宮元啓一先生の「仏教の倫理思想」を読み、「宗教」ではなく「倫理」としての仏教を探究しよう!!

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「仏教の倫理思想」

宮元啓一先生が、いわゆる「仏教徒」ではない

一般人向けにわかりやすい「仏教倫理学」を

講義して下さっています。

「仏教徒」といっても、「出家」「在家」など

「仏道成就を目指すレベル」は様々ですが、

基本的には「敷居が高い!!」と思われる方が

大半でしょう。

また、「倫理」に対するイメージも

現代社会では、あまりにも「世俗化」しすぎており

「内なる行動基準」としては、弱いものが

感じられるのではないでしょうか?

今回は、この本をご紹介します。

「仏教の倫理思想~仏典を味読する~」           (宮元啓一著、講談社学術文庫、2006年第2刷)

宮元啓一先生(以下、著者)は、インド哲学・インド思想史を

ご専門とされる学者です。

著者は、あくまで「仏教徒」ではないそうですが、

上記のように「インド哲学思想」を幅広く研究されているだけに

「仏教哲学」も相対的な視点で解釈される「自由な視点」を

お持ちのようです。

この本は、わずか200ページほどの短いエッセーのような

解説で、「仏教の倫理思想」を3つの仏典を「味読」しながら

「仏教倫理のエッセンス」が感じ取れるような内容構成と

なっています。

具体的には、次の3つの仏典です。

①ただ独り-「スッタニパータ」「犀の角(さいのつの)」(全訳)

②高貴な道-「法華経」「方便品(ほうべんぼん)」より(抄訳)

③無執着-「金剛般若波羅蜜経」より(抄訳)

※「抄訳」とは、「一部訳」のことです。

いずれの仏典にも共通することは、「あらゆるモノ・コトにとらわれずに、

自由自在に苦しい世の中をいかに心安らかに生き抜いていくかの知恵」

いってよろしいかと思われます。

この本では、あまり難しい「仏教専門用語」などは、極力省かれており

一般の初心者にとっても大変読みやすい工夫が凝らされています。

著者も、<はじめに>で「声に出して読みたい日本語」(齋藤孝氏)に

なぞらえて、引用された文章を音読しながら「味読」されることが

推奨されています。

この本でも、簡潔に触れられている

有名な宮本武蔵の

「神仏は尊し、しかし神仏を頼まず」は、

多くの方に愛唱されてきた言葉でもあるようです。

「我がことにおいて、後悔せず!!」

現代人にとっても、すがすがしい響きを持った言葉です。

いつの時代も常に揺れ動いてきましたが、飽食の時代に生きる

私たちは、つい20数年前までは「この大事な法則」を忘れて

いたようです。

しかし、最近になって「この世」とは、

決して「安住していられるような場所ではない!!」と

目覚めさせられるような状況も相次いでいます。

そうした時代状況からか、再び「人間いかに生きるべきか?」が

人々の内面から問われ出しています。

誰しも「不安やおそれ」は、つらいものですし、

出来れば避けたいものでありますが、残念ながら難しいようですね。

現代のような不安定で切羽詰まった世の中では、社会によって創られてきた

「世俗内倫理」は、かえって「安定した指針」とはなってくれません。

そこで、論理的に納得される「超世俗的な倫理」が要請されてきます。

ここでは、「倫理」とは「道徳」と区別するために「内面的な規範(ルール)」と

定義しておきます。

絶えず揺れ動き不安定な「世俗内倫理」に対して、堅固とした「超世俗的倫理」を

学びたいというニーズもあるかと思われます。

それが、「仏教倫理」です。

少しでも安心して暮らしていきたいと願う方々とともに、

「勇気を与える知恵書」として、皆さんとともに「味読」していきましょう。

犀の角のようにただ独り歩め!!

