるための教え」でありました。

よく「仏像」は、他宗教の立場から「偶像崇拝」ではないかとの

批判もされるようですし、お釈迦様の教えから推測しても、

「仏像創作」など「外道」ではないかなどと、

「にわか知識人」からの批判もあるようですが、

どれもこれも「的はずれ」のような感じがします。

著者が、本書で明らかにされたことも、ここにあります。

「仏教」は、「瞑想修行(実践)」と「学理探究(理論)」の2つの柱から

成り立っているとされています。

ここが、著者独自の視点であります。

数多くの仏教「学者」が陥りがちだった「頭でっかちで袋小路」な解釈から

抜け出す処方箋を提示されたことは、見事な仕事です。

ちなみに、今回は、出来るだけ軽やかに考察していきたいと思いますので、

「学理探究」は、本書に全面的にお任せということで、

親しみを込めた「仏教」を皆さんにお届けしていきます。

(なお、「悟りのプロセス」については、記事①

(「戒律」については、記事②を、それぞれご参照下さると幸いです。)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ここで、本書の内容構成を要約しておきます。

第1部 「空」の世界へ~ブッダと龍樹にみる実践の論理「空」

①ブッダの法であること

②論争を避けること

③法(ことば)にこだわりをもたないこと

④他を縁とせず、あるがままに見ること

ここでは、ブッダと龍樹の語法研究から得た

幸せになるための「ことばの使い方」に着眼した学理研究が主テーマです。

著者の立場は、龍樹菩薩研究に長年、比重を置かれてこられたことから

「大乗派」の立場であるようですが、あくまで、「大乗派」にこだわらずに、

自由自在な視点から、ベストセラーにもなった『般若心経は間違い?』

アルボムッレ・スマナサーラ著、宝島社新書)に対する建設的反論を

試みられている点も「読ませどころ」であります。

アルボムッレ・スマナサーラ氏は、

現代「小乗派(上座部仏教)」の「長老」として、

世界的に著名な方でもあるだけに、

現代の仏教徒が「ブッダ」や「龍樹」に対して、

どのようなお考えなのかを知ることも勉強になります。

(「第8章」本書131~176頁ご参照)

特に、「小乗」だけでは内部分裂繰り返すのみ、

「大乗」とともに多方面に進化してきたために、

仏教は滅亡せずに済んだのだとの視点は、

これまであまり人口に膾炙されなかった論点だと思いますので、

このあたりもご一読下さると「盲」が開かれることでしょう。

(本書30~33頁ご参照)

第2部 無我の世界へ~古代インド思想界とブッダの法「無我」

①自己の探究 無我へ!

②輪廻の探究 解脱へ!

こちらは、「実践面」から見た「無我」「解脱」といったキーワードを

中心とした学理研究が主テーマです。

「仏教」は、理論と実践の両輪が不可欠。

「瞑想」と「学説」を乗り越えた、まさしく「涅槃寂静・寂滅為楽」の境地に

至る道のりをイメージしやすくするために、初期経典「ダンマパダ(法句経)」や

ヒンズー教思想との対比から示されています。

「輪廻転生と業(カルマ)論」からは、「中道」と「縁起」についても

わかりやすく解説されています。

第3部 そして、現代世界へ~世界の思想と仏教の倫理「利他」

①西洋の哲人とブッダ

アランセネカの思想と対比されながら、

「ブッダ」思想の先見性を提示されています。

②世界の宗教と仏教

「戒律」の視点を含ませながら、

ことに「キリスト(教ではなく)」の教えとの相違点と共通点を

考察されています。

※「律」については、本書ではあまり触れられていませんので、

ご興味関心ある方は、上記リンク先の佐々木閑氏『出家的人生のすすめ』の

「戒律」に関する記事をご一読下さいませ。

結局は、私たちの「自己」の振る舞い方が、

最重要なのだと強調されています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、「仏道」の究極的目的は、もう皆さんもお察しのとおりですね。

そうです。

「悟り(涅槃寂静・寂滅為楽)の世界に入ること」です。

その大前提として、「苦しみ」からの脱却を探る方法論が

大切になってきます。

お釈迦様によると、「無明(執着心)」こそが、

「悟りへの道」に至る最大の障害だと考えられていました。

中でも、「自分かわいさ」が、最大の障壁でありました。

そこで、その「自分(自己)」を「滅却」するのではなく、

「忘れる」練習が、「仏道」の極意に据えられています。

「滅却」とは、「ハードランディング」。

私たちのような「凡人」には、なかなか困難であります。

でも、「忘れる」なら・・・

「ソフトランディング」です。

もっとも、「忘れよう」と思えば思うほど、「自我への囚われ(執着心)」が

ますます盛んに燃えさかることをお見通しだったのも、お釈迦様。

お釈迦様ご自身も、「悟り」を開くまで、様々な修行法を

試行錯誤されましたが、

最後は、「難行苦行など、まったくもって意味無し!!」の

境地に至られました。

そんな「人間」の弱さを誰よりも味わい尽くされていたので、

私たち「凡人」にも、無茶な要求はされません。

「一歩一歩、地道に、着実に」

「悟りへの道を歩もう!!」

「<正しい教え=法>を拠り所に、主体的(自分も拠り所に)に

<仏道成就=悟りの完成>に、ともに取り組みましょう!!」が

お釈迦様の教えの核心であります。

形式的には、先に「悟った」覚者が、「先生」となって、

まだ「悟り修行中」の「学生」を導く役目を背負っていますが、

「先生」自身も、さらなる「悟後の修行」が厳しく要求されるのが、

「仏道」というものです。

まとめますと、「縁起」に従った「相互向上教育」によって、

ともに、「幸せになる(である、になろう)」ための智慧を

身につけることが、仏教の勘所であります。

それを、「般若の智慧」と言うようですが、

そのことを短くしたお経が、「般若心経」であります。

その末文こそ、

「行こう、行こう、みんなで一緒に行こう、悟り(彼岸)の世界へ♪♪」

あります。

ここに、「仏教」の核心があります。

そのプロセスを、論理的に言葉で表現していくと、

「空観」

「中(道)観」

「仮(観)=実体はない=あるのは<識=ものの見方>のみ」などの

「ものの見方(イメージ像)」になります。

このように、「言葉」では難しく解説されていますが、

「言葉」にこだわらず、こうしたイメージを体感していくのが、

仏道修行ですので、仏教とは、「知的理解」だけでは不十分でして、

「信」こそ重要だということです。

この「信」があるかないかが、「仏道」についての

「哲学的理解レベル」に止まるか、

「宗教的理解レベル」にまで進展するかの大きな分岐点になるようです。

何はともあれ、ぼちぼち歩いて行きましょう!!

このように、仏教と他宗教の大きな違いは、

時空感覚もそうですが、「自己修行」に

どれだけ重きを置くかどうかの違いにもありそうです。

他宗教のように、「救済」が必ずしも決まっていないのも

仏教の特色であります。

また、どれだけ修行を積めば「合格」なのかどうかも、

定かではありません。

しかも、お釈迦様を始めとする「如来(覚者)」や「菩薩」ですら、

「合格後」も勉強し続けますから、

日々の「行動」にも、油断がなりません。

かといって、「無理をするものではないぞよ!!」との声も

聞こえてきそうです。

このあたりが、まさに、仏教の融通無碍なところでしょうか?

だからこそ、数ある世界宗教の中でも、世俗的には弱くとも、

しぶとく生き残り続けられたのでしょう。

ですが、このあまりにも「平和宗教」だったところが、

「人間」世界の次元から見れば、レベルが高すぎたのだとも

思われます。

もっとも、理想を高く持つことで、

人類の霊性向上に役立つのですから、

これほど素晴らしい教えもないのですが・・・

そのことで、仏教の大衆化は後れたのかもしれませんが、

「宗教のイデオロギー化」を免れ得たのも、「空」あってのこと。

まとめますと、「空(からっぽ)」は何でもありに見えるからこそ、

理解も難しいところがあるのですが、「空」は、「無」とも違うからこそ、

「天国」や「地獄」などのような、

おどろおどろしい「世界観」とも無縁だったのでしょう。

こうした「世界観」を持ち出すにせよ、

それは、あくまで「仮のたとえ話(方便)」であります。

そのことは畢竟、すべて「論争しない(争わない)こと」に

集約させる技術的工夫にありました。

「論理学」については、これ以上、ここでは詳しく考察しませんが、

「仏教論理学」が、「西洋論理学」を軽く乗り越えていったのも、

「空(からっぽ)」という思想をいち早く「発見」したからでしょう。

今回は、このあたりで止めさせて頂きますが、

「とりあえず、難しい屁理屈は、脇に置いておいて」

「何はともあれ、ぼちぼち歩いて行きましょう!!」

「空(単なるからっぽ)から虚空(そら=広大無辺へと光り満ちる)へ」

「さすれば、<ニヒリズム=虚無感>とも、おさらばじゃ!!」

最後に、「ダンマパダ(法句経)」から一節引用しておきます。

『おのれこそ おのれのよるべ おのれを措(お)きて

誰によるべぞ よくととのえし おのれにこそ

まことえがたき よるべをぞ獲ん』(法句経160)

(友松圓諦訳、講談社学術文庫、2006年第24刷、『法句経』より)

なお、「空観」を芸術的に掴むために、

「相田みつを ザ・ベスト かんのん讃歌」

相田みつを著、角川文庫、2012年)

また、「龍樹(ナーガールジュナ)」の「中観」や「論理学」について、

「日本人のための宗教原論~あなたを宗教はどう助けてくれるのか~」

(小室直樹著、徳間書店、2000年第2刷)

さらに、「ブッダ」の教えについて学びたい方には、

「図解でわかる!ブッダの考え方」

(一条真也著、中経の文庫、2012年)

「手塚治虫のブッダ~救われる言葉」

(手塚治虫著、光文社知恵の森文庫、2007年)

「手塚治虫のブッダ~いかにして救われるか実践講座」

(手塚治虫著、監修/手塚プロダクション、光文社知恵の森文庫、2014年)

をご紹介しておきます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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