この言葉は、「スッタニパータ」に頻出する有名なフレーズですが、

昔から釈迦の死後も「独行道」を歩もうとする修行者の「指針」と

されてきました。

釈迦(ブッダ)の死後、仏教が大きく発展していくにつれて、

段々と釈迦が教えたとされる「教義」も精緻化されていったことから、

分かりづらくなっていたのが現状でした。

いわば、キリスト教とキリスト自身の教えが、どんどん乖離していった

現象と同じ道をたどったものだと、イメージして頂くと理解しやすいかと

思われます。

そこで、あらためて「釈迦(ブッダ)の本当の教えって何??」と

問われた時に、甦ってきたのが「スッタニパータ」や

ダンマパダ(法句経)」でした。

このあたりの解説は、前にも当ブログでご紹介させて頂きましたので、

そちらの記事をご一読下されば幸いです。

最近になって、世界的に有名な企業でも話題になっている

「マインドフルネス」という「瞑想法」が一般にも知られつつあるようですが、

この原点も「初期仏教経典」から影響を受けながら発展してきたようです。

「マインドフルネス」のティク・ナット・ハン氏も、ベトナム仏教徒であり、

昨今の日本でも一躍有名になったスリランカのアルボムッレ・スマナサーラ

などのインド南部から東南アジア出身の仏教徒の方は、一般的に

「上座部(小乗・南伝)仏教徒」とされています。

日本では、長らく「北伝(大乗)仏教」の影響が強かったのですが、

こちらの「小乗(南伝)仏教」の方が、より釈迦に近い「初期仏教思想」

されているようです。

前にも語りましたが、「小乗」「大乗」に「差別」がある訳ではありません。

あくまで、後世の「大乗派」がそれまでの仏教と区別するための呼称に

過ぎないようです。

これらの「初期経典の教え」は、総じて「自灯明・法灯明」が共通テーマです。

「法(釈迦が伝えた教え)を頼りにしつつも、己自身が掲げた一灯を信じて

怠ることなく歩み続けよ!!」との力強いメッセージです。

その象徴が、「犀の角」です。

「犀の角」は、「大変小さく短い角」ですから、

「慎重に慎重に歩みを進めなさい!!」ということを表現しています。

孤独であっても誇り高く生き抜こう!!

「法華経(方便品)」と「金剛般若波羅蜜経」の解説については、

この本に委ねることにしますが、これらに共通するのは

先程と違って「大乗経典」です。

むしろ、こちらの方が日本では普及しているため、

夥しい解説書もあります。

ちなみに、「金剛般若波羅蜜経」は「般若心経」とは違います。

短い「般若心経」のように「空」という言葉を使わずに、実質的な

「空の思想」を説いているようです。

特に、「法華経」は日本に仏教が導入されて以降、上下問わずに

幅広い階層に普及していきました。

しかし、この「法華経」はあまりにも長すぎるために、

一般向けには、この「方便品(たとえを使っての教え)」と

「観音経(妙法蓮華経観世音菩薩普門品第25偈)」が

もっとも知られていますね。

この「法華経」のテーマは、「泥の中でも咲き誇るハスの花」の

イメージのように「高邁な志」を抱いて生きる勇気を授けてくれる

「仏典」です。

以上、ご紹介してきましたが、「仏教徒」となれば「宗教」的要素が

含まれてきますが、「仏道」と言えば「道の教え(倫理)」でもあります。

こうした「仏道」を歩む限り、いずれの「境界」もほとんどないようですが、

「理解して納得しながら信じて仏道を歩もう!!」という視点を持った方が

より「信心深く??」「仏教」に親しめるのかもしれませんね。

このように、「仏教」は他宗教に比べて「論理的」な点に特徴があるようです。

もちろん、管理人はすべての宗教から「良き知恵」を学び取りたいと願っています。

「どうすれば、対立せずにすべての生きとし生けるものが共存共生出来るのか?」を

日々探究しながら、「自らの共有生命哲学」を構築しようと思案している人生でも

あります。

皆さんも、「暗夜の中の一灯」を捧げ持つことが出来れば、

少しは、釈迦(ブッダ)の分析した「苦しみに満ちた世の中」を

楽しく安らかに生き抜く勇気が湧き出てくる毎日が過ごせるのでは

ないでしょうか?

真摯に今を生きるすべての方々への応援メッセージとして、

この本をご紹介させて頂きました。

なお、「仏教と倫理」について考えたい方へ、

「反・仏教学~仏教VS倫理~」

(末木文美士著、ちくま学芸文庫、2013年)

も、ご紹介しておきます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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